「じっくり/あとで考える(nachDenken)」──「ドイツ語による精神科学とその言語の国際的な影響史」をめぐって - Blog (Before- & Afterimages)

「じっくり/あとで考える(nachDenken)」──「ドイツ語による精神科学とその言語の国際的な影響史」をめぐって

nachDenken. Internationale Wirkungsgeschichte der deutschsprachigen Geisteswissenschaften und ihrer Sprache

これもベルリン文学・文化研究センターのシンポジウム。3日間の日程だが、今日は行かないので、以下が備忘のためのメモ。非常に長文です。
趣旨は次の通り。

学術出版や対話におけるドイツ語ないし英語の使用をめぐる現今の激しい議論は、諸々の精神科学 [Geisteswissenschaft]や文化科学に関わってくるのは、それらの対象が特別な仕方で主として言語的なステータスをもつことのみによるのではなく、それらの概念、方 法、思考様式が言語から切り離せないからでもある。

グローバル化と伝統という対立す る論拠の狭間で硬直している現在の賛否両論を超えるためには、議論のための別の土俵を開拓することが妥当であろう。つまり、どのような特殊な認識方法やど のような解釈学的、文献学的、概念史的、歴史的ないしイメージ学的理論が、いったい学術言語としてのドイツ語の放棄によってとりわけ失われたのか、という 点である。日増しに国際化してゆく研究環境のなかでただ消えゆくがままにするべきではない、ドイツ精神科学の学問史に由来する認識論的可能性というものは 存在するのだろうか。そこで問題となるのは、国際的学術においてドイツ語の精神科学が占める過去および将来の地位への問いである。

この目的設定のもと、多くは「ドイツ精神科学」(複数)の歴史的な回顧が発表の中心テーマとなっている。個別のテーマを列挙しておこう。

コー ラン研究における歴史主義、美術史における多言語使用、亡命音楽学者のキャリア、解釈学のパラダイム、米国におけるディルタイ受容、米国におけるアウエルバッハ受容、19世紀ロシアにおける学術言語としてのドイツ語、フロイトとVictor Klempererの実践における学術言語としてのドイツ語、1920-38年の中東欧知識人による精神分析的言語研究、米国におけるドイツ宗教研究、ブ ラジルにおけるドイツ語の社会哲学の受容、ラインハルト・コゼレックをめぐって、ドイツ語における概念形成の可能性(神秘的な単語結合)、プログラムとし てのバビロンの「固有概念性」(ドイツのアッシリア学におけるメソポタミア文化の「固有概念性」をめぐる議論?)、ラヴジョイとホイジンガをめぐる観念史 の思考様式。

めくるめく多様性で(しかし、注意して見れば比較的周縁的な話題も多く、「精神科学」の定義にもよるが、哲学のほか、フランクフルト学派なども正面切っては扱われていない)、これをすべて消化した議論が何を生み出すのかは、成果の報告を待ちたい。ここでは全体の傾向と今後の趨勢に触れたSigrid Weigelセンター長の導入と二つの講演に絞る。

Sigrid Weigel (ZfL): Erbschaften und Potenziale. Zu den zwei Seiten der deutschsprachigen Geisteswissenschaften
ヴァ イゲル所長の発表は「遺産と可能性──ドイツ語による精神科学の二面性について」と題されている。「遺産」をめぐっては、ドイツ精神科学成立の諸条件の歴 史的回顧による反省的な総括がなされた。核心にあるのは「遅れてきた国民」(プレスナー)であるドイツにおける「遅れ」である。学術言語としてのドイツ語 が形成された18世紀、多くの言葉があらたに生み出されねばならなかった。その際にドイツ語に生じた特殊な条件をめぐってはアドルノが引用された。その部 分を原文から引く(発表で引用された部分に忠実に対応するものではなく、厳密な訳でもないことは承知願いたい)。

ラ テン化としての文明化がドイツにおいては半ばしか成し遂げられなかったことは、言語もまた証言している。ガリアとローマの諸要素がきわめて早く徹底的に入 り交じったフランス語においては、外来語の意識がほとんどまったく欠如している。アングロサクソンとノルマンの言語層が重なり合っている英国では、アング ロサクソン的要素が古風で具体的な、ラテン語的要素が文明的で新しい性格を表わすという言語的二重化への傾向は存在しているとはいえ、後者がきわめて広く 普及しており、さらに歴史的な勝利を重ねてきたため、どんなに敏感なロマン主義者によっても、それらが異質なものと感じられるようなことはまずない。これ に対してドイツでは、ラテン語的文明的な構成要素がより古い民衆語と融合せず、学者の教養と宮廷のしきたりによって、むしろ後者から区別されており、外来 語は同化されずに目立ち、それらの言葉を熟慮して選ぶ著述家たちに、ベンヤミンが一つの外来語という「銀製の肋骨」について語ったときに「著者はそれを言 語の肉体に挿入する」[『一方通行路』より]と描写したようにして、提供されるのである。その際、非有機的に見えるものは、言うまでもなく実際には単に歴史的な証拠、あの同一化 の失敗の証しに過ぎない。こうした異質性は、ただ単に言語においてのみ、悩ましいもの、ヘッベルの言う「創造のための設計図/裂け目(Riß)」なのでは なく、現実においてもまたそうなのだ。こうした側面において人はナチズムを、ドイツの遅れた市民的統合を事後的に無理矢理実現しようとした、暴力的で遅れ た、それゆえに毒された試みと見なすことができよう。どのような言語も、復古的な教説が説きたがるように古き民衆語とてもまた、有機的で自然なものではな い。しかし、文明化において先進的な言語的要素のいかなる勝利においても、より古くより弱いものに対してなされた不正の幾ばくかが沈殿している。

ア ドルノも指摘する「遅れ」、遅れてきた国民、遅れてきた言語だからこそ、その遅れや欠如が優越性へと転化されて「文化的国民 (Kulturnation)」としてのドイツ(哲学者と詩人の国!)という理念が形成される(ディルタイが参照される)。ドイツの精神科学はこの「文化 的国民」の理念と対になる、英仏とは異なる特質をもったものとして自己形成されてきた。

後半の可能性(ポテンシャル)については、言語使 用における「非一体性」、つまり、二言語、多言語における思考が強調された。諸言語の中間地帯(Zwischenraum)における思考の可能性である。 そこに思考の創造性は宿る。例として挙げられたのは、ハンナ・アレントにおける英語とドイツ語による著述である。アレントの英語は「劣悪な英語」と非難さ れて理解されないことも多い。しかし、彼女が英語で書き、さらにそれを自分で改めてドイツ語にしたテクストの比較から見えてくることは、二言語、多言語で 書くことの可能性である。オリジナルなドイツ語の思考があって、まず英語で書くのではない。アレント独自の思考はその二言語の狭間で生まれている、とヴァ イゲル氏は見る。「外来語(Fremdsprache)」のその「異質な(fremd)」他者性を通じた思考が問題なのだ。ヴァイゲル氏自身、英訳された自分の著書を読んで、別の思考の可能性に気づかされたという。

質疑でも強調 されたのは、18世紀に学術言語としてのドイツ語が形成され始めて以来の、「ラテン語/民衆語」という二項対立のみにはとどまらない多言語性 (Mehrsprachlichkeit)であり、多文字性(Mehrschriftlichkeit)である。同質性(Homogenität)や同質 化に逆らって多言語において思考することによる自明性からの脱却。ベンヤミン研究者であるヴァイゲル氏は、ベンヤミンのなかにある神学/マルクス主義と いった異質性の多様さを指摘する。

ドイツ精神科学没落の歴史も語られた。20世紀初めには国際的な学術のノーメンクラトゥーラが存在し、ドイツの精神科学はそこで大きな勢力だった。しか し、1914年の第1次世界大戦勃発以降、ドイツ精神科学に対する一種のボイコットが生じ、学術言語としての英語の飛躍的な上昇が起きる。ナチズムの支配 と第2次世界大戦の敗北、その間のユダヤ系を中心とする知識人の亡命はドイツの学問の凋落にさらに拍車をかけた。

なお、フランスの人文学が経験主義的、統計的手法であるのに対して、ドイツ精神科学はこうした傾向について「反フランス的」であった点に特徴がある、という指摘も付記しておきたい。

ヴァイゲル氏はアレントをめぐって、この会議と同じテーマを特集した、ベルリン文学・文化研究センターの雑誌『Trajekte』最新号(23号)に短いテクスト(書籍所収予定論文の一部)を掲載している。アレントが英語の自著をドイツ語に訳すような自己翻訳について、ヴァイゲル氏はそこで「自己翻訳の事後性」を強調する。精神分析が夢について言うように、「オリジナルなき翻訳」こそが問題であるというわけだ。自分が使いこなせない言語がもたらす不確かさ、多義性や単語の音感の差異に対する感覚の相対的な欠如を彼女はそこで「異言語の文化的無意識」と呼ぶ。そして、いわゆる母語による自己翻訳の過程を精神分析的な意味での「徹底操作」に譬える。

論理は明快である。なるほどそうだろう。アレントの著作に即した分析の正当性はこれだけでは判断できないが、精神分析のスキームに沿えば、わかりやすい話ではある。しかし、だからといって、では、人文学に関わる者は皆、まず外国語で書いてから自己翻訳しましょう、という話ではあるまい。そもそも、他者の言説に分析的に向かい合って自らの言語でそれを論述するとき、ひとはつねにこの種の徹底操作を程度の差はあれ強いられるのではないか。なぜならそれは、他者の言語を通過して自分自身の言語に還る運動だからである。だから問題は、あれこれの既存の外国語で書くことではない(そうした外国語で書くことの実際的な効用をもちろん否定するものではない)。むしろ、自らの固有言語と思っていたものの内部に異質な外国語を発明することであり、いつの間にかそんな外国語で書いてしまっていたみずからを発見することのはずだ。

Michael Hagner (Zürich): Monolingualismus, Hyperprofessionalität und die Krise der Urteilskraft
科学史家ハグナー氏の講演は「単言語主義、過剰な専門性と判断力の危機」と題されている。彼は脳科学の歴史についての著書があり、優れた学術的散文の著者に与えられるジークムント・フロイト賞の受賞者(2008年度)。

ハグナー氏は英国の歴史家ピーター・バークの著書『文化史とは何か』において、20世紀後半のドイツの文化史に関する記述がきわめて不当であることを指摘する。この講演では、科学史という立場から、自然科学と文化科学という「二つの文化」がドイツにおいてどのような関係にあったがたどられてゆく。そこでとくに注目されたのが、ローボルト社から出版された「ドイツ・エンサイクロペディア」というシリーズである。編者はイタリアの哲学者Ernesto Grassi。「二つの文化」の両者をともにテーマにしたこのシリーズはとくに1950年代に非常に良く売れたという。

その著者のひとりでもある物理学者ヴェルナー・ハイゼンベルクにハグナー氏は注目する。ハイゼンベルクが体現していたのはドイツ的な「自然科学的教養」だった。それは人間そのものへと向かう哲学的な思索である。ドイツの科学思想をこうした理念を求めるハイゼンベルクに代表させる一方で、ハグナー氏はその対極に位置する存在を、技術を志向して物理学を純粋化する米国のオッペンハイマーに見る。ドイツでは物理学者自身が人文主義の伝統の下にあった。そして、自然科学においては実は1950年代半ばから60年代半ばまでドイツ語による研究の興隆が存在したという(この点はヴァイゲル氏の発表における第2次世界大戦以降の精神科学の衰頽とは事情が異なる)。

しかし、こうした興隆は1970年代には終焉を迎え、ハグナー氏の専門である医学において、1980年代以降は教科書はほとんど英語になってゆく。科学者のなかにはかつての伝統を継承するカール・フリードリヒ・フォン・ヴァイツゼッカーもまだいたが、これは例外的な存在だった。ハグナー氏自身は1980年代終わりにアングロアメリカンの研究環境に入る必然性を認識したという。

講演ではとくにここ15〜20年における科学の「過剰な専門化」と小さなコミュニティ内部での閉鎖的な自己言及性と異質な思考様式に対する無関心といった一連の傾向と、単一のリンガ・フランカ(要するに英語)が絶対化される単言語主義の横行との併行現象が指摘された(あくまで併行であって、因果関係を主張するものではない)。過度の専門化によって形成される学術コミュニティは標準化の結果としてきわめて安定している(クーンの言う「通常科学(normal science)」)。単言語主義はある種の検閲として機能することもある。結果、この両者は判断力の危機をもたらしているのではないか、というのがハグナー氏の問題提起と理解した。

もとより、自らの母語の繭の内部に閉じこもるようなことはもはや許されず、英語で発表するという必然性は受け入れるにしても、精神科学にとって言語の重要性は言うまでもない。過剰な専門化と単言語主義の問題点は、いずれの趨勢も、専門家のみに向けて語るところにあるとハグナー氏は指摘する。精神科学はいわば顕教的な公の言説と専門家を相手にした密教的な言説との二面性を備えなければならない。このあたりはフロイト賞受賞者として、単に学界のみならず、一般読者にも届く学術的言説を残してきた人物ならではの発言だろう。

ただ、学術的言説の政治学としては、米国発の英語雑誌に発表したほうが被引用数は多くなり、ヨーロッパの英語雑誌に発表した場合とは異なるなどといった「インパクトファクター」をめぐる格差は歴然と存在している。つまり、単に発表言語のみが問題なのではなく、こうした媒体の力関係やそれをもたらす評価システムの「政治」が現状と今後の趨勢に強く作用しているということである。

この問題に関するハグナー氏の基本的な見解はフロイト賞受賞時の挨拶ですでに示されており、その抜粋は新聞記事(「身体化した思考──精神科学の言語とそれにふさわしい努力について」、「新チューリッヒ新聞」所収)として読むことができる。それによれば、数式が自然科学者の思考にとって必要不可欠なものであるように、人文学者にとっては言語がそうなのであり、言語こそは人文学者の思考を体現している。もとよりそこには差異もある。「学術的な散文は、それによってすべてが無償で何でも言えてしまうような、自己充足的な単語のストックへの入場券ではない。言語には抵抗や不確かさ、一時性が眼に見える状態で残るに違いない──そして、こうした性質の存在しない数学ないし化学の公式と言語とを分かつものはそれなのだ。」

ハグナー氏によれば、英語が支配する環境から逃れられると思い込む者はみずから自分を閉じ込める繭を紡いでいるようなものである。それは確かだとしても、そして、(脳の組織構造からして、われわれの誰もが二言語をともに、必要十分な思考の道具とできるほど、使いこなせるようになるとは思えないが)英語を母語としない者の英語力が遜色なく高まってゆくとしても、そこに待ち受けている危険は、絶対化された単言語主義による過度の専門化ではないか(英語の文献しか引用しない論文がその例である)。それは異なる言語の思考様式と学術文化への無関心である。現実世界への拡がりや思想的な寛大さの喪失を埋め合わせるのは、日増しに徹底したものになってゆく細部や微妙な違いへの惑溺である(蛇足ながら、前の週のヴァールブルクのワークショップを思い出した)。「もはや大きな池で釣りの出来ない者は小さな池ですべてを釣らねばならない。そうやって選別と排除のわざを修得するのである。」

ハグナー氏のこうした主張にもまた、まったく異論はない。とくに受賞挨拶でフロイトの散文に触れ、そのテクストが言語における思考の生成を記録している、という指摘、そうした「言語において生起する出来事としての思考」を紡ぐことの重要性は、実は多言語の狭間で思考すること、いやむしろ、新たな言語を生じさせることという、ヴァイゲル氏の発表について上述した論点に関わっていると思う。ただ、ハグナー氏も前提としているように、学術言語を取り巻く地政学的状況は厳然として存在しており、その事実との折り合いをどうつけるか、という問題は、これで解決されるわけではない。


Hans Ulrich Gumbrecht (Stanford): Wie deutsch waren die Geisteswissenschaften - und sollten sie sein?

Podiumsdiskussion
Michael Jeismann im Gespräch mit
Andreas Beyer (Paris), Hans Ulrich Gumbrecht (Stanford), Jürgen Trabant (Berlin/Bremen), Sigrid Weigel (ZfL)

ロマンス語系文学研究者のグンブレヒト教授の講演タイトルは「精神諸科学はどれほどドイツ的であったか──そして、そうあるべきか」。ヴァイゲル氏などを交えたディスカッションがあとに続いた。

グンブレヒト氏も19世紀以来のドイツ精神科学の歴史を回顧することから始める。そこで問われるのはこの精神科学のアイデンティティとスタイルである。18世紀から19世紀前半にかけて、文学の分野で起きていたことは、「精神科学」という言葉が誕生以前の(avant la lettre)精神科学的営みだったとグンブレヒト氏は言う。精神科学誕生までに19世紀に形成された知的プラクシスの形態には三つあり、ひとつは文献学、2つ目は哲学、3つ目は歴史である。このあと、文学研究者らしく、社会的プラクシスとしての文学享受のされ方についていろいろ話の展開はあったのだが省略して、ただ一点触れると、英国にもマシュー・アーノルドのような文芸批評家はいたが、ドイツの文学研究が特徴的なのは哲学への近さであったという。

ディルタイを中心として、「精神科学」の自覚的な生成を促したのは自然科学の圧倒的な進歩という衝撃であり、それを補償するものとして「精神科学」が登場する。グンブレヒト氏の講演はとくに20世紀後半におけるそのパラダイムの交代をたどり、1990年代になるとその沈滞=不況現象が起きたという。もはや新しい理論は現われない。研究者は専門家になる。ここでさっと触れられるだけの言及だが(彼の話はそうした細部が面白く、聞き逃したものも多かったと思う)、ドイツで誇るべきものとして、文化的公共圏の豊かさを支える新聞の文芸欄の存在を指摘していた。

さて、講演の終盤でグンブレヒト氏の講演はいくつかのテーゼを列挙してゆく(最初は3つと言ったのに、次第に細分化されて増えていった)。まず第一に、ドイツ語は学術言語としては敗北したという事実。第二に、翻訳不可能な精神科学のドイツ的性格といったものは存在しないこと。ただし、ここでその特徴と見なせる点は次のように挙げられた(一部、メモと記憶が曖昧)。1.深さ(?)、2.反省性、3.哲学との対話(思弁的=冒険的性格)、4.学術的でなければならぬという要請(ただしその基準ははっきりしない)、5.「上手に書くこと」の要請、6.こうした伝統の支配と同質性、7.社会との緊張関係、8.比較的若い世代に存在する、こうした価値へのノスタルジー。

ここでグンブレヒト氏は「ドイツ精神科学の輸出した成果」は何であったかという次のテーゼ(?)に移る。ひとつはフランクフルト学派である。米国のスタンリー・フィッシュなどは、アドルノが手がけたような社会批評は書かない。もうひとつは概念史である。歴史家ラインハルト・コゼレックによる概念史はこの講演で何度も取り上げられ、国際的なその影響の拡がりが指摘されている。ドイツ流のメディア学の影響力はドイツ国内にとどまっており、国際的ではない、というのがグンブレヒト氏による診断だ。その他、音楽学のダールハウス、受容美学のイーザーなどの名が、コゼレックと並ぶかたちで言及された(ベンヤミンやヴァールブルクといった名も当然のものとして挙げられた)。

次のテーゼは精神科学の「機能」をめぐるもので、それは社会を先導する「方向付け」に求められた。そのために必要とされるのは、しかし、「沈思(Kontemplation)」である。ドイツ精神科学が国際的な成果を得るために何がなされるべきかという最後のテーゼでグンブレヒト氏は、1.キマイラ的な国際性を目指すのではなく、そのアイデンティティを活かすべきこと、2.フランスなどと比べて豊かな社会的受容層の存在、3.ベルリン文学・文化研究センターのような組織が十年以上も存続していることを誇るべきこと、といった点を指摘した。

講演の終わりにグンブレヒト氏が再び触れたのは「沈思(Kontemplation)」である。「研究ではなく沈思」。それこそが精神科学の領域である。沈思とはこの場合、文学や哲学のテクストを慎重に読むことであり、そうした沈思の時間を与えるゼミナールはあらゆる学生にとって必要である。つまり、むしろカレッジ的な教育こそがなされるべきであるというのが、この講演のたどり着いた点と思われた。スタンフォードで長く教え、欧米各国の知的状況を踏まえたうえで、こうした古典的な教養教育への回帰を唱えている点に興味を覚える。

続くディスカッションは司会進行がうまく機能せずにやや散漫な展開だったが、ヴァイゲル氏がまず、ベルリン文学・文化研究センターは、ディルタイが直面したような自然科学の勝利に対する対応を、しかし、自然科学対精神科学といった二項対立の彼方へ向けて展開しようとしている点を強調した。問題なのは、解釈学的・歴史的な知の衰頽という非歴史化の傾向である。歴史が孕んでいる複雑性を、純粋に技術的な思考やグローバル・イングリッシュの支配に対して守らねばならない。その複雑性は言語の歴史性である。

言語をめぐっては、翻訳不可能性(そのデリダ的「ディフェランス」)を強調するヴァイゲル氏と他の参加者との間で対立があった。グンブレヒト氏は「あらゆる誤読もまた生産的である」と言う。だが、本質的な問題点は共有されていたと思う。途中では、「上手に書くこと」が制度的には必ずしも高く評価されないとか、自然科学とは違って「アブストラクト」は精神科学には無意味だとか、プラトン以外の哲学書の英訳はひどいとか、いろいろ本音めいた発言も出た。外国に作られたドイツの研究所やゲーテ・インスティトゥートなど、外部にドイツの学術成果を広報し、広める組織についても話題になった。

ヴァイゲル氏は自分固有の言語内における「ディフェランス」と、異なる思考様式への関心の必要性を改めて説いた。そのうえで、ドイツの精神科学が注目される大きな理由は、「著者たちの魅力」にこそある、と指摘した。「翻訳不可能なもの」がある以上は、翻訳を通した紹介にあたって、原典の翻訳に加えて、さらにそこで用いられている概念の解説が必要であるという。これを受けてグンブレヒト氏は、ギリシア語習得をめぐるみずからのトラウマ的体験も交え、翻訳を使って論じる可能性を主張した(ここですかさず亡くなったキットラー氏がギリシア、ギリシア語に向かった点が指摘されたが)。グンブレヒト氏は最後に、歴史的文書すべての電子化の可能性という、過去(のテクスト)との関係に変容をもたらす技術的変化について触れたが、この論点は展開されずに終わった。

グンブレヒト氏には近年のドイツの大学改革を批判し、むしろフンボルト的な大学の理念と実践の伝統に立ち返ることを説いた著書もあり(未読)、こちらをいずれ参照して見解を確認しておきたい。それにしても、見るからにエネルギッシュで活動的な彼の口から多く語られた言葉が「沈思(Kontemplation)」であったことは印象的だった。テクストを中心にした孤独な沈思と共同の対話の貴重さ。

文化的公共圏の豊かさという点も重要だ。グンブレヒト氏が触れた新聞の文芸欄のほか、統計的根拠はないが、そもそも人文学関連の書籍出版について、ドイツは決して停滞してはいないように思われる(書店の数は明らかに減っていると感じるが)。日本の出版業界が壊滅に向かっているという記事(「出版状況クロニクル43(2011年11月1日~11月30日)」参照)を読むにつけ、この点は大きな差であると感じざるをえない(人文書は最も売れない本の業界であり、危機も深刻ではないか)。日本では人文系雑誌もかなり数を減らした。特定の著者・編者の本や雑誌だけがある種のマーケティングの結果として売れるだけでは意味がない。この点での学術書の生態系を考える必要がある。少部数だからといって、電子書籍やネット上のサイトで十分ということにはならない。書籍というかたちにまとめる過程での、長時間に及ぶ「自己翻訳」の、「遅れ」の、「事後性」の時間こそが貴重なものだからであり、書籍という人類が長い時間をかけて作ってきた情報のパッケージング形態ゆえの長期的な保存性は、まさにその保存性ゆえに時代を隔てても読まれうる可能性を人文知に与えてきたからである。それこそが「沈思」を支えてきたのだ。

日本語とドイツ語では人文学、人文知をめぐる状況がまったく異なる。そもそも日本語は明治以来の概念形成の悪戦苦闘を経てもなお、学術言語になりえたのかどうか、確信をもって言える状況にはない。それはつまり、ドイツ精神科学のように「輸出実績」を誇れないからでもある。ヴァイゲル氏が述べたように、原典の翻訳とともに概念の解説を丁寧におこなったうえでの学術成果の発信が求められるのだろう。

これは「日本思想」や「東アジア思想」の古典(古代から近代までの)についてのみ適応されることではない。今現在の日本語における思考もまた、同じ翻訳を経なければならない。ありていに言って、ヴァイゲル氏の言う「著者たちの魅力」の「著者」もまた、ベンヤミンやヴァールブルクであり、すでに数十年前に死んだ人々である。しかし、当然ながら、ドイツ精神科学の未来は、この現代において生きている著者たちのテクストの魅惑にこそかかっているはずであろう。とすれば、日本語においてもまた、事情は同じである。現象としての日本文化の商品価値にもたれかかった「思想」ではない、魅力あるテクストとしての日本語による思想が媒介され伝達されなければならない。

グンブレヒト氏がドイツ精神科学の特徴として挙げた点のいくつかは、日本の人文学者もまた共有しているように思われた(自分がドイツ精神科学に近いところで自己形成したという事実を割り引いても)。例えば、哲学との対話(思弁的=冒険的性格)、学術的でなければならぬという要請(ただしその基準ははっきりしない)、「上手に書くこと」の要請、こうした伝統の支配と同質性、社会との緊張関係、そして、こうした価値へのノスタルジーである。では、今後はどう進めばよいのか。グンブレヒト氏の最後の指摘にあったように、キマイラ的な国際性は避けねばならないとして、日本の人文学にとって、拠るべきアイデンティティは必ずしもはっきりしない。ベルリン文学・文化研究センターのような組織を長期持続させてきたドイツの研究教育政策に匹敵するヴィジョンは日本の政府にはなかった(COEの場合に見られるように、せいぜいが5年単位で、あとは関係者個人の尽力による)。

組織・制度論はここでは措く。官僚機構の無策をまた嘆いても始まらないこともあるが、政策的枠内でのベストを目指すことはひとつの罠でもあるからだ(シニカルな距離を維持したとしても、そこに取り込まれている以上は制度的には奉仕しているに等しい)。今回の会議を聞いていて思ったのは、こうした問題が、律儀に公論として語られることの貴重さである。さらに極端なことを言えば、あらゆる既存の枠組み(大学の国際競争力とか、資金的な裏づけとか、国際学会のしきたりとか、すべてのレベルのフレーム)に逆らって、思弁的=冒険的に、社会との緊張ある関係を人文学は追求すべきなのではないか。いったん徹底した「沈思」と、沈思における対話にこそ、向かうべきではないか。

こうしたことをあえて書くのも、日本社会の実情、大学の制度的実態を知って、冷静な状況判断をしようとすればするほど、学者の発想がひたすら官僚化する傾向にあることを感じるからである。「なるほど頭では人文学はこうあるべきだとわかっている、(しかし、実際にはこうするのが制度的にはベストだ)」という分裂した意識(一種のフェティシズム)で学者的良心は維持されているが、実態としては人文学の内実は空虚になるばかりだ。

ともあれ、「研究ではなく沈思」というグンブレヒト氏のスローガンは記憶に深く刻まれた(思えば「じっくり/あとで考える(nachDenken)」もまた沈思の意味であった。)。翻訳不可能性と誤読の生産性をめぐる対話も大きなヒントになった。日本語という周縁的な、いまだ誕生過程にあるのかもしれぬ学術言語は、翻訳不可能性と誤読の間を彷徨しながら、他言語との格闘を通じて、絶えず自己翻訳による生成を演じなければならぬのかもしれない。ここに書き綴ったものもまた、翻訳過程のただなかでほとんど失語して沈思を強いられた結果の、途中経過的な産物である。当然ながら誤読も多いだろうが、その点はここから生み出されるかもしれぬ思考によって贖おう。テクストへの沈潜と沈潜しうるようなテクストを書くこと──恐ろしく単純だが、最も困難で危険な営みが待っている。

Website

Profile

田中 純
東京大学大学院総合文化研究科・教授
TANAKA Jun, Ph.D.
Professor
The University of Tokyo

Profile (日本語)
Profile (English)

J-GLOBAL 研究者情報
J-GLOBAL English

科学研究費交付実績

『政治の美学』情報

最近の画像

2017年4月

            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            
CURRENT MOON

過去のブログ記事