Gestalt / Gewalt ──石田圭子『美学から政治へ』書評 - Blog (Before- & Afterimages)

Gestalt / Gewalt ──石田圭子『美学から政治へ』書評

2013年12月21日に行なわれた書評会で読み上げた原稿です。
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Gestalt / Gewalt
──石田圭子『美学から政治へ──モダニズムの詩人とファシズム』(慶應義塾大学出版会)書評
田中 純

 石田圭子さんのこの著書『美学から政治へ』は、モダニズムの芸術、とくにフォルマリズムの傾向をもつ詩がファシズム的な想像力に接近し、モダニストたる詩人たちがファシズム体制に加担してゆく経緯を、単に歴史状況に強いられた偶然の出来事としてではなく、モダニズムの詩に内在する論理のひとつの帰結として描き出しています。その際に、モダニズムの詩における「形式」の革新や実験が、ファシズムのイデオロギーが提示する有機的な全体性に結びついてゆく思想史的・精神史的な過程が、「Gestalt」の概念を通じて鮮やかに浮き彫りにされています。言語の解体と再構成におけるあらたな詩の「形式」の追求は、いったん詩を現実の意味内容とは完全に切断するからこそ、その劃期的な再編成の原理として、統一的な全体性の「かたち」である「Gestalt」を要求する。そしてさらに、「Gestalt」が単なる「形式(Form)」とは異なり、ゲーテ形態学的な「原形(Typus)」を宿すものであるがゆえに、そこには原初の「神話」への志向性が孕まれる。だからこそ、それはファシズムにおける有機的全体としての民族共同体といった神話的理念とも親和性をもつものになります。
 こうした「Gestalt」概念を核とすることによって、この書物は、モダニズム詩における「美学から政治へ」という移行過程の思想的な背景をきわめて説得的に示しています。本書の主題であるフォルマリズムとファシズムとの内在的連関は、わたしが拙著『政治の美学』で取り上げた建築家ジュゼッペ・テラーニのように、同時代の他の芸術分野にも通底する問題であり、とくに非再現的芸術である建築は、詩のフォルマリズムとの接点が大きいだけに、「原形」という性格を潜在させた「Gestalt」概念による分析には大きな示唆を受けました。
 本書の構成自体もまたひとつの明確な「Gestalt」を有しています。ここで取り上げられる4人の詩人は、ナチズムやファシズムの支配体制におおよそ先行する詩人であるオーストリアのホーフマンスタールと英国のヒュームに対し、はっきりとナチズムやファシズムの政治体制に加担したベンとパウンドという2組に分かれています。そしてこの4人は、まずドイツ語圏のホーフマンスタールとベン、ついで英語圏のヒュームとパウンドというように、言語圏別に時代順に取り上げられており、モダニズム詩人たちにおける潜在的なファシズムとの親近性が、ファシズム体制への協力という自覚的な行動となって顕在化する推移が繰り返して示されます。そこに本書の「Gestalt」があります。

 さて、このような構成に応じて、本書に向けて提起されうるであろう大きな問いは2つあります。
1.ホーフマンスタールやヒュームに、プロト保守革命やプロト・ファシズムを見出すことは妥当か。
2.ベンやパウンドによるナチズム、ファシズムへの加担は、「Gestalt」概念によって十分に説明されるものか。
 わたしの答えは、1については、とくにホーフマンスタールに関して、ある程度は妥当だが、力点が異なる、というものであり、2については、「Gestalt」概念は重要な背景だが、彼らの選択には権力(Macht)ないし主権(Souveränität),そして、暴力(Gewalt)という要素がより深く関わっているのではないか、というものです。
 具体的に本書の記述に即して見ていきましょう。第一章の「ホーフマンスタールと保守革命」の場合、第2節の「保守革命とは何か」と第3節「保守革命とGestalt」で詳述されるワイマール共和国の保守革命思想やシュペングラーの文化形態学およびユンガーの『労働者』におけるGestalt概念に関しては、第6節で取り上げられるローゼンベルク『20世紀の神話』におけるGestalt概念を代表とするナチズムとの関連は明白であり、これらがプロト・ナチズムないしナチズムと同種の同時代的な思潮であったことは言うまでもありません。
 考えるべき問題は第4節と第5節のホーフマンスタール論の部分にあります。石田さんはホーフマンスタールにおける「Gestalt」の崩壊を、まず1902年の「チャンドス卿の手紙」に見出し、同様の崩壊とそこからの再生が社会的な経験として語られるさまを、1907年の「帰国者の手紙」に認めます。「チャンドス卿の手紙」が言語の崩壊経験を語っているのは事実ですし、多くの場合、それがホーフマンスタールの自伝的な告白として解釈されることも通例です。また、「帰国者の手紙」で示唆される、現実感の崩壊からの再生過程が、ある種の生の「全体性」や「Gestaltとしての形式」を志向しているように読みうることも確かでしょう。
 しかしながら、それが美的政治の道を用意し、新たな全体主義的社会と国家の創生を目指した保守革命の企図と重なってくるという本書の展望は、わたしがこれらのテクストを読んだときの印象からはいささかずれてきます。この点は解釈の問題になりますし、それは訳語の選択といった細部に関わってしまうので、ここでは詳しく述べません。ただ、のちほど触れるアドルノによるホーフマンスタール論の草稿をめぐってベンヤミンがアドルノ宛の書簡に書いている次のような言葉に、わたし自身はむしろ共感を覚えるとだけ、申し上げておきます──「ドイツの作家たちの体制追随(グライヒシャルトゥング[言論統制])をこの流派の、つまりホーフマンスタール自身の名のもとに語ることは、ぼくの考えからすれば、できない。ホーフマンスタールは1929年に死んでいる。きみがかれにたいして提起する刑事裁判では、かれは、ほかには何も担保がないにしろ、死をもって証拠不十分をあがなっているのだ。ぼくとしては、きみにあの個所を再考してほしく思う。ほとんど懇願したいくらいだ。」(1940年5月7日)1
 さて、本書では触れられていませんが、わたしが「チャンドス卿の手紙」でもっとも注目すべきであると考えるのは、それがいわば「事物の言語」について語っている部分です。具体的には、「身辺の日常的な出来事」を「あふれんばかりの生命(いのち)で[・・・]満たしながら立ちあらわれてくる」「まったく名のないもの」「名づけえぬもの」としての、「一箇の如露、畑に置きっぱなしの馬鍬、日なたに寝そべる犬、みすぼらしい墓地、不具者、小さな農家」2に関する描写です。これらの事物が帯びる「崇高なしるし」は、いかなる言葉も表わすことができない、とチャンドス卿は言う。それは逆に、こうしたしるしを表わすべき言葉の希求にほかなりません。そのような言葉をチャンドス卿は「ラテン語でも、英語、イタリア語、スペイン語でもなく、単語ひとつさえ知らない言語」「物言わぬ事物が語りかけてくる言葉」3と呼びました。
 さらに、そうした「事物の言語」とのもっとも強度ある遭遇体験はそこで、毒薬で死につつある断末魔の鼠のイメージという例を挙げて語られています。「それは恐るべきかかわりあいであり、これらの生き物のうちへと流れこんでゆくこと、あるいは、生と死、夢と覚醒、それらを貫いてとおる流体が、一瞬、これらの生き物のうちへと[・・・]流れこんだ、という感覚でした」とチャンドス卿は書いています。さらに、テクスト末尾で語られて忘れがたい印象を残す「クラッススのウツボ」という、もうひとつの「動物の死」のイメージもまた、「ある種の熱病めいた思考」、「言葉よりもさらに直接的、流動的で、白熱した素材をもってする思考」と関連しています。
 これらがいずれも「死ぬ動物」のイメージである点は、同じホーフマンスタールが「チャンドス卿の手紙」と「帰国者の手紙」のあいだ、1904年に書いた「詩についての対話」における、「象徴」の起源をめぐる供犠の物語に結びつきます。この箇所については『政治の美学』で言及しているので、その部分を参照しましょう。

対話者のひとりガブリエルは、神々の恐ろしい力に責め苛まれた男の姿を想像する。その男は、不安のあまり、眼に見えぬ恐るべき存在を喜ばせるために、暗闇のなかで鋭い小刀に手を伸ばし、自分の咽喉から血を迸らせようとする。そのとき、なかば無意識のうちに彼の手は豊かな牡羊の毛をまさぐった。そして、突然、小刀はこの獣の咽喉に閃き、温かな血が獣の毛皮と人間の胸や腕を滴り落ちた。「その一瞬、彼はそれが自分自身の血だと信じていたに違いない。」----
 
「一瞬、彼はその動物とともに死んだに相違ないのだ。だからこそ、その動物が彼の身代りになって死ぬことができたのさ。そしてその動物が彼の身代りになって死ぬことができたということが、偉大な神秘となり、偉大な不可思議な真理となったんだよ。こうしてそれからというものは、動物がこの象徴的な生贄に供されることになったわけだ。しかし、そのすべての基づくところは、その男もまた一瞬動物とともに死んだのだという事実、彼の生存が、ほんの一呼吸の間、他の生存のなかに溶けこんだという事実にあったのだ----これがあらゆる詩の根元なのだ。」
 
 殺した動物のなかでみずからもまた死ぬこと----それが「象徴的な行為」である。詩において、人は同様に象徴のなかに溶け込む。舞台上のハムレットが観客に催眠術をかけているあいだ、観客の感覚はハムレットのうちに溶け込んでしまう。詩に歌われた白鳥の羽はほんの一瞬、「ハムレットの皮膚」のように読む者を包み込む。
 死という極限状況における同一化が、ここでは詩の根源をなす象徴的行為として語られている。それは他者の「皮膚」のなかに入り込むこと、その「皮膚」をわがものとすることである。

 ここで用いられている「他の生存のなかに溶けこんだ」といった表現から見ても、この象徴生成の供犠が、チャンドス卿の鼠やクラッススのウツボのイメージがもたらす「熱病めいた思考」と同種のものであることは明らかでしょう。
 アドルノは『プリズメン』所収の、1942年に発表された「ゲオルゲとホーフマンスタール」で、この「詩についての対話」を「ゲオルゲについての対話」と呼び、さらに、その「血なまぐさい象徴理論」は「新ロマン主義の暗くて政治的な諸々の可能性を孕み込んでいる」と指摘しています。時代的背景を考えれば、アドルノが言う「暗くて政治的な諸々の可能性」とは、具体的にはナチズムやファシズムといった極右イデオロギーへの接近を意味するものでしょう。アドルノはそこに、芸術を生から隔離する審美主義が、生への一体化にとめどなく裏返ってしまう契機を見ています。アドルノは、詩人たちが商品市場と無縁ではありえずに、みずから商品化せざるをえない資本主義のプロセスとそれを関連づけているために、この「政治的な可能性」には主体の事物化、つまり、一種の物象化が見出されることになります。その指摘はもちろん、「物言わぬ事物」に語らせようとするホーフマンスタールのあらたな詩的言語の象徴主義が、この詩人を追いこんでゆく事態の批判としては正当なのですが、しかし、この供犠に宿る「血なまぐささ」、つまりそこで行使される犠牲の死をめぐる暴力──「象徴」という代理=表象作用の根源にある暴力──の問題を取り逃しているように思われます。この対話が秘めている「暗くて政治的な諸々の可能性」とは、身代わりの死においてみずからが死ぬという恍惚・陶酔の経験を源とした、象徴によってもたらされる、相互に「流れこむ」という融合の感覚(錯覚)が果たす政治的な作用の可能性ではないでしょうか。そして、原形的Gestaltとはそのような象徴として機能するのではないか。もしそうだとすれば、Gestaltもまた、代理=表象作用の暴力と無縁ではありません。
 本書では中心的には扱われておらず、ときおり姿を見せる程度ですが、プロト・ナチズムの詩人としてはより重要なゲオルゲについて、彼にもっとも愛された高弟でのちに訣別したマックス・コメレルは、「ゲオルゲとは、恐らく詩を暴力の上に据えた最初の人物である」と書き残しています。また、ルドルフ・ボルヒャルトは、ゲオルゲの詩にはほとんどつねに暴力が自己破壊的に現われている、と指摘しています。10ゲオルゲやホーフマンスタールの詩において、プロト保守革命、プロト・ナチズム的な要素がまず求められるべきは、そこに潜在しているこのような暴力の問題系ではないか、というのがわたしの考えです。この問題系は必然的にあとで述べる権力や主権の問題とも関連します。
 彼らの詩にフォルマリズム的な形式の絶対化があり、それがホーフマンスタールの言う「象徴」への志向によって原形的Gestaltへと向かったことは確かだと思います。だからこそ、問いたいのは、Gestaltを成立させる暴力、有機的全体性が拠って立つところの暴力であり、そのGestaltなり、有機的全体性なりを発生させる、ないし、それらが発生させる権力関係です。ここで有機的全体性と呼ばれるものを共同体と言い換えればおわかりいただけると思いますが、ファシズム・イデオロギーが喧伝する有機的全体としての国家像は仮象に過ぎないとはいえ、その仮象を作り出し維持するためには、現実に排除や殺戮の暴力が働いていた。アドルノがホーフマンスタールの象徴論に見出し、コメレルやボルヒャルトがゲオルゲの詩に認めたものが、形式の純化の果てに有機的全体性へ向かった詩の論理が引き寄せることになった「暴力」だったとするならば、そうした詩に内在する暴力とファシズム的な暴力およびそこに作用する権力関係との結びつきこそを考えてみたいのです。
 
 第3章で取り上げられるT・E・ヒュームについては、アクシオン・フランセーズやソレルの『暴力論』への関心をはじめとして、政治思想との接点がホーフマンスタールよりもはるかに明確であり、プロト・ファシズムのイデオロギーとの関係はより説得的に示されていると思いました。ただし、詩の言語が作り出す「内的形式」としての「イメージ」について「正確・精密・明確さ」を要求するヒュームの「古典主義」が、なぜ単なる保守主義や反動的な伝統回帰にとどまらなかったのか、という点をめぐる、ヒュームの詩、詩論そのものに内在する要因については、十分理解の及ばぬところがあります。
 さて、ここで第2の大きな論点である、ベンやパウンドによるナチズム、ファシズムへの加担は、はたして「Gestalt」概念によって十分に説明されるものなのか、という問題に移りましょう。第2章で分析されるベンの詩の形式重視への変化やニヒリズム克服のための「形式」という思想、そして、それが「ドイツのGestalt」という政治性を帯びてナチズム支持にいたる経緯は、明快な議論によってコンパクトにまとめられており、非常に見通しのよいものになっています。その展望そのものに異論はありません。
 異論はないのですが、ベンの詩や文明論が孕んでいる非合理な夢や幻覚による呪術的陶酔が、そこではあまりに理路整然とした──ベン自身の用語を用いれば──「構成的精神」、あるいは、合理的「脳髄化」によって形式化されているために、この矛盾した巨大な知性による渾身の思索が、たかだかルカーチによる表現主義批判の枠内に収まってしまう(あるいはボイムラーのニーチェ解釈と同程度のものになってしまう)という結果に、いささか物足りない思いは覚えます。もとよりこれは本書の目標設定を恐らくは外れる理不尽な要求でしょう。しかし、ある詩人=思想家の思索の可能性は、その政治的誤謬も含めて、彼でしかたどり着けなかった認識にこそあるのだとすれば、ベンの詩作品やエッセイのテクストにおいて、所詮同時代のイデオロギー的平均値でしかない言説から逸脱し、その「形式」や「Gestalt」や「構成」を裏切っている細部にこそ、眼を向けることもまた必要でしょう。
 ひとつ例をあげるとすれば、それは壮大な自然史および文明史的認識を背景にしたベンの「白人種」の運命をめぐる考察です。1930年のエッセイ「見通しの総計」では、合理主義によって規格化が進む西欧では個性的なものは失われ、白人種の支配や資本主義は終焉するだろうと予言されたうえで、「黄色の肌の神」の到来が語られます。そこでは「白人種の時代は終わる」と明言されています。11これに対し、ナチが政権を掌握したのちの、クラウス・マンに宛てて書かれ、ラジオ放送でベン自身によって朗読されたことでもよく知られる公開書簡「亡命文学者に答える」では、次のように述べられるのです。

ここまでいえば理解していただけましょうか。問題は決して政治形態にあるのではなく、人間の誕生の新しいヴィジョン、おそらくは白人種の悲願の、おそらくはその最後の、大規模な構想であることを。[・・・]たとえ東から西から十回もドイツ人を絶滅せんとする戦争が起こったとしても、このヴィジョンを打ち負かすことはできはしないということを。どのような軍事的工業的成果もこれをなしえないのです。そして、たとえ海に陸に世界の終末が近づき、ドイツの秘密の封印を破ろうとしても、この人類のヴィジョンなる財産は残るでありましょう。だが、このヴィジョンを実現せんとするものは、これを淘汰せねばなりません。文明だの野蛮だのという言葉をいじりまわすあなたの設問は、歴史的存在としてのかくも多くの証言の前では、条理の立たぬものとなるのです。12
 これはほとんど狂気じみた「ヴィジョン」ではないでしょうか。それを「現実から乖離した幻想」と一蹴することは簡単なのですが、この「白人種」の最後の悲願を託された「ドイツ人」のヴィジョンを、ベンが最終的な破滅の可能性まで含めて自覚的に選択していたのだとしたら、それは果たして政治的な無知・盲目と言うべきなのか、それとも詩人の直感による無気味な明視と呼ぶべきなのか、にわかには決めかねるはずです。もちろん、ベンはその選択において現実の政治の次元では過ちを犯していたに違いない。ナチから排除され執筆を禁止された彼自身、のちにこの時代のみずからの発言を「運命陶酔」(トーマス・マン)に溢れたものと冷静に見ています。しかし、それでもなおベンは、戦後になっても、「いかなる合理的道徳的異議にもかかわらず」、このような「新しい生の形式」の歴史的な価値を疑うことはなかったように見えます。13この確固としたヴィジョンは、ナチズムの詐術的な幻想によって欺かれた結果であるというよりも、ベン独自の自然史的・文明史的な展望のもとで構想された、ナチズムを凌駕するほどに幻想的・妄想的な「大いなる政治」(ニーチェ)ではないか。
 それはモダニズム詩人の美学がたまたま同時代のナチズムに引き寄せられたなどというものではない。むしろ、ベンの詩的で美学的=政治的な想像力がナチズムに触発されたことにより、政治イデオロギーの極限的な可能性として予感・幻視してしまった、ナチズムをはるかに超えるヴィジョンであり、そのかぎりで有機的な全体性などというGestaltの安定した調和を喰い破る過剰なモーメントを孕んでいたのではないでしょうか。ここに見られるベンの想像力は、わたしが『政治の美学』で対象としたような、政治と芸術が「人間精神の幻想的な修辞学」(橋川文三)として接し合う領域に属しているように思われます。
 別の側面からベンとナチズムとの関係を考察するうえで重要な文書が、クラウス・テーヴェライトの『王たちの書』第二巻「権力極のオルフェウス(Orpheus am Machtpol)」に引用されています。それは1933年2月27日、つまり、国会議事堂放火事件のさなかに書かれた、友人Egmont Seyerlen宛の手紙です。

ここ文学畑では不安と恐怖が支配している。各出版社はいかがわしい書籍をヴィーンの保管庫に送っており、何も知らない。著者たちはプラハや[ヴィーンの]オッタクリング地区にいて、このエピソードが通り過ぎるのを期待している。何と子供じみた! 何というハト派だろう! 革命はここにあり、歴史が語っている。それを見ない者は精神薄弱だ。個人主義はもはや決して古いかたちのままではありえないし、古臭い正統的な社会主義はもはや決して再来することはないだろう。これは歴史的存在のあらたなエポックであり、その価値や無価値について語ることは愚かだ。それはそこにある。そして、このエポックが20年後に過ぎ去ったとき、それは別の人類、別の民族をあとに残すだろう。このことに関して、わたしは口を酸っぱくして語っているのだが、左翼の連中はそれを真剣に受け取ろうとはしない。上に記したとおり、子供とハトだ。[・・・]
 新しい人種が成長している、われわれにはまったく未知の人種が。その人種がわれわれが有していたよりもより幸福な歴史、より悦ばしい時代、より立派な民族を育みかたちづくるだろう。われわれは年老いて硬直した立身出世主義者たちによって導かれ過ぎた。この人種の人びとは貧しいまま成長しており、それが彼らの幸福であり、強さとなるだろう。
 わたしは自分自身に対して、そして、われわれがそこに由来していたものすべて、そして、われわれにとって美しく生きる価値があると思われていたものすべてに対して、決然と別れを告げよう。わたしは自分が最も愛し、最も深遠だと思うわたし自身の詩句を、あなたのゲストブックに寄せて書くことで結びとする。
「生とは流れゆく大河の上の架橋(Leben ist Brückenschlagen über Ströme, die vergehn.)」
  つねに友情とともに
  君の、年老いたる
          ベン14

 『王たちの書』第一巻およびこの第二巻でベンの人生と思想を詳細にたどっているテーヴェライトは、この手紙をベンがテロリストへと変容した「変身の書簡(Verwandlungsbrief)」と呼び、「評価し得ないほど貴重な」、「無気味なドキュメント」だとしています。15このときちょうどベンは、ベルリン芸術アカデミー文学部門の代表になることを打診されていました。つまり、彼はナチ体制下の文学界で、ちっぽけではあるけれども象徴的な「権力」を獲得しつつあった。議事堂炎上の日に、それまで芸術の自律を徹底して主張していたベンは、「歴史」へ、ナチズムへと急旋回を遂げ、ナチによる共産主義者狩り、知識人狩りの開始をほとんど陽気な調子で歓迎している。それは彼にとってここ数年来の敵たちに対する「狩り」だったからです。「運命陶酔」とはトーマス・マンが第一次世界大戦開戦時のみずからの感情を回顧して用いた言葉ですが、そこに通じるような陶酔がナチによる「人間狩り」の開始を告げる歴史的出来事に際して、ベンを襲っているさまが見て取れます。
 このような伝記的情報は、詩人たちの美学的・政治的思想をたどろうとする本書の目論見とは異質かもしれません。ここであえてそれに触れているのは、それが芸術家集団内における詩人の権力・主権という問題を、政治的な暴力への同一化と一体にして顕在化させているからです。この点にはパウンドに即してあとで立ち返ります。

 第4章のパウンド論もまた、イマジズムに始まる彼の詩法が『詩篇』による社会変革という思想へと展開するさまを非常に明晰な分析とともにたどっています。とくに、『詩篇』の取り組んでいる対象が、「精確なイメージ」を追求するイマジズムの帰結として、「そこから具体的な処方が導き出されるような〈正確な〉[現代社会の]診断」(本書187頁)であるという指摘は重要に思われます。巨大な表意文字としての『詩篇』はそこで、現実の精確な表象としての「歴史の織物」となる。詩人はそのとき、文学作品を作ると同時に社会批評を行ない、いや、社会そのものを直接変革していることになる。
 もし、芸術と政治が『詩篇』において、このようにすでに一体化しているならば、パウンドはライフワークとしての『詩篇』の創造のみによって自足することもできたはずでしょう。事実、そのようにして、パラノイアックな閉ざされた宇宙のヴィジョンを、日々作り変えられる「開かれた作品」としてのライフワークによって作品化した芸術家たちは数多くいました。作品としての『詩篇』がこのような構造と内容をもっていること自体は、文学・芸術作品としては珍しい現象ではありません。
 しかしながら、本書で明らかにされているように、パウンドの場合、詩作で称揚する国家共同体のあり方がファシズムの国家観と類似していたために、『詩篇』の内容の実現をファシズム国家に期待する結果になった。孔子も参照して描かれる、有機的全体性をなすその国家像に、「Gestalt」という本書の鍵概念の表われを認めることは妥当でしょう。さらにまた、こうした国家観という内容とともに、パラノイア的に全体性を志向するパウンドの詩法そのものに,ある種の「総合芸術作品」としての国家を作り上げようとするファシズムとの共通点があることも確かでしょう。
 とはいえ、パウンドにとって同一化の対象がなぜイタリアのファシズムであり、ムッソリーニでなければならなかったのか、という疑問は残ります。この点でパウンドがムッソリーニを論じるにあたってジェファーソンや孔子のほかにダンテを引き合いに出している点が注目されます。エルンスト・カントロヴィッチは論文「芸術家の主権」において、詩人と皇帝または王との、すなわち、「詩人と主権を代表する最高の職務」との同等視はダンテにおいてすでに始まっていたと論じ、彼にとって皇帝と詩人は同じ月桂樹の冠で飾られるべき存在だったと指摘しています。16のちのペトラルカは実際にそんな冠の戴冠式を受けています。パウンドがこうした思想をどの程度知っていたかはわかりませんが、君主と詩人を同等に見なすこの伝統は、詩人である自分自身をムッソリーニに近づける思想的背景になりえたに違いありません。
 政治的英雄と詩人とを同一視するゲオルゲ派の思想もまた、彼自身、ゲオルゲの弟子だったカントロヴィッチの言う「芸術家の主権」の伝統を継承しています。また、近年、ゲオルゲ派の研究を著わしたウルリッヒ・ラウルフは、暴力(Gewalt)こそが芸術作品としての国家を創設するという視点は、『コンスタンティヌス大帝の時代』や『イタリア・ルネサンスの文化』におけるヤーコプ・ブルクハルトによってまず導入され、それがニーチェを経て、ゲオルゲに継承されたと論じています。17一方、コメレルはゲオルゲの「精神的でほとんどデモーニッシュな形態の権力欲」18を指摘し、そこにゲオルゲの詩の根底にある暴力に通じるものを見ていました。ブルクハルトによるイタリア・ルネサンス研究の大きな影響力を思えば、ムッソリーニにマラテスタを見るパウンドにも、ゲオルゲに流れ着いたものと同じ系譜が読み取れるのではないでしょうか。ゲオルゲという補助線はこのように、本書の登場人物の多くとファシズム、ナチズムとの関連を考察するうえで有益ではないかと思います。
 テーヴェライトは、ベン、パウンド、セリーヌ、ハムスンたちをナチやファシズムに接近させていったものは、極右の政治イデオロギーであるよりもむしろ、彼らが握っていた芸術上の主権(テーヴェライトの用語では「指導要求・指導権(Führungsanspruch)」19)であり、その芸術的ラジカリズムは、芸術における権力が現実には無力であるからこそ、強力な政治的権力への接近を生んだ、と指摘します。そのとき、権力をめぐる幻想は詩人たちの詩にこそ端的に表われる。テーヴェライトはそのひとつを彼ら自身の女性関係と深く関わる「オルフェウスとしての詩人」という自己イメージに見出しています。20詩の生成、詩人の誕生には冥府の女たちが介在している。そこに浮かび上がるのはこの女たちの「人影」、すなわち、Gestaltです。
 そこで問うてみたいのは、本書で言及される「Gestalt」が人間の形象を暗示するならば、そのセックスは何なのか、という点です。ファシズムの政体という身体、それが有機的な全体性であったとして、それは男性なのか、女性なのか、両性具有なのか、無性なのか。ホッブスの「レヴァイアサン」のように集合人体からなる巨人の身体なのか、それとも動物と人間とが融合した狼男のような獣人の身体なのか。21詩人たちがGestaltの有機的全体性を追求したとき、そこにはどのような身体への欲望があったのか。これは荒唐無稽な問いでしょうか。しかし、まさに詩人たちを問題にする以上は、彼らの詩のなかにそんな身体のイメージを追跡することも可能なように思われるのです。

 石田さんのこの書物を読み進むうち、はっと、目を引きつけて停め考えこませるひとつの単語がありました。それは本書10頁の「そして、体制公認の、時代に逆行しようとする復古的芸術ではなく、先鋭的であると同時に誠実な芸術であるモダニズムとファシズムの接点について考えること」という一節のなかの、「誠実な」という形容詞です。誠実さがそのままファシズムに結びつくとしたら、モダニズムが夢見たものとはいったい何であったことになるのか。ただちに連想したのは「汚れなきファシズム」「清廉潔白なファシズム」と評された建築家テラーニの、いわば建築におけるフォルマリズムの徹底化にほかならない、合理主義建築のファシズムです。22自殺にいたるテラーニの悲劇的な人生はその「誠実さ」ゆえの帰結でしょう。しかし、彼をモダニズムの英雄として称えたい気持ちとともに、その「誠実さ」それ自体が罪でもあったのではないか、とも考えます。そこにはアンビヴァレンツがある。それは、あえて言えば、テラーニの建築における「汚れなきファシズム」を純粋なまま救い出したいと願うとともに、厳しく断罪しなければならないというアンビヴァレンツです。
 本書で取り上げられた4人の詩人たちについても、もしかしたら同じことが言えるのかもしれません。彼らの「誠実なモダニズム」が「誠実なファシズム」に行き着いたとして、その「誠実なファシズム」の幾ばくかを救い出したい気持ちがわたしにはあります。それによってこそ、ファシズム批判のあらたな、いわば内在的な拠点を見つけたい。詩人たちによるファシズムへの接近を単なる思想上の類似性による錯誤や政治的な無知で片づけたくはない。しかし、もちろん、彼らの「誠実なファシズム」がその誠実さゆえに無罪放免されるわけはなく、むしろ誠実に一度は信じられたがゆえに厳しく断罪されなければならないことも認めます。このアンビヴァレンツにおいてこそ、これらの詩人たちはわたしたちの時代にまで達するようなアクチュアリティをもちうるのではないかと、わたしは思います。
 アドルノは、たとえばシェーンベルクが作曲したゲオルゲの詩に、最大級の暴力が詩的主体に加えられたあとに残された、無音の振動のような詩語の震えを見出しました。そのひとつは「口にするのはおよし(Sprich nicht immer)」という詩です。短い詩ですから、川村二郎さんの訳とドイツ語の原詩で引用します。23

口にするのはおよし
年も終りに近づいた今
木の葉は風に
引きさらわれ
熟れたマルメロは
ついえて砕け
破滅をもたらす者たちが
行き来すると
嵐の中で
蜻蛉は
ふるえ
ともしびは
おぼつかなげに
またたくと

Sprich nicht immer
Von dem laub ·
Windes raub ·
Vom zerschellen
Reifer quitten ·
Von den tritten
Der vernichter
Spät im jahr.
Von dem zittern
Der libellen
In gewittern
Und der lichter
Deren flimmer
Wandelbar.
 
 こうした詩において詩的主体は、詩語の自己破壊によって、暴力から浄められている、とアドルノは言います。そこにこそ、ゲオルゲにおける暴力の弁証法的な両義性があるのだ、と。これはゲオルゲにおけるファシズム的なものを、アドルノにとっての真正なるモダニズムへと救出ないし回収してしまう解釈と言えるかもしれません。しかし、それでもなお、わたしもまた、やはり、そのような破壊の深みで作品を救出するような解釈、ファシズムの夢と見分けがたくなってしまったことで破砕されたモダニズムの夢の破片を救うことのできる解釈、つまり、「誠実なファシズム」をめぐるアンビヴァレンツをその分裂状態のまま維持する静止状態の「弁証法」こそを模索してみたいと思うのです。
 わたしにとって石田さんの本を読むことは、モダニズムとファシズムが切り結ぶこの「誠実さ」をふたたび大きな問題として気づかせてくれた貴重な経験となりました。そのことに感謝して、わたしの長いコメントを終わらせることにいたします。

1 ヴァルター・ベンヤミン『書簡II 1929-1940 ヴァルター・ベンヤミン著作集15』,野村修編,晶文社,1972,300頁。
2 ホフマンスタール『チャンドス卿の手紙 他十篇』,檜山哲彦訳,岩波文庫,1991,112頁。
3 同,121頁。
4 同,114-115頁。
5 同,120頁。
6 フーゴー・フォン・ホーフマンスタール「詩についての対話」,富士川英郎訳,『フーゴー・フォン・ホーフマンスタール選集3 論文・エッセイ』,河出書房新社,1972,53頁。
7 田中純『政治の美学──権力と表象』,東京大学出版会,2008,70頁。
8 テオドール・W・アドルノ「ゲオルゲとホーフマンスタール──その『往復書簡 1891-1906』によせて」,テオドール・W・アドルノ『プリズメン──文化批判と社会』,渡辺祐邦・三原弟平訳,ちくま学芸文庫,1996,367-368頁。
9 Max Kommerell: Essays, Notizen, poetische Fragmente. Aus dem Nachlaß hg. von Inge Jens. Olten und Freiburg im Breisgau: Walter-Verlag, 1969, S.232.
10 Cf. Theodor W. Adorno: George. 1967. In: Theodor W. Adorno: Gesammelte Schriften. Bd.11: Noten zur Literatur. Hg. von Rolf Tiedemann. Frankfurt am Main: Suhrkamp, 1974, S.528.
11 ゴットフリート・ベン「見通しの総計」,『ゴットフリート・ベン著作集第1巻』,山本尤訳,社会思想社,1972,38頁。
12 ゴットフリート・ベン「亡命文学者に答える」,『ゴットフリート・ベン著作集第1巻』,67-68頁。
13 ゴットフリート・ベン「二重生活」,『ゴットフリート・ベン著作集第1巻』,225頁。
14 引用は次に拠る。Klaus Theweleit: Buch der Könige. Bd. 2x: Orpheus am Machtpol. Zweiter Versuch im Schreiben ungebetener Biographien, Kriminalroman, Fallbericht und Aufmerksamkeit. Sonderauflage für Zweitausendeins. Basel; Frankfurt am Main: Stroemfeld/Roter Stern, 1996, S.472-474.
15 Ibid., S.471-472.
16 次を参照。E・H・カントロヴィッチ「芸術家の主権──法の格言とルネサンス期の芸術理論についての覚え書」,E・H・カントロヴィッチ『祖国のために死ぬこと』,甚野尚志訳,みすず書房,1993,113-133頁。
17 Cf. Ulrich Raulff: Der Dichter als Führer: Stefan George. In: Ulrich Raulff (Hg.): Vom Künstlerstaat: Ästhetische und politische Utopien. München: Carl Hanser, 2006, S.127-143.
18 Kommerell, op.cit., S.230.
19 Klaus Theweleit: Ghosts: Drei leicht inkorrekte Vorträge. Frankfurt am Main: Stroemfeld/Roter Stern, 1998, S.70.
20 Cf. Klaus Theweleit: Buch der Könige. Bd. 1: Orpheus und Eurydike. 2. überarb. Aufl.. Basel; Frankfurt am Main: Stroemfeld/Roter Stern, 1991.
21 これらの「政体という身体」をめぐっては,田中『政治の美学』第II部「権力の身体──政体論」参照。
22 田中『政治の美学』,425-426頁参照。
23 ゲオルゲ「口にするのはおよし」,川村二郎訳,『世界詩人全集11 ゲオルゲ,ホーフマンスタール,カロッサ詩集』,川村二郎・富士川英郎・高安国世訳,新潮社,1968,35-36頁.

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田中 純
東京大学大学院総合文化研究科・教授
TANAKA Jun, Ph.D.
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