いばら姫 - Blog (Before- & Afterimages)

いばら姫

ベンヤミンの『ドイツ悲哀劇の根源』には、幻の序文が存在する。それはメルヘン「いばら姫」の再話だった──
以下に続くページのいばらの垣の背後に、ひとりの美しい子供が眠っている。
 どうか、目を眩ませる学問の知識に身をかためた幸運の王子だけは、この子に近づいてこないように。婚礼のキスの折りに、この子は噛みつくだろうから。
 むしろ本書の著者が、みずから料理長となって、この子供を起こすことは自分に任せてもらうことにした。学問の数々の広間につんざくように鳴り響くべき、あのびんたは、もうとっくの昔にくれてやって然るべきだったのだ。
 そのびんたの音で覚醒するだろう──かつてがらくたの散らかった物置で、禁じられているのを知りながら教授ガウンを自分用に織ろうとして、古ぼけた紡錘で指を傷つけ眠りこけてしまった、このあわれな真理も。
「禁じられているのを知りながら教授ガウンを自分用に織ろうと」したのはベンヤミン自身だ。これは教授資格申請論文だったのだから。けれど、この論文は受理される見込みもなく、ベンヤミンはみずから撤回せざるをえなかった。
「がらくたの散らかった物置」とは、カプリ島で彼がこの論文に取り組んでいた陋屋をさす。その陋屋の跡地に建ったホテルに、たまたま7年前、自分が泊まっていたことを今知る。

また同僚の訃報が届く。

いつ死んでもいいように覚悟することなど不可能だけれど、残り短いと思い定めて生きることは、凡夫にもできるだろう。
例えば、会議に時間を犠牲にすることは避けたい。予定していた時間の30分遅れで始まり、だらだら続くような会議に付き合ってはいられない。
メールをはじめとする連絡手段があるのだから、あらかじめ課題を共有し合い、その場で即決してしまえばいいことだろう。「1時間以上の会議はしない」というルールがあっていい。

先週から釈然としなかったことに自分なりに結着をつけるとすれば、要するに、あらかじめ定められた規則に従って、その枠内で見事に議論を整理し、それなりに冴えを見せる理屈を展開する「論文」というものに飽いてしまっているのかもしれない。小賢しさや凡庸さを感じてしまう。その基準が国際標準であろうが、何であろうが同じことである。そんな基準を信じ込んで、その規矩に合わせて「優秀さ」を判定するという姿勢に根本的な疑問を感じる。それは基準を認めないという意味ではなく、基準に依存している心性に不満を感じるということなのだろう。
「大志」という言葉が唐突に浮かぶ。何のために、という問い。
規矩を超えるのは、それを破壊できる者だけだ。そして破壊は、規矩の遵守や、小綺麗な技によってではなく、無謀な挑戦からしか生まれない。
言うまでもなく、これは人文学だけの問題ではない。
遅かれ早かれ、いばら姫は眠りから目覚めさせなければならない。

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田中 純
東京大学大学院総合文化研究科・教授
TANAKA Jun, Ph.D.
Professor
The University of Tokyo

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