日常の周縁に揺曳するもの----写真集『見慣れた街の中で』をめぐって - Blog (Before- & Afterimages)

日常の周縁に揺曳するもの----写真集『見慣れた街の中で』をめぐって

牛腸茂雄について10年前に書いた文章の再録です。書誌情報は次の通り。
田中純「日常の周縁に揺曳するもの----写真集『見慣れた街の中で』をめぐって」、『未来』No.457、未來社、2004年10月、4〜8頁。

今回『UP』に書いたベンヤミンのカラー写真をめぐる考察と響き合うものがあるため、ここに掲げます。

 佐藤真監督の映画『Self and Others』には、偶然発見されたカセットテープに残されていた牛腸茂雄の肉声が使われている。映画の末尾でその乾いた声は、「1981年3月18日、午前8時15分」と語り始めたのち、「おはよう こんにちは こんばんは」、「あいうえお」、「ドレミファソラシド」、「あしたの天気はどうですか」といったフレーズを復唱する。そして、声のトーンを変えながら「もしもし 聞こえますか」と8回繰り返したあとに、「これらの声はどのように聞こえているのだろうか」と問いかけて終わる。
 1年数カ月後に亡くなる牛腸の声は、再生されたとき、「黄泉の国から、此岸の我々にむけた呼びかけのように」聞こえた、と佐藤は書いている(「牛腸茂雄の写真に潜むもの」)。その最後の問いかけは、牛腸の写真がそれを見る者に向けた「呼びかけ」を暗示しているのかもしれない。「見えますか」とそれは執拗に語りかける。写真を見ること、それが「見える」ことがどんなに自明に思われるとしても、「これらのイメージはどのように見えているのだろうか」という問いに答えることは難しい。
 1981年10月には、牛腸の生前最後の写真集『見慣れた街の中で』が出版されている。それは、テープに録音されたフレーズが挨拶の言葉だったり、五十音やドレミだったりするのに似て、文字通り「見慣れた」東京や横浜の街の日常を主題にしていた。同じ年の1月の日付がある序文を牛腸は、「われわれ一人一人の足下からひたひたとはじまっている、この見慣れた街」と書き始めている。「ひたひた」という語感に呼応して、「逃れようにもまとわりついてくる日常という触手」のあれこれが列挙されたのちに、そうした日常の表層の背後に、「時として、人間存在の不可解な影のよぎりをひきずる」と彼はつぶやく。「その〈かげり〉は、言葉の襞にからまり、漠とした拡がりの中空に堆積し、謎解きの解答留保のまま、この日常という不透明な渦の中で増殖しつづける生き物のようでもある。」
 この「かげり」とは、「ひたひた」と身に迫って、溺死させるように「触手」でまとわりついてくる「日常」の圧倒的な「近さ」が、ある「遠さ」の表情を帯びるところに生まれる「アウラ」であり、倦怠や憂鬱といった情緒にほかならない、とわたしは論じたことがある(『都市表象分析I』所収「光の皮膚の肌理」)。だから、そんな「かげり」としてのアウラを生むためには、日常に何かしらの「遠さ」を与えることが必要になる。牛腸の友人の三浦和人はこんな思い出を語っている。「体も楽だしペントハウスから超望遠レンズで街行く人を撮っていきたい、もっと高層のビルから、さらに上空から、宇宙から観るとどのように見えるのだろうかと話したことがある。ひょっとしてそのとき、彼は一つの構想を想い描いていたのかもしれない。」(『牛腸茂雄 作品集成』所収「写真集『見慣れた街の中で』をホッとした思いで受けとめたひとりとして」)「遠さ」を文字通りの物理的な距離として実現する可能性を、牛腸は空想していたのだろうか。
 しかし、実際には彼はそうしなかった。『見慣れた街の中で』には何枚か、街を俯瞰するような写真も含まれているが、その多くはむしろ、雑踏のただなかにあって撮影されている。牛腸の身体的制約(胸椎カリエスの後遺症)からくるローアングルの構図や、ノーファインダーと思われるフレーミングが多用されたスナップショットのカラー写真は、雑然とした印象すら与えかねない。その撮影方法を写真家自身は、「私は意識の周辺から吹きあげてくる風に身をまかせ、この見慣れた街の中へと歩みをすすめる」と言い表わす----「そして往来のきわで写真を撮る」と。
 牛腸が身をまかせているのは、「意識の周辺」、つまり、いまだ意識されざるもの、ないし、すでに意識から逃れたものとしての、前意識あるいは無意識との「きわ」から吹きあげてくる「風」だ。意識的なコントロールを外したところで、ほとんど無意識的な流れに身をゆだねたときにカメラが捕らえる光景を、彼は発見しようとしている。この序文に先行するテクスト(自作解説「写真というもう一つの現実」)では、「往来のきわで写真を撮る」の前に、「関係妄想に取りつかれたかのように」という一節が差しはさまれている。「関係妄想」とは周囲の出来事を過剰に自分に関係づけることを言う。「妄想」に取り憑かれたような、明晰な意識ではなく無意識的な熱中状態に没入したなかで記録される都市の表情----そこに牛腸は「日常性」という「とりとめもなくあいまいな世界」の「深み」、「深遠な世界への迷宮の扉」を見ていた。無意識の風に身をまかせることは、この「深み」へと写真を引きずり込むための方法だった。
 もちろん、妄想などといったところで、写真が現実の似姿、「もう一つの現実」であるしかなく、現実の仲立ちを必要としていることを、牛腸は強く自覚していた。われわれにインパクトをもたらすのは、現実との対応関係を「かいくぐって」蘇生する「写真の生命」なのだが、そのとき、この写真家にとって問題だったのは、「ある人には見えるものが、ある人には見えない」という事実にほかならなかった。それは「現実と幻想の彼方との距離の問題なのだ」と彼は言う。「そのことはまた、ある一人一人の人間が現世にどのように身の置き方をしているかということで、そのあらわになる世界の〈像〉もまた変るのだともいえよう。」ここで言う「像」を「写真」と置き換えてみれば、牛腸がこの「もう一つの現実」をとらえている地平が鮮明になるだろう。
 意識の周辺から吹き上げてくる風に身をまかせる方法の危うさを牛腸が感じるのは、だから、写真が現実の似姿に過ぎないものになることよりも、むしろ逆に、「写真の手痛い裏切りによって、つまり、私の想念の肥大化によって自らの尻尾を食うこと」のほうなのである。それは妄想が循環してウロボロスと化してしまうことにほかならない。
 牛腸が精神医学に強い関心を抱いていたことはよく知られている。1982年に発表された文章で彼は、患者が興味のおもむくままに撮影した写真を媒体とする精神療法について触れている。そこに表われる「写真が生まれてくる初源的な契機」に焦点を絞るならば、写真家の作品と家庭のアルバム写真はいずれも等しく関心の対象となり、「いかに写すか」という問いなどは二次的なものになってしまう。「一人一人生きている基盤が違うように、各人の写す写真も躍動感をもって生きはじめてくるであろう。」それこそが「世界の〈像〉」が変わるということなのである。
 こうした文脈において見るならば、『見慣れた街の中で』は、1977年の『Self and Others』の延長線上にある以上に、1980年のインクブロット画集『扉をあけると』の関心と方法を受け継いでいるように思われる。インクブロットやデカルコマニーへの牛腸の取り組みはすでに1970年代初頭から始まっており、1975年1月には作品50点を展示した展覧会「闇の精」も開かれている。
『見慣れた街の中で』をめぐるある文章の下書きで牛腸は、それらの写真は「実にたわいもないものだ」といった感想から、必要以上の拒絶反応、あるいはスーッとその写真群に溶け合うような見方まで、見る側によって、非常に反応の差が著しいものだろうと思う、と書いている。これは彼が、『見慣れた街の中で』の写真をいわばひとつの心理テストの媒体として、見る者の「反応」を引き出す触媒ととらえていたことを示す告白のように思われる。
 インクを滴らせた紙を二つ折りにしたうえで開いてできるインクブロットは、偶然に生じた物理的痕跡であるにもかかわらず、ロールシャッハ図形がそうであるように、何かを意味する記号に見えてしまう。こうした性格において、それは「コードなきメッセージ」である写真という記号に似ている。インクブロットを展覧会に展示したり画集にしたりするという営みは、偶然の産物を選択し組織化するという点で、写真展の企画や写真集の制作に対応している。心理学や精神医学の知識を生かして友人のカウンセリングや夢解釈をおこなうこともあったという牛腸は、自作のインクブロットに対するみずからの反応を自己診断する営みを繰り返していたのかもしれない。それは、彼の写真家としての活動が、写真を媒体にした自己自身に向けた精神療法でありえたことを類推させる。
 ロールシャッハ・テストは、心理テストのなかでも最も精神的侵襲度の高いものとされ、統合失調症の前段階にある場合、発病の引き金を引くことさえあるという。さまざまなイメージの連想を強いるインクブロットの図形は、妄想を誘い出しかねない。そんな危険のエッジを慎重に探りながら、牛腸は写真にも、インクブロットに対するのと同じまなざしを向けていたのではないだろうか。だからこそ彼は、意識の周辺からやってくる風に身をゆだねる方法----迷宮の「扉」を開ける方法----が孕む、想念のウロボロスにいたりかねない危うさを自覚できたのではないか。
 インクブロットの最大の特徴は左右対称性である。それがひとや動物の顔への連想を生む。セルフポートレイトの背景にインクブロットの作品が見える『Self and Others』は、人物を真正面から記念写真的にとらえている写真が多い点で、人体の左右対称性を強く印象づける。さらに、双子の写真が2枚含まれていることも、対称性の感覚を強めている。
 一方、インクブロット画集と『見慣れた街の中で』にあって『Self and Others』にないものとは色彩である。『扉をあけると』に収められた14点のインクブロットのうち、墨一色の作品は2点(うち1点はセルフポートレイトの背景に掲げられたもの)で、残りの作品にはすべて何らかの色彩が付いている。
 ロールシャッハ・テストが色彩反応を診断の重要な手がかりとするように、色彩の見え方はひとによってさまざまでありうる。このようなことをことさらに問題にするのは、『見慣れた街の中で』には、発色を際だたせたように見える写真が多いからだ。とりわけ赤と青である。表紙カバーにも使われている写真に撮影された、おそらく正月のものと思われる女性たちの着る晴れ着の赤とローアングルで写された空の青、あるいは横浜の雑踏を歩く少女のスカートの赤、子供が手にした風船の青、子供のカーディガンとその手を引く母親のコートの鮮やかな赤、男性の手に握られたカーネーションの赤、交通標識や看板を彩る赤と青など、数え上げればおびただしい。
 色彩は形態とは異なり、「質」が優越しており、言語による区別が困難である。ひとは数千万の色の違いを質として識別できるけれど、色の名は6つから10個程度に限られている。そのほかは「何々のような色」という表現をとらざるをえないのだ。さらに、名による色彩の分割は文化や時代によっても異なる。そもそも色彩という質の相互確認は、「これは赤だね」「そう、赤だ」という名辞を通した合意によるしかないが、これはお互いが同じ色を見ていることを保証するものではない。
 こうした点で視覚における色彩は、形態感覚よりも、触覚、嗅覚、味覚、運動感覚、振動感覚などに近い「原始性[プロトペイシック]感覚」である。そして、刺激の客観的対象化を目指す視覚(形態感覚)や聴覚よりもこうした近接感覚において情動と感覚とが結合しやすいのと同様に、色彩は形態に比べてより情動喚起的である(以上、中井久夫『徴候・記憶・外傷』所収「発達的記憶論」による)。
 色彩がこのように言語化困難であるがゆえに、カラー写真の特性は、「即物性」などという、それ自体曖昧な概念で表わされることが多い。逆に見れば、モノクロ写真は近接感覚的な色彩を排除しているために、より言語化しやすいと言えるかもしれない。『Self and Others』が『見慣れた街の中で』よりもはるかに強く批評を誘惑するのは、それが、自己と他者をめぐるまなざしの関係性を、モノクロ写真という方法で厳密に形式(=形態)的に追究した写真集であることに由来するのだろう。
 こうした点で、身近な友人であった三浦が、『見慣れた街の中で』を「ホッとした思いで受けとめた」と書いていることは深い理由を感じさせる。スナップショットの自由さばかりがその原因ではあるまい。色彩もまた「ホッと」させる、救いに似た要素である。それは知らず知らずのうちに情動に訴えてくる。意識の周辺から来る風に身をまかせて撮られた牛腸の写真は、形態のランダムさやそこに散在する色彩のアクセントを通じて、漠とした拡がりをもった中空に堆積し増殖するあの「かげり」という情緒を、何かの徴候のように感受させているのだ。
 それは現前するものの記号論によってはとらえられないような、ほのかに示唆的で、存在するともしないとも言えない、曖昧な雰囲気めいた代物である。中井久夫は、精神医学は現前よりも、予感、徴候、余韻、索引といった「現前の周縁に揺曳するもの」に多く触れる、と述べているが(前掲書所収「『世界における索引と徴候』について」)、『見慣れた街の中で』が1970年代末から80年代の都市の光景を通じて伝えているものもまた、現前する世界のまわりにたゆたう、そんな気配のような何かではないだろうか。この点でそれが「迷宮の扉」を通して探ろうとした日常の「深み」とは、中井が「メタ世界」と呼ぶ、予感、徴候、余韻、索引を入り口とした「もう一つの現実」だったと言えるように思う。
 そうした都市の気配をかつてのように「アウラ」と呼んでもよいが、いずれにせよ、それを性急に論理化することは、本質を取り逃すことになりかねない。だからむしろ、『見慣れた街の中で』が自分自身に呼び起こす反応を忠実に記したほうがよいだろう。わたしはそこに、雑踏のざわめきとともに、記憶のなかのある曲が流れるのを聞いた。デヴィッド・ボウイの「Five Years」である。幼少時の病以来、つねに限られた時間を意識しながら生きた牛腸の生が、「地球には5年しか残されていない」と歌う歌を連想させたのだろうか。目に映るもの、耳に聞こえるものすべて、そして、あらゆる生命が、記憶に値する、いとしいものに思われるような時間の感覚----それは、牛腸に少しでも近いまなざしでここに残された光景を見なければならないという、無意識の呼びかけに促された反応だったのかもしれない。『見慣れた街の中で』には、情動の蠢きをともないながら、そんな幻聴に始まり、運動感覚、振動感覚といった視覚以外の近接感覚を強く喚起する何かが潜んでいる。
 この写真集で深く記憶に残るのは、眠っているように目を閉じて、呆けた表情を浮かべている幼い少女たちの姿である。ベンヤミンが『パサージュ論』で19世紀のパリについて書いたように、個人の意識が明晰になる一方で、群衆はより深い眠りに落ちてゆくのが資本主義という夢の世界だとすれば、『見慣れた街の中で』が記録したバブル期直前の東京・横浜の路上でほんとうに目覚めていたのは、むしろ逆に、こんな眠れる少女たちだったのかもしれない。彼女たちは牛腸の遺作『幼年の「時間」』の先駆けであるとともに、意識の周辺から吹き上げてくる風のまま、現前の周縁にゆらめくきざしを捕らえようとした写真家の分身でもあったように思われる。『見慣れた街の中で』を「見る」ためには、つまり、牛腸のあの問いに答えるためには、われわれもまた、同じ風に身をゆだね、意識の眼を閉じなければならないのだろう。
 そのときにはじめて、「見慣れた街」のどこか哀しい赤や青といった色彩は迷宮の扉を開ける----そんな予感がしてならない。この写真集は、過ぎ去った時間と喪われた写真家の生の余韻のただなかに、そうした定かならないものの到来のきざしを孕んでいる。

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東京大学大学院総合文化研究科・教授
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