Blog (Before- & Afterimages): 2011年11月アーカイブ

2011年11月アーカイブ

日本経済新聞夕刊(11月9日)で井上章一さんに書評していただきました。
平凡社の方が公開なさっている書評の画像です。

最後の一文、正確に意図を汲み取ってくださっている。拙著で問題にしたのは世紀転換期ヴィーンの「スタイル」──生と性、倫理と芸術を横断する──だったのだから、とくにロース/クラウスのスタイル=文体をどこかで意識していた。新書という雑誌に近い形式でなければ、そうはしなかったかもしれない。

その文体の特徴とは、ロースの創刊した雑誌名で言えば「他者(別のもの)」、つまり、異質性。ロースは「オーストリアへの西洋文化の導入のため」と言った。異質性をそれと知るためにはコンテクストの知識が必要だ。そもそも思想史は多領域の関係性をメタレベルで考察するものなのだから、そのために前提とされるコンテクストの理解も多重化する。しかし、いくつかの峰を越えて山を登った果てに見える風景──その地形──にこそ、思想史の醍醐味もまたあるというものだろう。
『教養学部報』にトポフィリ展についての文章を寄稿しました。書誌情報は
田中純「秘密の小部屋──「トポフィリ──夢想の空間」展をめぐって」、『教養学部報』第542号、東京大学教養学部、2011年11月2日、2頁。

『教養学部報』のサイトにいずれ掲載されますが、読む手段が当面かなり限定されるため、ここに掲げておきます。

「秘密の小部屋──「トポフィリ──夢想の空間」展をめぐって」

なお、本文中で言及されている、カタログ内容の一部についてのネット上での公開はすでに実現されています。→「トポフィリ──夢想の空間」サイト
 本書の内容をひと言で表わせば、一九〇〇年前後のヴィーンを中心とした領域横断的な思想史ということになろうか。その目的は、この時代が取り憑かれていた「装飾」の文化的意味の解明によって、世紀転換期のヴィーン文化が今なお放つ魅惑の秘密を明らかにすることにある。「エロティシズム」と呼んだのは、そんな魅惑の源としての論理の官能性にほかならない。

 「論理の官能性」という言葉はいささか異様に響くかもしれない。論理のエロティシズム──わたしにそれを最初に教えてくれたのは、本書の登場人物のひとりであるヴィトゲンシュタインの『論理哲学論考』だった。十歳代の終わりに夢中になって読み耽った書物である。この『論考(トラクタートゥス)』のような本を書くことを切望し、こんな本を書きえた天才に嫉妬した。文系だったわたしが理系に転向することを考え、数学や建築に進むことを志望したきっかけも、この書物との遭遇にあったように思う。結局は人文学の道に舞い戻ったとはいえ、『論考』への畏怖に似た思いは失われていない。

 『論考』に官能性を感じてしまうなど、ヴィトゲンシュタイン自身にとってははなはだ心外なことかもしれぬ。だがそれは、彼がヴィーンという「装飾の都」の徹底した批判者だったからこそ、逆に帯びることになった時代性の刻印である。その意味では、彼もまた装飾の影のもとにあった。

 本書でわたしは、ヴィトゲンシュタインをはじめとする反逆者たちまで含めたヴィーン文化を駆動していたひとつの論理を、できる限り鮮明に浮かび上がらせることに、ひたすら専念したつもりである。この時空間における「装飾の運命」の追跡を通して、少なくとも時代の核と見なしうるような文化現象の精髄については、ここで凝縮して示しえたのではないかと自負している。本書で取り上げたアドルフ・ロースの建築のように、新書という一律で目立たぬ外見ながら、内部では各章が重層的に関連し合って豊かな、不思議な小函にも似た書物になっていてくれればと願う。

 本書に三度も登場するロースについては、とりわけ近年再評価の気運が高い。ロースの著作の新訳も準備されていると聞く(編集出版組織体・アセテートから、アドルフ・ロース著作集1『虚空に吼える』が近刊予定とのこと)。劃期的なロース論を含むマッシモ・カッチャーリのヴィーン文化論『シュタインホーフから』(「世紀転換期のウィーン」として部分訳あり)の邦訳刊行も俟たれる。こうした書物を通じて、ロースが生きた時代の重要性がよりいっそう理解されることを期待するとともに、本書もまた、そうした認識の深化に寄与するところがあれば幸いだ。
 本書の登場人物のひとり、建築家アドルフ・ロースは、ヴィーンの街を歩き回っては、「建築家は最大の犯罪者だ!」と口癖のようにつぶやいたという。「装飾と犯罪」は彼の代表的なエッセイである。本書は、このロースが生きた一九世紀末から二〇世紀初頭の世紀転換期ヴィーンをおもな舞台に、「装飾」がそこで担った意味の分析を通じて、近代建築のエロティシズムを考察した試みである。

 世紀転換期ヴィーンは、建築・芸術・思想ばかりではなく、例えばシオニズムや反ユダヤ主義といった政治運動の面でも、その後のヨーロッパの歴史に大きな影響を残したエポックだった。そして、この時代を特徴づけるキーワードが「装飾」なのである。

 装飾論とは言っても、話題は建築や美術のみにはとどまらない。過激な反フェミニストが登場する一方、フロイトの精神分析は一種の装飾の記号論として解読される。哲学者ヴィトゲンシュタインやプラハの作家カフカも、建築家ないし機械技師として俎上に載せられる。そして、建築家の言葉や建築作品は領域横断的に、こうした思想家・作家・芸術家たちとのネットワークの内部に位置づけられることになる。それによって、20世紀以降の建築のみならず、現代の美的なエロティシズムを決定づけた、装飾的なるものの運命を浮かび上がらせることが、本書の目論見にほかならない。

 建築を成り立たせているものは、物体であり空間であると同時に論理である。そして、性欲ではなくエロティシズムを生み出すのは、論理以外の何ものでもない。だから、建築のエロティシズムはその論理にこそ宿る。「近代建築のエロティシズム」とは、従って、エロティシズムの近代的な論理と言い換えてもよい。

 ここで話題にしたいのは徹底して、建築のこの論理的な官能性だけである。それは機能性や経済性や社会性に逆らって噴出してしまうような何かだ。興味があるのはいわば犯罪者だけなのである。そして、ロースもまた、いや、ロースこそは実はきわめて危険で犯罪者めいた、エロス的人間にほかならなかった。

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田中 純
東京大学大学院総合文化研究科・教授
TANAKA Jun, Ph.D.
Professor
The University of Tokyo

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