荒川厳夫『百舌』詩抄 - Blog (Before- & Afterimages)

荒川厳夫『百舌』詩抄

以下に掲げるのは荒川厳夫の詩集『百舌』からの詩二篇である。「荒川厳夫」とは、橋川文三(1922-83)の弟、橋川敏男(1925-1954)のペンネームである。敏男は結核のため、広島の療養所に長期入院していた。『百舌』は彼が療養所の詩友たちと作った「高原詩の会」によって発行されている。発行日は1954年4月6日。しかし、敏男はその三日前に28歳で永眠している。
この詩集については、橋川文三編解説による「荒川厳夫「百舌」詩抄」が、雑誌『ユリイカ』1976年4月号に掲載されている(241-256頁)。そのうちの解説「荒川厳夫詩集「百舌」についての私記」(のちに「私記・荒川厳夫詩集『百舌』について」と改題され、『標的周辺』に収載。『橋川文三著作集8』所収)によれば、『百舌』は横長の謄写印刷で作られ、全体がちょうど100ページ、37篇の詩作品を収録しているという。「荒川厳夫「百舌」詩抄」にはそこから7編が採られた(「眩暈」「白い盆燈籠」「蠅」「桔梗」「ふとん」「誕生日」「怪我」)。敏男の詩の背景にある、まだ壮年だった父の病死に始まる酸鼻な一家離散の歴史は文三のこの「私記」に詳しい。なお、「荒川厳夫」という筆名は敏男が好んでいた詩人アラゴン(「荒」「厳」)に由来するという。
橋川文三の「私記」はともかく、荒川厳夫(橋川敏男)の詩そのものが世上の人びとの目に触れる機会はきわめて稀、いや、ほとんど皆無であろうと思われる。「詩抄」に選ばれた詩の多くは、自身の病や療養生活を題材として、透き通った沈鬱さと諦念のなかに、一瞬の生の煌めきのようなものをとらえている。このように優れた詩がほぼ誰にも読まれぬままにとどまることはあまりにも無念に思われた。それゆえここに、亡くなった母をめぐる哀切きわまりない詩「白い盆燈籠」──文三はこの詩について「私たち兄妹にはほとんど読むにたえない痛恨悲哀の感をよびおこす」と書いている──、そして、読む者に衝撃を与えて忘れがたい印象を残す「桔梗」の二篇を、全文データ化して公開する。底本は上記『ユリイカ』、ルビは[ ]で示し、傍点はやむをえず太字(ボールド)で代替した。OCRを利用したうえでチェックしたが、誤字などにお気づきの場合にはご指摘いただきたい(Twitter@tanajun009)。

白い盆燈籠

今宵 盂蘭盆の晚 
汗にむれる背中からうらうらと 
意識をくらめかして立ちのぼる追憶の 
そのはるかにおぼろなあたりに点滅する 
盆燈籠の赤、黄、青、白、......

樟脳のにおいのする他家[よそ]行きの浴衣に 
帯を締めてもらうのが嬉しくてたまらなかった 
幼い頃から
母にともなわれて墓地への道を上り 
火をともした燈籠は幾つになろう 
その母は今亡く 
今宵故郷の丘の我が家の墓を 
初盆の白い燈籠はとりかこんで
しめやかに亡き人の想い出をともしているのであろうか

ここにまた一つの〝女の一生〟を生きた母 
──まだ手玉手鞠さえ恋しい年頃妻となり 
  日々の生活[たつき]に悩むことはなかったが
  気難しく気性烈しい夫への気遣いと
  生[な]さぬ仲の子を混えた子供達への心配りと
  夫の手広い仕事にともなう雑多な家事のやりくりと
  ......
  たましいをすりへらすつとめは尽きなかった

  嘆きも不満も
  すべては仏壇の香の煙に煙らせ、立ち上らせた二十年
  漸く心やさしくなりはじめた夫と共に
  良い子を沢山持った分限者[ぶげんじゃ]の幸せなお奥[ごう]さんと
  町の人々に羨しがられたのもつかのま
  夫を業病に奪われてやがて
  徐ろに傾きはじめた家の運命は
  二人の男の子にわずかに明るい未来を托す
  この母を乗せて
  とうとうと戦争の渦の中に巻き込まれて行き

  半生の汗と涙で洗ってきた家を 
  軍需工業のためにたたき壊され 
  衣るものはつぎはぎの百姓衣にかわり 
  顔は陽に焼け
  手はタコでかたくなってゆき 

  そして敗戦──
  強くもない肉体と残りすくない家財を 
  インフレの喰い荒すにまかせて 
  長男を大学から出したが 
  彼は家には帰って来なかった 
  最後に望みをつなぐ次男の卒業証書を 
  ようやく手にして 
  涙を流した数日後 
  その息子は血を喀いた──

此の〝女の一生〟の後半を
暗く隈どる私の影
母のあの皺を刻んだ私の宿痾

──深夜とめどもなく喀き続けるそばで
  胸を絞る吐息をはいていた母よ 
  小康を得れば性懲りもなく動きまわる 
  私に腹を立てながら 
  倒れればまた
  なにかと機嫌をとったり励ましてくれた母よ 
  一日中野良仕事で疲れながら 
  私には白い飯と肉を食わせ 
  自分は漬物で麦飯を食っていた母よ 
  私には聞えぬようにとひそやかに 
  妹と台所の隅で療養費の工面を話しあっていた母よ

母のこの影を踏み 此の皺に手を掛け
この吐息を吸いこんで
わずかに立上った私に
今一息と思ったのもつかのま
ひかえめな願いを込めて私を見守る視線を
にべもなくそれて
町の人々が白い眼で見る日鋼ストライキの応援に 
私が飛び出した時 
母は怒りと失意にうちのめされて 
床に就いた
 (それは私にとってのっびきならない歴史 
 に対する誠実の問題 
 ああしかし
 母に対しても且誠実である別の道はなかった 
 というのか!)
一度ならず二度、そして三度、更に四度、
私の病気は
母の瞳の中にはかない喜憂を点滅させたあげくの果 
隈なく蝕まれてしまった肺と共に
此の療養所の望み薄いベッドに辿りつくこととはなったのだが──

それから一年余りというもの
──家にあっては
  野良仕事とPTAや市の食糧委やなにやかやの公務に追いまわされ 
  嫁いだ娘達のそれぞれの悩みそれぞれに心を砕き
  そして骨を削るように家計のきりもり

  電気料金の集金 ウドンの包装 海苔の仲買い
  そんな内職までしたという
  更に恥多い借金 はたきだすような売り食い

  りゅうりゅう絞り出した金は 半月も 
  あけず療養所に運び
  (ああ その何枚かの紙幣はどんなにか重く どんなにか掌にねばりつくようであった
   であろうに)
  果物 菓子 ミルク......
  私の欲しがるものには何にでも 
  惜しげもなく費い果し
  ここでも亦 傷心と暗欝のみを与えられて帰ってゆく──

一九五〇年一〇月 
漸く秋風のさわやかな病室に 
いつもの重い笑顔と 肩のまるい後姿を残して 
帰って行った六日後 
ふっと死んでしまっていた 
それは本当に油の尽きた灯のように

──外出から疲れ果てて帰って来て
  薄暗い電灯の下で幼い妹と二人きりで 
  声もなく
  ぼそぼそと茶潰をかき込み
  そのまゝ横になって間もなく
  あぶら汗を額ににじませて 口が
  きけなくなっていた と
  そしてその台所の棚の中には
  分家で貰ったたった一つの
  自分も大好物の祗園坊の熟柿の半分が
  明日西条の病人へといってしまってあったと

その葬儀は花輪と弔辞で飾られ
婦人としては町はじまって以来の盛儀であったというが 
佛を信じることあつく その教へのまにまに生きた母は 
必ず浄土に詣っているというが

ああ この五十年の生涯に 胸を絞った吐息の 
はかり知れない深さに比べて
この世から最後に吸取った息の これはまたなんという 
惨めなはかなさであったろう 
この罪深い息子の心臓の奥深く 
くいこみ 疼いて止まぬ虐げられた母の像には 
どのように酬いたらよいのか

今宵 盂蘭盆の晚
故郷の夜の風にまたたく 白い盆燈籠の 
ほのかな灯に
この一人の母の運命を想い沈む人もあるであろうか
病床の中の不幸者の息子は
ゆらゆらとゆらめく熱い水底[みなそこ]から
いくつもいくつもの母の笑顔を仰ぎ見ている
(一九五一・八・一六)



桔梗

病室の花籠にゆれている数本の桔梗の花 
かよわげだが一生懸命咲いているその花に 
松島音頭の歌を想い出す
その歌を「これは一寸難かしいんよ」と言い言い 口ずさむような声で歌っていた 
少女のことを想い沈む

「桔梗の花は童話のお姫様みたいだから好き」
小学校の頃から女学校の三年生になるまで 毎年のならわしのように その年はじめて見つけた桔梗の花を 私の花瓶に生けてくれながら そんなことを言っていた少女

一夏 私は山道にたった一本だけ咲いている桔梗を見つけ 少女に先んじて花瓶にさしたその晚 数学の質問にやって来た少女は それを見て驚いた 一瞬暗い悲しげな影が顔をよぎったように見えた

「来年桔梗が咲くまでの一年間に きっと私の運命に重大な狂いを生ずるわ
少女はなかばおどけたように なかば心もとなげな表情で言い 私は大声で笑った その幻想と 大ぎょうな言葉使いが可笑しく 又かわいらしかったからだが──

ああ 毎年私の花瓶にさす 一本の桔梗の花に明方の乳色の靄のような運命を占っていた少女よ 私の心ない仕業を悲しむあの表情 あの口調のひびきは 今もそのままよみがえって私の心を嚙む

翌年八月六日
少女は広島で死んだ
亡骸はついにみつからなかった
五日間 街中を 島々を さがしまわった母親は 偶然川端に あの朝小女がかむって出た白いピケ帽を見つけた その焼け残りのすゝけた布切に はっきりと我が子の名前を読みとった母親は 頰ずりしてその場に泣き崩れたという その布切が唯一の遺骨の代りとして墓に埋められたが──

柔らかに艷やかなおかっぱの黒髪 その下の色白な顔 
八重歯ののぞく口もと きちんと結ばれた真白なネクタイ 折目の綺麗なセーラー服のスカートからのびたすんなりした脚......
ああ あの黒髮が焰となり あの顔が焼け崩れ 焦げちぎれたモンペをひきずってあの脚で よろよろと此の川端をどこかへ歩いていったのであろうか 母を呼び 水を求めて 獣のように顔をゆがめ 皮膚をかきむしったのであろうか

原子雲と一しょに 空の彼方に消えてしまったかのような少女 しかしこれはお伽話ではない 此の頃の此の夏雲のたたずまいの下で これは遠い昔の悲しい物語ではない

桔梗の花が風にゆれる
──運命に重大な狂いを生ずるわ──
あの一瞬よぎった暗い悲しげな表情のみが 想い出を占め続ける
(一九五二・八・一〇)


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田中 純
東京大学大学院総合文化研究科・教授
TANAKA Jun, Ph.D.
Professor
The University of Tokyo

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