〈終わり〉に

─ Before and After Architecture ─



 建築におけるモダニズムは建築の外部へと踏み出る越境としてのみ、存在=実存(exist)する。従って、モダニズム建築なるものは存在しない。それは建築史の前景にではなく、その風景に同化されえず、それをかき乱すかすかな染み、あるいは無意味な傷として、執拗に外在(ex-sist)し続ける何ものかのうちにこそ見いだすことができるだろう。われわれは存在と非存在の狭間に位置するこの曖昧な対象を求めて、建築家たちの症候を分析してきたのだった。オイコスの危機と崩壊、大地の死、建築の不可能な誕生 ─これらの症候を通して、モダニズム建築はまさにその〈とらえがたさ〉において、ネガティヴにそのかたちをおぼろに浮かび上がらせつつあるのかもしれない。〈建築〉を正面から見すえるとき、そんなおぼろなかたちは見失われてしまうだろう。しかし、それは絶えず視野の片隅にとらえがたい痕跡として残り、われわれから落ち着きを奪うだろう。
 ここで扱われた対象はモダニズム建築の〈異端〉などではない。むしろ、つねにすでにその核心にあって、そこに作用し続けている〈伝統〉にほかならない。近代建築史は、この不可能で矛盾した伝統を抹消することではじめて、整合性ある〈大きな物語〉をつづることができた。そうした〈物語〉はつねに勝者のパースペクティヴから描かれる。ベンヤミンやリベスキンドという歴史家あるいは革命家にならってここで試みられたのは、テロスではない〈終わり〉から歴史の廃墟を眺めることである。全体像は失われている。われわれが手がかりにできるのは断片化した細部であり、それらを横断して走る裂け目だけなのである。本書は原理的に断片の集積でしかありえない。
 不在の存在であるこのようなモダニズム建築は〈余白〉から、時間的にはその〈前後〉からしかとらええない。〈それ〉を〈いまここ〉で捕捉することはできない。なぜならモダニズム建築とは〈われわれ〉の欲望の対象であるからだ。モダンのヒステリー的な主体は、あまりに性急にそこに到達しようとするか、あるいは逆にあまりに慎重に時機を待ち続けることによって、欲望の対象をつねに逸してしまう。〈いまだ〜なく〉、〈すでに〜ない〉、この建築の〈前後〉の状態にわれわれは取り残される。しかし、われわれが早すぎるか遅すぎるかして、決してタイミングよく〈それ〉と遭遇しないからこそ、〈それ〉は存在しえているのである。モダニズム以後、いや、それどころかポスト・モダニズムすらも遠い過去の話題となりつつある今 ─ しかしそれはいつか? ─ 、むしろこの欲望の曖昧な対象としてのモダニズム建築はますます呪縛の力を増している ─〈記憶しえないもの〉の記憶として。
 〈終わり〉から見るとき、本書が執筆前には予想しなかった固有名の配置を得ていることに気づく。第一部から第三部にいたるまで、そのいずれもが〈ユダヤ的なもの〉に関わる建築家を含んでいるのである。ウィトゲンシュタイン、メンデルゾーン、そしてリベスキンドそれぞれの、建築という/建築をめぐる言説の間には明らかに差異が存在するが、それにもかかわらず、〈ユダヤ的なもの〉に関する彼らの建築思考のなかには、この〈時代〉において〈ユダヤ人〉であることとはどのような〈問題〉であるのか、という共通した問いの反省が認められるだろう。大地と〈住むこと〉をめぐるハイデガーの問いがこの〈ユダヤ的なもの〉の問いと交わり、あるいはすれ違う地点をわれわれは ─ ウィトゲンシュタイン論で試みた以上に ─ 、いつかさらに掘り下げなければならない。 いや、そこで問われるのは、〈掘り下げる〉などという隠喩を支える〈大地〉がなお、われわれに残されているかどうかであるのかもしれない。
 1994年3月、東京でおこなわれた講演でダニエル・リベスキンドは、モダニティがナショナリズムやノスタルジーに対抗して進める闘争について語った。モダンであることとは、国家や民族などの調和的全体の実現不可能性のただなかに、その〈裂け目〉に立ちつくすことであり、だからこそ、それは排除され抹消されるべき障害と見なされて政治性を帯びる。 ─ 東西ドイツ統一、ドイツ人のアイデンティティーの回復を象徴する都市ベルリンにおいて、リベスキンドの建築がそうであったように。
 勝者の手によって歴史はいつでも書きかえられうるのであり、過去もまた失われるかもしれない。モダニズムとはだから、つねに反復される闘争としてしかありえないのだ。そして、リベスキンドの言葉を借りれば、その闘争は歴史という〈時の廃墟〉のなかに〈生まれざるものの名残り(Traces of Unborn)〉を確認していく営みであるだろう。 ─ モダニズム建築の残像をたどることもまた、そうした闘争の一つであった。本書はこの〈生まれざるものの名残り〉に、ありえなかった出来事の思い出に捧げられている。

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