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2011年7月アーカイブ

トポフィリ展カタログ情報

展覧会ブログの記事で案内中。
展覧会へ来場しなくとも入手可能。
詳しくは→ 展覧会ブログ記事

なお、トポフィリ展は明日30日まで。

「トポフィリ――夢想の空間」展

期間:2011年7月20日(水)-30日(土)11:00-17:30(入場は17:00まで)※26日(火)休
会場:東京大学駒場キャンパス1号館時計台内部空間(6階)及びそこに通じる螺旋階段(3-6階)

以下の画像のうち、作家・作品名・所蔵者をあげた対象については、「クリエイティブ・コモンズ表示・非営利・改変禁止2.1 日本」ライセンスでライセンスされています。
by-nc-nd.pngのサムネール画像

DSC01772.jpg
時計台。窓から覗くものたち。

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螺旋へ。

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踊り場。

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渦巻き。

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会場風景。
手前の棚の上:内林武史《軌道終生》、左手奥:内林武史《結晶製造器》、右窓際:ガラスびん(びん博士コレクション)。

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地脈。

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佇む白いものたち。

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二人。
ガラスびん(びん博士コレクション)。

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「トポフィリ――夢想の空間」展

大学院・表象文化論実験演習Ⅰの成果です。
東大駒場キャンパス1号館時計台は通常は内部見学ができません(1日のみの一般公開以外は申請が必要)。そこに入ることのできる貴重な機会でもあります。

期間:2011年7月20日(水)-30日(土)11:00-17:30(入場は17:00まで)※26日(火)休
会場:東京大学駒場キャンパス1号館時計台内部空間(6階)及びそこに通じる螺旋階段(3-6階)

会場である時計台の最上階6階からの見晴らしは格別ですが、そこにいたる螺旋階段も瀟洒です。ただ、1号館3階から狭い階段を3階分上る必要があることにご留意ください。
会場に冷房はありませんが、作品に影響がないように配慮しつつ、窓を開けます。6階の高さを吹き抜ける風はさわやかです。

展覧会趣旨:
本展覧会は、フランスの哲学者ガストン・バシュラール(1884-1962年)の著作『空間の詩学』(1957年)に基づき、そこで述べられている思想の空間化を目的とした展覧会である。
バシュラールはこの著作で数々の詩作を引きながら、家、貝殻、抽出、ミニアチュールなど詩的イメージを喚起する「空間」について研究し、そこから生まれる 想像力の拡散、集中→螺旋運動を解き明かす。この生きられた空間において夢想するコギトの探求を、バシュラールは「トポフィリ(場所への愛)」と名付け る。
バシュラール自身は、この探究を主に詩を引くことで行っているが、本展ではそれを空間化し、来場者が感覚を通して理解し体感できる空間をつくりだすことを 目的としている。これは、人文知のアウトプットの技法のひとつとして展覧会の可能性を探る試みでもある。本展は、この「トポフィリ」をめぐる思索に形を与 え、さらに来場者を各々の「内密の空間」へとみちびく運動をつくりだすことを試みる。いわば空間に詩を刻印する試みである。ひとの感覚を介して伝わる「詩 的イメージ」に牽引される想像力の運動は、展覧会という場所で感覚を通して実現されることになる。それ自体が「詩的イメージ」を喚起し得る場所である,時 計台内部と螺旋階段において、想像力のダイナミックな運動を実感して頂きたい。

特別出品: 内林武史高田安規子・政子、谷本光隆、びん博士(五十音順)

観覧料金: 無料

予約: 予約優先となります。予約なしでもご入場いただけますが、混雑時にはお待ちいただく場合がございます。詳しくはこちら本展ブログをご覧ください。予約は下記のアドレスまでメールでお願いします。
[blog]http://d.hatena.ne.jp/bachelard2011/
[twitter]topophilie
[e-mail]topophilie@gmail.com ←予約はこのアドレスまで。

関連プログラム:
展覧会の関連プログラムとして、会期中に劇作家、岸井大輔氏(劇作家/一般社団法人PLAYWORKS代表)を招きワークショップ及びトークイベント、「芸術ジャンルに潜在する、愛と空間を探ってみる・プロローグ」を開催します。
[参加料]ワークショップ・トークイベント、ともに無料
[日程]7月20日(水)、22日(金)、26日(火)
各日2セッション
セッション1 14:30-16:10
セッション2 18:00-19:30
[予約方法]メールにて受付。詳細はワークショップブログをご覧下さい。
[ワークショップblog]http://d.hatena.ne.jp/topophilie-ws/

主催:
東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻
表象文化論コース表象文化論実験演習Ⅰ(田中純教授)ゼミ生一同

協力:
東京大学駒場博物館


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ポスターのダウンロードはこちら

フライヤーのダウンロードはこちら


趣味的研究のマニア

『UP』6月号の記事に、学部進学時(3年生)における勉強から研究への頭の切り替えをめぐるエッセイがあった(塚谷裕一「芽生える」)。著者は、この時期に研究がしたくても我慢して勉学を続ける学生と、とにかく早く研究をしたいとできる範囲で手を出し始める学生との違いについて述べている。前者はあらかじめ答えのある問いについて学ぶ「勉強」が習い性になってしまい、誰も正解を知らない疑問の答えを見出そうとする「研究」に近づけない。他方、後者のように研究の真似事ばかりしていると、「趣味的な研究スタイル」が身についてしまう可能性があるという。この場合、楽しい実験は率先してやる一方で、ある結論が見えてしまうと、その結論を他人に納得させられるだけのデータの詰めをするのが馬鹿らしくなってしまいかねない。

自分について言えば、基本になっているのは「趣味的な研究スタイル」以外の何ものでもなかったと思う。自分の納得できる結論こそがもっとも重要であるという点も同様だ。自分なりに一定の理解に達することができれば、基本的にはそれで十分なのである。

そこに危険性が存在することは承知している。だが、問題は自己自身に課したハードルの高さであって、自分を納得させられるデータの詰めが同時に客観的に妥当する水準であれば良いだけのことだろう。「趣味的」と言うと、いかにも恣意的な自己満足のようだが、趣味が仕事以上に真剣でないわけではないのだ。そして、自分の著作を審査する絶対的な審級は、同時代の学会やグローバルな学者共同体ではなく、究極的には「歴史」でしかないとわたしは考えている。われわれは同時代のためにのみ書くのではない。

著者が専門とする生物学と人文学との違いもあるだろうが、「趣味的な研究スタイル」が、習い性と化した「勉強」よりも危険なものだとはまったく考えない。むしろ、逆だ。「お勉強」が習慣化することほど、研究者として危ういものはない。ひとつの難問を抱え込みすぎたあまり、答えの出る目先の小さな問題という瑣事拘泥に陥って、そもそものテーマもろとも、自分の研究者としての感性まで腐らせてしまうという、研究の「勉強化」もたびたび起こることである。

ただ、それなりの年月のあいだ、学生の論文に付き合ってきて思うのは、「趣味的な研究スタイル」を自分で律することの難しさではある。優秀な素質をもった学生であればあるほど、どんなテーマでもそれなりの結果を残せてしまうから、ひとつのテーマを長く追究することができずに、結局、研究者としては大成しない。

だから、重要なのは生半可なかたちで答えなど出ない問いこそを抱え続けることなのだ。意識的にせよ無意識的にせよ、自分がつねに立ち戻ってしまうような問いの場を、どこかにもっていることなのである。

その意味でかつて「偉大なテクスト」との出会いの重要性を語った渡邊守章さんの言葉には深く共感する。いつまでも「問い」として眼前に立ちはだかり続けるようなテクストや作品に対して、幾度も繰り返し試みられる解釈という格闘を経験しない者に、人文学の凄みなどわかるはずもない。これは別に古典学を代表とする文献学を殊更に称揚したいわけではない(そうした分野もまた、「勉強」としての解釈という儀式を繰り返すだけの安定したジャンルになっていはしないか)。「偉大なテクスト」との遭遇とは、どんなものであれ、テクストに「選ばれてしまう」という経験である──逃れられないような宿命として。

だから、「自分の愛好する対象は研究するな」という某老師の教えは、大学(院)新入生には通用する処世訓ではあっても、所詮、それだけのものでしかない。「偉大なテクスト」との関係は、こちらが恣意的に愛したり、飽きて捨てたりできるようなものではない。はるかにつらい、傷つけられるような体験だ。人文学における「趣味的な研究スタイル」に首尾一貫性を与えるものがあるとすれば、この体験だろう。それはつまり、答えなき巨大な「問い」との、さらに言い換えれば「歴史」との遭遇である。

冒頭で引いた塚谷氏はエッセイの末尾で、中立進化説提唱者の木村資生氏が「蘭にのめりこんではいけないよ。偉くなれないよ」と語ったというエピソードを紹介している。当の木村氏は、アメリカに品種改良の農場ももっているほどの蘭マニアだったという。「その木村先生の言葉をどう解釈すべきかは、なかなかの謎である」という一文は、自然科学研究においても──研究の直接の現場ではなく、潜在的にであれ──必要とされる「マニア(狂気)」を告げているように思われる。

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Profile

田中 純
東京大学大学院総合文化研究科・教授
TANAKA Jun, Ph.D.
Professor
The University of Tokyo

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