写字生であることの幸福──ドイツの旅から - Blog (Before- & Afterimages)

写字生であることの幸福──ドイツの旅から

ドイツに一週間滞在した。
ベルリンは8年ぶり(10年ぶりと思っていたが、2002年に数日滞在していた)。自由に見て回れる時間が少なかったため、ごく表面的な印象だが、25年前に味わった衝撃からははるかに遠い、ごく普通の大都市になってしまった、という感想。
もちろん東西が分断されていた痕跡はいたるところにあり、あの当時の光景を幻のように重ね合わせてみたりもする。
だから、高層ビルが林立するポツダム広場に荒野のような空虚を感じてしまうのだ。
ベルリンの空虚。
アイゼンマン設計の「虐殺されたヨーロッパ・ユダヤ人のメモリアル」は思いのほか小さく感じられた。

ベルリン滞在中は、フンボルト財団の年次総会や授賞式、日本大使館での祝宴などの各種行事に追われる。ともかく、ありがたいことだった。
総会に参加している研究者の顔ぶれを見ても、人文学系は圧倒的に少ない。ドイツに特化した研究者に偏りがちであるという事情に加え、理系に比べて国際的な流動性が低下しているのかもしれない。
自分自身、2000年前後に、当時は40歳までの年齢制限があった財団奨学金への応募を、勤務先の関係(新設の情報学環への流動=出向)などであきらめている。

授賞式で連邦大統領代理(参議院議長)たちを前に許された短いスピーチでは、日本における大学の財政的・制度的危機、人文学の危機について触れた。そうした状況下での受賞は、わたし自身の個人的な研究のみならず、人文学におけるアカデミックな国際交流のための大きな励ましである、と。

人文学は単一の言語、単一の価値を共有できる科学とは異なる。なぜならそれは、言語の差異・多様性や価値の相克こそを主題にするからだ。その差異や相克によってはじめて築かれるからである。
そこに「文体」が生まれる。言語や価値の多様性を横断したうえで生まれる個性的な文体なくして人文学はない。
そして、「文化」と呼ばれるものが、環境に応じたヴァナキュラーな言語使用によってそれぞれ固有の発展を遂げた、異種混淆しながら有機的に関連し合ったゆるやかな統一体であるとするならば、どんな文化もまた「ガラパゴス」なのだ。

「日本の大学はガラパゴス化している」とか、「英語を大学のリンガ・フランカにせよ」などと、警世家は繰り返す。そうした批判・提言に一定の実利的な意味があることは否定しない。
しかし、英語で考えることと日本語で考えることとが異なる経験であると言うならば、そのほかの言語で考えることにもまた無数の差異があるはずだろう。その差異のもつ意味を無視すれば、思考の最も本質的な部分が失われる。
そして、そのような差異に基づいて築かれてきた文化の産物が有する可能性もまた、そこでは喪失されてしまうのだ。

ドイツ語ドイツ文化を学ぶことを通して、イタリア美術研究者であるユダヤ人のドイツ国民アビ・ヴァールブルクに出会ったこと、ドイツ語圏スイスの都市バーゼル出身のマイナー作家ジルベール・クラヴェルの人生を追って南イタリアの街ポジターノにまで赴く羽目になったこと──これらはいずれも、およそヴァナキュラーで異種混淆した文化的産物だけが有する、抗しがたい誘惑に引きつけられた結果だった。彼らの創造物自体が「ガラパゴス」である。

ごくわずかな滞在だったけれど、ここ数カ月、職務上の必要に迫られて自分に課していたものから解放されて、少しは本来の場所に戻ることができたように思える。
ごく素朴にその感慨を記せば、われわれ(と意図的に漠然と言っておく)はもっと自信を持っていいのではないか、ということ。われわれの先行者たちが蓄積してきたものに自信をもち、われわれ自身の潜在的な能力を信頼して、ほかのどこにもない独自な創造を続けてゆけばよいのではないか、と。
もちろんそのためには、みずからと異なる存在への注意深さが必要だし、創造した産物を異なる言語で伝えてゆく営みが不可欠だろう。

徒な警世の句に踊らされずに、自分の眼で事態を見極めて、埒もないつぶやきに明け暮れず、自分に宿命的に課せられた仕事に黙々と励みたいと、そんなことを痛切に思う。それはわたし自身にとって、ヴァールブルクやクラヴェルの異種混淆性を、この花綵列島でさらに「ガラパゴス化」させ、ヴァナキュラーで異質な思考へと鍛え上げることである。そしてそれを日本語でドイツ語で英語で、あるいはほかの言語で、投瓶通信として漂流させることだ。
ヴァールブルクの膨大なメモはアーカイヴに眠ったままだし、クラヴェルの作品はそれが書かれたドイツ語で刊行すらされていない。読まれるべきテクストは果てしなく残されており、伝えてゆくべきことは無数にある。そして、そんな伝えるべきものを見いだせたことを、わたしは幸福に思っている。

誰もが声高な煽動者であることのできる時代に、寡黙な写字生であることの幸福よ──

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田中 純
東京大学大学院総合文化研究科・教授
TANAKA Jun, Ph.D.
Professor
The University of Tokyo

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