磯崎新の(ための)墓

松田 達


0. 都市計画家としての磯崎新

 プロトタイプの分析にはいる前に、「都市からの撤退」を宣言したはずの磯崎新が 今都市計画をするということに潜む、無視することのできない重大な問題について考 えておきたい。建築家としての歩みを初めてから今まで都市計画レベルのプロジェク トは一切排除してきたはずの磯崎が、何故今に至ってあからさまに都市計画をすると いうことを、自らに許しているのであろうか。

 1931年生まれの磯崎の60年代を通しての興味は建築ではなく都市であった。ジャッ キー・ケステンバウムとのインタビューで1964年の写真家二川幸夫との世界旅行の目 的は建築ではなく都市であったとはっきりと言っているし、「´60年代の終わり、多 分´68年までは」「想像上の都市計画家になりたかった」とも言っている(『磯崎新 の解体新書』)。この間磯崎が建築論や建築史についての膨大な知識をinputしてい るとしても、outputされたものは都市に関するものばかりであった(『空間へ』)。 出発点において彼が都市計画家になりたかったということは、重要なことである。だ が現代美術家や作曲家、演出家など芸術家と呼ばれる人達との付き合いに、建築家同 志の付き合いよりもより重点をおいていた磯崎にとって、法的に建築とは比較になら ないほどがんじがらめに拘束され、また政治的経済的な状況も無視することができず 、自由に組み替え再構成していくことがほとんど不可能である都市計画は、ハイアー トたりえないものであって、彼の意図を表現するには社会のシステムとあまりにも複 雑に、あまりにも深く結び付き過ぎている手段の系であったと言えよう。

 都市計画に見切りを付けた磯崎は、以後建築のプロジェクトを次々とこなし、現在 の地位(世界建築界の「父」?)を手に入れるわけであるが、これを建築家としての 磯崎新の出世街道と見るよりも、むしろ都市計画家としての磯崎新の長いブランクと 見るほうが、彼の出発点からの連続性に見合っているのではないだろうか。そもそも 彼が建築家にはなりたくてなったわけではなく、そのような仕事をしているうちにた またまそう呼ばれるようになってしまっただけだ、ということは繰り返し述べられて いるし、都市計画家にならなかったのは、現行の限られた手段の系の中で彼のしたか ったような都市計画をすることが不可能であると悟ったからである。

 熊本アートポリスの時に、その限られた手段の系の中で磯崎が取りえた戦略は、実 は今回の「海市」と全く同じく「マスタープランをつくらないこと」であった。個々 のプロジェクトは各建築家に任せ、彼自身はその選択をしただけという、従来の面的 な都市計画に対する点的な都市計画であった。またそれは法制都市計画に対する磯崎 のゲリラ戦であったとも言えよう。後に雑誌『造景』において、神奈川県真鶴町の『 美の条例』で有名になった法律家五十嵐敬喜が自らの位置を磯崎に対置させながらこ れを批判しているが、この法律家が信じているものこそ磯崎が批判しているものなの である。「敷地の一番良い場所には決して建物を建てないこと」「屋根飾りは自然な 方法-工法の種類や建物の意味にあったやり方-を選ぶこと」「街路に面した建物の面 には、人の気配を感じ取れる街路に向かう窓を設けること」など膨大な量の「美の基 準」をたて、法律によって「美」を定義していこうとする五十嵐は、たとえその「完 全なマスタープラン」を町民が歓喜して受け入れたということが事実であり、国家レ ベルの上からの都市計画に対する地方公共団体レベルの下からの都市計画の可能性を 大いに開いて見せたという点で大いに評価できるとしても、このような都市計画は、 単なるポリティカルコレクトネスそのものの集大成であるという批判を浴びる以前に 、権力によって万人に同じ思考/嗜好を強制させるという極めて危険な都市計画であ るといえる。磯崎は法的な都市計画が掲げるこのようなマスタープランの行き着く先 を正確に見極めた上でそれを取り外しているのであり、五十嵐の批判は成り立たない であろうが、だがおそらく磯崎は熊本アートポリスのような消極的な都市計画には満 足しなかったはずである。

 それでは「何故ユートピアか?」(パンフレットP.4)。磯崎自身のこの問いは、 以上のような都市計画家としての磯崎の経歴をふまえるならば、彼の「都市をつくり たい、だが自らがそれをつくってしまった瞬間にそれは自分自身の問題構制と矛盾し てしまう」というパラドクシカルな欲望を隠蔽するための問いであり、答えであるよ うに思える。実現された瞬間にそうではなくなるというユートピアは、磯崎自身の都 市計画とパラレルなものであり、だからこそ彼はユートピアの中に身を隠すことがで き、あらゆる都市計画批判から逃れられる唯一のポジションを手に入れることができ たのだ。「現行の政治的、社会通念的な諸制度と断絶した別種の世界を組み立てるこ とも想像上は可能なので、これをあらためてユートピアと呼ぶこともできるだろう」 (P.4)などという磯崎は、初めから政治的社会的文脈からの批判を逃れえているわ けで、しかも逃れえていることをいいことに、「断絶した」とは言いながら、決して 「政治的、社会通念的な諸制度と断絶」するはずのない「海市」の二重の含意のうち の一つ、「文字通りの海上の都市」のレベルに降りてきて、実現されるものとしての 都市計画をしているのである。もちろん批判が来れば「蜃気楼」のレベルに戻って応 対すればよいというわけである。のらりくらりと批判をかわすことのできるこのポジ ションを磯崎が自ら造り出し、そしてそこにいるということ自体を我々はやはり批判 するべきではないだろうか。

 メタレベルとオブジェクトレベルの両方から同時かつ破綻なく磯崎を追い詰めること

 磯崎が身を隠す位置を占拠したうえで王手をかけなければならない。だが王手をか けた後、我々には第二の問題が提出される。この問題についてはもう少し後に考える ことにしよう。

 我々は《磯崎》を殺してしまってもいいのだろうか?

1. コンセプトについて

 都市計画が嘘っぽいのは「アメニティに満ちた」「ゆたかな緑の」「あたたかいふ れあいのある」などという一見もっともそうで、その実具体的な提案は貧弱すぎて話 にならないという政治家の宣伝用ポスターレベルのコンセプトを必ず掲げるところで あり、その点は磯崎もいつか「美しい街づくり」などないんだと言ったら、まちの景 観の美しさについて力説する高階秀爾に困らされたと言っていて、よく分かっている はずなのであるが、基本コンセプト(P.12)の「電子情報網に支えられたダイナミ ックな開放系の都市」「アジアと世界に新風を吹き送る活動拠点」「新しいビジネス の型が可能」「快適な生活環境」と言った一連のキャッチフレーズに、一体それらの 言説を同時に可能にするようなまさにユートピアのような都市が本当にできるのだろ うかと、同じ嘘っぽさを感じるのは僕だけだろうか。「都市破壊業KK」の創立者で あったはずの磯崎SINはどこにいってしまったのだろうか。「ユートピアだから」 とかわされてしまっては堪らないのであるが……

2. 島の形について

 磯崎が仮定的(テンタティヴ)なフォームの根拠として用いている風水に関しては 全く無視していいだろうが、この人工島の形状が「軸1を対称軸とした4つの円(半径 450メートル)を包含する領域と、軸4を対称軸とした2つの円(半径450メートル)を つなぐ領域を設定し、これらを包絡するエリア」(P.13)として設定されているこ とは、後藤武さんの「2」を考える際にも何らかの要素になるのではないかとおもう。

3. ゾーニングについて

 ゾーニングこそ磯崎新が批判するところの近代的都市計画の基本概念である。この ことについては隈研吾が「境界の欲望」(『建築的欲望の終焉』)でコンパクトにま とめているのでそちらを参考にしていただきたいが、隈はここでゾーニングの根幹た る用途地域について、「この考えのベースに産業資本主義がある」こと、そして「労 働と居住という用途カテゴリーが極めて曖昧化しつつある脱産業資本主義社会は、そ もそも用途地域という考え方と相いれないもの」であることを指摘している。また「 境界」と「欲望」というタームを用いてかつての磯崎新の都市デザイン発展の四段階 の構図を説明し、バブル崩壊の後、近代都市計画はその存在の基盤たる「境界」と「 欲望」のペアリングを崩したためもはや根拠を失っていることを示唆してもいる。

 このようなゾーニングの行き詰まりについては当然熟知しているはずの磯崎が、何 故なおもゾーニングを用いている(P.14)のであろうか。センター地区/住宅地区 などとあからさまに分けてしまえば、それがCOMPUTER AIDED CITYの焼き直しかどう かの問題はひとまず置いておくとしても、批判の対象となることは分かりきっていた はずである。そこには必ずバウンダリー/ヴァニシング・ポイントが発生するのである。

 だが、このことについては実は僕も都市工学科の魅力のない課題で強制的にマスタ ープランとゾーニングをやらされていたときに同じ問題にぶつかっていたので少々磯 崎を弁護させてもらえば、ゾーニングをいくら否定しようとしても、ではどうやって 都市をつくっていくのかという具体的なプランを提示せよと言われたときに、図面に 何かを表現しようとすれば、どこかで色分けをせざるをえないというジレンマがある のだと言おう。もう少し詳しく言うならば、近代的都市計画を批判するために、例え ばセンター地区を都市の全域に解体してちりばめるだとか、緑地帯などというもっと もらしいだけの領域(都市工学科の先生たちは「緑地」と「自然」を完全に混同して いた)よりも、都市の中に散在するごくわずかの本来の自然の木々に目をむけ再生し ていく方向をとるだとか、何とかツリー/セミラティス型のある構造の中にかき尽く されてしまうような都市ではないような都市計画をしようと思っても、それを表記し ようとすればせいぜいスーラの点描画になるほかなく、実はそれをある程度の距離を もって眺めてみれば、やはり浮き上がってくるのはある種の単純な構造であるという ジレンマのことである。あるいは柳博通さんの言うヒエラルキーのないニュートラル な空間も、それがノーテーションのレベルに移ったときには一体どう表現すればよい のだろうか。

 だから一番簡単なのはゾーニングをしたうえで「実は中はぐちゃぐちゃなんだよ」 と言ってやることであり、磯崎さんもそんなことはよく分かっているから、その分か っているということを見せるためかどうかは知らないが、住宅地の中に混在地区(業 務や商業と混在)を作ったうえで「これは土地利用の純化としての住宅地区ではなく 、海市計画の基本コンセプトを体現するように、多くの部分で住宅や小規模の店舗、 オフィス、研究施設などが混然とした構成とする」と言っているのである。おそらく 磯崎はだからといって海市全体をなんでもありの状態にしてはやはり笑われるだけで あるし、とりあえず批判に対する防衛線のために一部分だけそれと分かるように混在 部分を作っておいて、全体としては分かりやすく、また実現可能性をもたせるために ゾーニングを施してあるといえるだろう。

 ゾーニングを批判するには少なくとも以上のような文脈は考慮しておかなければい けないだろう。またゾーニングに変わる新たな手法も提示する必要があるだろう。例 えば図面にグラデーションを取り入れるだけでも単なる色分けゾーニングよりは格段 に良いだろう。また、そういえば磯崎があれほどこだわっていた「かいわい」の要素 は「海市」のどこからも感じられなかったが、それは磯崎さんにとってもうどうでも よくなってしまった問題なのだろうか。

4. 街路のデザインについて

 磯崎のプロトタイプは確かに旧式の近代的都市計画の手法ばかり用いているのであ るが、それでもそれは決定的にうまいとしか言い様がない。完璧なのである。先のゾ ーニングにしてもそうなのであるが、とくにうまいのは街路のデザインである。この 街路のデザインは先にビルディングタイプが作られるという布石を打たれた上でされ ることになっているのであるが、この話を抜きにしても都市計画史に残ってしまうよ うな面白い手法だったと思える。

 街区デザインに関するこれまでの近代都市計画史の歩みについては、『都市計画』 日笠端(共立出版、P189〜190)、『都市計画教科書』(都市計画教育研究会、 彰国社、P47〜48)を見るかぎり、自動車の存在と直交座標を基本としたものばかり である。ランダムに配置された粒子が持つポテンシャルの差によって引き寄せられて いく粒子の移動軌跡によって自然な街路と広場を作るというプロトタイプの街区デザ インは、自動車の存在を前提にしなくてもよいという強みを持っているとしても、テ クネーでもってカミロ・ジッテが復権させようとしてたところの中世的なヒューマン スケールの街区網を組み立てるという離れ業をやってのけたという点で、大いに評価 すべきものであると思う。

 ただ、客家や四合院といったビルディングタイプを先に持ってくるということは、 何故その二つだけが選ばれたのかという理由も判然としないし、それを持ってくるこ との妥当性にも疑問が持たれる。磯崎がやりたかったのはインフラと街区とビルディ ングタイプの計画の手続きを転倒させること自体であり、決して客家や四合院である 必要はなかったのではないか、それは単に《磯崎》という権力の源泉を隠蔽するため の装置に過ぎなかったのではないかとさえ思える。

5. 交通計画について

 交通計画にしても近代的都市計画そのままの道路の段階構成(これについても 『都市計画』、P144〜145参照)を引き継いでいるのであるが、幹線道路は川に沿わ せ、わずかに補助幹線道路が線的な部分を見せるぐらいで、道路の段階構成と共にヒ エラルキー的に都市を分割していくニュータウン的ツリー構造とは全く異なるものの ように見せている。防災用に、補完的にといいながら用いているが、磯崎にとって道 路の段階構成などどうでもよい興味のないところであろう。僕が全体的に感じるのは 磯崎の、近代的都市計画の手法をいくら用いても充分彼のやりたいような都市計画が できるのだという余裕である。

6. ユーティリティ/造成計画について

 ユーティリティ/造成計画においてはエコロジー、水・電気の安定供給、ゴミの問 題から雨水の排除にいたるまで、現実の都市計画ではやはり欠かすことのできない細 かなインフラの問題についてもしっかりと触れられている。

7. まとめ 〜 磯崎の墓

 全体を通していえることは、磯崎の使った手法は近代的都市計画のそれであったが 、古い手法にもかかわらずプロトタイプは決定的によくできた、特に近代的都市計画 の枠内で語るならば非のうちどころのない計画であったということである。とすれば 磯崎の手法について批判することはいくらでもできようが、これからどういう戦略を 取るにせよ中途半端なものを作ればその批判も内実を伴わない説得力のない空虚なも のに見えるだろう。当然一週間という短い期間であるから、優等生的な都市計画をす ることは不可能であろうし、またあまり意味はないだろう。だからといって都市計画 を無視してスケール感のないものを作ることは避けなければいけないはずだ。

 僕の「海市」に対する感想なのであるが、全体を見たとき、いや特にシグネチャー ズを見たとき直感的に「これは磯崎の墓だ」と思ってしまった。これだけの建築家た ちを動員して好きなことをやらせているかのように思わせて実はすべてが磯崎に流れ 込んでいく。磯崎自身が不動のヴァニシング・ポイントにいるこの構造。

 50人の建築家による、12人のデジタルアーキテクトによる、インターネットに参加 したすべての人による磯崎新へのレクイエム/追悼文

 これがこの「海市」の本当の姿なのではないか。かつて磯崎はある住宅コンペの審 査員として「きみの母を犯し、父を刺せ」という応募者へのアジテーションのための 衝撃的な文章を書いたが、後に土居義岳が実は磯崎にとって「父」とは《建築》であ り「母」とは《日本》でなかったかと指摘して、以来それは磯崎の持論になっている 。だが昨年のアーキテクチャー・オブ・ザ・イヤーの後、土居がその批判として「新 建築」に書いた論文で、そう認識したのはまだ甘くて《磯崎》そのものが日本建築界 の「父」になっているのだと言い直し、さらに磯崎の上にルクーとも通底する両性具 有性の問題をも重ね合わせる。この図式がどこまで合っているかは知らないが、僕は シグネチャーズやヴィジターズを見たときに、磯崎新という建築家はすでに世界建築 界の「父」であり、また磯崎のプロトタイプが他の三つの案によって徐々に相互干渉 しながら侵されていくという構造を知ったとき、磯崎の作品が「母」的な役割を担っ ているのではないかと感じた。そしてそれは磯崎自身が望んでいることなのではない だろうか。

 磯崎新の意図を極限にまで押し進めたとき、マゾヒスティックな磯崎の顔が浮かび 上がる。刺されるべき「父」として、犯されるべき「母」として。

 ということは、ここで単純に磯崎をほおむってあげてしまっては、ピラミッド以来 まさに大文字の建築たる墓に磯崎を入れてしまっては、やはり大文字の建築家たる磯 崎新を認め、喜ばす結果になってしまうのではないか。そういえば先日木村浩之さん から聞いた話では、最近磯崎は自分の墓のための土地を買ったらしい。磯崎はすでに 自分の墓を用意しているのだ。ここで最初の問題に戻ることになる。

 我々は《磯崎》を殺してしまってもいいのだろうか?

 もしこのような問題を考える必要があるとすれば、とりあえず次の二つのことは考 える際のポイントになるだろう。一つは建築家としての磯崎と都市計画家としての磯 崎を分けて考えてみるということであり、もう一つは原純一さんの意見であるが、中 上健二の小説『地の果て 至上の時』での主人公竹原秋幸に対する実父浜村龍造のふ るまいに関することである。龍造は父殺しを思う秋幸の目の前で自殺してしまい、父 殺しは不可能となる。柄谷行人はそれについて、中上が、常にエディポス的なものを 核心に持っているモダンな小説を自壊させてしまったといっている。

 スケールの問題に絡ませてみるならば、例えば1/500としては都市計画でありなが らも、1/1としては磯崎の墓であると言った表現もありえるだろう。あるいは、建築 家としての磯崎には手を下さないで、都市計画家としての磯崎に絞首台を用意すると いった戦略もありえるのではないだろうか。

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