2009年9月アーカイブ

『分類思考の世界』

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三中信宏さんの『分類思考の世界』を読書中。いつもながら豊富な情報量。

「種」は存在する(しない)という形而上学的問題、というよりも、その問題を解消してしまう思考の転回は、さまざまな分野に通じるものだと思う。

その三中さんの「日録」に

◆「残響録」の開始 ---- 『分類思考の世界』のブツが書店に並び,新聞広告もすでに打たれている.そろそろ,この本の受容のされ方を拾い集める作業を始めないといけないか.前著『系統樹思考の世界』の「反響録」は,けっきょく出版以来3年あまりも百回以上にわたって断続的に続けた.その結果,受容の「密度関数」を大まかに把握することができたように思う.ひとつひとつの感想や書評はときとしてエキセントリックなものも含まれるので,著者が個別に一喜一憂する必要はまったくない.全体としての趨勢がむしろ重要だろう.ということで,ぽつぽつと「残響録」のアイテムを収拾し始めました.

とあり、「ひとつひとつの感想や書評はときとしてエキセントリックなものも含まれるので,著者が個別に一喜一憂する必要はまったくない.全体としての趨勢がむしろ重要だろう」というところで納得。

でも、凡夫の身では、なかなかここまで達観できません。しかし、この境地にいたるためにも「残響」を記録すべきなのかもしれないとも思う。

書誌情報は
田中純「書評:互盛央『フェルディナン・ド・ソシュール』」、「読売新聞」2009年9月27日付朝刊。




まったく関係ないけれど、「みんなのこたつ」という作品をめぐって、「こたつ問題」が議論されていることを昨日知った。

天鼠あるいは蚊喰い鳥

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彼は誰時にひらひらと、奇妙な様子で飛ぶ姿を、いくつか眼にすることがあった。
離れては近づき、近づいては離れて、不規則に、そして暗闇に紛れる。

あれこれと鬱屈の種はつきないが、埒が開かないことには結着をつけ、目の前の仕事を一つずつ片づけるしかない。

蝙蝠は福の遣い。良いこともあるだろう。


Basel Street

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偶景

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備忘のため。

Lorenz Jäger: Die schöne Kunst, das Schicksal zu lesen: Kleines Brevier der Astrologie. Springe: zu Klampen Verlag, 2009.


Ulrich Raulff: Kreis ohne Meister: Stefan Georges Nachleben. Eine abgründige Geschichte. München: C.H. Beck Verlag, 2009.


Antonella Basilico Pisaturo (ed.): Hans Paule: un artista ed il suo tempo. Capri - Sardegna: 1900-1951. Capri: La Conchiglia, 2004.

Mauro Ponzi (ed.): Spazi di transizione. Il classico moderno (1888 - 1933). Milano: Mimesis, 2009.

Positano News: Positano La Torre di Fornillo.. non Torre di Clavel!

ホワッチャドゥーイン?

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門林岳史氏の著書『ホワッチャドゥーイン、マーシャル・マクルーハン?--感性論的メディア論』(NTT出版)が刊行されました。推薦文を書きました。

岩波書店『図書』に寄稿

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書誌情報は
田中純「ヴァールブルクのカード占い」、『図書』第728号(2009年10月号)、岩波書店、2009年、16〜20頁。

書評:『太古の光景』

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書誌情報は
田中純「書評:『太古の光景』」、「読売新聞」2009年9月13日付朝刊。

帰国

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チューリッヒに一泊して帰国。
バーゼル市文書館ではデジカメによる資料の写真撮影が認められており、手紙や日記などをひたすら撮る。GRDIIIの優れた接写機能が役に立った。
撮影枚数の合計は2321枚に上っていた。文書の写真だけでも1500枚は越えているはず。とりあえず整理したあと、どのように通読すべきか。

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文書館を守る犬と雨樋の蛙

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串刺しにされた蛙のいるクラヴェル家の紋章とジルベールのデスマスク(?)をかたどったプレート

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ジルベール(手前)と弟ルネ
ルネは考古学を趣味にしていた。バーゼル郊外のアウグストには、彼が中心となって作られた古代ローマ遺跡の屋外展示や博物館もあり、今回訪れることができた。

ヴァールブルクについてもそうだが、われわれが手がかりにできるのは、散逸から救われた思考や感情の断片でしかない。いや、それだけでも解読するには膨大な数なのだが。
ヴァールブルクについて調べる際には、先行する伝記作家たちやアーカイヴ司書の仕事に支えられた。今回はそれがハラルト・ゼーマンの労力だった(彼はクラヴェルの著作の出版を計画していたはずである)。ある美術館でたまたま見つけたスイスの文化雑誌『du』の特集にゼーマンが取り上げられていたことも何かの因縁か。

自分自身の思考が拠り所にできる堅い実質は、やはり、こうした文書にしかない。
そして、その思考を深化するために必要な精気は、これらの文書を残した人々が生きた大地から立ち上ってくるように思う。
そうした「核」に触れ、その精気が漂うのを確かに感じた。

未来派周辺での活動ののち、1920年代ヨーロッパの知的狂騒から退いて、ポジターノの、いわば「巌窟城」に身を潜めたジルベール。
ヴァールブルクにしろ、クラヴェルにしろ、一族の財産を蕩尽したディレッタントと言えなくもない。
しかし、彼らには大学という制度など無用で無縁な知の破壊力がある。

「死の舞踏」の都市・バーゼルでは、タンゲリー美術館や薬事博物館が記憶に残った。ドイツ領の隣町にあるヴィトラ美術館(フランク・ゲーリー設計)は期待はずれの印象。時間もなかったので、安藤忠雄設計の施設(外観は見られたが、安藤作品として特筆すべきものとは思えない)など、敷地内の建物見学は省略。バイエラー財団美術館(レンゾ・ピアノ設計)ではジャコメッティ展をやっていた。すぐ脇で牛が飼われているという農村の環境も良い。

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朝焼けのバーゼル、ライン川

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バーゼル市庁舎

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タンゲリー美術館にて

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薬事博物館にて

都合により土日を挟む日程になったため、各地に足を延ばす。
チューリッヒに移動した日にはクロイツリンゲンも訪れた。

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フライブルクのミュンスターと花市場

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コルマールの百面館

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ヴォーバン設計の要塞都市ヌフ・ブリザック、車窓より

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クロイツリンゲン、「蛇儀礼」の教会

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木造小型彫刻による受難の光景から

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クロイツリンゲンに隣接するボーデン湖畔の町コンスタンツ、自転するインペリア像

Mnemosyne 途中経過

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ようやく自分の担当分パネル21枚について解説を書き終わる。
最後の2枚、パネル78と79で大団円。とくにユダヤ人迫害と聖体の関係をめぐるパネル79では、裏テーマとして「ムッソリーニのイコノロジー」とのつながりを発見する。

まだまだ越すべき山は数多く、最終的な完成と刊行までの道は果てしないが、とりあえず自分の軸足は次の仕事に移せそうに思う。

『ムネモシュネ』解説本については岩波書店の『図書』10月号に短文を書きました。
10月1日発行です。
書誌情報は
田中純「書評:『ヤシガラ椀の外へ』」、「読売新聞」2009年9月6日付朝刊。


著者が中国に生まれたアイルランド人(ただし、いわゆる「生粋の」ではない)であり、アメリカでインドネシアを中心とした東南アジアを研究してきたという経歴が、本書に奥行きを与えている。
 「まっとうな」学者、という言葉が思い浮かぶ。

 『想像の共同体』がイギリスの知的状況を直接のコンテクストとした特殊でポレミカルな書物であり、文体にも意図的にアカデミズムからは外れる要素を盛り込んだという記述に出会い、かつての読後感を思い出して得心した。ベンヤミンの時間論をはじめとして、確かに政治学の書物としては異様な議論も含まれていたと思う。この書物がナショナリズム研究の古典と称されながら、他方では批判されがちなのも、そうしたところに由来するのかもしれない。

ただ、この文体の背後にあるのは、カルチュラル・スタディーズでありがちな理論の借用ではなく、上述したような奥行きに対応した、著者が経験してきた知的コンテクストの複数性であるように思われる。翻って、人文系の学問からは、その複数性が失われてゆきつつある。 知のグローバル化と声高に唱えても、そのグローバルな世界自体が「ヤシガラ椀」では、「旅」にはならないだろう。

今年は前田英樹氏の『独学の精神』や本書など、学問論に教えられることが多い。
これはそれこそ「独学」でしかないが、知の別のスタイル、別の文体は、おのれにとって必然的な出会いによってしか生まれない。
とするならば、徒に浮き足立つことなく、牙を研ぎ澄ましながら雌伏することも選択のうちだろう。
死者たちにこそ学びたいと思うのは、ある種の歴史家でありたいと願うからばかりではなく、反時代的であるための方法だ。「敵」ははっきりと見えている。

洞穴の中で時を待つ──狼のように。
書誌情報は
田中純「書評:『アトラクションの日常』」、「読売新聞」2009年8月30日付朝刊。


Basel, Kleinhüningen, Kreuzlingen

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Gilbert Clavelについてのアーカイヴ調査のためバーゼルに行く予定。
未来派の一員としてわずかに知られている程度だろうが、バーゼルの絹染色業で財をなした一族の出身。ドイツとの国境に近いクラインヒューニンゲンにはこの一族の屋敷が残っている。
ジルベールは南イタリアに暮らしながら、「岩石妄想」(ジークフリート・クラカウアー)に取り憑かれ、財産をつぎ込んで海辺の岩壁を穿ち、多孔質の空間に変えた。

バーゼルはリボン産業で栄えたバッハオーフェン家の街でもある。
法学者バッハオーフェンの略歴を読み、29歳の若さでバーゼル大学を辞職し、名目だけ父親の事業の経営に参加しながら、実質的には自分の研究にのみ没頭する生活を始めていたことを知る。

ヴァールブルクが薄明の日々を送ったルートヴィッヒ・ビンスヴァンガーの療養所はクロイツリンゲンにあった。
チューリッヒから日帰りができる距離。駆け足で見て回ることができるだろうか。
バッハオーフェンについて「資本と母権」(臼井隆一郎)が問題になりうるとすれば、ヴァールブルクの思考については「金融とイメージ」に共通するフェティッシュ性をめぐって、銀行家一族という出自との関係が問われることになるだろう。

他方、幾世代ものちの、ベルリンの美術商を父にもった批評家が、そのブルジョワの生活環境を喪失してしまったことは、20世紀という時代の必然だったのかもしれない。大学に職をもつことができず、売文で生計を立てざるをえなかった彼の一生は、不幸以外の何ものでもなく、そんな生涯を単純に英雄視するのは、あまりにナイーヴというものだろう。
しかし、たとえ喪失を経験しなかったとしても、別の形の破滅がありえたことは、ヴァールブルクの錯乱が示している通りだし、いずれにしてもベンヤミンには恐らく、自殺の誘惑がずっとつきまとったに違いない。

彼らの知のあり方に惹かれるのは、それが本質的には「独学」だからなのだろう。
制度や組織の要求に応じている間に、どんなにシニカルな距離を保とうとしても、制度や組織の一部でしかなくなる。ありきたりなことだが、アカデミズムだって、そんな制度なのだ。いや、「自分は自由に選択している」という幻想を蔓延させるだけに、よりいっそう手強い制度と言うべきかもしれない。
だからこそ、本質的に「他者」なのは、自分自身だと自覚すべきだ。自分の現状を正面から見つめるべきだ。
それなしには、どんなに威勢のいいアジテーションも行動主義も空しい。

摩滅の博物誌

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『UP』9月号に寄稿しました。連載「イメージの記憶」の第17回です。

書誌情報は
田中純「摩滅の博物誌──W・G・ゼーバルトと古写真の光」、『UP』443号(2009年9月号)、東京大学出版会、2009年、36~41頁。

Website

Profile

田中 純
東京大学大学院総合文化研究科・教授
TANAKA Jun, Ph.D.
Professor
The University of Tokyo

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ReaD 研究者情報
ReaD English

科学研究費交付実績

『政治の美学』情報