シンポジウム「アビ・ヴァールブルクの宇宙」読み上げ原稿 - Blog (Before- & Afterimages)

シンポジウム「アビ・ヴァールブルクの宇宙」読み上げ原稿

6月30日に行なわれたシンポジウム「アビ・ヴァールブルクの宇宙」読み上げ原稿を公開します。[P1]などとあるのはスライド番号ですが、これら図版類はネット上での公開を見合わせます。
[P1]『ムネモシュネ・アトラス』の通時態と共時態

田中 純(東京大学)

 ヴァールブルクにとっての『ムネモシュネ・アトラス』は絶えず変化し続ける産物であり、いわば終わりのない「開かれた作品」でした。ですからそれは、時間的変化としての「通時態」と、ある段階における「共時態」の二つの側面から分析されなければなりません。本日の発表のタイトルはここに由来しています。つまりわたしの発表では、『ムネモシュネ・アトラス』が扱っている「イメージの歴史」それ自体ではなく、『ムネモシュネ・アトラス』を構成するパネル群の通時的変化と共時的構造が話の焦点になります。この点をあらかじめご承知ください。

 [P2]今日の発表の前半は、共時態の構造に着目します。具体的にはまず、ムネモシュネ・アトラスの最終ヴァージョンと呼ばれるものの分析結果についてご紹介します。これはわれわれの書物の解説として執筆した内容です。
 次に通時態の側面について、ヴァールブルクがムネモシュネ・アトラスと並行して実現した展覧会や講演会における図像パネルとの関係を考察します。
 以上が前半の内容です。

 発表の後半では、すでに先行するお二人の発表でも用いられた実物大の写真パネルをはじめとするいくつかの模型を使って、ムネモシュネ・アトラスというアビ・ヴァールブルクの一種の「記憶術」の技法を考察します。これは最終的に、本日のテーマが前提としている「通時態」と「共時態」がそこでどのように関係しているか、つまりはヴァールブルクが「時」「時間」「歴史」をムネモシュネ・アトラスによってどのようなものとして取り扱おうとしていたのか、という問題に帰着することになるでしょう。

 では、共時態分析についての説明を始めます。
 [P3]はじめに基礎的な情報を述べておきます。ムネモシュネ・アトラスの制作は1926年頃から開始され、写真によって確認されるヴァージョンは3種類残されています。最初のものが1928年5月5日付で43枚のパネル、次のヴァージョンが1929年時点の69枚のパネル、そして、ヴァールブルクの死によって写真で記録された最終ヴァージョンとなったものが、同じく1929年8月末以降作成の63枚のパネルです。われわれの本はこの最終ヴァージョンの解説です。

 ムネモシュネ・アトラスはパネル上ないしパネル間で図版が頻繁に移動されていましたから、日々変化していたと言っても過言ではありません。しかし、その変化のプロセスのなかで、ヴァールブルクがはっきりと一定段階のヴァージョンのみを写真で記録に残したという事実は無視できません。本書でわたしが試みたのは、この最終ヴァージョンの内部構造の解明でした。そのプロセスは次の4段階をたどりました。

[P4]
1.パネルの内容的連続性をたどるシークエンス分析とそれに基づく分類
2.1から帰結する周期的構造としての「ムネモシュネ・アトラスの周期表」の発見
3.情念定型のテーマ群に絞ったパネル群のクラスタ分析
4.3を核とした、ムネモシュネ・アトラス全体のクラスタ分析による「ヴァールブルクの天球図」の作成
 
 ここで意図していたのは、最終ヴァージョン63枚のパネルの関係性の解明であり、分類です。各パネル内部での図像同士の関係性については本書で各パネルの解説として、詳しく論じていますから、今度はその上のレベルで、各パネル間の関係の解明と分類を試みようというわけです。

 ではまず1のシークエンス分析から。
 [P5]これが63枚の全体像です。プロローグ的な役割を果たすパネルA,B,C以外は、各パネルには数字で番号が振られています。自明なことのようですが、ムネモシュネ・アトラスはこの番号に沿って、おおよそ時代順に構成されています。そして、本書が各パネルについて詳述しているテーマや内容を踏まえると、パネル1以降は、番号順に大きないくつかのグループに分割できること、また、そのグループの間にリンクとなるパネルが配置された構造をなしていることが読み取れます。ここではその結果のみをお手元の配付資料の資料1で示していますので、ご覧ください。

 この分析ではパネルの番号順はいっさい変化させていません。グループ間のリンクとして機能するパネルの存在が示しているように、ヴァールブルクは番号順に隣接するパネル同士を非常に注意深く関係づけています。これはパネルを単に時系列に沿って並べるだけではなく、パネル全体ないしそれが含む図像のテーマの共通性によって、パネル同士を滑らかに連結し、『ムネモシュネ・アトラス』が連続したシークエンスを形づくるように配慮していたことの表われと言えるでしょう。

 さて、このグループ分けを通して気づくのは、たとえば占星術に関するグループIとグループIIIのように、番号を隔てて関連するパネル群が現われていることです。そこで次に、パネルの順序を変えないまま、こうした位置の離れたグループの関係性を視覚的に表わそうと考えました。[P6]その結果として描き出されたのが、「ムネモシュネ・アトラスの周期表」と題したこの図1です(配付資料のなかにあります)。全体が左右と上下に連番を維持していることはご覧いただけるでしょう。パネルA,B,Cは性格が異質なので、時代区分を記した表の外に出してあります。とくにパネルAは『ムネモシュネ・アトラス』全体に関わるため、孤立しています。

 この表の内部では、ある先行するパネルに対して、同じテーマを扱っているなど、関係の深いパネルがその直下に来るように配置されています。例えば、パネル4の下にパネル8,33、35などが並ぶといった具合です。
 そのようにしてできた周期表からは4つのクラスタが浮かび上がりました。それが「占星術」「祝祭」「熟慮」「情念定型」の4グループです。とくに、パネルの数は少ないものの、「祝祭」と「熟慮」という二つのクラスタが浮上してきたことは発見でした。
 
 パネルの配置順序がこのように周期構造をなすのは、『ムネモシュネ・アトラス』が、ひいてはヴァールブルクの生涯の研究テーマが、「残存」や「再生」に関わっていたからでしょう。ほぼ時系列に沿ったパネルの流れのなかで、古代に形成された原型は、ルネサンスと17世紀オランダ、そして、近現代という、三つの「死後の生」の時を迎えています。ですから、こうした周期表が生まれるのも、ある意味では非常に自然なことなのです。そして、この周期性に注目するとき、例えば近現代における「熟慮」を表わすパネルの不在に気づかされます。この点はあとで時間があれば触れましょう。
 この周期表は、こうした発見のためのツールです。
 
 ここでひと言注意を促したいのですが、パネル同士が形成する構造を問題にする以上、各パネルのテーマを総合的にとらえる、いわば「観相学(physiognomy)」的な把握、一種のパタン認識が必要になります。その場合、パネル上の個々の図像の多様性はある程度捨象しなければなりません。したがって、ここで示しているクラスタリングはあくまでひとつの配置の可能性であり、パネル所属の細部はいくらでも変更がありえます。しかし、パネルが構成する集合のこの大局的な構造それ自体は、ムネモシュネ・アトラスが内在させているマクロなパタンとして、大きく揺るがないのではないかと思われます。

 では、次に情念定型のテーマに絞ったパネル群のクラスタ分析に移りましょう。
 情念定型の図像やパネルは相互に関係し合うテーマ系がとても多く、腑分けが非常に困難でした。そのため、ここではいくつかのテーマ群に絞り、それらの関係性によって織りなされるパネルのネットワーク構造を探ることにしました。そのテーマ群とは、次の通りです。
[P7]「ニンフ」「河神」「頭を手でつかむ身振り」「上昇と墜落」「女性の略奪」「狂乱の母(子どもを奪われる母と子どもを殺す母)」です。それぞれ代表的なイメージをお目にかけましょう。

[P8]「ニンフ」
[P9]「河神」
[P10]「頭を手でつかむ身振り」
[P11]「上昇と墜落」
[P12]「女性の略奪」
[P13]「狂乱の母(子どもを奪われる母と子どもを殺す母)」

 クラスタ分析は次のような過程をたどりました。
1)「ニンフ」なら「ニンフ」というテーマを含むパネルをすべてピックアップする。
2)その情報を今度は逆に、パネルがそれぞれどのテーマを含んでいるかを示す一覧表に変換する。当該のテーマがそのパネルに含まれていれば1,含まれていなければ0を値として一覧にしたものが表1です。[P14]
3)表1のデータに対して、「階層的クラスタリング」と呼ばれる統計処理の分析を加え、各クラスタの関係を示す樹形図(デンドログラム)[P15]を描く。ここでは統計処理ソフトRを用いました。
4)この樹形図(デンドログラム)を参考に、パネル群のクラスタ分割を確定する。

 本のほうには以上の手順を詳しく書いておきましたので、樹形図(デンドログラム)を描くプロセスなどの詳細はここでは省略します。
 ともかく、ここでやりたかったことは、6つのパラメーターから出発することにより、統計処理で浮かび上がるクラスタリングを「発見法的に」活用することでした。結果が有意味であれば良かったのです。ですから、ここでも最終的にクラスタを確定したのは、パネルの観相術であり、パタン認識です。

 分析過程の説明を大幅に省いて、結果のみ示しますと、配付資料の資料2[P16]のようなA群とB群への大きな二分割と、それぞれの群内部でのクラスタ分割がなされました。英数字はパネル番号です。各クラスタにはそれぞれの特徴を表わす名称をわたしが付けています。

A群:
占星術の伝播と北方的古代表象:C, 2, 20, 21, 27, 32, 36, 48
古代の原型と北方の古代表象:4, 33,
太陽神と支配者:8, 34, 71
占星術と河神:23, 54, 56, 58
北方の古代表象と南北の祝祭:24, 28/29, 35, 61-62-63-64

B群:
嬰児虐殺と女性の略奪:5, 40, 70
さまざまなニンフ:6, 25, 39, 50/51, 72, 79
勝者の情念と上昇:7, 44, 55
イタリアの古代受容とデューラーの情念定型:37, 57
殺戮と受苦の情念定型:41, 42, 73, 76, 77
ニンフの変容:45, 46, 47

 これらのクラスタ間の関係を吟味したうえで、A群、B群それぞれの核になるクラスタは何か、といった観点を加えてダイアグラム化したものが、図2です[P17]。これが情念定型に深く関わるパネル43枚の組織構造です。それぞれのテーマを総合的に比較すると、A群とB群は「占星術、北方、河神」対「情念、イタリア、ニンフ」という対をなしています。
 繰り返しますが、あるパネルがどこに属しているかについては変動がありえます。問題はそうした小さな偏差を含んで揺れ動きながらも維持されるであろう「大局的な構造」のほうです。ムネモシュネ・アトラス自体が変化していたわけですから、A群とB群は部分的に融合する可能性も秘めた、ダイナミックな運動状態にあると見なしたほうがよいでしょう。

 この図2に、残りの20枚を加えることで作られたのが図3の「ヴァールブルクの天球」です[P18]。A群とB群のクラスタを星座に見立てて「天球」と呼びました。パネルAは、北極星のような存在となっています。
 もとよりこれは、『ムネモシュネ・アトラス』最終ヴァージョン63枚の仮の配置に過ぎません。しかし、ここでおのずから結晶した星座のいくつかは、ムネモシュネ・アトラスの核となるクラスタを示していると思われます。そして、左右に情念定型と占星術に分かれた星座群が並ぶ「両極性(ポラリティ)」の構造と、そこから距離を取った「熟慮」クラスタの配置もまた、『ムネモシュネ・アトラス』の基本構造であると言ってよいでしょう。ここで示した「周期表」と「天球図」は『ムネモシュネ・アトラス』を読み解くための、発見法的な道具です。このダイアグラムを通して、パネルや図像をもう一度見直したときに、どんな解釈の可能性が拡がるかこそが、重要であることは言うまでもありません。

 次に通時態の側面に移ります。先ほど述べたように、ムネモシュネには先行するヴァージョンがありました。それらの共通点と差異に基づいた、最終ヴァージョンにいたる生成過程が通時的分析の対象であることはもちろんです。しかし、先行ヴァージョンの資料や研究が十分でないため、ここではその詳しい分析は今後の課題とします。その代わりに、つい先頃、非常に充実したかたちで出版されたヴァールブルク著作集の新しい巻、この『図像シリーズと展覧会』の巻に依拠した簡単な考察を行なうにとどめます。著作集のこの巻はわれわれの本が出版されたあとに刊行されたため、残念ながら執筆中に参照することはできませんでした。

 この『図像シリーズと展覧会』の巻には、資料3にまとめたヴァールブルク文化科学図書館などにおける13の展覧会や講演会に用いられた図像シリーズの内容が再構成されています[P19]。ヴァールブルクはこうした場でもムネモシュネ・アトラスと同様の図像パネルを用いました。この書物にはそうしたパネルについての詳しい情報が記載されており、そこで使用された図像の同定がなされ、ドイツ語版著作集のムネモシュネ・アトラスに対応した形式で、詳しい図版情報が掲載されています[P20]。とくに貴重なのは、ムネモシュネ・アトラスに使用されたものと同じ図版について、ムネモシュネ・アトラスのどのパネルに用いられているかという情報が明らかにされていることです[P21]。

 そこでムネモシュネ・アトラスとこれらの講演・展覧会における図像シリーズとの関係を探るために、図4の2枚のダイアグラムを作ってみました[P22]。それぞれの中央に並ぶのがムネモシュネ・アトラス最終ヴァージョンの63枚、両脇に配置されているのが、各講演会や展覧会に際して用いられたパネル類です。同じ図版が共通して用いられている場合には、該当するパネル同士をリンクしました。複数枚重複がある場合にはその枚数に応じて線を太くしたり、線を増やしたりしています(ドローイング・ソフトの都合から、重複が8枚までは太線で、9枚以上の場合には8枚の太線+別の線を増やして表わしました)。

 これによって、どのパネル、どの講演・展覧会とムネモシュネ・アトラスのどの部分とが密接に結びついているのかが、視覚的にわかりやすくなったと思います。[P23]とくに1929年のギルランダイオ工房をめぐる講演とマネをめぐる講演は、ムネモシュネ・アトラスとの関係が際立って稠密なため、図を分けました。図4-2右手の「星辰信仰の歴史」もヴァールブルク死後のものですので、やや異質です。

 [P24]図4-1の講演会・展覧会のうち、左手に配置されている上の3つは情念定型をめぐる内容、右に配置されている上の3つは占星術をめぐる内容です。残りのうち、左手の上から4つめ「『稀覯書』の意義」はレンブラントを中心とした「熟慮」のテーマに関係すると言ってよいでしょう。他方、右手の下2つは「祝祭」のテーマに関わります。つまり、ヴァールブルクが1925年から28年にかけて行なった講演や展覧会は総体として、われわれが「ムネモシュネ・アトラスの周期表」で見いだした4つのテーマを扱っていたということです。これらに対して「切手図像の機能」はムネモシュネ・アトラスとの関係は希薄で、異質なテーマだったことが図からわかります。

 [P25]一方、1929年の2つの講演用に制作された図4-2左手のパネル群は、ムネモシュネ・アトラスの全体にわたって、きわめて多岐に亘り、きわめて太く密接な関係を有していることが一目瞭然です。しかもこの二つの講演会は互いに補い合うように、ムネモシュネ・アトラスの全体を網羅する結果になっていることも見て取れます。図4-1で講演会・展覧会の集団とリンクをもたなかったパネルのほとんどが、図4-2では左手の二つのグループのいずれかとリンクされています。これを逆に見れば、ギルランダイオ工房をめぐる講演とマネをめぐる講演のパネル群は、ムネモシュネ・アトラスを部分的に上演したような内容であったと言えるでしょう。

 つまり、ムネモシュネ・アトラスの図像群は、こうした講演会・展覧会を契機としてその都度、異なるコンテクストで幾度もくり返し使われてきたイメージであったということです。したがって、ムネモシュネ・アトラスの通時的分析を行なうためには、3つのヴァージョンばかりではなく、これらの講演会・展覧会を含めて、各図像がどのようなパネル上の配置を経ているかが追跡されなければなりません。その点は将来の課題です。
 
・・・・・・・・・・・・・・・・ここから後半・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 さて、では後半の「記憶術」の技法をめぐる問題に移りましょう。
 今回のシンポジウムのためには、すでにご覧いただいているムネモシュネ・アトラスの写真を実物大に引き伸ばした写真パネルのほかに、いくつかの模型を作ってみました。いずれも制作にあたってくれたのは、表象文化論研究室嘱託の下城結子さんと大学院総合文化研究科修士課程の原瑠璃彦くんと廣瀬暁春くんです。
 これらの再現模型や思考実験のための模型を作った目的は、ムネモシュネ・アトラスの制作やそれを使った講演会や展覧会におけるヴァールブルクの経験を追体験することです。ムネモシュネ・アトラスは書籍形態での出版を意図していたと伝えられていますが、ヴァールブルクのこの「作品」については、それをはるかに越え出る要素が多々あるからです。

 まず、実物大のパネルについて検討しましょう。現在われわれの元に残されているのは、パネルの実物ではなく、そのモノクロ写真のみです。実際のパネルの大きさは縦170センチ、横140センチくらいと推定されています。ご覧いただいている写真パネルはB0判ですから、縦145.6センチ、横103センチです。ですから、実物はさらに縦25センチ、横40センチほど大きいものとお考えください。あとでお見せする100号カンバスよりも大きいサイズです。

 しかし、このようにこれらの写真パネルは実物よりもやや小さめではあるにしても、現状ですでに、かなり威圧感のある大きさであることはおわかりいただけるでしょう。書物で見ているよりもはるかに生々しく図像が迫ってくる印象を受けます。ヴァールブルクは小柄でしたから、170センチというパネルの高さは彼の身長を大きく超えています。まず注目すべきは、以上のように「等身大より大きめ」というパネルのサイズです。

 次に色彩の問題です。ヴァールブルクは必要に応じて書籍そのものの切り抜きを使ったり、自分用に図像の写真を撮らせたりしていますが、いずれも当時の技術的条件を反映して、基本的にはすべてモノクロでした。そこで、「ベツレヘムの嬰児虐殺」を主題にしたこのパネル45について、可能な限り、図版をカラーにした再現を試みたのが、こちらです[ここで100号カンバスを披露]。これは100号カンバスを黒く塗り、ヴァールブルクの用いたものと類似した方法によって、カラー図版を一枚ずつ留めたものです。この図版は取り外して移動することができます。

 白黒の写真パネルと対比しておわかりのように、カラー図版を用いた場合、色彩の情報量が多すぎるあまり、図像の内容や、とくにヴァールブルクが注目した身ぶりの型である「情念定型」が判別しづらくなってしまいます。逆に言えば,白黒にすることによって、余分な情報がそぎ落とされ、「型」が浮かび上がるわけです。これはヴァールブルクがまさにギルランダイオの作品で注目した、単色の絵画技法であるグリザイユの効果です。このパネル45のギルランダイオ作品でもグリザイユの技法が用いられています。[P26]

 このパネルの中心をなす生々しい虐殺の場面の人物像も、モノクロの写真にされることで生々しさや生気を抜かれ、いわば「幽霊」と化した力ない姿で、ヴァールブルクの意のままに操ることのできる存在となるのです。つまり、図像のモノクロ化はイメージの過剰な力を抑制し、危険性の少ないものとして距離を取る方法にほかなりませんでした。

 しかし、そのように力を弱められてはいても、巨大なパネル上の図版はいまだに威圧的です。視界を塞ぐ大きさのパネルは、イメージの力に敏感だったヴァールブルクに対して、過去のイメージが次々と浮かび上がる巨大な魔法の「鏡」のように作用したのかもしれません。ヴァールブルクは助手たちと共同で記録していた図書館日誌に次のように書いています、

[P27]「ときどきわたしには、自分が心理の歴史家として、自伝的な反映映像におけるイメージ的なものから、西洋の分裂症状態を推し量ろうと試みているように思われる。かたや恍惚状態のニンフ(躁病の)、かたや悲嘆にくれる河神(鬱病の)の二者を、印象を正確に秩序づけて知覚する繊細な感受性の持ち主が、自分の行動の様式をその中間に見出そうと試みる両極として。古くからのコントラストの一組である活動的生と瞑想的生。」(1929年4月3日の『日誌』への書き込みより)

 ムネモシュネのパネルのスクリーンは「自伝的な反映映像」が投影される「鏡」であり、同時にそれが、イメージの歴史に宿る「分裂症状態」を映し出す場でもあった、というのが私の推測です。ジャン・コクトーの映画『オルフェ』における、冥界への入り口としての鏡を思い浮かべてもよいかもしれません。[P28]

 そしてさらに、パネル上の、とくに情念定型という人間の身ぶりを表わす図像群は、とりわけ講演においてヴァールブルク自身に同様の身ぶりを誘発したように推測されます。ヴァールブルクはこうした大きなパネル群によって囲まれた空間をあちらこちらと移動して図を指し示しながら、多くの場合には即興で、何時間も話し続けました。その講演者の身ぶりは、語る者の「パトス」を表わすものだったに違いありません。それはイメージの力に取り憑かれ、それを体現する儀礼にも似た性格を帯びていたように思われます。そして、そうした儀式の場を用意したのが、パネルによって囲まれた空間だったのです。

 [P29]さて、ヴァールブルク文化科学図書館の閲覧室は楕円形をしていました。これはケプラーによって発見された惑星の楕円軌道を、科学による啓蒙のシンボルとして表現したものです。このホールでの展示では、湾曲した一方の壁にパネルが並べられました[P30]。ローマのヘルツィアーナ図書館における講演では1メートル40センチの高さのパネル20枚が、図書館のホールの三方を合計14メートルの長さにわたって取り囲んだといいます。

 このように図像が周囲を取り囲む空間を作り上げたとき、ヴァールブルクの念頭にあったのは、伊藤さんも触れたスキファノイア宮の壁画や、あるいは占星術図像で壁が埋め尽くされたパドヴァのラッジョーネ宮だったのかもしれません。[P31]

 パネルで囲まれた空間は、ヴァールブルク自身の身体を使った講演というパフォーマンスないし儀礼ないしダンスの舞台装置、さらには、イメージをめぐる一種の「記憶劇場」だったと言っていいと思います。ヴァールブルクは情念定型を蓄電された「ライデン瓶」──静電気を蓄える装置──に譬えました[P32]。図像パネルに囲まれた空間はヴァールブルクにとって、エネルギーを蓄えた無数のライデン瓶が並ぶ、一触即発の状態にあったのではないでしょうか。講演のなかであちらこちらと移動しながら図像同士を関連づけ、それによってライデン瓶同士を接触させて「放電」させるヴァールブルクは、イメージ記憶のエネルギーによって充満した強力な「電場」を作り上げたように思われます。

 この記憶劇場という電場を身体で体験するために、今年の12月にはムネモシュネ・アトラス最終ヴァージョンのパネル63枚の展示をこの駒場キャンパスで計画しています。それはパネルの配置を自在に変えることのできる舞台装置となる予定です。そこで音楽やダンスのパフォーマンスをすることも考えられます。パネルが形成する舞台の空間を、パネルの配置をいろいろ変えてシミュレイトするために制作したのが、こちらの床上に並べられている63の縮小パネルからなる模型です。今現在は試みに渦巻きのモチーフで配置しています。休憩時間にご覧ください。

 ここまで、まず第一にムネモシュネ・アトラスのパネルがその大きさによって実現していたであろう記憶劇場としての性格、そして第二に、その際に図像をヴァールブルクにとって扱いやすい対象とするためのモノクロ化、という二点についてお話してきました。最後に指摘しておきたいのは縮小化=ミニチュア化という側面です。

 [P33]1928年から29年にかけてのヴァールブルクのイタリア旅行中に、ローマのホテルで撮影されたこの二枚の写真をご覧ください。壁際の大きなパネル上に、図像パネルそのものの縮小写真が掲示されていることが確認できます。これらは講演用のパネルの縮小写真です。[P34]当時の図書館日誌の記述では、「2つのフレーム」にムネモシュネの「およそ1300の図像」というメモがあります。ここから、ムネモシュネのパネルも同様に縮小された状態で、二つのフレームの上に掲示されていたものと思われます。図書館日誌のこの箇所でヴァールブルクはこう書いています。

[P35]「午後、ムネモシュネを2枚の麻地のフレーム上に配置。これでバビロンからマネにいたるまでの全体の組織構造(die ganze Architektur)を見渡し、容赦なく批判できる。」

 ムネモシュネ・アトラス全体の「建築的構造」を把握するためにヴァールブルクはこうした縮小化を必要としたわけです。

 先ほど見たモノクロ化同様、ミニチュア化もまた、イメージの恐ろしい力を弱め、それらを扱いやすくする方法だったように思われます。ヴァールブルクは、講演においてはイメージの力をパネル群の造り出す空間のなかで、自分の身に憑依させて、パセティックな儀式を行なう一方、思索の場ではイメージを極小化して操ることで、イメージ記憶の歴史の全体像を把握しようとしていました。切手への関心もここに由来すると考えることができます。
 
 さて、このミニチュア化を通じた記憶術をモデル化するために、ヴァールブルク自身は作らなかった模型を作成してみました。それがこの「ムネモシュネ・カード」です[ここでOHCにより、手元のカードを映写]。ヴァールブルクがムネモシュネ・アトラスで取り上げたタロット・カードに似ています。パネルの上で図版の配置を変え続けるヴァールブルクの手さばきは、タロット占いに似て、歴史の隠されたコンテクストを図版というカードの配置であぶり出そうとしていたようにも見えます。このムネモシュネ・カードは、今度は各パネルをカードにすることで、ムネモシュネ・アトラスの隠されたコンテクストを探るための道具です。
 そして、お気づきのように、今日の発表の前半で、わたしが「ムネモシュネ・アトラスの周期表」や「ヴァールブルクの天球図」として示したものは、このムネモシュネ・カードを用いたグルーピングと配置のゲームにほかなりませんでした。

 [P36]これは天球図に対応する並べ方です[P37]。また、[P38]こちらはおおまかに周期表をなぞったカードの配置です[P39]。[ここでOHCに切り替える。]

 何やら遊びじみて見えるかもしれません。しかし、ムネモシュネ・アトラスを「完全な大人のための幽霊の話」と呼んだヴァールブルクは、幽霊化した過去の無数のイメージを相手として、その力を自在に操りながら、彼らと戯れることこそを目指していたように思われるのです。それはいわば「時」と戯れることでもあります。

 実際にはこんなカードは作らなかったにせよ、彼の脳髄のなかではムネモシュネ・アトラスのパネルをミニチュア化したカードによるゲームが展開されていたのかもしれない。危険なイメージに対して距離を取り、「思考空間」を確保する必要性をヴァールブルクはくり返し説きました。しかし、他方で彼は、ミニチュア化された、時間あるいは歴史の「結晶」としてのパネルを、こんなふうに手で操作することで、イメージとそれが体現する「時」を手でつかみ操る、占い師めいた存在だったようにも思えるのです。実際に、ヴァールブルクは自分自身を、白魔術師になぞらえてもいました。もちろんその魔術は、迷信への退行ではなく、知的発見のための技法としてでした。

 さて、では、そこで何が占われようとしていたのか。あるいはさらに、われわれはムネモシュネ・アトラスをかたちづくるヴァールブルクの手つきを学ぶことで、何を占おうとするのか。ムネモシュネ・アトラスから出発して、イメージの歴史の過去と未来をめぐる認識を切り拓くことはどの程度可能なのか。──われわれの書物はそれを探るための基礎となる資料を目指したものでした。
 伊藤さんはヴァールブルクにペルセウスを見いだしました。そこにあるのはメランコリーの「重さ」とカルヴィーノの言う「軽さ」の両極性です。
 最後にいささか悪のりして言えば、現在の文化科学や人文学にとってのヴァールブルクとは、その思考の危うさと可能性の両面において、いわば「ジョーカー」にも似た両極性を孕んだ、「切り札」と見なされているのかもしれません。プエブロ・インディアンのカチナの仮面を被ったこのヴァールブルクのカードをそんなジョーカーに見立てましょうか。
 これで場にカードはすべて配られました。これらによるゲームは休憩のあとの討論に委ねたいと思います。(終わり)

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田中 純
東京大学大学院総合文化研究科・教授
TANAKA Jun, Ph.D.
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