トリーハウスとスケッチをめぐって(2014.10.25@ワタリウム) 対談用メモ - Blog (Before- & Afterimages)

トリーハウスとスケッチをめぐって(2014.10.25@ワタリウム) 対談用メモ

2014年10月25日に行なわれた「磯崎新12×5=60」展(ワタリウム美術館)での松井茂さんとのギャラリートーク用のメモと関連資料です。

資料
・「1996年度アーキテクチュア・オブ・ザ・イヤー──革命の建築博物館」会場写真
1996AoYphoto01.jpg
・この展覧会準備の顛末:1996AoY.pdf
・1996年夏のトリーハウス内蔵書の配置分析図:IsoLibrary.pdf
・トリーハウスに触れた拙文(『磯崎新建築論集』月報):nostalgia.pdf
田中純によるメモ本文
0.資料の説明
・「1996年度アーキテクチュア・オブ・ザ・イヤー──革命の建築博物館」会場写真
・この展覧会準備の顛末
・1996年夏のトリーハウス内蔵書の配置分析図
・トリーハウスに触れた拙文(『磯崎新建築論集』月報)

トリーハウスの展示
・劃期的、思いもつかなかった →懐かしさと違和感:狭く感じた
→本当は広く感じてしかるべき? →取り囲む書物の存在が与えていた心理的な奥行きと床に座って作業をしていた身体の記憶
→はるか昔に限られた回数しか訪問していないのに馴染み深さは残っている
→階段の印象が圧倒的:確かアトリエの階段も幅が狭い

『磯崎新インタヴューズ』p.186
「なにもない小屋に籠もって原稿を書くような「人間のなにか」に関心をもったことは確かです。」←鴨長明、エマソン

今回の展示物としてのトリーハウス →なぜ白木なのか? 伊勢?
階段に尽きる? 竹林ならぬ森のなかの方丈の船 →大地から切り離される
鳥籠モチーフのメタモルフォーゼ → マラパルテの言葉「鳥籠を呑み込んでしまった鳥」

1.なぜ、トリーハウスか?
1996年の夏休みに何度か訪問 →蔵書をごっそり展示物に 
→まずリスト作成 →細い階段を使って運び出す
→1996年度アーキテクチュア・オブ・ザ・イヤー:会場写真(資料p.1)
プロデューサー:磯崎新、建築諸団体の実行委員長:三宅理一
4人のキュレイター:
→外側から3層をなしている:一番外側の4面に4人の展示、第2層に「言説の部屋」、一番中央に「書物の茶室」→ガラスの内部に封じ込めるしかなかった=書物の襞を開くことができなかった →展示のもつ限界 →今回のスケッチの展示のもつ限界

基本コンセプト:歴史という暗箱=茶室(バロック時代の知の空間的装置としてのカメラ・オブスキュラ→利休の暗い部屋)
→言説をどう展示するか
→韓亜由美さんによる会場デザイン:中央に磯崎蔵書の茶室:炉の代わりに中央床にディスプレイ:天井の文字はma fin est mon commencement(わが終わりはわが始めなり)という14世紀フランスの作曲家・詩人ギヨーム・ド・マショー(Guillaume de Machaut)の作品名。
書物の内容・配置はトリーハウス通りではない。
展覧会の顛末(資料):6〜7月に展示コンセプト固める →韓亜由美さんのデザインで3層構造決定 →中央の書物の茶室と第2層の言説の部屋を担当→第1層は五十嵐さんたちに任せる
それ以前の段階で考えていた中央の部屋の案→ネット空間に接続した中心=一番内部の部屋が最も遠い場所に接続するという空間性 →書斎とはそうした空間 →空間の襞→襞の中に別の世界がある・・・
第2層の「言説の部屋」は言葉の渦+「パサージュ」=通過の空間→言葉の物質性に出会う場
・カタログを担当→書物そのものも展覧会の一部として→出版方法未定のまま進行し、原稿発注 →9月末にようやくTOTO出版が見つかり、2カ月未満で完成へ
12月のサロントーク:磯崎さんによる会場構成の解読:2つの直交する軸 →スケッチ帳にダイアグラムあり
田中・五十嵐の「ゲニウス」+松原の「権力」→「建築」の軸
中谷の「子宮」+貝島の「内部」(内部空間しかない東京)→「日本」の軸
サロントークも含め:松原・貝島の「直球」、中谷の考え抜かれた「変化球」、五十嵐の名「リリーフ」、田中の「暴投」←期待されていた?

2.1996年夏のトリーハウス内部における書物の宇宙
資料p.2:
蔵書のリスト化とともにその配置を記録したかった→なぜか写真がない!失態!
あの本からこの本へと磯崎さんがトリーハウス内で移動したその身体の運動や身ぶりを思い描くことができる(著作家の身ぶりを真似ること)。磯崎さんの脳髄のなかにおける思考の配置の反映としての。
→この配置から何が読み解けるか →ヴァールブルク「ムネモシュネ・アトラス」とその図書館の方法「良き隣人の法則」:当時はまだヴァールブルク論を構想していなかったが、結果的にトリーハウスの調査が自分をそこに導いたのかもしれない。

配置から読み解けるものとは?
・ユートピア論、生命論への関心 →海市へのつながり?
・「磯崎新」の著作近くに配置された建築家たち
・執筆の空間として日本語の著作が多い
→今回の選書:日本語の本については重複はないのではないか? 中谷宇吉郎集、吉兆味ばなしなど独特で面白い

・「文人」→独学者の本棚という印象:「専門家」をはるかに凌駕する 
→独学者としての白井晟一(2008.12に田中が虚白庵で「「独学」に学ぶ──白井晟一・1930年代から」というレクチャー)
丹下→磯崎ではない、白井→磯崎という独学者の系譜:『建築行脚』も独学のプロセスでは? ←→安藤忠雄
独学者としての堀口捨己:歌人としての(都市のなかの隠者) ←→ 文人との差異 →竹林の賢人?
賢人の栖としてのトリーハウス?
文人・独学者のアイロニー:知に対する距離
立原道造における詩と建築 →「住宅・エツセイ」(1936)→「非(ないし反)ジャンル」としての「住宅/エッセイ」(八束はじめ)
→「方法的に無方法」なエッセイという形式(アドルノ「形式としてのエッセイ」)
エッセイストとしての磯崎新:理論書ではなくエッセイ
→→体系的な知ではなく、その批判としての批評性 →テンタティヴ(つねに「とりあえず」)でしかありえない
異端の批評性と批評性ゆえのイロニー
→エッセイ的建築の非ジャンル性=方法的無方法 
→ あらゆる領域から学びうる=建築というジャンル内の集団的共通言語に縛られない

● 残された問い:「独学」をいかに「教える」か? 知の継承の「方法」とは?
→浅田+岡崎+日埜「磯崎新をどのように読み継ぐか──批評・手法・歴史をめぐって」の問題意識:磯崎新の単独性

トリーハウス内の蔵書が示す「独学」の知のあり方を学ぶ
→文人=独学者にとってのデミウルゴスとは?

3.スケッチ
No.10
エドュアルドへ
重力の悲しみ
空間の力
造りだされる万象
わがデミウルゴス
        ?リーダ財団庭園にて 2000.12.1

→「重力の悲しみ」:地上に縛りつけられた存在の悲しみ→メランコリーを表わす擬人像
デミウルゴスとはサトゥルヌス=土星のダイモンか?
No.29 デューラー《メレンコリアI》←ヴェネツィア風景の直後
→この版画に登場する道具(コンパス、かんな、鋸、ハンマー、梯子)と窓のない奇妙な建物→建築家というサトゥルヌス的職業を表わす(パノフスキー/ザクスル『土星とメランコリー』)
建築家とは土星の星の下に生まれた存在
デューラーの版画の配置を変えて描き直している:直方体の建物が中央、手前にメランコリーの多面体、その少し奥に球体、翼のある人物は背景に、プットーは直方体の上に、壁の魔法陣の数字の並びも変えられている
→建築の道具が放置され、瞑想に耽っている人物→「建築外的思考」のもとにある建築家?

『革命遊戯』p.30
「トラベル・ノートというのが建築家の思考方法にとって制作の秘密を明かしてくれるのではないか」
→「かつての建築家が建築を学ぶ唯一の方法」:スケッチをしたり、ピラネージを買ったり →「歴史」ではないことを強調する

展示作品で最も印象深いもの
→コルドバのモスクとヴェネツィアのサン・マルコ聖堂内部
→毛羽立つ紙への粒子状の点描 →霧のような空間
→陶然とした幸福感 →山水画?

No.13
島──輪郭をもたない領域(テリトリー)として定義すること
[群島]ぼんやりとしている あいまい 被膜の発生

群島としてのスケッチ →今回の展示方法が具現化:群島としてのスケッチ

磯崎さんのスケッチは記録ではない → 現実の建築や風景を廃墟化、いや生成過程の途中に逆回ししている?→ 逆デミウルゴス
→「建築」の消化過程=「建築」の孵化過程
「時間」を操るデミウルゴス=サトゥルヌス

(了)


対談メモ全文PDF:TanakaMemo.pdf

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田中 純
東京大学大学院総合文化研究科・教授
TANAKA Jun, Ph.D.
Professor
The University of Tokyo

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