もうひとつの帝国主義

田中 純


 海市を構成している諸前提のうち、何一つとして自明なものはない。まず第一にプランニング・レベルの問題として、それが中国経済特区のプロジェクトであることは決して無視できない。経済的特権を付与された、中国大陸という海に浮かぶ群島である経済特区は、資本主義を導入しつつ、特に第三次産業を育成し、そのために外資企業の誘致にあたって優遇措置をとり、華僑経済力を最大限に利用している。マルクス・レーニン主義ならぬ、マーケット(市場)・レーニン主義国家のこのユートピアは、しかし、中国においてはいまだにあくまで例外的に開放された都市であり、これと対をなす形で閉鎖された秘密都市としての軍事都市が、双子の分身のように存在している。

 トーマス・モアの『ユートピア』はイギリス資本主義勃興期の〈囲い込み〉による土地の収奪に対する批判であったが、ユートピア島とはしかし、この囲い込みが反転して外界に投射された、〈囲い込まれた共有地〉にほかならなかった。ユートピアは〈粗野な先住民〉との闘いの結果、征服された土地であり、人口過剰の場合には、近隣の土地に植民し、場合によってはそこの先住民を武力によって追い払ってしまう。「なぜなら、ある国の国民がその土地をただ無意味に遊ばせているくせに、自然の法則にしたがってその土地によって生活しようとする他の国民にそれを拒むことは、これこそ戦争のもっとも正当な理由と彼らは考えるからである。」この戦争のためにユートピア人は高額の報酬で傭兵を雇いいれ、「傭兵をいくら破滅に陥れようが少しも意に介さない」。ユートピア人そのものが、場合によっては近隣の土地の収奪を傭兵を使っておこなうという帝国主義的資本主義のプロトタイプであり、〈囲い込まれた共有地〉としてのユートピア島はモアの時代のイギリスの、土地の私有化が反転した形象であったように、経済特区の沖合いに浮かぶ海市は、中華人民共和国が断固として内化しようとしている外部的な島、〈麗しの島〉の異名をもつ台湾の反転像であるのかもしれない。政治的な分断によって外部化した自己の一部であるかのように存在しているこの島は、中華人民共和国という国家共同体の幻想の世界地図のなかでは、どこにもない場所=ユートピアであるに違いないのだから。

 香港、マカオの返還、さらに将来的には台湾の吸収といったシナリオとともに、チベット紛争などに見られる分離独立の動き、あるいは尖閣諸島、南沙諸島などをめぐる領土問題によって、境界(辺境)を活発に変容させている中国とは、境界の無限拡張運動としてのかつての(19世紀までの)帝国のあり方(拡張的侵略性という全体化の運動)を現代に残しているほとんど唯一の国家である。そして、一方、地球を覆い尽くそうとするインターネットとは、情報資本主義によってもたらされた希薄で見えない世界帝国、もはや中心をもたず、版図も定かでない新しい帝国にほかならず(松浦寿輝「帝国の表象」、山内昌之ほか編『帝国とは何か』所収、参照)、海市というMirage Cityは、中華帝国とネット帝国という新旧二つの帝国のはざまに立ち現れることによって、未曾有の〈帝国主義〉の実験場と化しているのかもしれない。そのプランニング・サイトは決して任意の場所ではないのである。

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