Blog (Before- & Afterimages): 2010年10月アーカイブ

2010年10月アーカイブ

建築と映像の際

10月初めに黒沢清さん、鈴木了二さんとトークイベント「映像の際」に参加した。まず三人のプレゼンテーションがあり、自分の発表についてのアウトラインはこれ。ちなみに鈴木了二さんのプレゼンは、1980年代から2000年代までの自作を回顧して、東京の変貌に接続する内容で、1.標本建築、2.空隙モデル、3.墓・空洞モデル、4.海・空地、5.住宅:空洞三部作、6.歴史、7,Dubhouseといった構成だった。黒沢さんは自作に基づき、フレームの外部にある出来事が暗示されることで生じる、見えそうで見えない状態の無気味さ、不安について解説した。
大学ランキングにおける東大の地位低下などが騒がれているが、その関連で作成した提案。結局言いたいのは最後の段落なのだが。

大学における英語で行う授業について

これも東大内部での検討事項だが、あくまで個人的見解であり、一般性があるので公開する。

大学教員の業務スリム化について

守秘義務があるような文書ではないため、学内での提案ながら、一部ここに公開しておくことにする。
amazonのあるレビューに「学者は呪われよ、衒学者は嘉されよ。ディレッタント万歳! 」とあった。この本のレビュアー「編集素浪人 "ディオゲネス"」は(明記されていないが)編集者の二宮隆洋氏だろう。「「中間的」な著者・翻訳者や読者を馬鹿にしてはいけない」という指摘は確かにその通りだと思う。だが、それ以前に中間層を形成する媒体の弱体化が危機的だ。

擬似形態学か仮晶学か

9月14日に東京大学駒場キャンパスで、美術史家イヴ=アラン・ボワ氏によるレクチャーがあった。演題は「〈似て非なるもの〉を思考する──疑似形態学の魅惑と危険」。5年くらい前から彼が話しているテーマらしく、過去の講演の映像もある。

まずこの映像を見てみた。パノフスキーに始まって、予想通り、カイヨワが登場する。講演者が「as modernist」 と何度も繰り返すのが印象的だ。質疑では生物学の概念との関係を問う質問やクーブラーの名も出ていた。自分自身は、と言えば、ボワ氏の専門である現代美術に詳しくはなく、モダニストでもないので、長期持続における類似にこそ関心があった。

この講演映像の最初で導入される用語は、講演タイトルで「疑似形態学」と訳されている「pseudomorphosis」であり、直接的にはパノフスキーの用例に基づいている。パノフスキーの『イコノロジー研究』ではこのpseudomorphosisに「擬形態」という訳語が充てられている。パノフスキー自身はそこで出典を明示していないが、この用語は、ボワ氏も触れているように、シュペングラー『西洋の没落』からの借用である。シュペングラーは鉱物学用語から転用しており、「仮晶」と訳される。

仮晶とは「鉱物の結晶形が保たれたまま、中身が別の鉱物によって置き換わること」を意味する。シュペングラーはこれを「文化の形態学」に転用した。仮晶は、表面上の形態は元の鉱物結晶と同じだが、物質的には異なる。ハンス・ヨナスのグノーシス研究もそこに注目している。ギリシア思想の型を纏った東方思想という「仮晶」としてのグノーシス主義といった解釈がそれだ。

パノフスキーが少なくとも『イコノロジー研究』においてはpseudomorphosisを、パトスフォルメルの歴史的な意味変化というヴァールブルクの着想から導いていることは明らかである。そこでは同型でありながら意味が変化する歴史的プロセスこそが重要なのであって、同型性から歴史的状況の類似が導かれるのではない。方向が逆である。

つまり、問題となるのは仮晶生成の歴史的なプロセスである。「似て非なるもの」の生成過程、似ているのに異なる、その差異を解読すること──仮晶学 pseudomorphologyの可能性? Carlo Ginzburgは『闇の歴史』でユーラシア大陸のシャーマニズム的恍惚経験をめぐり、歴史と形態学の対立を調停するため、伝播でも元型論でも説明できない歴史的産物としてのisomorphismを語った。その最終的な根拠にされたのは、身体の左右対称性とその破れだった。こうした視点も(擬似)形態学と歴史との関係性を問うている点で、ボワ氏の問題提起につながるだろう。

さて、実際に講演を聴いてみて、ネットで見られる映像と(たぶんほぼ)同じ内容だったことはやや残念だった。まったく新しいコンセプトは示されていなかったはずである。日本語の資料やきわめて明快でわかりやすい通訳もあり、啓蒙的な授業と考えれば良いのだろう。

映像を見た段階では理解していなかった指摘として、pseudomorphosisについてのパノフスキーの解釈は『墓の彫刻』にいたる時点で変化しているらしい。ボワ氏の要約に沿うかぎりでは、それを理論的な次元での「モダニスト」への変化と見なしうるように思われた。だから、ボワ氏自身は当然ながら『墓の彫刻』におけるパノフスキーのpseudomorphosis解釈に従ってゆく。しかし、それは『イコノロジー研究』にはあったヴァールブルクに繋がる側面やシュペングラーの仮晶概念が孕んでいた可能性を捨象してしまう結果にはならなかったか。

だからこそ、シュペングラーの「仮晶」に遡って、ヴァールブルクの情念定型の概念もそこに関連させ、「仮晶」生成の論理そのものを追究する方向性こそが意義深いように思われた。つまり、pseudomorphismではなくpseudomorphologyの探究である。シュペングラー的な「仮晶」の発想は汎用性がありそうだから、このように思想史的に追跡したうえで、より普遍的なレベルで方法化する価値があるかもしれない。

ボワ氏の主たる分析対象は、17世紀のオランダ絵画と19世紀の写真における死体の見開かれた眼を2つの焦点とする、眼状紋というモチーフだった。それとの関連で言えば、ソル・ルウィットらの作品もまた無数の眼状紋ではないだろうか。「目玉の親爺」のようなパプア・ニューギニアの人形も同様である。だから、この講演は忌まわしい眼(邪視)をめぐる悪魔払いの儀式であり、「疑似形態学」とは「邪視」の別名だったのかもしれぬ。あらゆる場所に類似を見つけ出させてしまう忌まわしい眼の。

邪視というテーマに関連して、ジャン・クレールの『クリムトとピカソ』も思い出される。クレールがそこで論じているように、ピカソの《アヴィニョンの女たち》もクリムトの《グレーテ・バウアーの肖像》も、画家たちにとってのメドゥーサの肖像だった。そこには夥しい「眼」が描かれている。そして、ボワ氏の講演にあった「見開かれた眼をもつ屍体」の特権的な形象である「斬首された首」の典型こそはメドゥーサにほかならない。

補足的なことだが、ボワ氏は自身をas modernistのほか、繰り返しas historianとも呼んでいた。脳科学や認知科学、ロボット工学、生命論などとアートが直接結びつく現状に対して、歴史家が感じている深刻な違和感がそれによって表明されているように見えた。具体的には、そうした結合の一部に見られるある種の(非歴史的な)ナイーヴさに対してである。それを単なる守旧的な反動と片づけるのではなく、この齟齬のもつ意味を十分吟味してみる必要があるだろう。

大学の危機──冷凍される文化遺産か

ハノイから帰国後、ずっと体調が優れず、午前中の会議も含めて休ませてもらった一日。本郷では「明日の東京大学−危機に立つ財政」(説明会)という催しが開かれていた。民主党政権の「思いつき」で進められている「政策コンテスト」に関する意見募集(パブリック・コメント)への対策の一環と言ってよい。

「政策コンテスト」とは、10月19日までに募集される「国民の意見」に従って予算の優先順位を付けようとするものだ。1兆円の争奪をめぐって、あらゆる業界から動員された組織票が動くことになるだろう。文部科学省の予算に依存している大学も例外ではない。

この弱肉強食の論理の元では、自己防衛のために何でもすべきだし、即物的に割り切って実行するしかないだろう。政府が予算編成の判断を半ば「国民」に預け渡して、代議制によって託された方針決定の責任を放棄しているようなものなのだから。よしんば逆に、ここで吸い上げられた「国民の意見」が無視されて最終的な予算配分が決まったとしたら、それはそれで茶番ということになる。いずれにしても、予算編成という最重要の政策決定のシステムがやや実験的に試行錯誤されている現状は、産みの苦しみと言うにはあまりに重篤な病に陥る危険を孕んでいるような気がしてならない。

本来考えるべきは、大学をどうするか、東大をどうするかよりも、(高等)教育をどうするか、高度な研究をどうするか、だろう。その限りで言えば、大学という公的機関のみが学術的実践の場ではない(もちろん専門とする領域による)。あくまで人文系の自分に近い分野に限定するならば、ヴァールブルク文化科学図書館のようなアーカイヴをコアにした私塾、オープンだがプライベートな研究所のような形態こそが理想かもしれない。

政府・財務省・文科省のそれぞれの思惑に作用されるような大学という組織(とくに資金面で)に、完全に自由な決定の余地は少ない。今のような非常事態では、巨大組織であればあるほど、経営努力や機構改革、つまり、システムの見直しが必要になる。これは教員個人の精神論では到底解決しない。

大学教員や研究者が魅力的な職業であるためには、社会へのしかるべきアウトプットによってそれを示さなければならない。そして、その魅力ある職場を支える基盤の維持を訴える必要がある。その必要性や義務はわかっている。

しかし、結局のところ、個人なり、研究者集団が輝いていなければ、魅力など感じてはもらえないのだ。ただ、大学をめぐる諸々の諸条件の悪化は、教員や研究者の創造力を奪う方向にばかり進んでいるように思われてならない。高等教育や先端的研究にこそ、そうした創造力を育む条件が必要なのに。パブリック・コメントで必死に基盤となる研究費の維持を訴えなければならないほど、大学は零落れてしまったのか。

そして、英国ではヴァールブルク研究所すらもが、危機にある(Save the Warburg Library!  執筆はアンソニー・グラフトンほか)。ロンドンのウォーバーグ(ヴァールブルク)研究所の図書館が、大学側からのスペースチャージの要求に応じて、小さい施設に移転し閉架式にしなければならないという(これはその本来の独自性の喪失を意味する)。ロンドン大学の図書館と一体化されたら、蔵書が売却される恐れさえある。そして、ロンドン大学がこの愚行をあえて行なおうとするならば、ドイツにヴァールブルクの蔵書を返還する運動がありうるかもしれない、とこの論説は結ばれている。

英国の大学行政が予算難から滅茶苦茶になりつつあることは聞いていたが、これもそのひとつの表われに違いない。いずれにせよ、分類法や開架式の配置という、デジタル化できない部分を特質としている図書館を解体しかねないこの動向は、かなり致命的だと思う。「蔵書を独立した一体として扱うべし」としたヴァールブルクの遺族と大学との当初の取り決めに違反する現状の成り行きに対して、ヴァールブルクの子孫は激昂しており、「スキャンダルだ」と述べているそうだ。

こうしたスペースチャージは資金捻出のために大学が使う方法のひとつである。部局(学部・研究所など)に利用面積だけ課金して本部が吸い上げる。外部から資金が入ってこないのだから、大学全体としては何のメリットもないのだが。

ロンドンの地価が高いとか、大学の財政担当者の見識とかは、どうでもいいというか、副次的な問題だろう。ある種の効率性優先の論理にいったん乗っかってしまったら戦うことができない。ひとつの「文化遺産」なのだから「保存」すべきだ──重要なのはそれだけ。

それにしても、大学という制度の脆弱性をまざまざと見る思いがする。資金の効率的運用(何のための?)や(学生という)顧客の満足度などというものとは究極的には関係のないところで研究がなされたり、資料が蓄積されたりする必要性は確実に存在しているはずなのだ。そうでなければ、何のための学問であり、知識なのか。

ヴァールブルク図書館はそもそもプライベートな施設だったので、本来は巨額な資金的裏付けを元にプライベートなものとして、しかし公的に開かれたかたちで存在すべきなのかもしれない。そんな資金提供者は恐らくどこにもいないのだけれど。例えば、英国からの移転を呼びかけ「A great opportunity for an entrepenurial university in North America or elsewhere! 」と書いているブログもある。だが、今の日本ではとても無理だろう。ハンブルクのヴァールブルク・ハウスに蔵書を置けるだけ置くと言うのが、本来の性格からすれば良いのかもしれない。しかしその場合にも、ある状態で「冷凍」して文化遺産として保存すべきか、研究所内の生きた図書館として、研究者集団によって組み替えられてゆく生命体として存続させるべきか、という選択が難しいところだ。

日本の大学もまた文化遺産として冷凍保存され、財政状況の改善ののちに、「解凍」される日を待つ運命にあるのだろうか。言うまでもなく、それは生きた「知の森」の死滅である。

知の「食」

 ネットである程度見られると思うから検索ですませてしまうけれど、やはり雑誌は手元に置いておき、持ち歩いて読まないと、知識の「食」が細る気がする。当座の仕事をメインにした検索ではせいぜいカロリーを満たす程度だろう。
  オリジナルの草稿を読んでいる充実感はかけがえがないし、そこから拡がる未知の領域も確かにあるのだが、これは高級食材を素材だけで味わっているようなもの。建築家・白井晟一は、米を炊いた竈の蓋をとった表面の部分を直接食べる「かまじか」が一番うまい、と語ったという。この「かまじか」とはそんな素材の味そのものだ。
 ある種の(あくまで一部の)新書はファストフードということになるだろうか。糧にならないわけではないが、それだけでは体がもたない。雑誌はおのずと多品目になるから、好き嫌いなく食べてゆけば、それなりに知的栄養にもなる(編集者が良ければ)。書物をコース料理に譬えるのは悪のりのしすぎかもしれない。
 「二番煎じ」とはよく言ったもので、書物についても、「二番煎じ」でしかないことを「味」分ける舌が欠かせない。そんな舌をもつために前提となるのは、読書量に基づく知識・学識ではあるのだが、それだけでは足りない。同様のテーマや素材を用いながら、二番煎じに堕していない味わいを作り出す文体に対する繊細さもまた不可欠だからだ。要は料理人の腕次第である。
 さて、自分を省みれば、食が細ったのは確かで、写本を忠実に写す修道僧のような「写字生」になりたい(オリジナルな史料の発掘に励みたい)と思ったりするのは、理想としては一汁一菜で暮らしたいという食への願望とつながっているのかもしれない。さらには、純粋に素材だけの微妙な味わいを感じたいという欲望へと。微かな苦み、仄かな甘さ、一瞬の酸味、遠く逃れ去ってゆくようなそれぞれの味わい・・・・・・。
 書物には複雑霊妙な味を求めてしまうため、題材の捌き方が下手だったり、大味だったりすると、すぐ興ざめしてしまう。入門書や概説書を書くことにまだあまり関心がもてないのもそのせいだろう。頑固な蕎麦打ちの美食家みたいなものか。客に注文をつけるような料理人は嫌いなのだが。
 ざっくばらんに言えば、入門書・概説書が定食に見えてしまう。そのあたりが「料理人」としての現時点での自分の限界だとは思っている。定食屋や民族料理専門店(あるいはその兼業)が、輸入学問に携わる「知の職人」としての学者の本分かもしれないが、自分が作るとなると、どうもお客の顔が見えない料理になりそうだ。
 書物を作るうえでは必然的に視覚的要素に気を配る。しかし、自分が書物を編むうえで無意識に参照してきた作品の形態はむしろ音楽のそれだったように思う。それが今、いわゆる低級感覚である味覚や嗅覚こそが、書物において経験されるべき知覚であるように思えてきた。──読み進むうちは精緻に映像を描き出し、書物全体でテーマの和音が巧妙に奏でられていながら、読後には茫漠とした味わいや薫りの記憶しか残さないような、そんな書物に憧れている。

ハノイ2010

10月6日から10日までベトナムのハノイに滞在した。 第12回東アジア4大学フォーラム・ハノイ会議というもの。ベトナムは初めてだが、今年はハノイ建都千年にあたり、10月1〜10日に千年記念行事が行なわれていたためもあるのだろう、とくに9日や10日は恐ろしいほどの人混みのうえ、30度を超える暑さに疲労困憊。案の定、最終日に体調を崩す羽目に。深夜発の便だったため、一日中、ポンコツの身体を騙し騙ししながら、何とか帰宅する。現在もまたぶり返さぬように快復を待っているところ。

フランス人が持ち込んだヨーロッパの様式建築、現地の伝統建築との融合が図られたインドシナ様式、小規模ながら洗練を感じさせるモダニズム建築など、建築好きにはたまらない異種混淆性。『建築のハノイ──ベトナムに誕生したパリ』という本が大変参考になる。ちなみに、この本で紹介されている建築のなかで、写真で見るかぎり最も関心をそそられたのは、一番初期の西洋・東洋混淆状態を示すハノイ大聖堂礼拝堂の、何やら危うくて儚いような絶妙で奇妙なバランスだったのだが、生憎と実見はできなかった(大聖堂自体は見学できた)。

フランス人にとって「南」なるものを象徴する色だったという黄色。薄いクリーム色から鮮烈な黄土色にいたるまで、公共機関や学校の建物を塗りつぶしたこの色彩が、南国にいることを印象づける。公式日程が多かったのと体調の問題があって、あまり見て回ることはできなかったが、そのなかでもインドシナ様式を代表するエルネスト・エブラール設計の歴史博物館(旧・フランス極東学院博物館)中庭にひとりで立った時間の静寂は忘れがたい。喧噪の巷のただなかに建っているはずなのに、あの静けさは建築がもつ力のゆえだろうか、博物館という性格がもたらすものだろうか。庭の巨大なガジュマルの樹が守り神のように見える。

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迷路のような旧市街を彷徨う。もとより観光地化してはいるのだが、人々の生活空間と路上とが通じ合っているさまは文字通り多孔的で、たまさかここを訪れたわれわれもそこを右往左往する一粒の粒子に過ぎない。思うさま迷う快感に浸りながら、ふと異質な建築物の門前に立つ。「清河霊祠」とあり、誘い寄せられるように門を潜ると、道教寺院らしく、敷地内に複数ある祭壇にそれぞれ供え物が置かれ、香が焚かれている。管理者の男性に招き寄せられて進んだ奥まった場所に位置する中心的な祭壇の、向かって右には龍、左には虎の陶器製らしい浮き彫り。数名の人々がお祈りをしては立ち去る。この祠の門前にもガジュマルの巨木が育っていた。

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『読売新聞』で前田耕作さんが書評してくださいました。→書評
ヘッケルの著書の図版におけるヒト=ゼウス=キリストの「おもかげ」が、前田さんによってさらにヒツジの顔と重ね合わされ、アレクサンドロスが敬愛したというエジプトのアンモン神に変貌する展開に興奮しました。大変刺激を受けた書評でした。感謝いたします。
2010年10月2日に行なわれたトークイベント「建築の際」第7回「映像の際」で用いたスライド(画像なし・PDFに変換)です。→
20101002田中アウトライン.pdf

20世紀の「ドールキッチン」

「バウハウス・テイスト バウハウス・キッチン」展カタログにエッセイを寄稿しました。
書誌情報は
田中純「20世紀の「ドールキッチン」──「新しい女」マルガレーテ・リホツキーとフランクフルト・キッチンをめぐって」、『バウハウス・テイスト バウハウス・キッチン』、美術出版社、2010年、29〜35頁。

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Profile

田中 純
東京大学大学院総合文化研究科・教授
TANAKA Jun, Ph.D.
Professor
The University of Tokyo

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