Blog (Before- & Afterimages): 2010年5月アーカイブ

2010年5月アーカイブ

書誌情報は
田中純「建てる主体の無意識──建築におけるヴァナキュラー」、『SITE ZERO/ZERO SITE』No.3、メディア・デザイン研究所、2010年、134-147頁。

イヴァン・イリイチによるヴァナキュラー概念の理解から出発し、互盛央さんのソシュール研究や中谷礼仁さんの『セヴェラルネス』を援用して、アドルフ・ロースや「独学」についての思考に結びつけたもの。結果的には、同誌に収められたジルベール・クラヴェル論を位置づけるフレーム・ワークを提示することになった。つまり、ジルベール・クラヴェルにおける「建てる主体の無意識」こそ、南イタリアの地霊としての「ヴァナキュラー」な神話であるということ。ソシュールが熱中した霊媒の語る「異言」のように、クラヴェルの建築を読み解きたい。
書誌情報は
田中純「セイレーンの誘惑──南イタリア、神話の呪縛圏(1)」、『SITE ZERO/ZERO SITE』No.3、メディア・デザイン研究所、2010年、354-385頁。

キーワード(人名):Harald Szeemann, Gilbert Clavel, Walter Benjamin, Alfred Sohn-Rethel, Siegfried Kracauer, Carl Albrecht Bernoulli, Johann Jakob Bachofen, Ludwig Klages

この号の特集は「ヴァナキュラー・イメージの人類学」(門林岳史氏の企画)だが、期せずして、南イタリアにおける「ヴァナキュラー」な建築(クラヴェルによる独学者の建築)を論じている。この土地の地霊としての、神話に根ざした「イメージ」についても。

「日本の大学のガラパゴス化」?

茂木健一郎氏の「日本の大学のガラパゴス化」という文章について思うところを書く。

【追記:2010年5月28日】
ここに書いたことのうち、提案の部分は、ある特殊な課題への対処策として立案したものであり、さらに、おもに人文系の大学院を想定している。その点で、あらゆる大学院専攻に適用すべきものとは、筆者自身も考えていない。また、専門職大学院が孕む問題点も承知しているが、ここで主眼としたのは、大学と企業などが積極的に協同してカリキュラムを作り上げてゆく過程で、相互に生じることが期待される変化である。つまり、大学が変わると同時に、企業側の認識も変えてゆくということだ。
ただし、現状でまず検討すべきは、アカデミアの教育に汎用性をもった能力(論理的思考、メディアの批判的リテラシー、討議力など)の育成を意識的に組み込むことだろう。人文系に限れば、論文を書くための最低限の条件は、ごく一般的なリサーチの技術やそれによって得られた情報を要約・編集して論理的かつ説得的に構成する能力のはずなのに、その部分が多くの場合には経験則にしかなっていない。従って、汎用性をもった能力としては教育されていない。

反時代的な孤塁へ

Twitterを二ヶ月近くやってみて、つぶやくこともそれを読むことにも何か倦んだような気分になってしまった。かなり否定的なことも昨日書いたが、思い直して、公開は控えた。

一時的な倦怠かもしれない。
だが、ともかく、自分がその場に綴ったことは記録して保存しておこうと抜粋を作った。網羅的に記録する方法もあるだろうが、そんなことをするつもりはない。むしろ、大部分は消えゆくままにまかせたい。

池に石を投げて波紋を見るような実験として、切れ切れの言葉を放つことは続けるにしても、別の場所にもっと明確な輪郭をもった記述を残しておかなければならないと感じる。
自分もそこに属していたある時代の支配的な論調や現在のそれに対し、内省的に徹底した批判を加えて、はっきりと一度切断しなければならないという予感を覚えている。

だから、やはりあの「塔」やあの「洞窟」に似た峻厳な砦に立てこもるべきなのだろう。
反時代的な孤塁に。



つぶやき(2010.5.12-22)

記憶を手繰り寄せるように書いていることに気づく。

つぶやき(大学と研究助成について)

職掌上の必要から、大学組織や教育・研究制度について考えたせいか、繰り返しつぶやいている。
こんなこと、学生時代にはまったく考えもしなかった。
大学に行く意味が見いだせずにうろうろした挙げ句、大学に残るかどうかにも逡巡して就職、それなのにまた古巣に戻る──といった右往左往は、呑気な時代だったからこそ許されたことだろう。
自分が受ける教育の制度や方法について、学生が自己言及的に悩まねばならないという状況は、決して幸福ではない。

つぶやき(2010.4.1-5.7)

連休明けまで。

つぶやき

4月からTwitterを使ってみて、思わぬ出会いもあり、発見もあった。
しかし、自分で何かを表現する場としては機能しない。

高速でたどっている自分の思考をメモのようにして書けば、どうでもいいツッコミが入ったりして(つぶやくのに典拠や脈絡など考えて書いたりしないだろうに)、フラストレーションがたまる。
十分に配慮して書こうとすれば、140字では足りないのは明らかだ。

それと、どうもあの場に慣れてしまうと、文章が柔になってしまう虞を感じる。140字で否応なく断片化されるため、二手先、三手先を読んだうえで構築することが難しい。さらに遡って推敲することもできない。
つぶやきを会話と考えれば、何の問題もないのだが、それは逆に、書き言葉の構築性が失われるということでもある。

そうした点でも、無防備かつナイーヴに書くことがある程度は許される場だから、それを意識的に行なうこともする。
しかし、より本質的なことを書くためには、文体が異質なものとならざるをえない。

食欲も性欲も金銭欲も名誉欲も何もかもさらけ出して「だだ漏れ」させ、「自分を見ろ」と自己宣伝するような行為を見ると、自分の品性まで堕落するような気分になる。
集団的な意思決定などのプロセスをオープンにすることは必要だろう。
しかし、情報技術はそうしたオープン化から個人のプライベートな生活の露出までをのっぺりと一体化し、その漫然とした緊張感のない空間で、ひたすら露出狂じみたパフォーマンスを繰り広げることに無自覚な人格ばかりをのさばらせているように見える。

緩い文体に別れを告げよう。孤立を恐れまい。
「塔」に、あるいは「洞窟」に立てこもって、闘いに備えよう。
そんな「塔」や「洞窟」を思考の砦としよう。

最も核心的な事柄については、ひとはつぶやく言葉すら、もちあわせないことのほうが多い。
それは穴を穿つように、魂の地層を掘り進むことによってしか、見いだせないのだ。

「図版を一覧にしたコンタクトシートを見つめながら、わたしは今、採集されたイメージの標本函を覗き込んでいるような思いがしている。・・・・・・」

コンタクトシート-001.jpgコンタクトシート-002.jpgコンタクトシート-003.jpgコンタクトシート-004.jpgコンタクトシート-005.jpgコンタクトシート-006.jpg

(最終的にはすべての図版が使用されたわけではありません。)
羽鳥書店のサイトに近刊情報が掲載されました。6月上旬刊行予定です。

■田中 純 『イメージの自然史----天使から貝殻まで』 A5判・並製・330ページ(予定)

原型的イ メージ探索の記録。「自然史」とは「ナチュラルヒストリー」を意味している。それは、「自然誌」「博物誌」「博物学」でもあり、分類学的な博物誌と系統学 的自然史のあわいを揺れ動きながら、原型的イメージを図鑑のように編み、それが変容してゆく過程を歴史のなかにたどる。『UP』の好評連載「イメージの記 憶」を中心に、『10+1』連載「都市表象分析」の最後の3回分も収録。本書には、前著『政治の美学』にいたるまでの著作のエッセンスが凝縮されており、 田中純の思索を繙く最良の手引書となっている。

 

田中純(たなか じゅん)

東京大学大学院総合文化研究科准教授・表象文化論(思想史・イメージ分析)。1960年生まれ。著書に、『都市表象分析I』(INAX出版、2000)、『ミース・ファン・デル・ローエの戦場』(彰国社、2000)、『アビ・ヴァールブルク 記憶の迷宮』『死者たちの都市へ』(青土社、20012004サントリー学芸賞受賞)、『都市の詩学----場所の記憶と徴候』(東京大学出版会、2007芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞)、『政治の美学----権力と表象』(東京大学出版会、2008毎日出版文化賞受賞)。

 

[主要目次]

 

 

I 図像的転回の源流へ

  1 イメージの系譜学----図像アトラス「ムネモシュネ」の方法

  2 アートヒストリーとナチュラルヒストリー----種・様式・シークエンス

 

Ⅱ 進化のイメージ

  1 その馬を見よ----進化の肌理、歴史の知覚

  2 ヒトの「おもかげ」----ヘッケル『人類の発生』と《泰治君の夢》

  3 歪んだ創世記----『シュルツ全小説』に寄せて

  4   天使をめぐって 

              (1) 天使の博物誌----フェヒナー『天使の比較解剖学』

              (2) 始祖鳥のメタモルフォーゼ----押井守『天使のたまご』

  5  『リヴァイアサン』から『崖の上のポニョ』へ----ある象徴の系譜

  6 楳図かずおの進化論----ムシとコドモ

  7 幼形成熟の哀しみ----ビョークの人形愛

 

Ⅲ 情念のかたち

  1 転生するニンフたち----ヴィヴィアン・ガールズの情念定型

  2 鬼神たちの回帰----クロソウスキー『古代ローマの女たち』

  3 表象の墓碑銘----ゴンブリッチ「棒馬考」考

  4 メランコリーをめぐって

              (1) 弥勒とメランコリー----タルホからゴヤへ

              (2) 我ら、土星の子供たち----メランコリーの形式

  5 イメージのサヴァイヴァル----ゴダール『映画史』

  6 人形文字/文字という人形----多和田葉子「ゴットハルト鉄道」

  7 まなざしの色彩----シェーンベルクのドローイング

  8 書物のヒエログリフ化----『政治の美学』をめぐって

 

Ⅳ 写真という多面体

  1 細部の野蛮な自律性----矢代幸雄・ヴァールブルク・バタイユ

  2 歪んだガラス----修整写真の欲望

  3 写真の解剖学----歴史の証拠物件

  4 時のアウラ----ロッシとタルコフスキーのポラロイド写真

  5 石と化したスナップショット----ゲオルゲのイメージ戦略

  6 見えない抹消線----高梨豊『地名論』

 

Ⅴ 都市の波打ち際

  1 塔と貝殻----アルド・ロッシの詩学

  2 多孔性の科学----生命の楼閣、都市の生命

  3 波打ち際の知----『都市の詩学』への追記

  4 都市表象分析とは何か----自註の試み

 

註/跋/書誌/図版一覧/人名索引/事項索引


Website

Profile

田中 純
東京大学大学院総合文化研究科・教授
TANAKA Jun, Ph.D.
Professor
The University of Tokyo

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『政治の美学』情報

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