つぶやき(2010.5.12-22) - Blog (Before- & Afterimages)

つぶやき(2010.5.12-22)

記憶を手繰り寄せるように書いていることに気づく。
キートンと並んだボウイのこの写真が気に入っているのは、「似ている」という二つの顔の狭間で起こっている事態に惹かれるからだろう。 今日のゲゲゲは紙芝居の衰退についてだった。比較的短期間だけ栄えて滅びるメディアの特性とは何だろう? やがて来るメディアの先触れ? とすると、逆に長期持続するメディアとは? 紙の書物は? ── 紙の書物において長期持続してきたのは余白だったという根拠のない直感が浮かぶ。 ダニエル・リベスキンド「「タルムードの頁の中心には誰も触ることのできないテクストが記されている。その周縁の余白にさまざまな人による批評が書きこまれている。一つのページは互いに矛盾したバラバラのテクストが、まるでクラスターのように圧縮されている。」 「すべてが周縁の書きこみのそのまた書きこみの、さらにその周縁の・・・という具合になって、ここには全くヒエラルキーもない。ただ中心に解読不能のテクストがあり、誰もタッチできないだけだ。」 「それぞれの批評が周縁の余白にあり、その批評の周縁の余白に・・・そこには順序も序列もないから、どこから読んでもいい。右も左もない。どこから決定していいか手がかりのない敷地図を見ているようで、中心的主題も見いだせないままにページの上をさまよう。」 「それは定義されることのないなにかものかの、周辺の、矛盾し逆説に満ちた場に似ている。この状態がすなわちユダヤ人なのだ。」 1989年に僕はエルサレムにいた。 自戒を込めて書くけれど、人間は本質的な判断ができないときほど、形式的な部分で瑕疵をあら探ししがちだ。 ちゃぶ台をひっくり返すようだけど、論文の査読という作業もかなり疑わしいとは思う。 本物のちゃぶ台をひっくり返したことはない。ひっくり返してみたい。 テクストの内部にはそこで展開された思考が凝縮している「つぼ」がある。 神の宿っている細部。 解釈とはそんな細部の発見だろう。細部に本質が宿る。 瑣事拘泥とは異なるmicrology。 結局自分が受けた訓練のベースはそんな細部をめぐる切った張った(?)の議論だった。 その細部に賭けられているものは限られた者にしか見えない。そもそも細部はそれ自体としては見えない、と言うべきかもしれない。 テクストの襞に沿って思考を緻密にたどる者だけがそれを「逆なでに読む」(ベンヤミン)ことができる。 テクストの解釈が切った張ったになるのは、先行する解釈の厚みを踏まえて、「お前はそれをどう解釈するのか」という決断を迫られるからだろう。第三者がどう言っているかはそこでは問題ではない。「あなたはどう読むのか。」そこに解釈者の選択が賭けられる。 それほどまでに読むに耐える対象をもてることは幸せなのだ。渡邊守章さんがかつてある講演で「(自分にとって読み続けるに値する)偉大なテクストを見つける」必要性を説いたことは、深く記憶に残っている。 細部の発見に必要とされる狩猟者の勘。 テクストは森なのだ。 先日引用したリベスキンドの言葉。それが「自然」であるということ。その原野を彷徨う。テクストのランドスケープ。 発見された細部としての一文に何かを賭けるということ──そのスリリングな緊張に、論じること、書くことの喜びはあったように思う。 記憶の地層を掘り進む作業に宿る暗い幸福感と同じく、テクストの森の暗闇に入り込むこと自体の翳りを帯びた喜び。 「何かを賭けている」という感覚が共有されなければわからない話だとは思う。 再びボウイとキートンについて。何かと何かが似ているという事態のその傍ら(para-)にとどまること、あるいはその傍らという中間地帯(Zwischenraum)を増殖させること──アガンベンが「パラダイムとは何か」で言おうとしているのはそれか? 情念定型はあるニンフ・イメージと別のニンフ・イメージという事例の中間にしかない。それは抽出して指示可能な実体ではない? パターンは例示のなかにしかない。 ひたすら例示せよ。 パターンというファンタスム(クロソウスキー) だからパターンは取り憑く。 見えない者には決して見えない。 現われては逃れ去るパターン。 イタリアのジェノヴァ出身の織物商人コロンブスはジェノヴァ語を喋り、粗野で風変わりなラテン語で商業文を書き、ポルトガル語を話したが、一語も書くことはなく、ポルトガル語の入り交じった癖のある文体でスペイン語を書いたという。 コ ロンブスの話はイヴァン・イリイチの『シャドウ・ワーク』にあったもの。イリイチによれば、いわゆる「母語」の概念はヴァナキュラーな言語を意味するもの ではなく、むしろその反対。それは「母としての教会」という観念に結びつき、教会に役立つように日常のヴァナキュラーな言語を道具化したもの。 「私たちは確かに方言的特徴の境界は引けるが、方言の境界は決して引けない。それこそが言語学の重大なパラドクスである。方言的特徴はあるが、方言はない。」(ソシュール) ソシュールは古代ラテン詩人のアナグラムや霊媒の語る「異言」、あるいはニーベルンゲン伝説をめぐる研究に取り組んだ。 互盛央さんのソシュール研究で教えられたのは、類推的創造を行なう「語る主体」の半無意識をめぐるソシュールの探究。「語る主体」の意識における自由な連合に基づいた、言語そのもの類推的創造。アナグラムのような言語遊戯に見えるものもまた。 ソシュールは霊媒の語る「インド語」や「火星語」といった「異言」にまで関心を示したという。 母語の観念は公用語を独占して教育する「教育者」のもつ権力に結びつく。翻訳の裏切りはこの権力システムに対する抵抗でもありうるかもしれない。 阿部薫とその時代(1991年) 司会は事業仕分け人 http://bit.ly/aFcd9Y 阿部薫1949年5月3日 - 1978年9月9日 連鎖的に思い出すのが間章1946年8月18日 - 1978年12月12日 ともに1978年逝去。 間 章の本はイザラ書房から出ている。高橋巌さんの『神秘学序説』が思い出される。ルドルフ・シュタイナーの伝記は工作舎から出ていた。朝日カルチャーセン ターで開講されていた高橋さんの聖書読解講座に友達と2人で参加したのは1978年か、それとも79年だったか。神秘主義時代。 シュタイナーつながりは、そもそも笠井叡さんの公演を見たからだっただろうか。『天使論』。「エーテル宇宙誌」の公演は天使館ではなかったから、朝日生命ホール1978年8月だろう。翌年3月の「ソドム百二十日」は凄まじかった。このホールで澁澤龍彦を眼にした。 過去の記憶もアーカイヴされるなら、断片的にでも書く意味はあるだろう。 笠井叡氏をボウイ主演『地球に落ちてきた男』の紀伊國屋ホールでの上映会で見かけた記憶が鮮明に残っている。『地球に落ちてきた男』の欧米での公開は1976年のはずだが、日本では1978年頃(しかも特別上映のみ?)だったということだろうか。 早稲田祭に柄谷さんの講演を聴きにいったのは1981年か。帰りに入った早稲田の喫茶店で、横に坐ったおじさんの奇妙なイントネーションをどこかで聞いたよなと思ったら、寺山修司だった。話を聞いておけばよかった。 偶然見かけたことの記憶のほうが鮮明なのはなぜだろう。 高橋巌さんの聖書読解講座はヨハネ福音書についてだったはずだ。 もはや幻の(?)『新約聖書 共同訳』を使った講義だった。 まったくどうでもいい記憶なのだが、朝日カルチャーセンターは今と同じく新宿住友ビルにあって、その1階か地下当たりのお茶漬けの店で講義前に軽い夕食をとってから参加したのだった。僕はまだ千葉の田舎に住んでいた。 高橋巌さんは慶應の美学出身だったか。風貌も語り口にも不思議な魅力があって、遠くから敬愛していた。先ほど検索してみて、「当時の大学で異端視されかねないシュタイナーの思想を紹介することは難しいと感じ」、すでに1973年には大学を去っていたらしきことを知る。 国木田独歩「忘れえぬ人々」「恩愛の契りもなければ義理もない、ほんの赤の他人であって、本来をいうと忘れてしまったところで人情をも義理をも欠かないで、しかもついに忘れてしまうことのできない人がある。」 「形式化の諸問題」が1981年8月か。これはかなり衝撃的だった記憶がある。柄谷さん40歳。ポイントは「諸問題」というところ。岡正雄の「異人その他」に類するタイトルのかっこよさ。 やっぱりある種のパラダイム論だったからなのだろうか。「その他」というかたちで延々と連接してゆく。 ボウイに似ているキートンに似ている誰かとキートンに似ているボウイに似ている誰かとの家族的類似性。 Listening to "アンインストール" by 石川智晶 ♫ 出だしが何かに似ていて、それを思い出したいのだが、思い出せない。(パクリとかそういうことを言いたいわけではない。)http://bit.ly/aMoHfd 小さな戦士。 アニメや原作を読む気にまではならないが、生の脆さや死の近さの感覚が、時代と相関しているのだろうことは何となくわかる。 『21世紀少年』はほぼぴったり同世代なので、読みもしたし理解もできるが、少年時代の何かひりひりした感じを思い起こさせられることは、むしろ、なかった。 「アンインストール」という曲で何かを思い出しかけている。 それは自分が「生き延びてしまった」ということだろうか。逆に言えば、「死に損なった」ということだけれど。 「批評」って何なんだろうとは思う。教育や研究の大部分は仕事としてやっているにしても、書物を書く根本的な動機はもっと別のところにある。あるテクストや作品を対象にしている以上、それを「批評」と呼んでもいいが、どうも語感に齟齬を覚える。 17でボウイと(真の意味で)出会ったことは救いだったけれど、あのままの状態でボウイを聴き続けたら生き延びられなかったのではないか、とも思う。 ボウイ論を書くことは、だから、ずっと宿題だったわけで、90年代半ばにそれを試み、最終的に本のなかに収めた。その本それ自体がボウイ論から派生したと言っても良かった。それは悪魔祓いだった。論じることで呪縛から逃れようとしたのだろう。 荒 川修作さんが亡くなった。5年前か、駒場で講演を聴いたのは。ご本人にも質問したことだけれど、「死なないために」、一挙に「多」に向かう荒川さんの根源 にあったのは、死んでゆく少女の手を握ったという、子供時代の取り返しようのない「対」の経験ではなかったか、ということ。 個人史上のトラウマのみに還元するつもりはないが、「対」が問題になることは確かだろうとは思う。 タイトルに「と」を使うのは難しい。二つの概念(言葉)が明確に内容を反映しつつ、意味のある対照をなさなければならない。「装飾と犯罪」「透明と障害」「言葉と物」「美酒と革嚢」「幼児期と歴史」・・・・・・ タイトルを付ける作業は大事で、それが納得ゆくかたちで決まらないうちは、中味が完成していないと思ったほうがいい。

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田中 純
東京大学大学院総合文化研究科・教授
TANAKA Jun, Ph.D.
Professor
The University of Tokyo

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