趣味的研究のマニア - Blog (Before- & Afterimages)

趣味的研究のマニア

『UP』6月号の記事に、学部進学時(3年生)における勉強から研究への頭の切り替えをめぐるエッセイがあった(塚谷裕一「芽生える」)。著者は、この時期に研究がしたくても我慢して勉学を続ける学生と、とにかく早く研究をしたいとできる範囲で手を出し始める学生との違いについて述べている。前者はあらかじめ答えのある問いについて学ぶ「勉強」が習い性になってしまい、誰も正解を知らない疑問の答えを見出そうとする「研究」に近づけない。他方、後者のように研究の真似事ばかりしていると、「趣味的な研究スタイル」が身についてしまう可能性があるという。この場合、楽しい実験は率先してやる一方で、ある結論が見えてしまうと、その結論を他人に納得させられるだけのデータの詰めをするのが馬鹿らしくなってしまいかねない。

自分について言えば、基本になっているのは「趣味的な研究スタイル」以外の何ものでもなかったと思う。自分の納得できる結論こそがもっとも重要であるという点も同様だ。自分なりに一定の理解に達することができれば、基本的にはそれで十分なのである。

そこに危険性が存在することは承知している。だが、問題は自己自身に課したハードルの高さであって、自分を納得させられるデータの詰めが同時に客観的に妥当する水準であれば良いだけのことだろう。「趣味的」と言うと、いかにも恣意的な自己満足のようだが、趣味が仕事以上に真剣でないわけではないのだ。そして、自分の著作を審査する絶対的な審級は、同時代の学会やグローバルな学者共同体ではなく、究極的には「歴史」でしかないとわたしは考えている。われわれは同時代のためにのみ書くのではない。

著者が専門とする生物学と人文学との違いもあるだろうが、「趣味的な研究スタイル」が、習い性と化した「勉強」よりも危険なものだとはまったく考えない。むしろ、逆だ。「お勉強」が習慣化することほど、研究者として危ういものはない。ひとつの難問を抱え込みすぎたあまり、答えの出る目先の小さな問題という瑣事拘泥に陥って、そもそものテーマもろとも、自分の研究者としての感性まで腐らせてしまうという、研究の「勉強化」もたびたび起こることである。

ただ、それなりの年月のあいだ、学生の論文に付き合ってきて思うのは、「趣味的な研究スタイル」を自分で律することの難しさではある。優秀な素質をもった学生であればあるほど、どんなテーマでもそれなりの結果を残せてしまうから、ひとつのテーマを長く追究することができずに、結局、研究者としては大成しない。

だから、重要なのは生半可なかたちで答えなど出ない問いこそを抱え続けることなのだ。意識的にせよ無意識的にせよ、自分がつねに立ち戻ってしまうような問いの場を、どこかにもっていることなのである。

その意味でかつて「偉大なテクスト」との出会いの重要性を語った渡邊守章さんの言葉には深く共感する。いつまでも「問い」として眼前に立ちはだかり続けるようなテクストや作品に対して、幾度も繰り返し試みられる解釈という格闘を経験しない者に、人文学の凄みなどわかるはずもない。これは別に古典学を代表とする文献学を殊更に称揚したいわけではない(そうした分野もまた、「勉強」としての解釈という儀式を繰り返すだけの安定したジャンルになっていはしないか)。「偉大なテクスト」との遭遇とは、どんなものであれ、テクストに「選ばれてしまう」という経験である──逃れられないような宿命として。

だから、「自分の愛好する対象は研究するな」という某老師の教えは、大学(院)新入生には通用する処世訓ではあっても、所詮、それだけのものでしかない。「偉大なテクスト」との関係は、こちらが恣意的に愛したり、飽きて捨てたりできるようなものではない。はるかにつらい、傷つけられるような体験だ。人文学における「趣味的な研究スタイル」に首尾一貫性を与えるものがあるとすれば、この体験だろう。それはつまり、答えなき巨大な「問い」との、さらに言い換えれば「歴史」との遭遇である。

冒頭で引いた塚谷氏はエッセイの末尾で、中立進化説提唱者の木村資生氏が「蘭にのめりこんではいけないよ。偉くなれないよ」と語ったというエピソードを紹介している。当の木村氏は、アメリカに品種改良の農場ももっているほどの蘭マニアだったという。「その木村先生の言葉をどう解釈すべきかは、なかなかの謎である」という一文は、自然科学研究においても──研究の直接の現場ではなく、潜在的にであれ──必要とされる「マニア(狂気)」を告げているように思われる。

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田中 純
東京大学大学院総合文化研究科・教授
TANAKA Jun, Ph.D.
Professor
The University of Tokyo

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