人文学の大志 - Blog (Before- & Afterimages)

人文学の大志

 10年前であれば蓮實重彦元東大総長のように「大学ランキングなどという、はしたないものには協力しない」と啖呵を切っていられたのだが、今ではもはや無視できない指標になってしまった。最も有名なタイムズの大学ランキング(THES)に関しては、とくに論文の被引用数の算出方法などが疑わしいなあと思っていたところ、案の定、自己引用やいろいろなからくりがある(参照)。しかし、そんな代物でも、順位を付けてしまえば、それが一人歩きするのだから恐ろしい。人間のさがだろうか。
 THESで東京大学の順位が落ちたのは論文1本あたりのcitation数が減ったからだというわけで、それを上げる方策についてディ スカッションをした。THESではArts and Humanitiesの分野でもランキングは存在しているが、citation数についてはどういう根拠なのか、具体的にはよくわからず、調査中。

 その過程で、THESが基づいているISI Web of Scienceのデータを使ったMost cited authors of books in the humanities, 2007と いう分析結果を発見する。社会科学や人文科学で雑誌ではなく書物をインパクトの典拠にするのは当然だろう。2007年におけるそのMost cited authorsが、フーコー、ブルデュー、デリダであるという事実に、この分野でcitation数を上げる云々といった議論の前提それ自体が疑わしくな る。

 自然科学同様、Arts and Humanitiesにも、最新データに基づく雑誌論文が前線を作る分野は存在するに違いない。しかし、とくに過去の思想を反芻し再解釈して前に進もうと する人文学において、引用数だけ見たら、問題意識において現代に近く、なおかつ古典的な文献(フーコー、ブルデュー、デリダ・・・)がトップを占めるのは 当然と言えば当然だろう。

 もちろん、フーコー、デリダ、ドゥルーズの引用数が多いのは、ここで基づいた雑誌(これがそもそも英語中心) のトレンドも関係している。であるにしても、雑誌で引用される云々より、「フーコーのような書物を書こう」というのが、本来の人文学者の「大志」というも のだろうとは思う。

 ISI Web of Knowledgeで検索すると、DERRIDA Jの雑誌論文の(雑誌論文への)被引用数は1991年に50でピークに達し、その後やや減って、2007年に55で二度目のピークに達する。デリダ名の雑誌論文の多くは英語への翻訳だ。

  これに対して、FOUCAULT Mは1991年は10程度なのに、右肩上がりで増え、2010年は80になっている。デリダがカリフォルニア大学アーヴィン校の教授になったのは1986 年だから、その後しばらくして英語圏で流行したことがうかがわれる。いずれにせよ、検索でわかるのはこの程度のことに過ぎない。ちなみに、 FOUCAULT Mの被引用数合計が879、DERRIDA Jは858。知り合いの中堅理系研究者だと、被引用数は2200だったり、2600だったり。「引用」の機能が違うのだから、比較にならないにしても、こ うした検索の実験をしているうちに、ものすごく空しい気分になってしまったことは否めない。

 THESのArts and Humanitiesランキングでは、今後の中国の台頭が予測されている(参照)。 その元になるISI Web of Knowledgeには、2008年からChinese Science Citation Databaseが組み込まれている(約 1,200 誌に及ぶ中国の一流学術出版物から構成され、全体で約 200 万件のレコードを収録→参照)。これは非英語コンテンツとしては初めてだという。ISI Web of KnowledgeのJournal Citation Reportsなどのコア・コンテンツに、非英語コンテンツとして中国の雑誌だけが特権的に大量に導入されたというわけだ。

  世の中にはいろいろなからくりがあるなあと感嘆した次第。情報を制する者の勝ち。しかし、こんな情報は全部こうして公開されているわけだ。素人が調べても すぐわかることなのだから、専門家はわかっているのだろうが、日本の科学行政には、ランキングの情報源にどう食い込んでいくかという戦略はそもそもあった のだろうか。例えば、東大の教養学部報には、科学技術振興機構が作った学術論文PDFサイト Journal@rchiveが、世界の研究者が使っている文献サイトとはフォーマットが違うためにリンクできないという記事があって驚愕させられた。こ れでは競争以前に負けている。

 競争すべき分野では競争して活性化すれば良い。そんな競争に向いているとも思えないArts and Humanitiesが、無理をしてcitationやpeer reviewに神経質になって、どうしようと言うのだろうか。某会議では、論文の中味を良くするだけでは駄目で(ただし、「自然科学でもストーリー性のあ る面白い論文であることが大事」という中味についての問題はある)、研究者コミュニティと繋がりをもち(フェローとして滞在するほか、ボスや学生を招聘し たり、こちらの学生を送り込む)、人脈で引用を促す効果が指摘された。実質のあるコミュニティが歴然と存在するなら、そうすべきだと思う。というか、理系 の世界はそうなっていなかったのだろうか。それとももっと意識的な引用圧力(?)が必要ということか。だが、素朴な疑問として、名刺交換のようにして相互引用 数を増やし、ランキングを上げるために(だけ)所属しなければならない「コミュニティ」とはいったい何なのだろう。

 どこもかしこも「グローバルに公開だ」「国際的なタフな競争力だ」「有力な科学者コミュニティへの参入だ」といったかけ声ばかりで、いい加減にうんざりしている。「隠者の知」ってものもあるのではなかろうか。堀口捨己の歌──

「大隱は市にかくると古の人はいはずやわれも隱らめ」

「ほのかなる かそけきものも やちまたの どよみのかげに生きてあらずや」

 人文学は直線的には発展しない。過去と対話しながら、螺旋状に進むのみ。現世の喧噪から隠れて追求されるべき秘かな知があってよい。その探究を「大志」としたい。

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田中 純
東京大学大学院総合文化研究科・教授
TANAKA Jun, Ph.D.
Professor
The University of Tokyo

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