磯崎案の簡単な分析

柳 博通


 プロトタイプにおいて、フロンティア、バウンダリー、ヴァニッシング・ポイントの消失を前提として都市計画が行わ れています。 しかし、フロンティアは海上都市であるという根本的な特性によって、さらに強固な堤防を築くことにより島の「外」 の存在を認識させ、海という無限に拡張されうる世界を表しています。これは、フロンティアが「未知」のものである といった定義であれば、言い得ないものであるかもしれませんが、ここで私のいうフロンティアは、占有世界の拡張可 能な先の世界を指しており、存在しうるのです。 また、バウンダリーについても同様なことをいうことができます。磯崎のいうバウンダリーは国家間のもののみに言及 していますが、この海市においては、階級間といった形で立ち現れてきています。住居のために引用された富俗層、中 流、貧民(正確ではない)(客家、四合院、たんみん)の伝統的住居をリファレンスとして使用することそれ自体に対 する疑問を表明してはいません。また住居の配置はその階級によって切り分けられる形でゾーニングされています。 ヴァニッシング・ポイントについてはいう必要もないのではないでしょうか。センター地区の風水のための遊水池に用 いられるパースペクティブを強調した空間は昔から使われた権力を表象する装置です。しかもこれはセンター地区を中 心に据えた中心性の強い都市計画において用いられているのです。 つまり、「「世界の終わりがみえた」「国境線が消滅した」「近代的主体が解体した」などが既に共通認識になってい ると語っています」が、この計画は世界のはじめを作り出し、階層差を明確にし、さらに国家権力を認めるような空間 を作り出していると、私は考えるのです。

 もし、磯崎さんのいう「ビット化社会」ということを空間的に成立させるのであれば、センター地区、住居、が並列に 並べられるべきなのではないでしょうか。しかし、これを行ったとしても、バウンダリー(境界)は消失しません。断 面的なゾーンの切り分けによる、並置もしくは混在も必要でしょう。並置した場合の各ゾーンを結ぶ役目を果たすよう な空間は必要なのでしょうか。もし必要だとすればヒエラルキーのないニュートラルな空間でなければならないのでは ないか、と考えます。堤防も強固な堤防による「外」をつくるのではなく、いつでも目の前にある「外」でない外とし て存在させることはできないでしょうか。逆にいつでも拡張しているというような状態を作る方がよいのではないでし ょうか。例えば、堤防自体が集合住宅になっており、いつでも増殖可能というような。

 磯崎さんの都市プロジェクトにCOMPUTER AIDED CITY(1972)(別称POST UNIVERSITY PACK)というものがあ ります。そこで用いられる概念はコンピュータによって交通、エネルギー、行政等が全て管理される、というもので空 間的にはビルディングタイプが消失し、全ては大きなドームのような覆いに包まれているというものです。ここで、面 白いことは、この計画においても磯崎さんは、センター部に二つの帯(長いドーム)を用いていることです。そこか ら、管理された情報が細い管を使って(住宅へ)流れ出ていくというような空間の構成です。このプロジェクトにおい て彼は、空間的な言説を行っていないが、最後に「この情報コンビナート(コンピュータ・エイディッド・シティのこ と)はひとつのモデルである。現実にこのような形態をとるということを意味しているのではない。」と語っている が、25年後に出現した都市計画は、この(ダイアグラム的な)構造を表してしまった。これは間違っても、時代を先取 りしたものということではない。都市と権力を信じているのだろう。(このプロジェクトはPOST UNIVERSITY PACK という題名で7208建築文化に特集されています。)

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