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つぶやき(大学と研究助成について)

職掌上の必要から、大学組織や教育・研究制度について考えたせいか、繰り返しつぶやいている。
こんなこと、学生時代にはまったく考えもしなかった。
大学に行く意味が見いだせずにうろうろした挙げ句、大学に残るかどうかにも逡巡して就職、それなのにまた古巣に戻る──といった右往左往は、呑気な時代だったからこそ許されたことだろう。
自分が受ける教育の制度や方法について、学生が自己言及的に悩まねばならないという状況は、決して幸福ではない。
「恐ろしいぞ、一つの商売が駄目になるというのは。船と同じだ。いったん沈み始めると、あっという間だ。」──今日の「ゲゲゲの女房」より。大学も? ただでさえ予算が少ないのに、日本は高等教育にかける国家予算を急激に減らしているのだから、逆に予算を増やしている中国に対して大学の競争力を低下させるのは当然だと思う。 と書くと、大学は特権的な立場のうえにあぐらをかいていたと言われそうだ。しかり。そんなぬるま湯的状況がなかったわけじゃない。 わ れわれのような人文系はまだいい。いまだに「博士号とっても市井で万葉集の研究をしているような人生があっていい、そんな価値観を認める社会であって欲し い」(実際に最近耳にした言葉)という考えはありうる。ただし、そんな博士を育成するほど国は裕福ではないと思うけど。 「独学」「独学」と言ってきたのは、そんな市井の隠者的なあり方にまで撤退することが人文系の学問のある種の「抵抗」のあり方だから。巨費を投じて傑出した拠点を作り、「国際的エリート」を産出するばかりが学問の可能性ではない。 しかし、国家規模で支えるべき高等教育は存在している。理系なんてたまったものではないと思う。 投資効果の証明が必要だとしても、そんな証明を突きつけられて「はいそうですか」と国が金を出すとはどうにも思えないところに絶望を感じる。国家意志はどこにあるのか? 高等教育への投資の必要性を深く理解している官僚や政治家がいてほしいと思う。けれど、日本国内では互いに「効率化」のために足を引っ張り合って予算を減らし続け、最後には全部自滅という結果にならないか? つまり、何でも「仕分け」して、公的なものへの投資をほとんど絶対悪と見なすようなムードが存在している。 はっきり言って、COEやGCOEのような資本投下の仕方が良かったとは思えない。無駄だったとはもちろん思わないし大きな成果を挙げているとも思うが、これが目眩ましになって、基盤整備いや基盤の維持という本質的な問題をないがしろにさせてしまった。 ポ スドク問題を集中的に調べてみて、状況の深刻さを改めて知る。博士課程への進学希望者が激減し、そのことがポスドク問題の将来的な自然解決をもたらすこと になるという最悪の事態。文科省が博士課程組織の見直し(つまり定員削減)を昨年提起したことは、この流れを事後的に追認するものだ。 ベネデット・クローチェもほとんど独学者、市井の知識人と呼ぶべき人だった。1866年生まれでヴァールブルクと同い年。 国家意志について思うのは、滅亡・衰亡を意志する、こともあるということ。 「頭脳循環を活性化する若手研究者海外派遣プログラム」なんてものがあったのか。 頭脳循環(Brain Circulation)ってすでに日常語なのか? 「良好な頭脳循環」などと言われると脳トレかと思ってしまう。 「頭脳循環」を取り締まる「頭脳警察」 従来の頭脳流出から国際Uターンした頭脳循環へ、というわけか。「頭脳」の偏重。 「頭脳循環を活性化する」より、人間にしろ国家にしろ、身体全部を活性化したらどうなんだろう。今に「頭脳交流」などと言い出すのではないか。 知識人や高度技術者を「頭脳」という器官の比喩でとらえるのは間違っていると直観的に思う。 「頭脳循環」なんて、国家にとっての「頭脳」というわけだろう。それが「循環」するって、何だか環境に慣れ親しんだり、人間関係を引きずった生身の経験をまったく欠いた、都合のいいイメージにしか見えない。頭脳だけがふわふわ循環するわけだ。 「頭脳循環」という言葉のセンスに我慢ならないものを感じるのは、何かを「頭脳」と称することの無自覚な傲慢さや無神経さとそれを効率よく循環させようとする小賢しさからだ。 「若手研究者が世界水準の研究に触れ、・・・海外の大学等・・・との研究ネットワークを強化するため、国際共同研究に携わる若手研究者の海外派遣を支援し、国際的な頭脳循環の活性化を通じた・・・学術の振興を図ること」が目的。 目的には何の異論もないが、あえて「頭脳循環」と言うことの意味がわからない。 国際共同研究を行なう組織が必ず若手研究者を派遣することを条件に応募する助成金と考えたほうがよい。 「本 プログラムでの事業の実施主体は、機関の研究組織(例;大学院研究科、専攻等、研究グループ等)、又は複数機関の研究者から構成される研究組織(研究グ ループ等)とします。」「一機関からの申請は5件までに限ります。」要するに研究費にぶらさげて若手派遣を行なわせようという話か。 「将来の頭脳循環につながる国際的なネットワークの構築」をはかるべしとのことだ。「頭脳循環」についてはこのくらいで、説明もない。 人文・社会科学及び自然科学の全分野とはいうけれど、先端研究分野のほか、欧米とは地球規模課題に関する分野、他の諸地域とはその地域の課題に関する分野の事例がすでに具体的に挙げられ、合致するテーマは実はあらかじめ絞られていそうだ。 「おつむのめぐりがわるい」という言い方があるけど、「頭脳循環を活性化する」というネーミングからは、ついそれを思い浮かべてしまう。 日本の高等教育もおつむのめぐりがわるいから脳トレで活性化しましょう、みたいな。 グラントは貴重な財源だし、学術振興会の活動には意義はもちろんある。このグラントだって活用されれば素晴らしいだろう。ただ、どうも高等研究教育予算の付け方が全体としてちぐはぐな感じは否定できない。競争的資金がすべてをカバーできるわけではない。 宮台真司氏「大学や大学院でのエリート教育を諦めて、私塾にしか濃密な学業的再生産の場はあり得ないと、僕を含めて多くの人が思いはじめています。大学院重点化と設置基準大綱化による制度的現状はノイズが大きすぎる。こんなのに期待するだけ馬鹿だよ。」http://bit.ly/9VGTO0 気持ちはわかる。私塾という発想にいたりつくことも十分理解できる。制度にはノイズが大きいが、変える努力をしなけりゃ、沈没するだけで、沈没する船に乗りながら、傍観者的な事を言うのはやめてほしいとは思うね。宮台さんのことではなく。 「正規雇用の大学のフランス語教員の公募には40から50人くらいの応募がある」という記述を読む。博士号取得が最近の条件だから、応募者は博士号をもっているということだろう。ドイツ語はどうだろうか。これだけの応募がありうる状況だろうか。 ともかく、大学のあらゆる人事は(非常勤も含めて)すべて公募にして、むしろ身内(同じ大学)ではない外部からの採用を促進すべきだと思う。 非常勤講師の採用条件に教育歴を求めるのも実は疑問。どこもそれを条件にしたら、本当は誰も応募できなくなる(実際はコネでねじ込んできたのだろう)。語学教育の場合、大学にちゃんと教授法のコースを設置して、それを修了していれば教育歴がなくても採用するのが本筋。 自分がたどってきたプロセスや環境とは異なるものを作り出せなければ組織は死滅する。

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田中 純
東京大学大学院総合文化研究科・教授
TANAKA Jun, Ph.D.
Professor
The University of Tokyo

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