ハンス・ウルリッヒ・グンブレヒト『なぜ精神科学を改革しなければならないのか』 - Blog (Before- & Afterimages)

ハンス・ウルリッヒ・グンブレヒト『なぜ精神科学を改革しなければならないのか』

「ややアメリカ的な問い」という副題がついている。2010年6月8日にオスナブリュック大学で行なわれた講演の記録。

グンブレヒト氏は2007年に慶應大学で「大学の人文学に未来はあるか?」という講演をしており、記録が公開されている(PDF)。現代ドイツという文脈を離れた人文学の趨勢については、二つの講演は重なる部分が多い。
講演の冒頭で「これはマニフェストだ」という挑発的な言い方をグンブレヒト氏はする。米国で教えているという距離を自分自身で揶揄しながら、無責任な 放言を演出する。しかし、結果にはこの講演は、ドイツにいては制度に縛られ、ある程度は自覚しても言説化できない問題を明快に論じた内容になっているよう に思われた。

グンブレヒト氏が大学に籍を置いてからというもの、ドイツの大学が改革に明け暮れぬときはなかった。トロツキーの永久革命の 夢がまるで実現したかのように。この改革の果てに、大学の精神科学はなお生き延びうるだろうか、という問いをグンブレヒト氏は立てる。そして9つの点からそ れを検討してゆく。

最初の三つは歴史的な検証である。まず第一に、19世紀初め、国民文化の過去を知るために中世のテクストを読む過程で、ド イツにのみ文献学的な読解の技術が生じた。グリム兄弟やロマン派のこの伝統から、ドイツ固有の歴史哲学的な背景をもった文献解釈が発展する。こうした屈折した=反省的な「国民的」過去への接近方法は、英国やフランス、米国にはなかったものだという。

グンブレヒト氏は、フンボルトが大学改革案で 「研究室」と「ゼミナール」について繰り返し語っていること、ギムナジウムと大学を峻別し、知識の伝達のみを行なう前者に対して、後者にはあらたな知識の 創造を求めたこと、そしてそのために、研究室やゼミナールにおける教師と学生の小集団を重視した点に注目する。第三の点については、日本での講演に同趣旨の発言があるので、そこから引用する。

セミナーや研究室は、様々な世代の様々な種類の熱意を持った人 たちがお互いを刺激しあうことができる場であり、それゆえ何かを生みだすことのできる場だというのです。教員は学生にプラトンを「教える」としても、教員 が熱くなるところと学生たちの熱くなるところは色合いが違います。つまり、互いの存在の意義は、教員がプラトンについての知識を学生に伝達するという関係 のみにあるのではなく、むしろ相互にインスピレーションを与えることができるというところにある。このように大学は様々な種類の熱意が互いに刺激しあう場 所なのだ、というのです。

フンボルトによれば、このような環境が保たれるためには、国家は大学を財政的に支える義務がある一方で、そこにおける知的活動に絶対干渉してはならない。国家の要請に応えるような知は、大学が創造するべき真に新しい知ではないのだから。

第 二点は19世紀末における精神科学の成立に関わる。技術に転用可能な自然科学の勝利によって、精神科学は差異化の必要を迫られた。ディルタイの解釈学に代 表されるように、精神科学は解釈によって「意味」を追求する学問となることによって、それを果たそうとする。実証的な心理学はそこから排除される。グンブ レヒト氏がディルタイにおける「解釈」という営みで注目するのは、それが原典そのものに即したオリジナルな意味へと徹底して向かうがゆえに、その目標がし ばしば「エキセントリックなもの」「自分の生活世界の外部にあるもの」になる、という点である。これはのちの展開に関わる。

しかし、この ようにみずからを基礎づけた精神科学は「誕生のトラウマ」を抱えることになる。そのトラウマとは、現実との絆を喪失してしまうのではないか、という不安で ある(このあたりについては日本での講演に詳しい記述がある)。要するに、自然科学は感覚を通じた世界認識であるのに対して、精神科学は概念による世界 認識、つまり解釈を扱う、というかたちで自己規定した結果、自然科学的な世界参照関係を捨ててしまうことになり、制限から自由すぎるあまり、自らが曖昧だと感じ たり、具体性に欠けると感じたりすることになってしまうのである。

第三点は20世紀後半における精神科学(世界的には人文学)の流行をめ ぐっている。グンブレヒト氏は、「誕生のトラウマ」による現実喪失の不安が、極端から逆の極端に揺れ動く精神科学の流行を形成してきたと見る。戦後すぐに ドイツで「内在的解釈」としてもてはやされたものは、英米圏のニュークリティシズムなどから影響を受けた、実用的な世界からおよそ遠ざかったものだった。 続いて振り子が逆に振れ、数学的に厳密な方法を標榜する構造主義やロシア・フォルマリズムが流行し、現実との接点を求めてマルクス主義が興隆する。すると 今度は、「言語的転回」が訪れ、構成主義、脱構築、ヘイドン・ホワイトらのニュー・ヒストリシズムの時代となる。そのあとにやって来たのが、英国発祥のカ ルチュラル・スタディーズであり、あるいはアイデンティティ・ポリティクスで、これらも現実との関係の回復をもたらそうとするものだった。しかし、その後は停滞=不況期が 到来し、過去20年間ほどは新しいパラダイムは現われていない。

第四点としてグンブレヒト氏は、精神科学をめぐるこうした歴史のなかでと くに、「言語的転回」や脱構築、ニュー・ヒストリシズムがどんな外的効果を生じたのかを検討する。これらの動向に内在していた「現実そのものは認識しえな い」とするような傾向は、米国で批判の対象となり、アラン・ブルームに「ニヒリズム」と呼ばれ、ソーカル事件ではパロディ化された。こうした経緯は精神科 学の傷として、今日にいたるまで長く影響を残している。

第五点として叙述されるのは、最も近年における改革の波である「ボローニャ・プロセス」と「エ クセレンス・イニシアチブ(卓越した大学)」である。このあたりから現在の状況が関わるため、やや詳しく要約しよう。滅多に指摘されないことだが、この二つ の同時並行にはパラドックスがある。ヨーロッパ圏での大学教育の標準化と相互開放を進めるボローニャが大学を完全に開いて、知の純然たる伝達機関と化そう としているのに対して、他方では同時にエリートの養成が目論まれているのだから。このエリート主義にグンブレヒト氏は、ドイツの学問の輝かしい時代(20 世紀初頭)を再現したいというノスタルジアを見ている。

エクセレンス・イニシアチブ (卓越した大学)」によって大学に導入されたのは、精神科学にとっては新しい形態の制度だった。「センター・オブ・エクセレンス(COE)」はミュンヘ ン、フライブルク、そしてゲッティンゲンにもあるが、高額な不動産を買わない「卓越した大学」はひとつもなかった──それがいったいどんな機能を果たすの かよく理解することなしに。どの「卓越した大学」にもCOEがあり、いたるところに「大学院共同コロキウム (Graduiertenkolleg)」[「学部卒業の優秀な学生が、博士課程でさらに研究を続けられるようにするために設けられた大学の機関」 「Graduiertenkolleg では、15 ~ 25人の学生が、大学のそれぞれの研究分野において、博士号などの取得を目指す」→参照]がある。どの大学にも共同研究、とりわけ特定研究領域のための組織があり、そして最後に、外部資金獲得の不断の奨励があるというわけだ。

わ たしの見方が正しければ、ここから二つの構造的帰結が精神科学に生じてきた。精神科学に対する助成の構造形態が、今日ほど自然科学に対するそれに接近させ られたことは、いまだかつてなかったとわたしは思う。特定研究領域は長い間、自然科学のみに向けた助成制度だった。わたしはたまたま、当時ボーフムで教え ていたために、精神科学で最初の特定研究領域のメンバーだった(SFB19「19世紀における知識と社会」)。そしてそこでは、自然科学から「ネットワー ク化(Vernetzung)」のイデオロギーと自己規律が輸入された。わたしたちは際限なくネットワーク化のディスカッションに時を費やし、あらゆる催 しで、自分たちがどれほどインテンシヴにネットワーク化されているかを示さなければならなかった。そして、今日になってわたしは、これはそもそも本質的に 精神科学に適した研究形態なのだろうかと自問している。

挑発的な言い方と断わったうえで、グンブレヒト氏は、今日のド イツの少なくとも「卓越した大学」におけるほど、精神科学に資金の投入されている場所も時代もほかにない、と言い切る。しかし、それが必ずしも精神科学に とって良い結果をもたらしているわけではない。精神科学に資金提供が不足しているという嘆きは、だから、グロテスクであり、自分の大学(スタンフォード大 学)で学長に精神科学の特定研究領域の設立を提案したら、精神病の緊急病棟にすぐさま送られるだろう、とまでグンブレヒト氏は言う。

続 く第六の点として、「エクセレンス/ボローニャ」という二重の改革の波に対して、可能な構造的対抗としてありうるのは、「フンボルト的ゼミナールの現前の 文化」ではないか、とグンブレヒト氏は示唆する。なぜなら、ボローニャ・プロセスが目指すインテンシブな知識の提供という方向が徹底されれば遠隔教育に帰 結せざるをえないからだ。では、精神科学における「研究」という、もうひとつの側面ではどうだろうか。この問いが次の第七の項目で取り上げられる。

そ もそも精神科学固有の社会的機能とは何か。グンブレヒト氏はそれを四点で示す。1.フンボルトの理念にあった「革新的知の生産」、2.これもフンボルトが 堅持したゼミナールという形式、3.解釈が単にもっともらしい意味のみならず、現在の次元を越え出てエキセントリックな状況にまで達する可能性、4.二ク ラス・ルーマンが指摘した次のような理念──「システムとしての学問は、他のあらゆる社会システムとは対照的に、複雑性を還元するのではなく、つまり、問 題を無条件に解消してしまうのではなく、複雑性を生み出し、複雑性を高め、世界をより複雑にするのである」。ルーマンは「問題を解くのではなく、問題に執 着し、問題を大きくすること──そのようにしてこそ、精神科学を実践する価値があるのです」と語ったという。

では、なぜ世界をより複雑にす ることが重要なのか? それによって、起こりうるかもしれない変化の可能性が創り出されるからだ。複雑性を増すことで、社会はよりフレキシブルになる。グ ンブレヒト氏は複雑性を高める精神科学の思考を「リスクのある思考」と名づける。それは日常的な実践では用いられない思考である。ここで二つの例が挙げら れているが、これも日本での講演と同じなので、そこから引こう。

さて、想像して みてください。この講演の後、あなたはひどい腹痛に襲われる。はじめは講演のせいだと考えるけれども、そうではない。医者に行くと、こう言われる。石井さ ん、虫垂炎ですね、外科に行ってください。そこで外科に行くと、明日の朝手術しようということになり、朝になると外科医から次のように言われる。石井さ ん、おめでとうございます。あなたは、私が新しい方法で虫垂炎の手術をする患者の第1 号ですよ。あなたはいやだと思う。リスクを伴う考えがあなたを用いて実践されることになるからです。技術・学術の革新は進んでほしいけれども、自分がその 外科医の実験台になるのはいやだ。そこであなたは、臨床研究と基礎研究というものがあって欲しい、つまりリスクを冒すことができる特定の制度的な空間が別 に存在して欲しいと思うのです。日常的な制度の中でリスクフル・シンキングが横行するのは喜ばれません。リスクというものは日常的な場においては好まれな いものであり、リスクを冒せる制度的な場がそれとは別に求められるのです。

さて、2 番目のより高級な例です。1988 年にジャック・デリダが客員教授として初めてドイツを訪れた際の話です。1988 年は、マルティン・ハイデガーの伝記的事実をめぐって人文学界に世界レベルの議論が巻き起こった年です。ご存知の通り、この偉大なドイツの哲学者は 1945 年ナチの終焉までその党員でもあり、ナチの一員としてフライブルク大学の総長を務めていました。デリダは、ハイデガーが20 世紀で最も偉大な哲学者であると、ちらりと口にしました。私にはこの意見が正しいかどうかわかりませんが、ともかく彼はそう言ったのです。すると、ある学 生が質問しました。「デリダ先生、ハイデガーが20 世紀で最も偉大な哲学者だなんて、よくそんなことが言えますね。ナチのイデオロギーに加担していたことをご存知ないのですか?」と。それに対するデリダの 答えは、リスクフル・シンキングの見事な例となるものでした。その答えを思い出すと私は鳥肌が立ちます。なにしろ私は1948 年のドイツに生まれたのですから。とは言え、デリダの答えはまさしくリスクフル・シンキングの偉大な手本だと思います。彼の答えはこうでした。「私はもち ろんハイデガーがナチだったと知っています。誰もが知っていることです。問題はそこではないのですよ。問題は、果たして彼が、ナチスのイデオロギーに与す ることなしに20 世紀で最も偉大な哲学者になり得たかどうかということなのです。」私は、ハイデガーがナチのイデオロギーに加担しなくても偉大な哲学者でありえたはずだ と、そして、おそらくは加担していなければもっと偉大な哲学者だっただろうという答えを今日でも望んでいますし、そう信じています。けれども、私が主張し たいのは、社会の中でこのような質問が許される場がひとつあるべきだということです。このような問いは、公共の場ないしテレビにはむいていないものだと思 います。高校でなされるべき質問でもないでしょう。唯一、この問いを発することが可能な場所が大学であり、その中でも人文学なのだと思います。

ちなみにドイツでの講演では、「ハイデガーはハンナ・アレントと結婚し、亡命しなければならなくなって、米国でもっと良い哲学者になった」という、リチャード・ローティが考えたフィクションが紹介されている。

こうした「リスクある思考」が語られるにふさわしいのは、大学のゼミナールの会話のみであろう。だが、とグンブレヒト氏は続ける。「それはまた、孤独な状況においても起こりうるだろう」と。

ほ とんどタブー視されている沈思という概念を、精神科学のために再び強化することに、わたしはいささかの関心がある。もちろんわたしは、精神科学がつねに 「敬虔な」沈思のなかで完遂されなければならないなどと考えているわけではない。しかし、精神科学はひとが沈思のための時間を自分でもてるような場でなけ ればならない。

ここから二つの制度的な帰結がもたらされる。まず第一に、精神科学は自然科学に対して、より大きな距離をもつべきである──その差異によってこそ生産的であるために。精神科学者が行なうのは「リサーチ」ではない。精神科学の「研究(Forschung)」とはむしろ沈思の謂いであろう。

そ して第二に、次のような問いを立ててみるべきだとわたしは思う。本当にこれほど多くの巨大研究と共同研究が、これほど多くの外部資金が──などという声を 聞きたくない気持ちはわかるが──、そしてネットワークが、精神科学が積極的な成果を目指すために必要なのだろうかと。

リオタールが言ったように、われわれに残された唯一の可能性が革命的であることだとすれば、必要なのは、あらかじめ定められていない目的のために集中して、対話のなかで世界をより複雑にすることなのだ。

第 八点ではさらに具体的に、精神科学の側から大学政策についてなされうる提案が次のように述べられる。第一に、精神科学は共同研究やネットワーク化を今後放棄 すること──他の学者と対話することで、いずれにせよネットワークは出来るのであり、そのために「ネットワーク化プログラム」は必要ない。第二に、大学院共 同コロキウムと大学院生への助成金を、将来大学教師として組織が彼らを吸収できる規模にまで縮小すること。これは学生の将来を考えた社会的責任の問題としてであ る。

グンブレヒト氏は最後に、精神科学なしでは大学は専門化した知識伝授とテクノロジーのみの場となってしまい、知的な場所ではなくなる だろうと言う。そこが知的な場であり続けるために、どの大学にも必要な最小限の教師陣とは、二人の哲学者、二人の言語学者、四人の歴史家、そして三人の文学研究者である──この、本気ともアイ ロニーともつかない、古典的で、かつ、極限まで縮小された大学における精神科学のヴィジョンによって、グンブレヒト氏の講演は締めくくられる。

歴史的な回顧はおおよそ妥当だろうし、現状批判の多くも、似たような日本の状況を顧みれば首肯できる。ゼミナールでのみ語られる「リスクある思考」とは、人文学のある種の密教化であろうか。スタイナーの書物が思い起こされる。人文学における知の伝承は、結局はこのかたちに行き着くしかないのかもしれぬ。

ただ、最後で示されるヴィジョンはあまりに後ろ向きで退嬰的過ぎないか。「リスクある思考」、つまり、「危険な思考」が実体としては語られない(講演では語られえない)ための隔靴掻痒の印象だろうか。共同研究もネットワーク化も大勢の大学院生も要らなければ、人文学に巨大な資金など確かにまったく不要だろう。本質に向かってそぎ落としてゆけばそうなる。そして、そこには一理あって、ほとんどの提案に賛成したくなる。

いや、むしろ、最後のヴィジョンを帰結として示すことが、グンブレヒト氏の「リスクある思考」というわけか。途中の提案にすべて同意すれば、結末としての「リスク」はこうなるのだと。しかし、そのリスクを含めて、一度は考えてみるべき挑発的な提案ではある。

これとは逆に、日本の大学が世界のなかで置かれている状況から演繹して、人文学の生き残りの道を模索する動きはいろいろあったし、これからもあるだろう。その場合、状況論的に受け入れざるをえない前提をひとつずつ承認してゆくと、答えは決まってきてしまう。その手の議論に閉塞感を感じていたので、グンブレヒト氏の、むしろ反時代的な提案には、思わず共感した。

ドイツでは、ディルタイが19世紀に直面したような自然科学の圧倒的勝利とそれに対抗した精神科学の純粋化に対応する営みを、今現在のコンテクストにおいて別の次元で展開しようとする試みとして、自然科学と精神科学の越境なり融合の方向性を探る、ベルリン文学・文化研究センターなどの活動が盛んだ。ただ、このフレーム自体が政策的な要請に合わせた、グンブレヒト氏が批判するような「精神科学の自然科学化」の一環と見えないこともない。ある種の官僚的発想に精神科学の問題設定や研究内容そのものが侵食されている側面を感じてしまう。こうしたプロジェクトを進めるには、そうした発想に対する強靱な批判の意志が必要だろうし、自然科学の「意味」をどう「解釈」して、エキセントリックな経験にまでもち来たらせるかという徹底性が求められるのではないだろうか。

グンブレヒト氏が言っているのは要するに、コアの部分にまで戦線を縮小し、出来る限り撤退して、精神科学固有の価値(それは固定した価値ではなく、「革新的な知」を創造するという運動の価値)を守れという提案である。背後には制度的な圧力に対する防衛が迫られているという切迫した事情がある。大学の制度的変化に応じた精神科学の変質によってすべてを失うか、それとも「リスクある思考」が息づくことのできる空間をわずかでも残すか──この二者択一しかない、という切羽詰まったヴィジョンだろう。危機感はそれだけ深いと言うべきか(しかし、社会全体にとっては所詮、コップのなかの嵐である)。

心情的には非常に理解できる。自分の課題としては、グンブレヒト氏がフンボルトの理念を検証し直したように、日本語において形作られてきた人文学や人文知的な思想の生成過程やその教育の理念を通して、この言語における「人文学」(とりあえずそう呼んでおく)の歴史と限界、可能性を改めて見直さねばならないのだろう。それは「研究」ではなく「沈思」の対象として。なぜならこれは、あれこれの学問共同体(ネットワーク)で議論するための「リサーチ」ではなく、個人としての生き方に関わる問いだからだ。

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田中 純
東京大学大学院総合文化研究科・教授
TANAKA Jun, Ph.D.
Professor
The University of Tokyo

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