書評パネル読み上げ原稿(表象文化論学会大会) - Blog (Before- & Afterimages)

書評パネル読み上げ原稿(表象文化論学会大会)

本日の表象文化論学会第7回大会企画パネルにおける、鯖江秀樹さんの著書『イタリア・ファシズムの芸術政治』についての書評読み上げ原稿を公開します。パネルではかなり端折ったところがあり、とくに最後の部分は断片的にしか話せなかったので、これによって補足させてください。
鯖江秀樹『イタリア・ファシズムの芸術政治』書評・読み上げ原稿
田中 純

 鯖江さんの著書は『イタリア・ファシズムの芸術政治』と題されています。「芸術政治」とは奇妙な言葉です。「芸術政策」といったニュートラルな言葉ではない。あとがきによると博論のタイトルは「芸術と政治」だったようですね。「芸術政治」と連続してはいない。著者によれば、「芸術」と「政治」が格助詞なしに連接された「芸術政治」という言葉は、両者のあいだに形成された「密接かつ曖昧で、場合によっては危うい関係」(11)を表わすものとされています。そして、本書では「イタリア・ファシズム」、つまり「ファシズモ」のこの錯綜した関係がつぶさに観察されていきます。イタリア・ファシズム「の」芸術政治──では、この格助詞「の」の意味するものは何なのか。

 本書の目的は「ファシズモの芸術」に「ひとつの輪郭を与える」(10)こととも言われています。その輪郭──曖昧で危うい輪郭──が「芸術政治」のひと言に凝縮されていると、とりあえずは言えるでしょう。他方で著者はまた、1926年10月5日にムッソリーニが行なった演説中の「創造せねばならない。われわれの時代の新たな芸術、arte fascistaを」というフレーズの「arte fascista」を「ファシズム芸術」と訳している。この場合には格助詞「の」は現われないわけです。ここでは、ムッソリーニの言説におけるファシズム(つまり政治)と芸術との「密接かつ曖昧で、危うい関係」が、このダイレクトな連接によって表わされているととらえるべきでしょう。

 格助詞ひとつに拘泥するのはトリヴィアルに見えるかもしれません。しかし、『イタリア・ファシズムの芸術政治』というタイトルが、単に「イタリア・ファシズムという時代の」という意味なのか、「イタリア・ファシズムの体制内における」の意味なのか、「イタリア・ファシズムなる政治現象固有の」という意味なのかでは違いがあります。そして、「芸術政治」という言葉そのものが、芸術と政治の関係性の、ある特定の様態を表わしている以上、それはすでに一語で、イタリア・ファシズム、ないしファシズモのその固有性を表現していることになるでしょう。いやしかし、格助詞「の」の存在には、そうした断言をどこかで控えさせるものがある。それはむしろ、「芸術政治」がファシズモ(イタリア・ファシズム)固有のものなのか、それともファシズム一般、全体主義一般、ひいてはより広いコンテクストについてありうる関係性なのか、といった疑問を喚起します。この点にはあとで立ち返りましょう。

 いずれにしても、鯖江さんの著書では、芸術と政治の関係が、単純なファシズム/反ファシズムの対立関係によるのではない、両者の複雑な絡み合いを通じて考察されています。そのとき、「芸術政治」は単にファシズム体制という「政治」内部の芸術、とくに美術・建築の位置づけや動向だけではなく、美術批評や美術史の言説をめぐる/その内部における「政治」をも意味している。そして、反ファシズム的とされるヴェントゥーリのような美術史家におけるファシズム的芸術政治の論理との通底性が読み解かれるといった、スリリングな展開もまたそこにもたらされている。鯖江さんの著書が、日本ではあまり知られていない側面から、ファシズモの「芸術政治」をめぐって、この時代の言説の襞を丁寧にたどって解読した、見事な成果であることは疑いありません。

 さて、本書では美術批評から芸術政策にいたるさまざまな論者たちの言説の、時系列に沿った配置を通じて、ファシズモと芸術の関係が浮き彫りにされています。具体的には、画家カゾラーティをめぐるゴベッティの美術批評、ボッタイの文化・芸術政策(これについては1930年前後と1940年前後の二つの時代での変化が示されます)、ヴェントゥーリの美術史学、ペルシコの建築批評です。そして、彼らの言説を分析するにあたって「方法」として選択されているのがグラムシの理論です。

 芸術政治のありさまを緻密に観察してゆくとき、ファシズム/反ファシズムの二項対立図式はもはや通用しない。その代わりにそこで浮上するのは、こうした論者たち自身に内在している両極性ないし両義性です。それはさまざまなレヴェルで表われる。ゴベッティについて言えば、一面での純粋造形批評に対するに別の面での「同時代の言い知れない不安や孤独」(42)という不可視なものへの着目です。カゾラーティであれば、ゴベッティばかりでなく、ファシズムに共鳴した批評家オッポによる評価という、対極的な二つの立場からの権威づけ、ヴェントゥーリの場合には、反ファシズムの英雄というパブリック・イメージの背後での、芸術集団内部のヘゲモニー争いへの積極的な政治的介入、ペルシコであれば、建築批評の言説を鋭利に批評する一方での、「「新しい国家」のための精神や魂の必要性を唱える精神論者」(172)という、「もうひとつの顔」です。そして、恐らく最も顕著な事例として、二つの章をあてて追跡されている、文字通り「両極性」を指針としたボッタイの芸術政策があります。

 わたしにとって、一番魅力的でありつつ、鯖江さんの分析を踏まえても十分には了解できなかった存在が、このボッタイでした。ボッタイの明晰さは、本書の登場人物のうち、彼だけが(というのは不正確で、彼と「もうひとり」だけが)、ファシズモの芸術政治が孕む両極性それ自体を意識化しえていた点に表われているように思われます。その背後には「芸術の可能性は、純粋さでも自律性でもなく、あくまで他領域との相互競合性――「社会的」とも呼びうる関係性──のなかに求められ」(81)るという認識があった。鯖江さんはボッタイを「知性あふれるファシスト」と呼び、「接触−分離」(「つかず離れず」?)という「原理」(98)を彼の文化政策の根底にある態度と見なしています。つまりそれは、国家と芸術が、一方が他方に融合することなく、接触しつつ分離した状態で展開する相互作用の重視や、ボッタイ自身が芸術の世界に一方的に没入することなく、つかず離れずの状態で芸術への働きかけを行なうという行動原理です。そこにこそ、一種の国家有機体思想にもとづく、ボッタイの「組織化の美学」があった。第5章で扱われる、1940年前後のボッタイが打ち出した一連の文化政策における、鯖江さんが言うところの「両極性の戦略」(196)も、「仮想敵」に対する対極を設定することで実行される組織化という点では同じでしょう。

 さて、わたしにとってのボッタイの謎とは次の点にあります──「彼はいったいどんな立場から発言し思考していたのだろうか」。言い換えれば、「諸領域の他律性を「組織化」すべく操る者の立場とは何か」。一般論として答えれば、それは「ファシズム体制内におけるテクノクラート」ということになるのではないでしょうか。ボッタイが特徴的なのは、彼がつねに「対抗的」テクノクラートであろうとしていることでしょう。しかし、いずれにしても、彼の発想は高度にテクノクラート的なものと言わざるをえないのではないか。そして、「組織化の美学」とは畢竟、国家有機体に貢献するある種の政治的「効果」を狙った機能主義に帰結するのではないか。

 鯖江さんの叙述からわたしが十分に理解できなかったのは、ボッタイのこの「立場」を規定していた、リアルに政治的で具体的な諸条件です。つまり、彼の政策が「対抗的」にならざるをえなかった、より現実的な要因としての、ファシズモの「芸術政治」の領域における、権力闘争の実態です。言い換えれば、一種の失脚ののちに不遇の時期を過ごした彼が、ムッソリーニとの関係のみにはとどまらず、ファシズムの文化官僚的テクノクラートたちの内部でどのような「競合的」関係にあったのかという政治的状況です。「両極性の戦略」が、ボッタイの「思想」である以前に、そうした権力闘争の函数であった可能性はないのでしょうか。これは当時のファシズモ体制に関するわたしの無知に起因する疑問かもしれないのですが、ボッタイの立場を理解するために知りたい点です。

 鯖江さんの著書では、ボッタイたちの両極性・両義性が鮮明になるとともに、ファシズム/反ファシズムの立場を越えた共通性もまた浮かび上がります。とりわけ、ボッタイとグラムシのあいだにおいて。たとえば、鯖江さんはボッタイの「相互競合性」(99)をグラムシにおける「翻訳可能性」と対応させ、さらに、ボッタイが語る「体制」に、グラムシの思い描く「国家」との共鳴を聞き取っています(215)。とすると、次のように問わなければならない──「グラムシにおける両極性・両義性とは何なのか」。すなわち、「グラムシにおけるファシスト・ボッタイ的なものは何なのか」と。グラムシにも国家有機体思想に共振するものがある点は指摘されており、第4章の註16ではグラムシの『獄中ノート』に「全体主義的とも言えるような「有機体メタファー」が論述のなかに多数組み込まれている」とあります。グラムシにおけるこの「全体主義的なもの」を鯖江さんがどうとらえているのかを、より詳しく知りたいと思います。

 この点を問題にするのは、本書では各テーマとなる論者の両極性なり両義性、その可能性と限界をめぐる展望が、グラムシを基準点として測定され、その基準点からの遠近が測られているように見えるからです。グラムシはそのとき不動点なのか。それともグラムシもまた相対化されるのか。それは本書の叙述の「方法」に関わります。

 次に「芸術政治」を論じるにあたってのこの「方法」の問題を、より原理的に考えてみたいと思います。ペルシコについて述べられる「批評言説を批評する」手法が、鯖江さんのこの著書の方法でもあるでしょうし、その有効性はそれによってもたらされた分析の深さによって裏づけられています。しかしそこには陥穽もあって、芸術と政治が「芸術政治」というかたちで連接し、両者間にあるべき距離が無化されてしまうといった現象は、実は「批評言説」においてしか起こっていないのかもしれない、とも疑うことができる。さらに言えば、作品そのものと批評言説の関係は、批評言説のみからは導き出せないのではないでしょうか。

 本書には「ヴェントゥーリは「芸術」を論じているようでありながら、それとは無関係のものを議論の中心に据えていたのである」(133)というフレーズがありますが、「批評言説を批評する」手法にはその危険がつきまといます。たとえば、テラーニのカーサ・デル・ファッショをめぐるペルシコの批評(168)はわたしには適切な評価とは思えないため、このような批評の歪みをどう解釈すべきかという点が問題にならざるをえず、とすると、カーサ・デル・ファッショそれ自体に関する独自な分析が必要に思われます。これはわたし自身が『政治の美学』や『ミース・ファン・デル・ローエの戦場』といった仕事を進めるうえで抱えた困難でもありました。「芸術政治」といったテーマのもとに「作品」、とりわけ、造形芸術や建築といった分野の「作品」とどのように向かい合うべきか、という点について、鯖江さんのお考えをうかがいたいと思います。

 鯖江さんは書物の末尾で「本書で検討してきた批評家たちのテクストから伝わってくるのは、むしろ「様式なき時代」にいることの不安や葛藤、あるいは切迫した危機感である」と書いています。確かに、ゴベッティがカゾラーティの作品に認めたのは「わたしたちの不安」でしたし、ペルシコもまた合理主義建築の死亡宣告にあたって、「精神的不安の証言としてでなければ」(154)という留保を付けていたのでした。

 この不安の根源に「様式=かたちの不在」があり、そこから発した「信じるに足る「かたち=様式」を追い求める姿勢」(59)が本書の底に流れる通奏低音であると言ってよいでしょう。造形芸術や建築を問題にするかぎり、このような「様式=かたち」は本来、可視的な「かたち」であるしかないはずです。にもかかわらず、本書の論者たち(画家カゾラーティをのぞく)は一様に、造形のこの具体的な現実から離れ、ゴベッティは文学へ移行し、ヴェントゥーリは目に見えない「プリミティヴ」なものの「啓示」という「純粋不可視性」の美術史家と化し、その弟子ペルシコもまた、宗教的で精神主義的な傾向の強い、来るべき様式を希求しました。さらに、ボッタイの戦略においても、「かたち=様式」は、芸術の内部ではなく、共同体の組織化という不可視なレヴェルに求められたと言ってよいでしょう。作品それ自体ではなく、批評言説だからこそ、不在の様式、来るべき様式を、このように語ることができた、と言うことも可能です。そして、鯖江さんの結論は、「ファシズモの芸術政治」の核には、不在となってしまっている「かたち=様式」を求める欲望がある、とも読めます。

 著者はそうした本質主義的な規定は回避して、こうした傾向性をあくまで、時代の声に耳を傾けて聞き取られたイタリア・ファシズムの芸術の「具体的特性」であると慎重に限定づけています。それは学術的には賢明な留保ですが、わたしとしてはもう一歩踏み込みたい。そのために、冒頭で触れた格助詞「の」の問題とも絡んで、ここで他の文化圏との比較を試みなければなりません。たとえばドイツ語圏の造形芸術や建築においては、アヴァンギャルドの芸術家たちが様式概念や様式的形態に拘束されたフォルマリズムを否定し拒絶したというのが、支配的な趨勢だったと思います。初期のミース・ファン・デル・ローエは激越な反フォリマリスムの立場を表明しましたし、バウハウスの構成員は「バウハウス様式」の存在を否定しました。実際には「インターナショナル・スタイル」と総括されるような様式的な形態・構成上の特性があったにもかかわらず、それは否認されました。そして、ナチズムは逆に、たとえば屋根の形状といった様式的な弁別規準を利用して、モダニズム建築を批判しました。

 ナチズムにおいて、「かたち=様式」とは明確な輪郭をもったゲシュタルトであり、正常で健康な、アーリア人種の男性身体のイメージなどと合体した鎧=甲冑であって、ボルシェヴィズムやユダヤ人に代表される、異質で混沌とした勢力、排除・抹殺すべき集団に対する防壁という意味を担っていたように思われます(テーヴェライトの『男たちの妄想』が明らかにした心理構造です)。とすると、ファシズモの芸術政治においても、「かたち=様式」の希求という時代的動向には、「かたち=様式」の不在こそを目指したり、あるいは、「かたち=様式」の生成を阻害したり脅かす存在と見なされた力との緊張関係が存在したのでしょうか。あるいはまた、ファシズムにふさわしい「ゲシュタルト」を性急に求めないで、「かたち=様式」の不在という不安を受け止め、それを超克する「かたち=様式」を探求し続けた点に、鯖江さんの著書で論じられた人々の独自な立場があったと考えるべきでしょうか。「かたち=様式」への欲望それ自体を規定していた諸条件について、鯖江さんのお考えをうかがいたいと思います。

 ここで先ほど触れた、不可視なものへと向かう精神主義的傾向に戻りましょう。ヴェントゥーリの美学の背後にはクローチェの「精神の純粋な表出」という命題があったと鯖江さんは指摘しています(133)。ボッタイがナチズム流の人種政策に対する対抗的な理念として語るものもまた「精神」でした(211)。一方、ここでドイツのミース・ファン・デル・ローエを比較対象とするならば、ミースがほとんどダダを思わせる徹底性において、従うべき「かたち=様式」のフォルマリズムをすべて否定・破壊しさったあとでたどりついた結論は、「建築とは精神的決断の空間的実現である」という1927年のテーゼでした。彼は建築を「精神・政治的問題」と呼び、さらに後年の1950年には「建築とは精神の真の戦場である」と述べて、「精神の決定的な戦闘は不可視の戦場においておこなわれる」と書いています。ミースはエルンスト・ユンガーの読者でしたし、カール・シュミットやハイデガーに通じる思想的傾向のもとにありました。1920年代の「精神的決断」ばかりでなく、後年における、精神の不可視の「戦場」といった発想にも、こうした傾向はいまだにはっきりとうかがえます。わたしが思うに、ミースの言う「精神」とは、建築における芸術的要素のダダ的破壊の挙げ句に、技術的構造のみに還元されたような「ほとんど何もない」建築空間になお残存している、幽霊じみた「ほとんど」不可視の何かでした。

 クローチェに淵源をもって、ヴェントゥーリやペルシコ、あるいはゴベッティも共有していたような精神主義的・倫理的な志向性(あるいは対抗的文化戦略として要請されたボッタイの「精神」)とミースのこうした建築思想における「精神」との間には、一定の類似性も認められるとはいえ、抜きがたい差異が感じられます。この点に関連して興味深いのは、「世代」の問題です。ドイツの場合、第1次世界大戦の敗戦による帝政の瓦解は伝統的価値体系の崩壊をともないました。そのなかで社会の各分野で急進的な勢力となったのが、戦場へと送り込まれていた「前線世代」です。1886年生まれのミース、88年生まれのシュミット、89年生まれのハイデガー、そして1895年生まれのユンガーなどは前線世代です。ちなみにヒトラーはハイデガーと同じ89年生まれでした。エルンスト・ブロッホは85年生まれ、ベンヤミンは92年生まれで前線世代ですが、スイスに逃れて兵役にはつかず、戦場には行っていません。とくに1920〜30年代のシュミット、ユンガー、ハイデガー、ミースに共通する思想的傾向の背後には、明らかに前線世代特有の時代経験がありました。

 他方、鯖江さんの著書に関連する人々の生年をたどると、マリネッティが1876年、ムッソリーニが83年、カゾラーティが83年、ヴェントゥーリが85年、サンテリアが88年、ロンギが90年、グラムシが91年、ボッタイが95年、モンターレが96年、マラパルテが98年、ペルシコが1900年、ゴベッティが1901年、テラーニが1904年です。盟友関係にあったカゾラーティとゴベッティでは20歳近い年齢差がある。この場合、彼ら全体がひとつの世代と考えるべきでしょうか。それとももっと細分化できる世代があって、時代経験に違いがあったのでしょうか。あるいは、そもそもドイツにおけるような世代論はイタリアでは有効ではないのでしょうか。つまり、イタリアの場合、ドイツの前線世代や敗戦のようにして、「かたち=様式」の不在をとりわけ強く経験した世代やこの不在をもたらすきっかけとなった時代の出来事というものははたして存在したのでしょうか。

 未来派の運動が戦争に先行したことや古典的芸術の伝統との強固な関係を見ても、ドイツのような敗戦にともなう文化価値の急激な転換とは異なる事情がイタリアにはあったように思われ、とすると、「かたち=様式」の不在による不安やそれが要請する不可視の「精神性」、そしてこの精神主義と全体主義イデオロギーとのあいだに形成された「芸術政治」の錯綜体は、ドイツとは異質なものだったのではないかと推測されます。この点について、鯖江さんのお考えを知りたいと思います。

 世代の問題を考えていて気づいたことは、「夭折者たちの系譜」とでもいった現象でした。戦死したサンテリアが享年28歳、ゴベッティがなんと24歳、ペルシコが36歳、テラーニが39歳、グラムシも46歳ですから早死にと言ったほうがよい。本書で重要なのはゴベッティ、ペルシコ、グラムシですが、これら夭折者たちは、生き延びてファシズモの終焉を見届けた人々とは異なる集団を形成しているように思える。彼らは、思想的可能性を早くに摘みとられてしまった悲劇性の裏で、鯖江さんが析出したような両極性・両義性の帰結を、徹底したかたちで経験せずにすんだとも言えるでしょう。これら夭折者たちの存在は、鯖江さんの書物に独特な陰影を与えているように感じられました。それはたとえばボッタイのようなしたたかな政治的人間とのコントラストも含みます。夭折者が死後、同世代や後続の世代に、何らかの委託を残す存在であるとしたら、ゴベッティ、ペルシコ(グラムシは言うまでもないでしょう)といった人々が、戦後のイタリア思想に委託したもの、その遺産としての知的インパクトについて、お教えいただければ幸いです。


 鯖江さんは「あとがき」でミラノでの《フィジーニ邸》との「遭遇」という体験について語っています。つまり、合理主義建築の一種の「廃墟」との不意の出会いについて。著者はそれを「ショック」だったという。建造から70年という時間が経過していることを、半ば廃墟化したように見える建築物が自覚させ、その自覚が「ファシズムの時代を生きたモダニストたちの熱気や切実な思い」という「時代の声」を甦らせるという課題の認識につながっています。

 わたしは5月にシチリアのパレルモを訪れたのですが、そこである建築物から鯖江さんとは別種の「ショック」を受けました。下調べもせずに町を歩いていて遭遇したこの建物です。Angiolo Mazzoniが1926年から1934年にかけて建てた巨大な郵便局です。最初は何の建物かよくわからずびっくりしました。様式的な特徴からファシズム期のものとは推測でき、旅行のあとで調べて、その推測が正しかったことを確認したわけです。わたしのショックもまた、この建物が70年以上前のものだという鯖江さんと同じ認識から来ています。ただ理由は違い、むしろ逆で、70年以上前のファシズム期の建物が現役であっけらかんと存在してしまうという事実への驚きでした。作品は、とくに建築は作者よりも長く生きる、生き延びてしまう。この驚きとは、異様で奇妙なオブジェが都市のなかに残されているというアナクロニスムにともなう眩暈だったようにも思います。

 「時代の声」を甦らせようとする鯖江さんの歴史家としての真摯な姿勢にわたしは共感します。そのこととは別の次元で、作品がこのように生き延びてしまっているという、この残存のあり方が孕んでいる歴史性や政治性もまた、「イタリア・ファシズムの芸術政治」のそれこそ「死後の生」として分析されるべき、澱のような何かとして残されているでしょう。そこには、一見すると偶然的だが実は単なる偶然ではない、無慈悲さがある。

 これは先ほど触れた「夭折」の問題にも関連します。9年前、わたしはコモのカーサ・デル・ファッショを詳しく見学する機会をもちました。この非常に奇妙な建物はその頃、財務関係の庁舎になり、「現役」で使われていました。当然のように、この建築は若くして死んだ建築家よりもはるかに長く生き延びています。テラーニにとって、おのれの「ファシズム建築」がこのようにして生き延びることは栄光だったでしょうか、それとも恥辱だったのでしょうか。

無意味な質問かもしれませんし、答えなどはありません。しかし、そう問わざるをえないものがある。「文化財」とは「野蛮の記録」であるとベンヤミンは書きました。暴力的なファシズム体制を体現しようとしたカーサ・デル・ファッショはその点で最初から野蛮の産物であり、さらに敗者となったファシズムのこの象徴を勝者である反ファシズムの体制が占有した点においてもまた、別種の野蛮を刻印されているでしょう。「夭折したモダニズム」としてのテラーニのこの合理主義建築は透明で純粋であるどころか、何重にも汚辱に塗れた野蛮の記録であるとも言える。

しかし、そこにはいわば「死者の眼」のようなものが宿っていて、それがファシズム以後の政治、芸術政治を冷たく見据えているようにも見える。錯覚でしょうか。この建築が異物のようなものとして残存しているそのあり方は、鯖江さんがブックフェアの選書リストのキーワードとした言葉を借りれば、「厄介な「近代」」のその厄介さ、執拗な残り方を示しているのかもしれません。「様式=かたちの不在」にともなう不安が先鋭化された時代を体現した建築物は、その過激さゆえに、この不安がいまだ解消されていないことを告げるようにも思われます。すなわち、問題は70年という歴史的な距離ではなく、むしろ、「不在」のアクチュアリティなのかもしれません。


鯖江さんの著書と小澤さんの著書をつなぐものに考えをめぐらすうちに、今回のパネル・タイトル「皮膚/表象としての建築/ファシズム」の中央部の「表象」と「建築」をぬけば「皮膚としてのファシズム」となることに気づきました。これは案外荒唐無稽でもなくて、ドイツ軍兵士の自己イメージにおいては、甲冑のように堅固な「皮膚」が問題になります。衛生や清潔といった観念と皮膚との関係を見ても、ファシズムの政治イデオロギーが皮膚をめぐる身体イメージと関わる局面の重要性は明らかです。

去る2月、ブレやルドゥといった18世紀の建築家たちとテラーニのダンテウムとが、現代日本のアクチュアルな課題と遭遇する現場に立ち会うことができました。映像と建築をめぐる建築家・鈴木了二さんの短いプレゼンテーションです。具体的には鈴木さんの作品《物質試行52:DUBHOUSE》を映画監督の七里圭さんが撮影した映像をめぐる話なのですが、途中から謎の「Figaroプロジェクト」をめぐる内容となり、ピラネージ、ブレ、ルドゥといった「革命建築」の話題から、物質試行53に関係するテラーニのダンテウムへ展開します。 そこで、3つのF──Fukushima, Film, Figaroというキーワードが出され、福島第一原発の事故を受けた、巨大プロジェクト「Figaroプロジェクト」が言及されました(詳細はわかりません)。そのプロジェクトの発想源になっているのは恐らくブレたちの霊廟建築であり、テラーニのダンテウムです。鈴木さんは、モーツァルトのFigaroとブレの霊廟建築との同時代性──つまりは、革命における「新しい人間」と「新しい建築」との同期性を指摘することで、社会的危機に対峙する建築のヴィジョンを示そうとしたように思われました。すなわち、「建屋」という無惨な建造物に対置されるべき「新しい建築」としての。

Figaroプロジェクトの詳細がわからないので、これ以上に紹介は出来ませんが、この建築的ヴィジョンの展開には眼を見張るものがあった。『非建築的思考』という鈴木さんの著書には「ロース・ゴダール・リベラ」と題された松浦寿夫さんの3つの質問に対する鈴木さんの回答が収められています。松浦さんは最後の問いとして「ファシズムの建築とは何か。それは同語反復なのか」と尋ねています。鈴木さんは、最初の2つの問いである、アドルフ・ロースの建築の評価、そして、ゴダールの映画『軽蔑』の舞台となったマラパルテ邸を論じることで、その問いに答えている。その論理をここで詳細にたどることはできませんが、鈴木さんはそこでリベラの(作品であるとされていた)マラパルテ邸やテラーニの作品に「建築を安定的に存続させてきた「場所性」」の喪失を見て、そのような極点を「建築の零度」と呼んでいます。そして、この建築の零度において、ゴダールが映画『軽蔑』で示して見せたように、「建築が映画となり、映画が建築となる」と言う。そして、このDis-locationalであるという存在様態においてかろうじて、「建築とファシズムとを区切る分断線」が引かれるのだと指摘する。しかしそれは、ファシズムと建築とが際どく接するかのようにも見える曖昧なラインでしょう。「芸術政治」の中央にあるのはこうした接線であると同時に分断線でもあるのではないか? 不可視化されたこの分断線がそこには走っているのではないか?

 「建築が映画となり、映画が建築となる」とは鈴木さんの一貫したテーゼですが、これをわたしは、「建築が歴史のイメージになる」と言い換えたい。それは危機的な瞬間に歴史家に対してひらめくような「イメージ」です。鯖江さんやわたしが経験したショックとは、そんな「イメージ」としての「ファシズム/建築」の姿だったのかもしれません。


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田中 純
東京大学大学院総合文化研究科・教授
TANAKA Jun, Ph.D.
Professor
The University of Tokyo

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