ガブローシュとジャベール - Blog (Before- & Afterimages)

ガブローシュとジャベール

これもちょっと思い出して、昔書いた映画版「レ・ミゼラブル」の感想。
映画版「レ・ミゼラブル」、撃ち殺されたガブローシュ少年にジャベールが自分の胸の勲章を付ける場面に(のみ)激しく涙腺を刺激された。これはラッセル・ クロウの提案で撮影された場面とのこと。恐らく六月暴動の鎮圧に成功したことを称えて授与された勲章を、学生側のガブローシュに与えることを奇妙に感じて いたところ、このシュヴァリエ(騎士章)はナポレオンが制定した勲章で、「もともと反王政の意味が強い勲章なので、ここでガブローシュに与えるというのは とてもふさわしい」という解説を見つけた。
http://tujimoto.cocolog-nifty.com/tiger/2013/01/post-a986.html
いちおう筋は通る。しかし、この勲章が少年の屍体から見つかって、持ち主が特定されれば、ジャベールも無事にはすまないのではないだろうか。とすると、 ジャン・ヴァルジャンに命を救われて、もうすぐ自殺することになるジャベールの心境の変化(と自死の予感)がすでにそこに作用しているのか。
それにしてもなぜここにだけ自分は感情的に反応したのかと自問するに、ガブローシュのような「少 年の死」というテーマにはもともと弱いことが理由のひとつとして、そのうえさらに、囚人の両親から生まれたからこそ、法の体現者を自負していたジャベール が、最下層の少年ガブローシュに自分の勲章を与えるという行為に、対極にあった者同士が相通じるようにして交差する運動を感じ、ジャベールにガブローシュ が何かを託す、ジャベールがガブローシュの父になる、いや、端的に言って、「ジャベールがガブローシュになる」かのような、時間の転倒した平行世界をとっ さに連想したからかもしれない。親子、いや、兄弟としてのジャベールとガブローシュ。「政治の源は非行である。兄弟はすべて共犯者である」という、拙著 『政治の美学』のエピグラフに引いたノーマン・O・ブラウンの言葉が思い出される。ジャベールとガブローシュのこの兄弟的な「共犯関係」に自分は衝かれた のだろうか。もとより、いかにもそれは、映画やミュージカルの本筋とはまったく異質な、審美的な(それゆえに特殊な意味で政治的な)妄想だろうけれど。

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田中 純
東京大学大学院総合文化研究科・教授
TANAKA Jun, Ph.D.
Professor
The University of Tokyo

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