つれづれ──蒐集・Casa come me・漂泊 - Blog (Before- & Afterimages)

つれづれ──蒐集・Casa come me・漂泊

3日がかりでようやく書斎の整理を終える。書棚に入りきらない本の一部は研究室へ、一部は某古書店に移すのだが、残した書物にしても、今後このなかのどれほどを熟読・再読できるのかと考え、暗澹たる思いに囚われる。
いずれ徹底的に蔵書を整理し、数少ない書物を繰り返し読むべきではないのか。それに耐える書物と情報として一時的に必要とされるだけの書物とを今の段階で峻別できないためらいに、中途半端な状態ゆえの疲労を覚える。そして、図書館サービスで取り寄せた資料の膨大なコピーを処分できない逡巡にも。
「書物の所有に関心はない」と断言できるような潔さは持ち合わせていない。所有欲も蒐集欲も人並み以上にあるからだ。しかし、他方では蔵書にこだわることに、精神的に肥満して鈍重になったかのような後ろめたさを感じ、そんな重い衣を脱ぎ捨てて、いっそ身軽になりたいという願望もある。両極端の煩悩に苛まれる凡夫であることよ。

四方田犬彦氏の『蒐集行為としての芸術』を読み、ヘンリー・ダーガー、ジョゼフ・コーネル、ブルーノ・シュルツといった芸術家たちの選択に近しさを覚える。彼らの「内気さ」と蒐集行為との繋がりには必然的なものがあるに違いない。李朝の薬棚をめぐる「201の抽匣(ひきだし)」というエッセイには魅了された。それはノアの箱舟をも連想させる世界模型だ。しかも、かつてひとつひとつの抽匣に入っていた漢方薬の香りが微かに立ち上るというくだりなど、香りを索引にして手繰られてくる過去の、未知なる記憶を通じて、歴史の模型にもなっている。
ヴァールブルクにクラヴェル、いや、もっと遡ってシュヴィッタースにいたるまで、自分がのめり込んで研究対象に取り上げてきた人物たちが、いずれも本質的には内気な蒐集家たちであったことに今さらながら思い当たる。そして彼らは皆、自分の蒐集行為やオブセッションのために特別な空間を作り上げた。シュヴィッタースであればメルツ建築、ヴァールブルクは文化科学図書館、クラヴェルは洞穴住居である。自宅を兼ねたこれらの空間は創造者自身の人生と切り離しがたく、変容し増殖しながら終わりなく作り続けられてゆく宿命をもっていた。マラパルテの言葉を借りれば、それらはいずれも「私に似た家(casa come me)」となるべく定められていた。

ベンヤミンも資質的には同じではなかっただろうか。同時代の歴史が彼にそれを許さなかったにしても。
最期の地ポルボウに向けて山越えを行なったとき、彼は黒い革鞄しかもっていなかった。書物の蒐集も不可能になり、パリの図書館というアジールも奪われて、その鞄に彼は何を収めていたのか。必死で守ろうとしたという自分の草稿以外に、どんな書物とともに彼はピレネーを越えたのか。
そこに書物はもはやなかったらしい。「ベンヤミン・ヴァルター博士」と誤って記された彼の死亡記録を残した官製文書によれば、鞄のなかにあったのは、写真、雑誌、手紙、そして数枚の書類だけだったとされているから。

蒐集家の強いられた漂泊──ヴァールブルクもまた、1929年に急死せずに1933年以後まで生き延びていたならば、英国への亡命を避けられなかっただろう。シュヴィッタースも英国、のちにはノルウェーに亡命している。
パリでの亡命生活のなかでベンヤミンが書き続けた『パサージュ論』の断章は、決定的な喪失の認識に根ざしている。それは、彼が二度と故郷であるベルリンに戻ることはないと自覚したからこそ書いた『1900年頃のベルリンの幼年時代』と同じである。1900年頃のベルリンも19世紀のパリももはや「貝殻」となって虚ろだ。彼はそれをそっと耳に当ててみる・・・・・・。

ヴァールブルク、ベンヤミン、クラヴェルのいずれもが、正統的なアカデミズムの内部にいた人間ではなかった。大学という緩衝地帯なしに独自な知の形態を実現するために、ヴァールブルクは文化科学図書館という砦を必要とした。ベンヤミンはドイツの大学ではなく、パリの国立図書館という「集団の夢の家」に守られることで、『パサージュ論』の断章を書き続けることができた。クラヴェルは洞窟住居を掘り進む日常を、書物ではなく、手紙に書き綴ることで、それ自体が儀式にも似た建造過程の記録を残した。

彼らをアカデミズムの内部で「研究」することの齟齬や矛盾は承知している。あえて言えば、大学のなかで彼らを取り上げる背景には、大学における知の形態を変える、ヴァナキュラーな実践をしたいという欲望があった。
しかし、所詮正統的なアカデミズムにはなじまない個性を帯びた対象であるとはいっても、その部分的な側面をとらえれば、いくらでも学問的な伝統や制度に同化吸収することは可能なのである(とくにベンヤミン、近年はヴァールブルクについても)。だが、そうした水準でしか議論ができないとすれば、本質的にフラグメンタルで体系をなさない著述家であった彼らのテクストに固執する意味などなかろう。また逆に、そのテクストのミクロロジックな解釈に惑溺して、テクスト理論や文献学の限定された領域にのみ囲い込むような読解も、実のところ、アクロバティックな技巧の披露ではあれ、最終的には安定した遠近法に収まってしまうように思われる。

だが、こんなことは実はどうでもいいことだ。それぞれは個別に「正しい」受容だろう。対立は先鋭化しない。共存して「知の風景」を形成する。賢しらにその風景を論じるのが思想史なり表象文化論なりエピステモロジーというわけだ。

しかし、そんな風景を切り裂くような何かこそを彼らに予感したのではなかっただろうか。
あるいは、風景が切り裂かれた経験の痕跡をそこに感知したのではなかっただろうか。

観光旅行で眼にするのは風景である。だから、安定した風景を提供してくれるような知とは観光旅行なのだ。そんな風景を提示する思想史的な見取り図の提供者とは、いわばガイドブックの執筆者だろう。しかし、世間的に重宝するそんな案内人の地図ではなく、安定した風景が見えなくなってしまうような細部の発見こそが必要ではないか。
そんな細部を見てしまったからこそ盲いて、風景の断裂に落ち込んでしまう経験を逃してはならない。
それはもはや帰るべき場所を持った旅ではなく、漂泊であろう。

職務上、大学の国際化や学会の国際化、学界における英語のリンガ・フランカ化など、散々同じような話題に接する。
制度・組織上の国際化が状況論的に必要なのは言うまでもない。
しかし、それが上述したような意味で「観光旅行」になっていないかどうかは疑ってかかるべきだろう。手段と目的の転倒が起きていないだろうか。いや、目的まで含めて、こうした動向が所詮はアカデミズム内のグローバルなローカル・ルールならば、そんなルールに従ったゲームから降りてしまうことも選択肢のはずだ。

大学はもはやシェルターではない。何か別のものに変質しつつある。
とすれば、いずれ選択は迫られるだろう。
砦を持ちうるか、それとも漂泊か。いや、砦への逃走、決して動かない漂泊だろうか。

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田中 純
東京大学大学院総合文化研究科・教授
TANAKA Jun, Ph.D.
Professor
The University of Tokyo

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