日 - 5 月 17, 2009

出版状況(続)


新書と単行本、その他

先日、岩波書店書籍編集部の方と雑談の折り、若い世代の書き手が書籍を執筆・刊行することに消極的だ、という話を耳にする。
ブログなど、ネットで情報発信が出来ており、そのほうがはるかに多くの読者を得られるのに、書籍化する必要はない、というわけだ。
せいぜいのところ、数万部が見込める新書執筆くらいにしか関心は示さないともいう。
出版社の側でも、若手には単行本を出版する前に新書を書かせるケースがあるらしい(岩波は違うとのこと)。

新書にふさわしいテーマや文体もあるのだし、この形式は重要なメディアには違いない。それはそれでかまわない。
ただ、ネットとの関係については根本的なところで感覚のずれがあるように思う。

ひとつはアーカイヴの問題、もうひとつは「作品」としての完成度の問題。
単行本という形式こそが、一定の完成度を要求する。
この媒体形式に歴史的に蓄積された技術・技能と関わること、それと格闘することではじめて獲得される知の形式もある。

さて、自分自身はと言えば、短い文章を集めた一冊を「イメージ分析入門」といった位置づけで編集中。
大幅な手直しができない以上、手早く区切りをつけて早めにかたちにしたいのだが、今のところ、来年初頭になるらしい。
どこかほかに拾ってくれるところがあったならば、年内刊行を目指すこともできただろうが・・・・・・。
むしろ、拾われた身をありがたいと思うべきか。

小幅な編集作業を繰り返していたことがもたらす鬱屈の反動もあって、長篇書き下ろしへの欲求が高まっている。
50枚くらいの分量を一定期間ごとに書くことを自分に強いなければならないと思う。

Posted at 08:57 午前      

出版状況


松岡正剛氏が取り上げている。

小田光雄『出版状況クロニクル』について。
小田さんのレポートはWebに書かれたものを引用したことがあり、検索数を見ると、その内容への関心は高かったようだ。
危機感の表われだろうか。

松岡氏の書いていることについては概ね同意見。
とくに
「ぼくは社会のソフト基盤は長らく出版こそがつくっていて、そこにさまざまなメディアとコンテンツが巻き付いていくのであって、それは今後も続くべきだと思っているのだ。」
「しかしながらそれは、書籍や雑誌や新聞が断固としてその強力な文化特質を発揮するという前提に立ってのことで、これがみずから腰砕けになっていてはダメなのだ。ところがそれがどんどん弱腰になっていった。いや、複雑骨折やリンパ液障害をおこしていった。」
という部分。

文中のクロニクル中
「「文学界」で同人雑誌評判が終わる(このニュースは重要。同人誌が紙ではもたなくなったということだ)。」
とあるが、この(  )内の判断は本当にそうだろうか。
文芸誌から予測される動向ではなく、紙を媒体とする「同人誌」そのものの数のデータがほしい。
漠然とした感触だが、事態は上記の判断とは異なるような気がする。

というのは、紙媒体の小さなメディアが従来とは別の機能と魅力を持ち始めているように思われるからだ。
さらにそのための技術も格段に使いやすくなっている(もちろんそれゆえの限界もある)。
自分自身もそんなメディアを作りたいと思っているし、今学期の学部・大学院では実習として雑誌を作らせている(一部は公に配付できるだろう)。

Posted at 08:29 午前      

土 - 5 月 16, 2009

NAM


その崩壊過程

ひょんなことから詳しい情報を読む。
岡崎乾二郎さんのほか、中谷礼仁氏も入っていたことは知らなかった。
崩壊過程とその後の関わり方(あるいは無視の仕方)に、「ゼロ年代」における批評の不在の淵源を見るような気もする。
無惨だ。

先日、松浦寿輝さんと柄谷行人さんの話をしたことを思い出す。
1980年代初めの『内省と遡行』から『探究』への転回は忘れがたい。

けれど、2000年以降のNAMの活動には当時もその後もまったく関心がなく、こんな機会がなければ知ることもなかっただろう。
『批評空間』には執筆していたのだから、近い場所で起きていた出来事なのに、何の印象もなかった。

『批評空間』編集の内藤さんの葬儀における柄谷さんの痛々しい弔辞を思い返している。
いろいろな意味で、ひとつの時代が終わっていたのかもしれない。

Posted at 11:25 午後      

木 - 5 月 7, 2009

表象文化論学会第4回大会(予告)


催し物の前売りが開始されています。研究発表セッションの詳細は後日。

2009年7月4日(土)と7月5日(日)の2日間、京都造形芸術大学で第4回大会を開催いたします。
詳細は近日中に学会のサイトで。

とりあえず現時点で宣伝できる催しとして、ここをご覧ください。
以下、Copy&Paste。

公演名 表象文化論学会第4回大会開催記念
京舞
井上八千代
日時 2009年7月4日(土)15時30分開場 16時開演
会場 京都芸術劇場 春秋座
料金 〈全席指定〉
一般1500円 
学生500円 ※要学生証提示
京都芸術劇場友の会:1000円
表象文化論学会会員 無料 →チケットは必要ありません。
チケット
取り扱い チケット発売日 4/21(火)10:00
●京都芸術劇場チケットセンター 075-791-8240(平日10:00~17:00)
●劇場オンラインチケットストア
チケット購入
パソコンから http://www.k-pac.org/theatre/
携帯から http://www.k-pac.org/theatre/m/m
※要オンライン会員登録(無料)
※学生チケットのオンラインでの取り扱いはございません
お問合せ 京都造形芸術大学 舞台芸術研究センター
TEL 075-791-9437
e-mail info@k-pac.org

【概要】
表象文化論学会第4回大会の京都での開催を記念して、京舞井上流五世家元井上八千代氏に京舞を舞っていただきます。上方舞の中でも京都固有の特色を持つ井上流の〈京舞〉に、初めてふれる方にもその魅力を味わっていただけるよう、解説とシンポジウムを通し、さまざまな角度から京舞にアプローチします。

ご挨拶
浅田彰
解説
渡辺保、渡邊守章
京舞
地歌『珠取海女』(たまとりあま) 井上八千代
歌・三絃=菊央雄司 筝=菊萌文子
シンポジウム
「京舞と現代の舞踊芸術」

『珠取海女』(たまとりあま)について

能「海士」に取材した本行物の大曲。初世または2世井上八千代振付。
大臣・藤原淡海と契りを交わし、子をもうけた讃岐の海女。子を世継ぎにする約束で、大臣が竜宮に取られた宝珠を奪い返すため果敢に海へと潜る。竜宮より宝珠を盗みとった海女は、乳の下を切りさき、かくす。子のために命を惜しまない母の愛と、海に飛び込んでからの躍動的な舞が見どころ。

以上。

Posted at 07:14 午後      

火 - 5 月 5, 2009

田中純『都市の詩学』から『政治の美学』へ──「独学」のための40冊の星座+追加1冊


書籍フェアのために選書した一覧(「20冊」版の改訂)です。

田中純『都市の詩学』から『政治の美学』へ──「独学」のための40冊の星座+追加1冊

 拙著『政治の美学──権力と表象』の「跋」にも書いたことだが,橋川文三が『日本浪曼派批判序説』増補版の「あとがき」で,ジョルジュ・ソレルの言葉を引き,自分を「autodidacte」(独学者)と規定していることが気にかかっていた.それは彼にとって「倫理ないしスタイル」をめぐる自己規定だった.
 この言葉が脳裡を去らなかったのは,前著『都市の詩学』とともにこの『政治の美学』もまた,「独学」によってしか書けない,所属するジャンルや特定の先行研究をもたない書物だったからだろう.橋川の著作をはじめとして,取り組むべき対象はあった.しかし,当初は問題のかたちさえ見えなかったのである.そして,本を書き終えたとき,私は自分がなぜ「政治の美学」を論じなければならなかったのかをようやく理解した.このような自己認識のプロセスもまた,独学固有のものなのかもしれない.
 ここに挙げるのは,そんな「独学」のために私が必要とした参考文献のほか,知的興奮を呼び起こし,かたちの定かでない問いをめぐって独学することを否応なく私に強いた書物たちの一部である.ジャンルや主題の共通性は稀薄だが,『都市の詩学』と『政治の美学』を完成させた今,これらの書物が見えない糸で結ばれ,ひとつの星座をかたちづくるように感じている.そして,その星座に隠された,いまだ明らかでないつながりこそ,これから見出されるべき,新たな独学のための問いであるに違いない.


1. 橋川文三『日本浪曼派批判序説』,講談社文芸文庫,1998.
かつての心酔者であるがゆえの苛烈で抉るような批判.だが,その背後には,三島由紀夫と共振する「美学」が垣間見える.

2.  橋川文三『三島由紀夫論集成』,太田和徳編,深夜叢書社,1998.
同じ戦中派として「死のメタフィジク」を生きた三島に寄せる共感と批判の集成.それは三島の「美」に抗する「歴史」の模索である.

3.  松岡心平『宴の身体――バサラから世阿弥へ』,岩波現代文庫,2004.
稚児をめぐる中世日本の「政治の美学」は三島由紀夫をも魅了した.芸能・政治・民俗・文化が舞い踊る身体上で交錯する知的「宴」と言うべき書物.

4.  中沢新一『芸術人類学』,みすず書房,2006.
「芸術人類学」とは「組合原理」の探究であり,それはすなわち男性結社論である.最も刺激的な論文「山伏の誕生」にこの点は顕著だ.

5. 保田與重郎『日本に祈る』,新学社,2001.
日本浪曼派の中心人物が戦後数年の沈黙後に著わした書物.異様な語調の「自序」と「みやらびあはれ」に尽きる.

6.  『堀口捨己の「日本」──空間構成による美の世界』,彰国社,1997.
本書が全体像を描く建築家・堀口は歌人でもあった.「ほのかなる かそけきもの」へと向かうその美意識に,近代日本における建築の宿命が反映する.

7. 久世光彦『昭和幻燈館』,中公文庫,1992.
著者の初エッセイ.昭和初期という死滅した時代に向けたノスタルジアには,世界崩壊の感覚が宿る.

8. 吉本隆明『吉本隆明詩全集〈5〉定本詩集 1946‐1968』,思潮社,2006.
著者は私にとってまず詩人である.この詩集の何篇かを同時代の歌であるかのように暗唱したことを思い出す.

9.  大江健三郎『性的人間』,新潮文庫,1968.
少年の性的鬱屈が右翼的な暴力と結託するにいたる「セヴンティーン」が傑出している.続編「政治少年死す」の刊行を期待する.

10. 夏目漱石『それから』,新潮文庫,2000.
「狂気にいたるまでの自己認識の劇」としての「悲劇」(柄谷行人)の典型として.

11. 柄谷行人『内省と遡行』,講談社学術文庫,1988.
知のシステムを形式化した果てに内破させる極限的な思考実験──『探究』への転回を私たちの世代は「悲劇」として読んだ.

12. ルートヴィッヒ・ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』,野矢茂樹訳,岩波文庫,2003.
本書に衝撃を受けない知性があるだろうか.これもまた,哲学には回収しえない「悲劇」にほかならない.

13. 中井久夫『分裂病と人類』,UP選書,東京大学出版会,1982.
第一章の分裂病論における緊張感と卓見の凝集度は異常で,恐ろしいほどだ.大胆な知の航海者の書.

14.  小村雪岱『日本橋檜物町』(平凡社ライブラリー),平凡社,2006.
鏡花本の装丁や小説の挿絵で知られる,わが偏愛の画家のエッセイ集.日本橋や入谷・龍泉寺といった土地の匂いと記憶を語る文章の独特な官能性.

15.  アルド・ロッシ『アルド・ロッシ自伝』,三宅理一訳,SD選書,1984.
イタリアの建築家が自作を中心とする建築や都市の記憶を詩的に綴った,夢の記録のような書物.白昼夢めいた世界にずるずると引き込まれてゆく.

16. ジョルジョ・アガンベン『幼児期と歴史――経験の破壊と歴史の起源』,上村忠男訳,岩波書店,2007.
「ミニチュア化とは歴史の暗号である」という一節が啓示的である.ベンヤミンを継承した歴史への微視的まなざし.

17. スーザン・ソンタグ『土星の徴しの下に』,富山太佳夫訳,みすず書房,2007.
本書もまたベンヤミンの影の下にある.リーフェンシュタール論とジーバーベルク論が対置される挑発的な構成.

18. J.G.バラード『終着の浜辺』,伊藤哲訳,創元SF文庫,2005.
表題作は1960年代以降における時間意識の変容に対応した「濃縮小説」.同系列の『残虐行為展覧会』復刊を望む.

19. ロープシン『蒼ざめた馬』,川崎浹訳,岩波現代文庫,2006.
帝政ロシアのテロリストが筆名で書いた自伝的小説.張り詰めた詩的文体は彼岸からのまなざしを思わせる.

20. ジョルジュ・バタイユ『空の青み』,伊東守男訳,河出文庫,2004.
内戦勃発直前のバルセロナ,殺戮の不穏な予感のもとでのエロティシズムを描く.著者が20年近く封印した小説.

21. ジョルジュ・バタイユほか『無頭人(アセファル)』,兼子正勝ほか訳,現代思潮社,1999.
「われわれが企てるのは,ひとつの戦争である」とバタイユは宣言する.ファシズムに対抗する「無頭」の結社による「戦争」の記録.

22. ジークムント・フロイト『モーセと一神教』,渡辺哲夫訳,ちくま学芸文庫,2003.
「エジプト人モーセ」の運命とユダヤ人,ユダヤ教成立の謎に迫る,フロイト最晩年の壮大な「歴史小説」.

23. アビ・ヴァールブルク『蛇儀礼──北アメリカ,プエブロ・インディアン居住地域からのイメージ』,ありな書房,2003.
狂気の淵から帰還するために企てられた講演の記録.蛇儀礼に似た再生の儀式をヴァールブルク自身が演じている.

24. ヴァルター・ベンヤミン『ベンヤミン・コレクション3 記憶への旅』,浅井健二郎編訳,ちくま学芸文庫,1997.
「1900年頃のベルリンの幼年時代」の序文を読むと泣けてくる.来たるべき都市論のための啓示に満ちた書物.

25. ヴァルター・ベンヤミン『ドイツ悲劇の根源』(上・下),浅井健二郎訳,ちくま学芸文庫,1999.
認識批判の序論に始まり,アレゴリー,メランコリーから主権論まで,特殊を論じて理念にいたる批評の模範.

26.  テオドール・W・アドルノ『プリズメン──文化批判と社会』,渡辺祐邦・三原弟平訳,ちくま学芸文庫,1996.
力篇「ゲオルゲとホーフマンスタール」における苛烈な審美主義批判は,ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」に対する応答である.

27. カール・シュミット『パルチザンの理論──政治的なものの概念についての中間所見』,新田邦夫訳,ちくま学芸文庫,1995.
「絶対的な敵」概念という,彼にとって最大の脅威を論じるがゆえに緊迫感に満ちた,シュミット政治学のエッセンス.

28.  E・H・カントロヴィッチ『祖国のために死ぬこと』,甚野尚志訳,みすず書房,2006
著者は映画『ワルキューレ』の主人公と同じくゲオルゲ派の一員だった.品切れの主著『王の二つの身体』に代えて.「芸術家の主権」をめぐる考察に注目.

29.  ジョルジュ・デュメジル『ゲルマン人の神々』,松村一男訳,国文社,1993
デュメジル神話学はそれ自体が変化を続けた神話的なテクストである.この原形をなす「ゲルマン人の神話と神々」がより重要.

30. ピエール・クラストル『暴力の考古学──未開社会における戦争』,毬藻充訳,現代企画室,2003.
「国家に抗する戦争」を軸に,未開社会観を鮮やかに反転させる,来るべき政治人類学のプログラム.

31.  ジル・ドゥルーズ+フェリックス・ガタリ『千のプラトー』,宇野邦一ほか訳,河出書房新社,1994.
デュメジルやクラストルの業績が本書の背景をなしている.この書物はそれ自体が「多」を生成させる戦争機械だ.

32. ジル・ドゥルーズ『シネマ2 時間イメージ』,宇野邦一ほか訳,法政大学出版局,2006.
ハンス・ユルゲン・ジーバーベルクの映画『ヒトラー』を最後で論じ,映画史のひとつの劃期と見なしている.

33.  フィリップ・ラクー=ラバルト『政治という虚構──ハイデガー,芸術そして政治』,浅利誠・大谷尚文訳,藤原書店,1992.
ドイツ民族を芸術作品として形成するという思想的伝統をめぐり,本書はジーバーベルクの『ヒトラー』から着想を得ている.

34.  クラウス・テーヴェライト『男たちの妄想』IおよびII,田村和彦訳,法政大学出版局,1999; 2004.
同じ1970年代末に生まれたジーバーベルクの『ヒトラー』と(憎しみ合う)双子をなすような,異形のファシズム論.

35.  ボリス・グロイス『全体芸術様式スターリン』,亀山郁夫・古賀義顕訳,現代思潮社,2000.
美的現象・全体芸術作品としてのスターリニズムを分析する試み.その方法はジーバーベルクやテーヴェライトに通じる.

36.  ノーマン・O・ブラウン『ラヴズ・ボディ』,宮武昭・佐々木俊三訳,みすず書房,1995.
西洋文化における「ボディ」の観念をめぐる断章と引用からなる驚くべき思想詩.「政治の源は非行である」と語る第1章は凝縮された結社論だ.

37. 松岡正剛『フラジャイル──弱さからの出発』,ちくま学芸文庫,2005.
大学入学の前に著者の「遊学」を経験したことは決定的だった.「弱さ」や「壊れやすさ」はいまだに自分にとっての詩学や美学の核心である.

38.  中谷礼仁『セヴェラルネス――事物連鎖と人間』,鹿島出版会,2005.
有限な関係性の論理である「セヴェラルネス(いくつか性)」は,建築技術論を超えた思考と実践,とくに「独学」の原理であろう.

39.  佐々木正人『ダーウィン的方法――運動からアフォーダンスへ』,岩波書店,2005.
『ミミズと土』におけるダーウィンの記述法に,眼前にはない行為群を描写する劃期的な方法を見いだす.著者の叙述こそがこの方法の好例にほかならない.

40. 楳図かずお『わたしは真悟』1~7,小学館文庫,2000.
世界が崩壊しても突き進もうとする,究極のボーイ・ミーツ・ガールの物語.それは激しくロックンロール的だ.

+1.前田英樹『独学の精神』,ちくま新書,2009.
「学ぶことは始めから終わりまで身ひとつで行なわれる」──臓腑に達する言葉だ.巷の教育論は一刀両断される.若い世代に是非読んでもらいたい「独学のすすめ」.

Posted at 10:07 午後      

水 - 4 月 22, 2009

少年時代の坂


短い帰省。

週末に帰省し、帰宅した後、原因不明の高熱で臥せる。

小学校からの帰り道をたどり直してみる(画像は別館)。
このあたりは小さな丘陵のある地形で、やがてなだらかな坂を下る。
樹木の生い茂る一帯は、沼が干上がり窪地になったことを除けば、さほど大きな変化もない。
僕の住んでいた住宅は丘の中程にあって、その坂を上り、記憶に残る桜の樹を探す。
小学校の最初の年だけは少し離れた中心部の学校に通っていた。
千葉大学医学部のキャンパスを通り抜けてゆく。
僕らは、両脇が急な傾斜で野球場やテニス・コートへと下っている尾根のような道を、毎日歩いた。
恐ろしげな大木──牛頭天王を祭る塚がそこにあったと後に知る──の脇を廻り、野球場の方へと下ってゆく細い道。
遠い記憶へと繋がる道。
──それがどんな経験の形式を育んだのかを僕はまだ知らない。

Posted at 10:43 午前      

水 - 4 月 1, 2009

新年度


桜の花に思うことあれこれ。

ヴァールブルク論の末尾には、桜散る夢から目覚めたのちの胸騒ぎを詠んだ西行の歌を置いた。春のエンブレム。

中国での集中講義など、先月下旬があわただしく過ぎて新年度。
劃期的なこともありはしないが、転機は突然訪れるのだろう。
思いもかけぬ時に見る夢のように。

思想史を調べる関係上、書物を数多く所有し読むことは職業病であり、そうしたものでしかない。
他方、他人について言うならば、読んだ量よりも、それが血肉化した教養となっている様子に、むしろ心打たれることが多い。
よっほど貧乏ならば、それこそ万巻の書物を図書館で読むのもいいだろうが、所詮、ほんとうに血肉化できる書物などごくわずかだ。そんな書物を数冊ならば、それは自分の手元に置いておきたい。置いておくべきだろう。
ともに年月を重ねるために。

若い頃にブログのような便利な公開モノローグの手段があったら、さぞかし毒舌を重ねていただろうと恥じる。
語りすぎることはいつも恥ずかしいことだ。
ルサンチマンやコンプレックスが屈折した表現をとっているのを見るたびに、他人事であるにもかかわらず、恥ずかしくなる。

そして、ブログというのはどうやら、それ自体として閉ざされた島宇宙の内部で相互参照するための手段らしい。「はてな村」などというように。
相互参照しなければ、ただの孤島というわけだろう。

沈黙したいわけではない。
そうではないが、言語が囲繞されている閉域がうっすらと感じ取られてしまったとき、言語そのものとそれが展開される場を変えなければならないだろう。

Posted at 09:50 午前      

日 - 3 月 15, 2009

Marian Evelyn FaithfullとChrista Päffgen


マリアンヌ・フェイスフルがザッヘル=マゾッホの末裔とは知らなかった。

声に惹かれるからか、Nicoは一時期よく聴いた。ドイツ出身、出生名はChrista Päffgen。

http://www.youtube.com/watch?v=NziBR8I4c48

これなどはまだ歌らしいが、後年になるほど、歌と言うよりも呪文といったほうが良い。
声が潰れたあとのマリアンヌ・フェイスフルにも通じるものを感じる。
このふたりについて調べてみたところ、マリアンヌ・フェイスフルの母方の祖先にレオポルト・フォン・ザッヘル=マゾッホのいたことを知る。

ロミー・シュナイダーを含めて、この三人がアラン・ドロンの恋人だったり(ロミーとニコ)、映画で共演している(マリアンヌ)のは何の因果か。

マリアンヌ・フェイスフルには亡くなったニコに捧げた歌がある。

http://www.youtube.com/watch?v=cnEe8Hu7t3Q
(映像はない)

Yesterday is gone
There's just today
No tomorrow.
Yesterday is gone
There's just today
No more.

Da da da da da

追記:
マリアンヌ・フェイスフルの歌う「王様の牢屋」。
http://www.youtube.com/watch?v=qKzr3C0wQA0

Posted at 07:22 午後      

金 - 3 月 13, 2009

京都とんぼ返り


瓜生山神話。

学会大会の打ち合わせと下見に京都造形芸術大学にお邪魔する。
北白川、上終町(かみはてちょう)の、いろいろな意味で神話的な空間。創世記から・・・・・・終末論まで、か。
彫刻の切れ端(?)のようなものがごろごろ転がっていたり、作品制作の現場が身近にあるのは、浮き立つような何かを感じさせる。
一泊のみ、とんぼ返りで、あとはそのまま会議の連続。

まったく関係ないが、こんな曲を突然思い出した。

http://www.youtube.com/watch?v=3L3T4tFNxOo

ついでに連想で、ブライアン・フェリーのこの曲も。

http://www.youtube.com/watch?v=Y30F7dGcFZA

ギターはジョン・マー(ザ・スミス)。そもそも曲はこのバンドのもの。

Posted at 11:17 午後      

金 - 3 月 6, 2009

杉橋陽一先生最終講義


アドルノの「仮晶」概念について。

グノーシス主義との関係をたどることで、思想史的連関が明確になった。
ユダヤ知識人のネットワーク形成をめぐるお話は、ちょうどバーゼルの富裕階級における知識人同士のつながりを調べていたところだっただけに、呼応するものを感じる。
思えば学部の1年生か2年生の頃、杉橋先生のゼミでアドルノのOhne Leitbildを読んで以来のお付き合いではある。
お元気でこの日を迎えられたことを幸いに思う。

別に博論審査にも陪席したが、議論が盛り上がる前に退出したのが残念。

ところで、十年以上前から、表象文化論の「黄金時代」だか「神々の時代」について云々するクリシェが繰り返されていて、たしかに荒ぶる神々がいたらしい創世記の信憑性は否定しないにせよ、その後が「鉄の時代」だなどとはまったく思わない。
ともかく十把一絡げにするような話ではないだろう。
同じ認識だと思われると困るので、あえて書いておきたい。

よしんば鉄であっても、鍛えられた鉄は容易に黄金を断ち切ることができる。

Posted at 10:28 午後      

水 - 3 月 4, 2009

2月もろもろ


ようやくひと息。

2月7日に高梨豊さんとの対談(@近代美術館)、14日には平倉圭氏の博論予備審査、21日には仙台でライオネル・ファイニンガーについての講演(@宮城県立美術館)と週末ごとにイベントのあと、この時期恒例のもろもろ。高梨さんの写真についてはいずれ考えをまとめる機会がもてればと思う。ファイニンガー展では良い質問を頂戴した。
今月は下旬に中国で講義。新学期前の貴重な時間に今年の仕事の仕込みをしなければならないと考えている。

Posted at 08:09 午前      

土 - 2 月 14, 2009

出版不況


小田光雄氏の「出版状況クロニクル」から。

そこにはこうある。

「しかし出版敗戦の現実は昨年から新しい局面に入ったと思われる。それは本クロニクルでも一貫して言及してきた雑誌の凋落と広告収入の激減であり、雑誌を柱とする大手出版社を直撃し、月次の赤字が深刻になってきているようだ。今年は昨年よりもさらに多くの雑誌の廃刊、休刊に見舞われることだろう。近代出版流通システムは雑誌を中心にして立ち上がってきている。したがって雑誌の凋落は出版社のみならず、取次、書店にも多大な影響を及ぼすであろう。いよいよ後のない状況へと出版業界全体が追いこまれたことになる。」(出版状況クロニクル9より)

背後にあるのは、エンターテインメント事業へのなし崩し的な吸収である。不況だと言われながら、雑誌や書籍の出版点数が増え続けていることを不思議に思っていたが、たとえばムックについては、次のような指摘がある。

「単純に言えば、複合大型店の雑誌売場の拡大に対応して、出版社はムックの発行点数を増やしたが、まったく売れていないどころか、逆に売上が落ちていることになる。つまりフリー入帳のヴァラエティに富んだムックは複合大型店に立ち読み商品として置かれただけで、実売に結びつかず、レンタル市場のための囮商品を提供したとも言える。それはこれまでの雑誌の概念をはるかに越える異常な返品率の高さが証明していよう。これがエンターテインメント事業がもたらした現実である。まさに雑誌の危機は週刊誌や月刊誌のみならず、このようなムックの分野にも及んでいる。」(出版状況クロニクル7より)

「囮」として利用されたわけである。
そして、多くの公共図書館もまたすでに、同様の「エンターテインメント事業」である。

「再販制下において、1980年以後急激に増加したのは公共図書館であり、その数は2000館に及ぶ。しかしそれは理念なき膨張であり、スタンダードな選書の認識すらも育まれていない。現在においては無料貸本屋的な機能によって動いていると判断せざるを得ない。資料保存は死語と化し、それこそ10年後には廃棄処分の本だらけになるであろう。図書館の増加によって焼け太りしたのは、棚ぼた式にこれらを実質的に傘下に収めた日本図書館協会と大学の図書館学科の教師たちではないだろうか。」(出版状況クロニクル5より)

大規模ビジネスとしての雑誌メディアは終わりつつあるのだろう。しかし、それはこの媒体の可能性とは別のことだ。とりわけ、所詮ビジネスになど馴染まなかった人文系雑誌にとっては。
では、どうするか。
どんなスケールと流通形態の雑誌がありうるだろうか。

Posted at 11:05 午後      

金 - 2 月 13, 2009

森山大道『bye-bye polaroid』


タカ・イシイ・ギャラリー刊。

『芸術新潮』2月号に記事がある。
「ポラロイドってインスタントなのに、ものすごい物質感がある。フィルムそのもの、そして、写った世界にね。それに時間が消えちゃうでしょ? いま、写した目の前がとても遠い時間のように見えて、時間の軸が混乱する。」
すでにフィルムの生産は終了し、現在入手できるフィルムの多くも、今年の夏に使用期限を迎えるという。

Posted at 07:55 午前      

火 - 2 月 3, 2009

ランボー、アフリカ


鈴村和成『ランボーとアフリカの8枚の写真』の書評を書きました。

次の日曜日に掲載される予定です。

中学時代、最初に読んだのは、ご多分に漏れず、小林秀雄訳です。
詩のまねごとをしばらく試みたこともありました。
『イリュミナシオン』の一篇を絵に描こうとしたこともあった。

本書で引用されるアフリカ書簡の凄まじさは、今になってようやくわかる気がする。
享年37歳。
おめおめとこうして贅言ばかり費やしているわが身を恥じるばかりではあります。

Posted at 11:30 午前      

日 - 2 月 1, 2009

田中純が興奮した20冊と1枚(番外1冊)──『政治の美学』のために


書店での小さな書籍フェアのために選書した一覧です。

趣旨
拙著『政治の美学──権力と表象』の「あとがき」にも書いたことだが,橋川文三が『日本浪曼派批判序説』増補版の「あとがき」で,ジョルジュ・ソレルの言葉を引き,自分を「autodidacte」(独学者)と規定していることが気にかかっていた.それは彼にとって「倫理ないしスタイル」をめぐる自己規定だった.
この言葉が脳裡を去らなかったのは,『政治の美学』もまた,「独学」によってしか書けない,所属するジャンルや特定の先行研究をもたない書物だったからだろう.橋川の著作をはじめとして,取り組むべき対象はあった.しかし,当初は問題のかたちさえ見えなかったのである.そして,本を書き終えたとき,私は自分がなぜ「政治の美学」を論じなければならなかったのかをようやく理解した.このような自己認識のプロセスもまた,独学固有のものなのかもしれない.
ここに挙げるのは,そんな「独学」のために私が必要とした,いや,知的興奮を呼び起こし,かたちの定かでない問いをめぐって独学することを否応なく私に強いた書物(そして音盤)の一部である.ジャンルや主題の共通性は稀薄だが,『政治の美学』を完成させた今,これらの書物が見えない糸で結ばれ,ひとつの星座をかたちづくるように感じている.そして,その星座に隠された,いまだ明らかでないつながりこそ,これから見出されるべき,新たな独学のための問いであるに違いない.

以下、書籍などの情報を加えたヴァージョンははてなダイアリー で。

●20
1. 橋川文三『日本浪曼派批判序説』,講談社文芸文庫,1998
かつての心酔者であるがゆえの苛烈で抉るような批判.だが,その背後には,三島由紀夫と共振する「美学」が垣間見える.

2. 保田與重郎『日本に祈る』,新学社,2001
日本浪曼派の中心人物が戦後数年の沈黙後に著わした書物.異様な語調の「自序」と「みやらびあはれ」に尽きる.

3. 久世光彦『昭和幻燈館』,中公文庫,1992
著者の初エッセイ.昭和初期という死滅した時代に向けたノスタルジアには,世界崩壊の感覚が宿る.

4. 吉本隆明『吉本隆明詩全集〈5定本詩集 1946‐1968』,思潮社,2006
著者は私にとってまず詩人である.この詩集の何篇かを同時代の歌であるかのように暗唱したことを思い出す.

5. 夏目漱石『それから』,新潮文庫,2000
「狂気にいたるまでの自己認識の劇」としての「悲劇」(柄谷行人)の典型として.

6. 柄谷行人『内省と遡行』,講談社学術文庫,1988
知のシステムを形式化した果てに内破させる極限的な思考実験──『探究』への転回を私たちは「悲劇」として読んだ.

7. ルートヴィッヒ・ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』,野矢茂樹訳,岩波文庫,2003
本書に衝撃を受けない知性があるだろうか.これもまた,哲学には回収しえない「悲劇」にほかならない.

8. 中井久夫『分裂病と人類』,UP選書,東京大学出版会,1982
第一章の分裂病論における緊張感と卓見の凝集度は異常で,恐ろしいほどだ.大胆な知の航海者の書.

9. ジョルジョ・アガンベン『幼児期と歴史――経験の破壊と歴史の起源』,上村忠男訳,岩波書店,2007
「ミニチュア化とは歴史の暗号である」という一節が啓示的である.ベンヤミンを継承した歴史への微視的まなざし.

10. スーザン・ソンタグ『土星の徴しの下に』,富山太佳夫訳,みすず書房,2007
本書もまたベンヤミンの影の下にある.リーフェンシュタール論とジーバーベルク論が対置される挑発的な構成.

11. J.G.バラード『終着の浜辺』,伊藤哲訳,創元SF文庫,2005
表題作は1960年代以降における時間意識の変容に対応した「濃縮小説」.同系列の『残虐行為展覧会』復刊を期待する.

12. ロープシン『蒼ざめた馬』,川崎浹訳,岩波現代文庫,2006
帝政ロシアのテロリストが筆名で書いた自伝的小説.張り詰めた詩的文体は彼岸からのまなざしを思わせる.

13. ジョルジュ・バタイユ『空の青み』,伊東守男訳,河出文庫,2004
内戦勃発直前のバルセロナ,殺戮の不穏な予感のもとでのエロティシズムを描く.著者が20年近く封印した小説.

14. ジークムント・フロイト『モーセと一神教』,渡辺哲夫訳,ちくま学芸文庫,2003
「エジプト人モーセ」の運命とユダヤ人,ユダヤ教成立の謎に迫る,フロイト晩年の壮大な「歴史小説」.

15. アビ・ヴァールブルク『蛇儀礼──北アメリカ,プエブロ・インディアン居住地域からのイメージ』,ありな書房,2003
狂気の淵から帰還するために企てられた講演の記録.蛇儀礼に似た再生の儀式をヴァールブルク自身が演じている.

16. 丸山静・前田耕作編『デュメジル・コレクション1』,ちくま学芸文庫,2001
主権神を論じた「ミトラ=ヴァルナ」は,生成過程にあったデュメジル神話学のダイナミズムを伝えている.

17. ヴァルター・ベンヤミン『ドイツ悲哀劇の根源』,岡部仁訳,講談社文芸文庫,2001
認識批判の序論に始まり,アレゴリー,メランコリーから主権論まで,特殊を論じて理念にいたる批評の模範.

18. カール・シュミット『パルチザンの理論──政治的なものの概念についての中間所見』,新田邦夫訳,ちくま学芸文庫,1995
「絶対的な敵」概念という,彼にとって最大の脅威を論じるがゆえに緊迫感に満ちた,シュミット政治学のエッセンス.

19. ピエール・クラストル『暴力の考古学──未開社会における戦争』,毬藻充訳,現代企画室,2003
「国家に抗する戦争」を軸に,未開社会観を鮮やかに反転させる,来るべき政治人類学のプログラム.

20. 楳図かずお『わたしは真悟』1~7,小学館文庫,2000
世界が崩壊しても突き進もうとする,究極のボーイ・ミーツ・ガールの物語.それは激しくロックンロール的だ.


音盤1枚
デヴィッド・ボウイ『ロウ』(CD).
「自殺するロックンロール」の果て,1970年代のボウイがたどり着いた極点.破砕された詩語が電子音の中に漂う.


番外・品切れ
アントナン・アルトー『ヘリオガバルスまたは戴冠せるアナーキスト』,多田智満子訳,白水社,1996
「叛乱開始の状態」で死ぬ若き古代ローマ皇帝をめぐる,「超明晰な狂気」と「秩序ある無秩序」の物語.

Posted at 12:24 午後      




















































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