「絶句」ののちに──合評会「田中純『過去に触れる』に触れて」後記 - Blog (Before- & Afterimages)

「絶句」ののちに──合評会「田中純『過去に触れる』に触れて」後記

せっかく催していただいた拙著『過去に触れる』の合評会なので、その場で語れなかったこと、終了後に感じた思いを記録しておきたい。(非常に長文です。PDF版 JTanaka20161130-2.pdf

 4人の評者のうち、最初の竹峰義和さんの評はまず本書を歴史経験と歴史叙述の方法論の書物と位置づけ、その全体像をきわめて手際よく整理していた。そこで輪郭を描かれた本書の歴史哲学的な思想が、おおむね合評会全体の議論の対象になっていたと言ってよいだろう。竹峰さんは最後に次の3点を質問として挙げられた。

1.既存の物語・ナラティヴである歴史表象に対する対抗としての「歴史の逆撫で」が、それ自体として類型化したナラティヴにパターン化しているのではないのか。
2.過去を未決定状態に置こうとするサスペンスとしての歴史叙述がSF映画や『僕だけがいない街』を分析事例として論じられているが、タイムスリップものの映画のように、それが事実性への意識を希薄化させ、たとえばアウシュヴィッツをなかったことにするような無責任さにいたることはないのか。
3.「わたし」を前景化させる叙述は主観的であることを免れず、そこには著者の無意識的願望が混入してしまうのではないか。

 これらはいずれも、本書を学術的言説として評価する場合、決定的にクリティカルな論点であり、研究者としての著者の喉元に突きつけられた問いであったと言ってよい。合評会の場では、続く桑田光平さんの批評への応答と合わせて回答した内容だが、ここにその概略をまとめておこう。

 1の問いについては、本書が或る種のパターンを反復していることは積極的に認めておきたい。これは岡本源太さんの指摘した「身振りをなぞる身振り」の反復とも関わっている。ただ、ここで注意しなければならないのは、そこで反復されていたナラティヴは、歴史学的に確定されたただひとつの正当=正統な過去という「大きな物語」──「事実性」の集積としてのそれを無視するわけではない──と同種のものではなく、その細部の綻びで散発的に倦まず弛まず繰り返される「小さな物語」の、きわめてランダムな運動だった、という点である。それはもとよりパターンとしては、『オデュッセイア』や『アエネイス』、あるいはダンテ『神曲』地獄篇以来の、「物語」なるもののトポスのひとつである「冥府めぐり」をなぞっていたに違いない。「小さな物語」自体がそれぞれ事実としての経験に即していた以上、結果としてそれらがそうした一定のパターンに沿うように見えることは避けがたかった。しかしあえて言えば、そのようなパターンの反復は、言説としての物語の反復であるよりもむしろ、生において遭遇してしまう諸々の出来事がおのずと帯びることになった性格なのである。

 映画『マイノリティ・リポート』などを取り上げて論じたかったのは、イーストウッドの『チェンジリング』などと通底する「迷い子を捜す」というモチーフがもつサスペンス的な意味だった。その背景には、ベンヤミンの『1900年頃のベルリンの幼年時代』をどう読むかという問題意識があった。『僕だけがいない街』もまた、みずからの失われた幼年時代を探すというモチーフの点から分析されている。したがって、これらについての本書の考察はタイムスリップ物すべてを「歴史の逆撫で」として許容するような立場を示唆するものではない。喪われた子供たちの存在ゆえに必要とされる「逆撫で」や「希望」の由来を探ろうとする意図がそこにはあった。ホロコースト表象をめぐるヘイドン・ホワイトの理論への批判などを踏まえ、歴史叙述における事実性についてはむしろ強く意識されている。しかし、そのような事実性をめぐる叙述がその客観性ゆえに──「何千人、何万人の無辜の人びと、子供たちが殺された」という事実のみの記述の動かしようがない堅固さゆえに──どこかでもたざるをえない暴力的なまでの権威性──大文字の「歴史」の必然──に対して、「それでもなお」抗おうとするのが「逆撫で」の身振りである。事実性の必然に直面して、わずかでもその必然性が揺らぐ瞬間を作り出す歴史叙述の可能性を、本書では「サスペンス」と呼んでいる。そうした試みの優れた達成がローラン・ビネの『HHhH』である。

 本書は「私記」である、と著者であるわたし自身が規定したように、この書物における叙述の主観性はいわば無防備に前提とされている。そこには著者自身の無意識的願望が混入しているだろうし、むしろ、叙述を強く駆動さえしている。そこに学術的客観性を疑わせるものがあることは否定しないが、しかし、本書の方法そのものが「わたし」という主体の歴史経験を自己分析しながら、その経験の構造それ自体を解明しようとするものである以上、通常の意味での客観性を保証する距離をあらかじめ設定することは考えられなかったことも事実である。端的に言って、わたしがここで書きたかったのは「文学的歴史叙述」である、と言い切ってもよいのかもしれぬ。そして、「過去と触れる」経験において真に問題となるのは、わたし個人の無意識──精神分析的に解釈されるような──ではなく、個人的な願望や欲望など破砕してしまう──岡本さんが言った「わたしたちの期待を裏切る」──出来事であるはずだろう。

 桑田さんは本書を「恐ろしい」と形容しながら、それに続けて、著者は「どこかで寛いでいる」と語った。それはまた、「死者たちのそばにいる安寧さ」とも言い換えられた。これはわたしにとって、それこそ「恐ろしい」洞察である。自分が自分ではどうしようもない魔力──呪縛圏──に囚われていることをわたしは知っている。しかし他方ではどこかで、そこに「安寧に」安らいでしまって、突き詰めた危機に直面していないのではないか、という、自己自身に対する疑念を抱いてもいる。「過去の色」をめぐる経験や『明るい部屋』のロラン・バルトをめぐって言及された絶対的「受動性」という論点にしても同様であり、「温室の写真」を前にしたバルトが「身動きもせずに苦しむ」状態に比して、そのバルトを論じる者としての自分は、絶対的な受動性の身振りをなぞっているに過ぎず、そうであるがゆえに一章ごとに「区切り」を付けることも可能であり、「旅を続けたい」と書くことも可能なのだ。延々と繰り返されるこの作業──桑田さんは本書を「航海日誌」に喩えた──は、どこかであの「呪縛」ゆえに強いられているものでありながら同時に、その強いる力の強度をわたし自身が撓めることによって操り、「寛いでいる」余裕のなかに保っているようにも感じられてしまう。「過去の色」に染め上げられようとする歴史経験が、論じる主体の現在の色(現在の欲望)によってどこかで補われ、安寧で調和的な色彩に変質してしまうのである。桑田さんの指摘は、わたし自身が薄々感じていたこのディレンマをはっきりと言葉にしてくれたものだった。

 本書の印象を季節ならば春、時間であれば明け方と評されたことも、ここで触れた寛ぎや安寧に関わっているだろう。言うまでもなく春は残酷である。しかしそこには芽生えの生命力がある。明け方の草木は日の光に憧れている。死者たちのそばに近づきたいと一心に願う著者自身はおのれのその切迫に宿る生命力を信じている。その意味では知ろうとする力を信じてもいる。寛ぎや安寧と見えるものは、或る切迫感のもとに繰り広げられてきた航海をテクスト、ひいては書物というかたちでいったん終わらせることができた安心感のようなものだろうか。口絵に掲げた金鳳花を手にしたベンヤミンの写真の季節も春、たぶん五月頃である。

 だが、本書が春の明け方の光のもとにあるように感じられるとすればそれは何よりもまず、この書物が最後にたどり着こうとした言葉が「希望」であったからであるように思われる。希望は救済ではない。救済を確実にする保証はどこにもない。しかしそれは、終焉の予告ではけっしてなく、やはり、何らかの「始まり」の予感だろう。その意味で、極限状況下の写真をはじめとして、むしろ歴史の暗い側面を数多く取り上げている本書が春の明け方を想像させるのは、そのような闇のなかでもなお希望を見出したいという、著者の強い願望によるのかもしれない。

 しかし、たとえそうであっても、わたしの感じていたディレンマは残る。これは学術的な方法や倫理意識では乗り越えられない、本書で選んだアプローチ固有のディレンマである。桑田さんが言及していた「喪」をめぐるバルトの思考によれば、喪は必ずしも克服すべきものではない。母の死を受けてバルトが小説を書こうとしたのは、彼にとっては喪が生き直すべき対象としてもあったからだという。この「生き直された喪」は「死者たちのそばにいる安寧さ」に通じるのかもしれない。少なくともわたしは、『明るい部屋』でバルトが取った、「温室の写真」を引き延ばし複製するという「素朴な身振り」のなかに、なぞって徹すべき「身振り」を見ていた。理詰めで考え抜かれた学術的方法の安全性など当てにすることができぬ以上、徹底した素朴さこそが倣うべきものに思えた。その結果をいま、自己批判しようとも強く肯定しようとも思わない。わたしが生きていて、生き続けたいと思っている以上、あの安寧はディレンマをともなうのかもしれないが、逆に言えば、その安寧こそがわたしを生かし続けてくれる力のようにも思えるのである。

 「身振りをなぞる身振り」の反復をめぐる岡本さんの指摘は、竹峰さんが問いかけたナラティヴの問題と同じく、本書に埋め込まれた構造を鋭く衝くものである。「身振りをなぞる身振り」を著者は執拗に意識的に繰り返しているにもかかわらず、その身振り自体は結論の十のテーゼには書き込まれていない。この点については、事後的ながら気づいたこととして、十のテーゼという形式そのものが遺稿である『歴史の概念について』というテクストを書いたベンヤミンの「身振り」をなぞったものであるがゆえに、明示的にはテーゼ自体のなかには入れられなかったのかもしれない。いわば、テーゼ形式のテクストを結論として書くことそのものが「身振りをなぞる身振り」だったのである。

 「身振りをなぞる身振り」とは、みずからの身体を依り代のようにして、同じ身振りをそこに重ねることで死者をつかの間甦らせるような儀式にも似たものだったのだろうか。アビ・ヴァールブルクの「情念定型」の思想がその背後で働いていたのかもしれない。思えば『都市の詩学』ですでに、たとえばアルド・ロッシの建築やベンヤミンの『幼年時代』を論じるにあたって、子供が積み木で遊ぶ身振りをわたしは反復することで思い出そうとしていた。『過去に触れる』でそれは、クラヴェルの語りを自分の声で再生しようとするような行為として行なわれた。死者の身振りにわが身を重ね合わせる経験が、わたし自身にその死者の甦りを実感させたのである。

 岡本さんはこの「身振りをなぞる身振り」を、わたしが本書のなかで否定的に扱っている過去の追体験やスペクタクル的な再現とは区別してくれた。ただ、もとより、そこに類似性があることは見まがいようもない。その差異についてわたしが自覚的に敏感であろうとしたことはたしかである。「身振りをなぞる身振り」の真正性を保証するものはじつは何もない。つかの間の実感を求めたわたしの経験はたんなる自己満足かもしれない。だが、そのような判断を行なう客観的な基準も水準も存在しない以上、わたしは一連のプロセスそのものをひたらす素朴に繰り返し、丁寧に叙述することによって、まさにその「身振り」そのものを示すしかなかった。したがって本書は、何かを「説明する」書物であると言うよりも、その反復的な身振りを「示す」ものであると言えようか。

 こうした身振りは古典を前にしてそれを批判しながら復興しようとしたルネサンス人の身振りにほかならない、という岡本さんの指摘は眼から鱗が落ちるものだった。岡本さんによれば、ルネサンス人たちは断絶した過去を「パラダイム」として反復したという。その指摘から自覚したのは、そもそも歴史家の歴史経験をわたしがテーマとしたのは、ルネサンス人の心理的経験を問題として発見した、アビ・ヴァールブルクという歴史家の評伝を書いたことがきっかけであった、という経緯である。ヴァールブルクはいわば、ルネサンス人や宗教改革期の人びとの古代経験という歴史経験を反復し、彼らの「身振りをなぞる身振り」を繰り返したのである。わたしはそのヴァールブルクの身振りをさらに反復したのだ。

 岡本さんはまた、バルトの言う「伝記素」を受けてわたしが考案した「歴史素」の概念に触れ、歴史素がエピクロス的な逸脱の運動の果てに未来の肉体と出会うプロセスを「受肉」と呼び、その受肉によって身振りが反復される過程を一種の親子関係に喩えた。岡本さんによれば、こうした身振りそのものが歴史である。ではそこで何が起きているのか。わたしは、そのときに生じるアナクロニスムを、「わたしたちの期待が裏切られる」、すなわち、現在にいるわたしが過去に連れ去られ、過去の事物が逆に現在的なものとなる出来事と見なす岡本さんの見解に全面的に同意する。安定した現在という時点から過去が回顧され、過去に現代的な意義が与えられるのではない。「過去に触れる」ことで現在は破砕されかねないほどに震える──ブルクハルトやニーチェといった歴史家をヴァールブルクが「地震計」と呼んだのは、そのためだった。そして、「身振り」そのものが歴史であるとすれば、「身振りをなぞる身振り」とはそのような震えを受信しようとする体勢である。さらに、任意の時に任意の個人が恣意的に「過去に触れる」ことなどできはしない。ベンヤミンが過去のイメージが閃くのは危機の瞬間であると述べたように、経験の主体が何らかの危機的な状況に陥ることなくして、過去の震動は感受できないだろう。本書にあえて序章を付したのは、2011年3月の経験こそがわたしにそうした危機の時間の性格を教えてくれたからである。

 岡本さんは、たとえば思想家の校訂版の全集を読んでいても起こりうる、「概念の歴史性」との遭遇について語った。最後の評者である森元庸介さんが緻密な読解によって示してくれたのは「言語の歴史性」との思いがけない出会いであった。冒頭で森元さんが触れた本書の印象である、息苦しい読書ではないのだが、著者は大向こうの読者のことを考えてはおらず、説得しようともしていない、という指摘は、この本を書いた人間として深く頷かされるものだった。わたしはもしかしたら生者たちのためにこの本を書いてはいないのである。すでに死んだ人びと、あるいは、これから生まれてくる人びとのためにしか書いていないのかもしれない。わたしの世代の場合、書物という形式への執着もそこに結びついているのだろう。

 さらに重要な森元さんの指摘は、わたしが本書で演じている身振りが非常にささやかで小さなものであるという点に関わる。そこで例示されたのは、クラヴェルの弟ルネの日記をアーカイヴで手にし、小さな鍵でその錠を開けようとしたときの──わたしを襲った「自分はこれを開けてもよいのか」という疑念をともなう──身振りであり、クラヴェルの日記を引用するに際して記された「文字の連なりに手で触れたとき」という記述である。紙に触れたのではなく、「文字の連なり」に触れたと書かれている点に森元さんは注意を促した。わたしが手で触れたのは、クラヴェルがおおらかな筆跡で記していたひとつひとつの文字、その生命のようなものだった。そのことにわたしは合評会のその場で気づいた。気づかされた。

 そして絶句してしまったのである。

 「触れる」、英語で言えばtouchが含意する、セクシュアルな行為を指すやや露骨な意味について森元さんは言及し、そこに対象を侵犯するニュアンスがあることを示唆した。日記の錠を鍵で開けるという行為に性的な隠喩を読むことができるのは言うまでもない。これに限らず、「触れる」ことへの惑いや迷いがこの書物にたびたび記されていることも、森元さんの指摘する通りである。そのような迷いの記述が読者を説得するような意図からほど遠いものであるのも自明だろう。なぜならわたしが迷っているのは、本書を読む人びとを慮ってではなく、この書物を読むことなどけっしてないクラヴェルのような死者たちへの配慮からなのだから。

 ミケランジェロ・アントニオーニの『欲望』と比較された写真の拡大(ブローアップ──映画の原題である)という行為について、森元さんはそこでわたしが繰り返し吐露している「無意味かもしれない」といったリスクの意識を浮き彫りにした。そこにはすべてが無意味に陥るかもしれないという危うさの意識があり、そのような自覚のもとで綴られる内容は、けっして読者を充実した意味や論理で納得させるようなものにはなりえないだろう。『僕だけがいない街』の主人公の行為が、煎じ詰めれば「幼年期の妄想」でしかないかもしれないように、すべては最終的に意味のなかった堂々めぐりに終わりかねない。ただそこで、ビルケナウで撮影された写真を引き伸ばして子供たちの瞳を拡大することを望んだとき、あるいは、大文字の歴史のなかで見失われてゆく者たちの、もうひとつの「歴史」をめぐる橋川文三の歴史観にわたしが言及したとき、いずれも「小さなもの」に注意が向けられていることを森元さんは見逃さなかった。そこで指摘されたように、無意味かもしれぬという思いと、だからこそ/それでもなお繰り返される身振りが「祈り」となる、なってほしいと願うこととは一体である。言い換えれば、無意味さと祈りは紙一重なのだ。そのとき、「小さなもの」たちに向けられた注意が、このかすかな差異によって無意味さと祈りが隣接する細部、すなわち、希望の宿る場を発見させる。

 森元さんがそこで紡いだ、ベンヤミンの『幼年時代』の末尾に置かれた「せむしの小人」や同じ著者のカフカ論でマルブランシュを引いて言われる「注意深さ」のモチーフ、そして、注意は祈りであり、知りたいと願うことであるというシモーヌ・ヴェイユの思考にいたる思想史的なパースペクティヴは、到底ここでわたしが巧みに要約したり、論評したりできるものではない。畠山直哉の写真集を論じた章でわたしが触れた「わからぬままに進む」という身振りをめぐって、森元さんは、「触れる」という本書の基本モチーフとの関連のもと、中国語で「触れる」を意味する語が「摸」(掏摸の一字)であることを教えてくれた。「摸」とは暗闇のなかを手探りで探ってゆくことであるという。それは「過去に触れる」営みが「摸」以外ではありえないことを示唆していよう。そしていま思うのは、「摸」が「摸倣」にも通じる語であるからには、「過去に触れる」ことはまた同時に、おのずと「身振りをなぞる身振り」という摸倣の行為をともなうに違いない。

 わたしは「絶句してしまった」と書いた。自分がクラヴェルの記した文字に触れていたことに──そう自分で書いていたにもかかわらず──合評会の場で気づかされたとき、ほとんど何か泣きたいような感情に襲われ、一瞬言葉を失ってしまったのである。そのあとの時間、わたしはどこか心ここにあらずといったような放心状態に陥ってしまっていたことをここに告白する。それこそ「手探り」で進むしかないような闇のなかに一挙に連れ去られたことをその場で思い知らされた、と言ってもよい。

 いずれにしても、わたしは言葉を失った。そのときまさに「過去に触れて」いたのかもしれない。自分が書いた書物に自分自身で──まるで初めてのように──出会っていたのかもしれない。4人の評者が語り終えたのちにわたしに与えられた時間に、わたしが沈黙のなかから絞り出すようにしてしかコメントを発することができなかったのは、この絶句のゆえだった。そう率直に認めもした。続く質疑で適切な応答ができなかったと事後ながら危ぶむのは、自分が置かれていたこうした事情による。

 たとえば、第一次世界大戦後の精神状況を批評したベンヤミンの「経験と貧困」をめぐり、彼や橋川の経験は特殊な時代状況によって規定されたものだったのか、それともわれわれの現在に連続しているのか、という問いに、わたしが答えるのをほとんど拒絶したのはなぜだったのだろうか。言うまでもなく、連続しているとも、断絶して差異があるとも、それほど悩まずに答えられたはずの問いであった。思想史の研究者としてであれば、答えのパターンは容易に見つかったに違いない。だが、あの瞬間、あの絶句のあとであったがゆえに、わたしは1933年におけるベンヤミンの時代状況診断と現在のわれわれとを俯瞰するような展望を自分が示してみせることが、とても理不尽で、この書物の著者にふさわしくない「身振り」になぜか思えてしまった。それがほとんどそれこそ理不尽な、答えることを拒む、という答えに帰結してしまったのだろう。1933年におけるベンヤミンの時代診断は的確なものだったに違いない。だが、その正確さとは別の次元で、わずか数年後に彼が味わうことになる徹底した「敗北」の経験こそにこの書物を連帯させたいと願うがゆえに(その理由は合評会の最後に読み上げたメッセージに記した)、時代状況を(いまだ或る程度の距離をもって)俯瞰することのできた1933年のベンヤミンの時代認識をさらに俯瞰して現在につなげるような、いかにも歴史家的な振る舞いをあの場で演じることが、たぶんわたしには耐えがたかったのである。しかしこれはもちろん、こうした説明なしではたんに無礼な振る舞いであり、質問者にはお許しを請うしかない。

 しかし改めて、わたしはなぜ絶句してしまったのだろう。いま振り返って見れば、クラヴェルの文字になにがしかの生命が宿っているかのような感覚をあの瞬間にまざまざと覚え(あるいは思い出し)、その感触がトリガーとなって、クラヴェルをめぐるアーカイヴ調査のみにはとどまらない、書物を書く過程にまつわる記憶の連鎖が一挙に引き出されるかのような出来事が一瞬のうちに起きていたようにも思える。「そうなのだ」「これなのだ」という、それ自体は言葉にならなかった鈍い思いが沈黙の底にはあった。

 その絶句ののちに、いまようやく綴り得るものとなったのが以上の後記である。ここに重ねて合評者の皆さん──当日の発言順に竹峰義和さん、桑田光平さん、岡本源太さん、森元庸介さん──に心から感謝し、会場から質問やコメントを頂戴した方々に御礼を申し上げたい。各評者の深い読みと鋭い洞察にわが身が切り刻まれるような思いもしたが、それは書物を書いた人間にとってこのうえない喜びだった。

Website

Profile

田中 純
東京大学大学院総合文化研究科・教授
TANAKA Jun, Ph.D.
Professor
The University of Tokyo

Profile (日本語)
Profile (English)

ReaD 研究者情報
ReaD English

科学研究費交付実績

『政治の美学』情報

最近の画像

2016年12月

        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
CURRENT MOON

過去のブログ記事