「爆心地の写真 1945−1952」書評(本文のみ) - Blog (Before- & Afterimages)

「爆心地の写真 1945−1952」書評(本文のみ)

読売新聞に寄稿した『photographers' gallery press no. 12 特集:爆心地の写真 1945-1952』の書評本文です。

 本書は東京・新宿にある写真家たちによる自主運営ギャラリーの機関誌最新号である。「爆心地」とは広島を指す。この特集では、原爆の投下と敗戦から講和条約発効(1952年)による主権回復までの歳月に広島で撮影された写真が、調査取材にもとづく座談会や論文によって詳細に検証され、多角的に考察されている。
 三種類の写真資料がその柱をなす。第一は被爆当日の惨状を唯一記録した、中国新聞社のカメラマン・松重美人(よしと)撮影による五枚の写真である。第二は1949年に広島県観光協会が出版した写真集『LIVING HIROSHIMA』、第三は同年刊行の英文グラフ誌『HIROSHIMA』だ。
 『LIVING HIROSHIMA』が占領下の検閲との緊張関係の中で出された最初の原爆記録写真集であると同時に、海外向け観光案内でもあったという二面性、あるいは、『HIROSHIMA』に収められている、原爆投下前後の広島を聞き取りをもとに描いた吉田初三郎による連作鳥瞰図のピンク色のキノコ雲が、いかに実際の光景に即した描写であったかなど、いずれも私には驚きとともに知る事柄だった。本書には『HIROSHIMA』の全ページが転載され、日本語訳が付けられており、吉田の連作絵画をカラーで眼にすることができる。
 だが、何よりも衝撃的なのはやはり、五枚の「爆心地の写真」であろう。みずからも被爆した撮影者・松重は、何が起こったのかもわからぬままに、瀕死の生者と死者たちが「牛肉をならべたようにずらり横たわり」とやがて回想されることになる、凄惨な状況にあった爆心地2・2キロの御幸橋の上で、長い逡巡の末にようやく最初の写真を撮影している。彼はそこに撮された横たわる一体の亡骸を、あまりのむごさゆえに、のちにネガから掻き消そうとしたともいう。
 撮影者にそんな行為すら強いかねない出来事の記憶と写真記録の深い闇に絶句しそうになりながら、それでもこれらの不鮮明な写真を執拗に見直し、被写体の人々とその撮影者たちの経験を想像してみなければならない──そうした強い思いが本書全体の底に流れている。座談会では、アウシュヴィッツ強制収容所で屍体焼却などを担当させられたユダヤ人特別部隊員が隠し撮りした四枚の写真と松重の写真が比較されている。これらはともに、撮影者自身もまた生死の危機にある、極限状況下における記録だからこそ、写真というメディア、撮影行為、そして写真を見るわれわれの経験の本質がそこで鋭く問われるのだ。
 原爆投下から70年の節目を迎える今、繰り返し凝視すべき光景がここにある。原爆写真のみならず、写真の見方そのものを変える力をもった一冊である。


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田中 純
東京大学大学院総合文化研究科・教授
TANAKA Jun, Ph.D.
Professor
The University of Tokyo

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