「なぜ今ヴァールブルクなのか?」 - Blog (Before- & Afterimages)

「なぜ今ヴァールブルクなのか?」

という論文を読んだ(Michael S. Roth, Memory, Trauma, and History: Essays on Living with the Past所収)。

洗練された議論に見せるために「フーコー」や「バクサンダル」といった名が参照されてきた風潮へのやや揶揄気味の指摘はそりゃそうだろうし、「フリード」という名は少しリスキー、「クラウス」はもう賞味期限切れ、今や「ランシエール」がちょっとした政治性を加味した先進性を加えるのには恰好で、「エルキンス」となると、あまりにユビキタスなため、アイデンティティが失われている、などと言われるにいたっては、その皮肉な口ぶりの聡明な才気に感服する。
こうした名は「支配的パラダイムが曖昧で不安定あるいは首尾一貫していない時代には、学術分野のレトリックでとくに重要な役割を果たす」という指摘は炯眼。主張そのものよりも特定人物の「名」こそが、あらたな方法を表象する。アビ・ヴァールブルクが欧米の美術史や視覚文化研究でそうした「名」となっていることは確かだろう。日本ではよく見えないコンテクストかもしれないが。
イコノロジー的系譜のなかに「パノフスキー」という名がすでにあるだけに、この名との対比において、「ヴァールブルク」という名が、より複雑で斬新な方法を表わす象徴として機能しうることになる。さらに、「残存(Nachleben)」のモチーフと蛇儀礼講演を2つの要素として、彼がイメージ人類学のアイコンに持ち上げられたという経緯もその通り。これは歴史研究における記憶というテーマの重視にもつながる。そして、この点がヴァールブルクを現在の美術史にとって魅力的な人物にしている最後の要素に通じる──ヴァールブルク自身の、狂気と隣り合わせの、劇的な生涯である。彼は人生と思想ないし著作とがはっきりと分離できるような学者ではない。現代の研究者たちを魅了しているのは、ヴァールブルクの「歴史的な他者性への敬意と情熱的な個人的参入との弁証法である」と著者は言う。それゆえに、現代の研究者たちは、ヴァールブルクを「啓蒙的合理主義者」として描くゴンブリッチの「知的伝記」は的を外していると見なさざるをえない。
この点も首肯できるし、そもそも自分がヴァールブルクの「評伝」を書いたのも同じ理由による。ヴァールブルクにおけるユダヤ性(ユダヤ的伝統)の強調が一種の人種主義に通じかねないという著者の指摘は当たっているが、それはユダヤ性を極度に本質主義的にとらえた場合であって、ヴァールブルクにとってのユダヤ性がむしろ他者から「ユダヤ人」として規定される事態(およびそこに由来する反ユダヤ主義の問題)であったことを踏まえるかぎりでは、この点を無視するほうが失われるものははるかに大きい。
以上のように、タイトルの問いに応える情勢診断としてはきわめて正確ながら、しかし、それでは著者がヴァールブルクの効果的で有意義な新しい「リサイクル」の方向性を示しているのか、と言えば、結論があまりに漠然としたものにとどまっている感は否めない。そもそもそこに重点はないと言うべきか。メタレベルから情勢判断ができてしまう明晰さゆえの閉塞感。
ディディ=ユベルマンも採用してきた「ヴァールブルク対パノフスキー」という対立の構図はすでに図式的だし、「ムネモシュネ・アトラス」などを過剰に神秘化ないし現代化してとらえることにも弊害はある。一度頭を冷やすには、このテクストのような鳥瞰的構図は確かに役に立つ。そうやって冷静になったうえでもなお、ヴァールブルクが指針でありうるような状況はまだ存在していると思われるから。
真に生産的な取り組みは細部に依拠するしかない。それゆえ、ヴァールブルク・アーカイヴにいまだ多くが眠るテクストの校訂や刊行が待ち望まれるわけだが、現実に先行して進んでいるのは、アーカイヴの資料にもとづく「ヴァールブルク産業」とも言うべき研究の増殖である。1998年にはじめてロンドンのアーカイヴを訪れたとき、いや、2003年に訪れたときと比べても、アーカイヴ資料中心の「ヴァールブルク学」の興隆はめざましい。それに比例して、アーカイヴ自体の敷居は高くなる一方、という気もするのだが。
とはいえ、「ヴァールブルク研究者(Warburg scholar)」が何やら自律した研究分野の存在を示唆するような現状は、果たして健全なのだろうか、という疑問も沸く。細部に宿る神を探すことは瑣事拘泥ではないのはもちろん、いかにも専門的な研究者然とした身ぶりで、ヴァールブルク学の狭い範囲でのトレンドを追うような、蛸壷型の発想にいたることでもあるまい。それこそヴァールブルクが否定した学問のあり方のはずである。そうした蛸壷的閉鎖性を自覚できる程度には、「名」をめぐる戦略的状況に意識的であるべきだろう。ヴァールブルクの名を冠したシンポジウムや国際会議を調べればわかる通り、同じような顔ぶれの同じような報告をコアにして、その周辺にヴァールブルクへの関わりがより薄い非専門家たちの(時に突飛な)報告がグラデーションをなして拡がるような、「名」を戴いた研究者共同体にありがちな知的風景が浮かび上がる。──そんな風景そのものに亀裂が入る地殻変動こそ、「ヴァールブルク」という名のもとに夢見た出来事であったはずなのに。
ヴァールブルクをマルチ・メディア・アーティストか何かの先駆けと見なすことが極端であるのと同様に、ヴァールブルクの文字テクストのみを自閉的に解釈する文学研究的なアプローチにも限界を感じる。ヴァールブルクが格闘した「イメージ」という怪物を相手にすることなく、彼のテクストのみを論じることなど本来できないはずなのだ。ヴァールブルクにおいて人生と思想や著作が切り離しえないとは、イメージと相対峙した彼の経験こそがその核心であるということを意味する。ヴァールブルクがイタリア・ルネサンス人たちにおける「古代の残存」という経験の歴史心理学を試みたように、ヴァールブルク自身の経験を──一方的な感情移入や転移に終わることなく──イメージをめぐる思考の「生」として「再生」させることが求められる。その意味で、ヴァールブルクが今有している魅力は、「経験」がふたたび重視されるようになった人文学の動向にも深く根ざしているように思われる。思えば、一昨年の「ムネモシュネ・アトラス」の写真パネル再現展示も、そんな経験を求めての実験だった。
「ヴァールブルクは彼の図書館の中心に蜘蛛のように座っていた」──そう言ったのは誰だったか。その蜘蛛の巣は同時に、異なる文化的伝統が接ぎ木された樹木の枯れた木っ端からなるハイブリッドな「歴史の地震計」だった。獲物の捕獲を知らせる網目の震動、あるいは、記憶の大地の揺れを捕捉する木片の軋み──ヴァールブルクの作り上げた図書館の空間と彼の身体、そして、ムネモシュネ・アトラスという実験器具とが一体化した総体を、そんな無数の徴候を受信するための装置としてとらえることを試みたい。そのような試みもまた単なる「ヴァールブルク研究」として自足すべきでないのだとすれば、いずれ自分自身で、彼が作り上げたものに通じる巨大な装置を築かなければならないのかもしれぬ。「なぜ今」という状況論を超えて、「来るべきものは何か」という問いこそを、「ヴァールブルク」という名のもとに考えてみたい。

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田中 純
東京大学大学院総合文化研究科・教授
TANAKA Jun, Ph.D.
Professor
The University of Tokyo

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