Blog (Before- & Afterimages): 2012年2月アーカイブ

2012年2月アーカイブ

『ムネモシュネ・アトラス』近刊

アビ・ヴァールブルク、伊藤博明、加藤哲弘、田中純『ムネモシュネ・アトラス』、ありな書房、2012年、総ページ数768ページ、B5版、定価24000円。3月30日刊行予定。
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ムネモシュネ内容紹介


黒いスクリーンのパネル上に図像を多数配置することで、ヨーロッパにおけるイメージ記憶の地層を探索したアビ・ヴァールブルク最晩年のプロジェクトについて、写真による記録として残された最終ヴァージョン63枚を、網羅的かつ統一的な方針のもと、徹底的に読み解いた解説書。オリジナルな解題2種類のほか、詳細な人名・事項索引付き。パネルの写真はもとより、参考図版を多数収録。

構成(カッコ内は担当者):
序(伊藤)
最終ヴァージョン63枚のパネル解説(伊藤・加藤・田中)
ヴァールブルクによる序論(加藤訳)
序論解説(田中)
解題(田中)「ヴァールブルクの天球へ(AD SPHAERAM WARBURGIANAM)──『ムネモシュネ・アトラス』の多層的分析」
解題(伊藤)「不在のペルセウス(Perso inesistente)──『ムネモシュネ・アトラス』と占星術」
文献一覧(伊藤)
索引(伊藤)

最終ヴァージョン63枚の画像
Fig04.jpg

講師は4人、鈴木了二、七里圭、冨永昌敬、中谷礼仁の各氏。二人の映画監督の作品は面白そうだ。一時帰国を鈴木、中谷両氏にお知らせしておらず、サプライズを意図したため、正体を見破られないように、マスクをしたまま、うつむいてメモを取る。

主題は鈴木氏の作品を七里氏が撮影した《物質試行52:DUBHOUSE》、および1992年の作品《物質試行35:空地 空洞 空隙》。残念ながら、今回の映画祭で観る機会を逸してしまった。以下はやや順不同な印象記。

「映画を撮るときに建築のことは考えない、結果として映り込むもの」という冨永氏の言葉が印象的。つまり、建築は映画において最も意識されないもの、映画の無意識なのかもしれない。それがある場合には反転して、無意識がスクリーン全体を覆う。それが鈴木氏の言う「建築映画」だろう。極めつきの建築映画としての『ドイツ零年』。

冨永氏はナイーヴに語っているように見えて、かなり本質的なことを言っていた。鈴木氏の作品を七里氏が撮影した映画について、人が出てこないけれど、これは一種の劇映画だ、と言う。あとでそれを、鈴木氏の建築はそこで映画のセットになっていたと言い換えていた。これは重要。つま り、ドラマ=出来事が起こる、起こりそうな、あるいは起こってしまった場であるということ。さらに縮尺の曖昧さによる実物と模型の区別の困難さ。このセッ トに登場する人物はいったいどんな大きさかなのか。アアルトの「小さい人間」の話を思い出す。

七里氏の語りは非常に明晰。映画と鈴木氏のDUBの親和性や、物質試行51が光のショーを展開していたがゆえに52の映画が構想された という話は、一面ではもちろん了二建築の本質に根ざすのだが、しかし、このあまりの親和性は同時に危険性でもあるだろう。映画=建築の自家中毒。その点で 物質試行53で鈴木氏がこの親和性を裏切り、七里氏がその事態に気づいていたこともまた、この二人の深い認識を示している。

鈴木氏の自作解説。映画のロケに使われたアパートは「建築」だが、いわゆる(建物ではない)建築は「建築」ではない、という視点の逆転。この場合、カッコ付きの「建築」とは映画と同義なのだ。俗に言う「いい建築」を映画に撮っても「建築」は写らない。つまり、イメージにならない。逆に、アパート を撮影しても「建築」は写りうる。つまり、イメージになりうる。この逆転の感覚が鈴木氏の建築の基盤なのだが、ここにも同じ陥穽があって、では、あらかじめ映画になるような「建築」を建てるとは、いったい何を目的とした営みなのか、という素朴な問いが残される。

詳しく書き出すときりがない。あとはキーワードのみ。鈴木氏のフィガロ・プロジェクトという謎のプロジェクトの話。ここから俄然Ryojiワー ルドに入り込み、ピラネージ、ブレ、ルドゥといった革命建築の話題から、53に関係するテラーニのダンテウムへ。 3つのF──Fukushima, Film, Figaro。そして、モーツァルトのFigaroとブレの霊廟建築との同時代性──つまりは、革命における「新しい人間」と「新しい建築」との同期性。

注目すべきはここで七里氏が二番目のFに言及し、物質試行53はすでにFilmでは撮影できないのではないか、と語ったこと。そうかもしれない。鈴木氏がかつて書いたように、映画が亡霊の時間、すべてが終わったあとの時間だとして、彼の建てるセットはすでに、その映画のさらにあとの時間へ向かっているのかもしれない。亡霊たちすら立ち去ったあとの空間、セット──そこに登場するのはいったい誰なのか?

ということを最後に質問。実は、映像メインの集まりなのだから、映像を見ていない自分にはあまり質問する気はなかった。だが、他に質問者もいないよ うなので挙手。おもむろにマスクをとって顔を見せて、中谷氏と鈴木氏を驚かせ、してやったり(今日の目論見達成)。ダンテウムでは天国のホールを抜けると帝国の間があり、その突き当たりにはMの字を具象化した巨大な鷲の紋章が配置されていたはず。これはムッソリーニのMを暗示し、「新しい人間」としてのファシストの象徴であろう。
とすると、映画の終わったあとのポスト映画のセットである53、この新たな「建屋」に登場する人間ないし人間ならざる者とはいったい誰なのか? 鈴木氏は「革命家」にほかならず、DUBとは革命であろうが、その革命の舞台の登場人物とは誰なのか? つまり、Figaroとは、今、誰なのか? 

鈴木氏はこれに対して、例えば七里氏と二人で対座する際、二人の間にマルグリット・デュラスのための場所を空けておくといった行為の例を出し、さらにハンナ・アレントが引用している、「自由」をめぐるルネ・シャールの詩に言及することで、いわばこのセットそのものが「自由」の場所として空いているのだ、と答えたように思う。リベルテ。革命の理念。

鈴木氏は自作(解体される模型)の映像を残す理由について問われたもうひとつの質問に応えて、「喪われたのちにこそ顕われるもの」について語った。「喪われたのちにこそ顕われるもの」とは復活かそれとも幽霊か。 マタイ受難曲が話題になっていたが、それが復活であるならば、カトリシズム的に理解されたゴダール的な映画の希望にとどまるだろう。では、鈴木氏がかつて語っていたようにそれは幽霊か。いや、すでに物質試行53──ということは鈴木了二の視点で理解されたテラーニ──はさらにその先に行こうとしているのではないか。いまだありえなかった回帰、ありえなかったものの到来。自由の到来という真の革命の理念。

質問に応える際に鈴木氏が触れたように、自分の問題提起はやや「ストーリー」を強引に作りすぎたものであったかもしれない。だから、これもまた深読みかもしれないが、鈴木了二という「革命家」の言葉と模型によるアジテーションに触発された妄想としてでも書き留めておきたい。とはいえ、18世紀末の革命建築が言及され、ほかならぬテラーニ──「革命」としてのファシズムの純粋きわまりなき追求者──が召還された場において、3.11以後の現在、その「現場」の「建屋」に登場するFigaroとは誰なのか、という問いは、おのずと生じてしかるべきものだったはずだ。──いずれにせよ、フィガロ・プロジェクトという謎の「陰謀」(?)の行方を刮目して待ちたい。
 
シンポジウム終了後、物質試行53の内部を見せてもらうこともでき、迫力ある「建屋」の図面各種も実見できた。逆パースによる----未来を一挙に手元に引き寄せた──革命の時間性(あるいは最後の審判をめぐる黙示録的時間性)の表現。

追記:
鈴木氏が言及したハンナ・アーレント『過去と未来のあいだ』序文に引かれた、詩人ルネ・シャールの言葉。

「われわれが一緒に食事をとるたびに、自由は食席に招かれている。椅子は空いたままだが席はもうけてある。」(À tous les repas pris en commun, nous invitons la liberté à s'asseoir. La place demeure vide mais le couvert reste mis. )
──『ヒュプノスの綴り(Feuillets d'Hypnos)』(1946年)より。

このアフォリズムのかたちをとった詩的断章集は、シャールがレジスタンス運動に加わっていた1943〜44年に書かれている。ちなみにヒュプノスとはギリシア神話の「眠り」の神である。
昨日届いた『思想』のフリードリヒ・キットラー追悼特集。3人の日本人研究者による追悼文のほか、キットラー自身によるニクラス・ルーマンの追悼文「ベルリン動物園は、一体まだあるのかね?」を所収。キットラーのテクストは含みが多くて難解だが、いろいろ考えさせられる。タイトルは「ベルリン動物園」駅でのキットラーとルーマンとの会話のなかで、ルーマンが尋ねた言葉、「それはまだあるのか」と。「一体」と訳されているeigentlichのニュアンスは「そもそも」だから、「ベルリン動物園」駅に二人していながら、「そもそも」「ベルリン動物園」などというものはまだあるのだろうか、と。存在と無のあいだで宙吊りにされる場所の名前。

この追悼文は、ルーマンをめぐるいくつもの小さな物語(この場合、キットラーの聴き取ったオーラル・ヒストリー)から織りなされた、きわめて巧みな語りの産物と言えるだろう。虚々実々なその語りのなかに、同時代知識人たちの姿が立ち現われては消え、たとえばハーバーマスやズーアカンプ社への遠回しの揶揄が織り込まれる。物語作者としてのキットラー。訳者である旧友・大宮勘一郎氏がいかにも好みそうなテクストでもある。優れたベンヤミン論の書き手である大宮氏がとりわけ好んでいた「物語作者」の一節(ヘロドトスが語る敗残のエジプト王プサンメニトスの話)を思い出す。ベンヤミンは「物語」なるものを、遠い歳月ののちにも発芽し生長しうる、ピラミッドの密室内の穀物の種子に譬えた。ベンヤミンの言葉を引こう──

「情報は、それがまだ新しい短い瞬間に、その報酬を受けとってしまっている。情報はただこの瞬間にのみ生き、自己を完全にこの瞬間にゆだね、時をおかずに説明されねばならない。物語はまったく違う。物語は消耗しつくされることがない。自己の力を集めて蓄えておき、長時間ののちにもまだ展開することが可能なのだ。」(高木久雄・佐藤康彦訳)

そして、このとき、ある直感が訪れる。──追悼が死者を不滅のものとする営みであるならば、追悼文は幾度も再生する「ピラミッドの密室内の穀物の種子」としての「物語」を孕むのではないか。ルーマンはキットラーの語る物語を通して、そんな種子としての「死後の生」を与えられたのだ。そして、今、キットラーもまた。
──不死なる者たちよ。

大宮氏はその追悼文の末尾で、キットラーの著書に献呈の日付を書き入れてもらった際の、ある錯誤行為の思い出を記している。キットラーはドイツ語の慣用である「日・月・年」の順で 8.5.1945 と書きこんだのである。これは、連合国に対するドイツの無条件降伏の日付だ。大宮氏がその錯誤行為を指摘すると、笑みを投げ返すと、事もなげに、/2001と書き足したという。8.5.1945/2001──彼の著書『書きこみのシステム1800/1900』を連想させるスラッシュ。「シボレート」(ツェラン/デリダ)としての日付。この日付は、ほとんど極小の姿となった、あの物語という種子ではなかろうか。大宮氏はその追悼文の末尾に、この物語の種子を反復し展開するようにして、こう記している。──(8.12.1941/2011)。

「シボレート(合言葉)」として書きつけられたこの極小の物語に、不死の者たちの世界へ立ち去ろうとする人に向けた、忘れがたい別れの身振りを見た。

ベルリン、シュプレー川、2012年2月4日

氷が溶けて割れ流れてゆく。

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田中 純
東京大学大学院総合文化研究科・教授
TANAKA Jun, Ph.D.
Professor
The University of Tokyo

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