彼は誰時にひらひらと、奇妙な様子で飛ぶ姿を、いくつか眼にすることがあった。
離れては近づき、近づいては離れて、不規則に、そして暗闇に紛れる。
あれこれと鬱屈の種はつきないが、埒が開かないことには結着をつけ、目の前の仕事を一つずつ片づけるしかない。
蝙蝠は福の遣い。良いこともあるだろう。
書誌情報は
田中純「ヴァールブルクのカード占い」、『図書』第728号(2009年10月号)、岩波書店、2009年、16〜20頁。
ようやく自分の担当分パネル21枚について解説を書き終わる。
最後の2枚、パネル78と79で大団円。とくにユダヤ人迫害と聖体の関係をめぐるパネル79では、裏テーマとして「ムッソリーニのイコノロジー」とのつながりを発見する。
まだまだ越すべき山は数多く、最終的な完成と刊行までの道は果てしないが、とりあえず自分の軸足は次の仕事に移せそうに思う。
『ムネモシュネ』解説本については岩波書店の『図書』10月号に短文を書きました。
10月1日発行です。
Gilbert Clavelについてのアーカイヴ調査のためバーゼルに行く予定。
未来派の一員としてわずかに知られている程度だろうが、バーゼルの絹染色業で財をなした一族の出身。ドイツとの国境に近いクラインヒューニンゲンにはこの一族の屋敷が残っている。
ジルベールは南イタリアに暮らしながら、「岩石妄想」(ジークフリート・クラカウアー)に取り憑かれ、財産をつぎ込んで海辺の岩壁を穿ち、多孔質の空間に変えた。
バーゼルはリボン産業で栄えたバッハオーフェン家の街でもある。
法学者バッハオーフェンの略歴を読み、29歳の若さでバーゼル大学を辞職し、名目だけ父親の事業の経営に参加しながら、実質的には自分の研究にのみ没頭する生活を始めていたことを知る。
ヴァールブルクが薄明の日々を送ったルートヴィッヒ・ビンスヴァンガーの療養所はクロイツリンゲンにあった。
チューリッヒから日帰りができる距離。駆け足で見て回ることができるだろうか。
バッハオーフェンについて「資本と母権」(臼井隆一郎)が問題になりうるとすれば、ヴァールブルクの思考については「金融とイメージ」に共通するフェティッシュ性をめぐって、銀行家一族という出自との関係が問われることになるだろう。
他方、幾世代ものちの、ベルリンの美術商を父にもった批評家が、そのブルジョワの生活環境を喪失してしまったことは、20世紀という時代の必然だったのかもしれない。大学に職をもつことができず、売文で生計を立てざるをえなかった彼の一生は、不幸以外の何ものでもなく、そんな生涯を単純に英雄視するのは、あまりにナイーヴというものだろう。
しかし、たとえ喪失を経験しなかったとしても、別の形の破滅がありえたことは、ヴァールブルクの錯乱が示している通りだし、いずれにしてもベンヤミンには恐らく、自殺の誘惑がずっとつきまとったに違いない。
彼らの知のあり方に惹かれるのは、それが本質的には「独学」だからなのだろう。
制度や組織の要求に応じている間に、どんなにシニカルな距離を保とうとしても、制度や組織の一部でしかなくなる。ありきたりなことだが、アカデミズムだって、そんな制度なのだ。いや、「自分は自由に選択している」という幻想を蔓延させるだけに、よりいっそう手強い制度と言うべきかもしれない。
だからこそ、本質的に「他者」なのは、自分自身だと自覚すべきだ。自分の現状を正面から見つめるべきだ。
それなしには、どんなに威勢のいいアジテーションも行動主義も空しい。