盗まれた羊 (The Purloined Lamb)

當間千代子


「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と 共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何 一つなかった。」(ヨハネによる福音書:1.1-3)

 母親の体内で胎児を包んでいる膜のことを「羊膜」(英amnion)というが、その語源 はギリシャ語のamnos(英lamb = 子羊)に由来する。紀元後2世紀の医学者Rufusか らの引用に「胎児は肌着chito'nで包まれている。その肌着は薄く柔らかい。それの ことをエンペドクレースはamni'onと呼んでいる」(Liddell&Scott、津上英輔訳)と あるように、ギリシャ人の生活にとって極めて身近な存在であった羊が、彼等の生活 概念に取り入れられて行った様子がここに伺える。このことから「羊膜」即ち「子羊 [の肌着]」とはその「内」に「子羊」を包むものという語源学上の仮説が成立する。 一方、8週目までの胎児のことをembryoというが、これはギリシャ語起源のen(「中 」「内」の意味)と bruo(英to grow)の合成語である。即ちここでは、「胎児」が 「<内>で<成長する>もの」という極めて抽象的な概念にすり変わっていることが わかる。しかしながらここでは何故「胎児」を「子羊」でなく「<内>で<成長する >もの」と呼んだのかを究明することが問題なのではない。むしろ重要なのは「子羊 」と「<内>で<成長する>もの」との隙間に入り込んで来た侵入者の存在である。

 この奇妙な語源学上のゲームに参入し、やがてその土台を巧みに利用して自らのドグ マを築いていった侵入者こそ他でもないキリスト教である。 the Lambといえば「神 の子羊=キリスト」のことであるが、キリスト教における「父と子と聖霊」の三位一 体説が明らかにするところでは、「神=キリスト=聖霊」という図式があり、これに よりキリストは「神の子羊」であると同時に保護者たる「父なる神」即ち「羊飼い」 でもあり得ることが明らかにされる。しかし何故そのようなことが可能なのか。「< 内>で<成長する>もの」は「羊膜」に影を落とす。その影は「羊」の形をしている 。しかしその影がやってくる方向を見ても「羊」の姿はなく、代わりに「<内>で< 成長する>もの」がそこにある。そして、実体を伴わない影は言説レベルにおいて幾 重にも変容可能な存在となる。言葉が存在を生かす。つまりキリスト教における「父 と子と聖霊」の三位一体説を可能ならしめているのは他でもない、この実体の不在、 より正確に言うならば言説上のシニフィアンとシニフィエのずれだと考えられる。

 しかしこれを逆手に取るならば、言葉の操作により存在を隠滅することも簡単に出来 てしまうことになる。この言説レベルでの操作にキリスト教的な自律システムとして の「神」の存在を見るとするならば、「胎児=羊」という考えを暗示させる「羊膜」 の存在は人間をも「神」と同等な存在に引き上げることになる。即ち、ここに自律シ ステムとしての人間という概念が成立するのである。この神学上の詭弁は人間の自己 生成性への欲求を満足させるのに好都合であったばかりでなく、細胞分子レベルでの 自然界の自己生成モデルをも巧妙に説明してしまう正にマジック・ワードであった。 さらに、このキリスト教神学における自己生成性のメタファーは「キリストの復活」 を通じて永久に循環し続けることになる。しかしながら被膜としての「羊膜」に「羊 」の影は映るものの、その「羊」に実体はない。誰しもが必死の捜索を続けるなか、 それは「<内>で<成長する>もの」として語られるだけである。言語学上の神隠し にあったこの「羊」はどのような捜査網にもひっかることはない。このようにして羊 は永遠に終わらないサーキュレーションに回収され、我々の目に触れることのない場 所で存在し続けていくことになるのである。

 2本の橋で横琴島(中国)と結ばれる海市を臍帯で母体に繋がれる胎児として考える ならば、その海市を包帯で包み込むということは、「羊膜」が言説レベルで「羊」( =胎児)を消してしまった要領で、海市を消し去ることを意味する。しかしそれは海 市を物理的に葬り去ってしまうことではなく、出口のない言葉の牢獄に監禁してしま うことで存在を隠滅し去ることである。従って、我々には記憶のなかの残像として海 市は繰り返し蘇ってくることになるだろう。しかしながらあたかもブラックホールの なかに落ちていった物体のように、海市は言葉の牢獄から抜け出すことは叶わず、そ こで永遠の円環を回り続けることになる。「羊膜」に包まれた胎児は生まれないのが 、この言語ゲームのルールなのだ。それはあたかも盗まれた羊が適切なシニフィアン を欠いたがゆえに存在を消されてしまったことに極めて類似していると言える。

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