宙吊りの時間 - Blog (Before- & Afterimages)

宙吊りの時間

大地震発生から一週間が経った。福島原発事故の収束は見えず、これが東北や関東圏の生活にどんな影響を与えるのかは予測できない。その行方によっては、現状のような生活の維持は難しく、大規模な疎開や移住すら必要とされるかもしれない。

従って、被災地に身を置いているわけではなくとも、今回の震災を客観的に見ることができるような距離を、わたし自身はいまだもっていない。だからここでは、発生後一週間というこの時点で、首都東京圏に生きている者の生活感覚とそこから思い浮かぶあれこれを、のちの反省のために──そんな時間が与えられたとすればだが──書き留めておくことにしたい。
この間に内田樹氏をはじめとして、安全な西日本への「疎開」を勧める提案があった。合理的に考えれば、それは十分納得のいく判断で、条件に応じて積極的に推進すべき事柄であり、外国人の国外退避と平行しつつ、事実として進行している事態でもあるだろう。被災地の避難者や福島原発附近の住民については、すでに政策として集団疎開が進められている。そのことにまったく異論はなく、さらに、個々人が被爆などの不安から関西圏へと一時的に移り住むことも、当然ありうる選択肢だろうと思われる。

だが、内田氏の提案が基づいている至極まっとうで合理的な判断と東京圏で暮らす自分自身の感覚とのあいだには、微妙だが決定的なずれがあるように感じられた。それは何か理性よりももっと奥底の情動と絡み合った、皮膚感覚的な「温感」の違いにも比すべきもので、だからこそ、その違和感はいっそう本質的なものではないかと思われた。

被災地の人々のように、物資が窮乏し、とくに東北の苛酷な天候下に置かれている場合にあっては、一刻も早くその物質的需要を満たし、生活環境を改善することが求められるのは言うまでもない。福島原発から発する放射線による被曝の危険性については、最も影響を受けやすいとされる妊婦や乳幼児、子供たちの避難や、さらには遠方への疎開が当然検討されてしかるべきだ。これらはいずれも、物質的・生理的な要因をめぐる合理的な予測のもとに、即座に解決されるべき問題である。

ここに個人的な記録として書き留めておきたいのは、これらとはまったく別の事柄である。それは先述した「ずれ」に関わる。

東京の、少なくともわたしの周辺では、計画停電や電車の間引き運転、あるいは買いだめによる物資の不足など、生活上のいくつかの支障はあっても、おおむね震災前と同じような暮らしが営める状況にある。それゆえ、ほとんどパニックに近い外国人の国外退避の動きは、何か非現実的なものにしか見えない。いや、もちろん、その動機は十分わかるし、被曝の可能性が孕むリスクをどの程度に見積もるかというリスク認知の違いが、行動様式の差異をもたらしていることも理解している。この非現実感の由来を自問してみるとき、わたし自身には簡単に逃げ込めるような場所などないという実際的問題のほかに、ぎりぎりまでここにとどまることで、この土地、この社会の基盤を支え続けたいという暗黙の意志が、そこには関係しているように思われた。

東浩紀氏はニューヨーク・タイムズ紙への寄稿で「日本人であることの誇り」について言及している。わたし自身の実感としては、「日本人」であることではなく、災害によって形成された(ないし自覚された)運命共同体の一員であることの「責任」あるいは「連帯」と言ったほうが近い。あえて「誇り」と言うならば、「日本人」であること以前に、毎日の生活が安定して繰り返される基盤としての社会が自明な存在であるように支えることの「誇り」であろうか。それはリスクの客観的な理解や認識と矛盾しない。東京の都市生活がいまだ整然と営まれているのは、われわれが危機の実状について無知だからではないだろう。恐らくそれは、困難な状況下にあっても社会秩序を維持しようとする、半ば無意識的な意志の結果である。

被曝の危険ばかりではない。今回の震災は今までとは比較にならない鮮明さで、日本各地をいつか確実に襲うであろう大地震をわれわれに自覚させた。東京について言えば、それはいつ起こってもおかしくはない、都市の死の予感である。もちろん、都市の崩壊と人命の喪失を未然に防ぐ対策はとられなければならないし、とられてきた。しかし、大地震が予想もつかない大きな被害を生むことを、われわれは先週の出来事によって思い知らされてしまった。

フロイトは第1次世界大戦がヨーロッパの人々に強いたのは、平時には各々の生から排除されている死の実在を信じるしかない状況だったという。1915年に書かれた「戦争と死に関する、時に即した事柄」というこの論文で彼は、戦時下にある自分たちは出来事の意味を信じることができない精神的錯乱に陥っていると診断し、この錯乱は、死に対する今までの関係をもはや維持することができず、他方で新しい関係をまだ見出すにはいたっていない宙吊り状態に由来する、と指摘している。

制御不能に近くなった原子力との困難な「闘い」が繰り広げられている現在は、ある意味で「戦時」なのであろう。都市の死と自己の死の「実在」に直面させられたこの宙吊り状態で、われわれは明晰なままに狂っている。しかし、社会の永続的な安定性への信頼自体がそもそも何ら根拠のないものだとすれば、その安定の喪失可能性をまざまざと意識したこの状態は、むしろ深い眠りからの目覚めとも言えるだろう。錯乱ゆえの覚醒。

(こうした思考の一部が、死への「本来的」な「決意性」といったハイデガーの思索へと通じていることは否定しない。ハイデガーは従軍経験のある、いわゆる「前線世代」だった。『存在と時間』には、あるいはこの著作が熱狂的に受容されたヴァイマール期ドイツの精神状況には、「戦時」の心理を「本来的」とするとらえ方がなかったとは言えないだろう。ただし、大地震がほとんど予測のつかない自然現象であり、津波や原発事故もそれに誘発されていた点で、戦争とはまったく事情が異なる。さらに、ここで問題にしたいのは、どのような心理が本来的かといったことではないし、何か本来的な状態へと向けて覚悟することでもない。むしろ、そのような決意とは異質の、どっちつかずの宙吊りの状態が常態化することの意味や意義についてである。)

もとより、われわれは死との新しい関係を見出すにはいたっていない。眠りと覚醒との狭間のまどろみのなかで、われわれは明日崩壊するかもしれない都市の廃墟を幻視しながら、その都市を持続させるための日常を繰り返して止まない。外部の観察者にとって、それは夢遊病者めいた振る舞いにも見えるかもしれない。

だが、都市の死、社会の死を垣間見てしまった者たちは、何事もなかったかのような反復を無意味に行なっているわけではない。この秩序を維持することが、より困難な状態に置かれた被災者をはじめとする人々を筆頭として自分自身にいたるまで、この土地に生きる者たちの集団を実体的・精神的に支えるために必要とされる営みであることを、われわれは意識せずとも自覚している。村上龍氏が同じくニューヨーク・タイムズ紙への寄稿で書いている「ここに残りたい」という心情はその発露ではなかろうか。それは、たとえ場合によっては非合理であっても、恐怖や不安を凌駕する責任や連帯の感覚である。

恐らくこの宙吊りの時間は長くは続かない。実質的な被曝の危険が迫れば事態はまったく変わるだろう。原発の状況がどのようなかたちであれ収束すれば、震災の記憶はやがて徐々に薄れてゆくに違いない。だが、言うまでもなく、都市を壊滅させる災害の可能性がなくなったわけではない。トラウマ的な衝撃のあとには、重いメランコリーがわれわれの精神に忍び込み、澱のように沈殿してゆくことだろう。宙吊りの感覚は深く沈潜する。

(原発を火山に譬えた一節を最近眼にした。ヴェスヴィオ火山の噴火によって壊滅した町ポンペイに近い都市ナポリには、いわゆる「七つの大罪」のうち、「怠惰」が割り当てられたという。そして、怠惰を意味するアケーディア(Acedia)という神学的概念は元来、メランコリカーに関係づけられていた。)

その帰結は時間に委ねるしかない。ただひとつ言えるのは、われわれが置かれている宙吊り状態は決してこの土地に限られたものではなく、世界中のあらゆる場所に生じうるということだ。諸外国にわき起こっている原発の危険性をめぐる議論は、死の実在に集団的に直面することへの不安の一例に過ぎない。

デヴィッド・ボウイの「Five Years」はあと5年で世界が破滅するというニュースが流れた町の光景を歌っている。そのとき、世界は違って見えてくる。「僕は自分がこんなにたくさんの人々を必要とすることになるとは決して思っていなかった。」それが5年ではなく、予測のつかない長さの時間であったとしても、事情に変わりはないはずだろう。そして今、この歌のこんなフレーズがリフレインしている──「君は自分がこの歌のなかにいるなんて、きっと知らなかったと思う」。

強調しておきたいのは、このメランコリーが責任や連帯の感覚や復興への意志と対立するのではなく、むしろ積極的にそれらを支えるものであるということだ。そしてそれは人間を少しは慎重で謙虚にするだろうし、醒めた意識下での勇気を与えるように思う。今回の大震災と宙吊りの時間を経験した世代は、この翳りのある知恵を後世に伝えてゆかなければならない。この断片的でまとまりのない記述は、そのための私的なメモである。


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田中 純
東京大学大学院総合文化研究科・教授
TANAKA Jun, Ph.D.
Professor
The University of Tokyo

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