歴史の弾道=射線(Lines of Fire) - Blog (Before- & Afterimages)

歴史の弾道=射線(Lines of Fire)

2017年4月21日、建築学会の機関誌『建築雑誌』の特集「建築は記念する」のために、 鈴木了二氏と小澤京子氏による公開対談「歴史のイマジナリーラインズ」が開かれた。内容としては対談者それぞれの著書『ユートピアへのシークエンス』(LIXIL出版)と『ユートピア都市の書法』(法政大学出版局、近刊)に関係している。会場でわたしは二人の話を聴きながら、「歴史のイマジナリーラインズ」と「ユートピアへのシークエンス」というフレーズに喚起されたみずからの想念をたどっていた。以下に記すのは、正確には対談の評でもなければ、書評でもない、そこで紡がれた覚束ない連想の独白めいた記録である。それは建築そのものにかかわると言うよりも、むしろ、建築という「世界モデル」を通して直感された「歴史モデル」をめぐるものとなろう。
「イマジナリーライン」とは「想定線」と訳され、映画の撮影において二人の対話者同士を結ぶ仮想の線を指す。撮影にあたってカメラは、撮影された映像を自然に見せるため、原則としてこの線を跨いだ移動を行なうことはない。対談のタイトルにこの言葉が選ばれているのは、鈴木氏が大変なシネフィルであることに加え、先述した原義を超えて、「歴史を見る視線」の意味合いが込められているからであろうと思われる。さらにそれが「イマジナリーラインズ」と複数形であることにより、単線的な進歩史観に代わる無数の視線が歴史を貫いているという見方が示唆されている。
歴史の遠近法の脱構築とでもいったこの比喩の含意は明快であるし、複数性の強調もまた、きわめて妥当な歴史観には違いない。しかし、対談で鈴木氏がキーワードのひとつとしていた「視覚の優位性」という呪縛がこの「イマジナリーラインズ」という概念そのものにつきまとっていることも否定できない。なぜならそれは「まなざしの呼応」を表わす「線」だからだ。それゆえに、わたし自身がここで叙述してきた文章のなかにすでに、「視線」や「遠近法」といった視覚的な隠喩がたびたび登場している。
「歴史のイマジナリーラインズ」という魅力的なフレーズを眼にしたとき、わたしの脳裡に「イマジナリーライン」に対する対句として反射的に浮かんだのは「Line of Fire」、すなわち、銃弾の貫いた線、弾道、射線という言葉だった。ダニエル・リベスキンドの初期作品にはこの名のインスタレーションがあり、ベルリン・ユダヤ博物館をはじめとする「線の建築家」としての彼の思想や作品イメージがわたしの連想の源にあったことは確かだが、しかし、リベスキンドにのみ引きつけた意味をそこにもたせたいわけではない。歴史を貫くのは「視線」ではなく「弾道=射線」であり、歴史はつねにすでに無数の銃弾によって穴だらけにされている、という直感がトリガーとなって、以下に記すような連想を立て続けに生んだのである。歴史は複数の、無数の「Lines of Fire」によって破砕されている。
鈴木氏の『ユートピアへのシークエンス』の言葉を借りれば、そのとき歴史は、徐々に朽ちて自然と融合してゆく「廃墟」としてではなく、一挙に爆破された「瓦礫」──漢字の堅固な構築性を避け、子供のようにカタカナで「ガレキ」と書きたいところだ──に化している、と言えるかもしれない。無数の弾道が穿たれて、おびただしいガレキと化した歴史──その弾道=射線は視覚的なものではない。その線上にあるものこそが破壊されてしまうのだから、まなざしも何もかも含めて打ち砕くものこそがこの「線」である。
ガレキの断片を積み上げて再構成すれば、歴史は数知れぬ銃弾によって打ち抜かれた穴を抱えた多孔空間としての姿を晒すことになるだろう。複数のガレキに穿たれた穴や亀裂、空隙と空隙とが重ね合わされたとき、その弾道を通して過去を──楽園という「ユートピア」を──「見る」ことが許されるのは、人間ではなく、「歴史の天使」だけだろう。いや、その弾道=射線とはベンヤミンの言う「メシアがそこを通ってくる門」だろうか。凄まじい暴力の痕跡こそが世界の終わりには救済の道になるという逆説。
遺稿『歴史の概念について』でベンヤミンは、過去と現在とが閃光のように出会うところに生じるイメージについて語った。そんな閃光とはこうしたガレキの亀裂=空隙が組み合わさってかたちづくる弾道=射線によって一挙に歴史を貫いて差し込むユートピアからの光ではないか。過去のガレキの空隙と現在のガレキの空隙とが重なって突然、「歴史の弾道=射線」が姿を現わし、楽園からの風が一瞬、その虚ろな通路を吹き抜けるのである。ユートピアとわれわれとをつなぐつかの間のパサージュ。
鈴木氏がアルヴァロ・シザ論で提起している建築の「瓦礫」性への着目を、「歴史を逆撫でする」(ベンヤミン)身振りと関連づけてとらえてみたい。鈴木氏は『ユートピアへのシークエンス』という書物でいわば、建築史を「逆撫で」し、「世界モデル」としての建築たちがごろごろとガレキのように転がる、凸凹していて鋭角的に際立った、下手をすると手を切りそうな「触覚的歴史」を出現させたとは言えないだろうか。ガレキとはそんな「逆撫でされた歴史」の肌理ではないか。同じく歴史の「触覚性」を求めた拙著『過去に触れる──歴史経験・写真・サスペンス』(羽鳥書店)で、ひとつの歴史モデル=世界モデルとして末尾に掲げた「歴史における希望のための十のテーゼ」に記したように、「歴史の逆撫で」は歴史叙述者の原-身振りである。鈴木氏もまたそんな「歴史叙述者」だろう。そして、このテーゼの語彙で言い換えるならば、ガレキとは歴史が逆撫でされてあらわになった、パラタクシスの状態にある「歴史素」にほかならない。
鈴木氏が十一の世界モデル=ガレキ的建築からなる星座によって描き出しているのは、歴史を貫いている複数の弾道=射線である。『パサージュ論』の「パリ──十九世紀の首都(ドイツ語草稿)」の一文をパラフレーズして表わせば、「ブルジョワジーの打ち立てた記念碑としての近代建築は、それが実際に崩壊する以前にすでにガレキと化しているのをわれわれは見抜き始めている」。いや、それはむしろ、つねにすでに「ガレキとして」建造されたのだ、と言うべきか。「人間」を後退させ、建築そのもの、物質それ自体に語らせようとする鈴木氏ならば、ガレキであるしかない宿命をおのずから自覚した建築たちこそがみずからを記念しているのだ、と語るかもしれない。
最後に、鈴木氏が別の場所で触れているひとつの「ユートピアへのシークエンス」を取り上げることにしたい。以下に引くのは『建築零年』(筑摩書房)に収められた「山中貞雄の映画あるいは亡霊の空間」末尾近くの一節である。ここで鈴木氏は山中の映画『河内山宗俊』のラストシーン(動画リンク)について語っている──
金子市が死に、河内山が死ぬ。そして直侍が、託された金を持ってひとり走り去る場面で断ち切られるように映画は終わるのだが、そこにはもう水路はなく、バラックのような家々が逆光のシルエットで立ち並んでいる。しかしその場所は、もはや山中のあの迷宮的な都市空間ではない。なぜなら、直侍が駆け抜けるこの道は、建物に遮られることなく、不思議にも一直線に「空」に向かって消えているのである。どこか砂漠のような、廃墟のような、死んでしまったような、きっとユートピアのようなその場所。
「バラックのような家々」というガレキの狭間に一瞬開けて現われたこの「場所」──「砂漠のような」「廃墟のような」という直喩の連鎖で導かれ、「死んでしまった」かもしれぬ場所でありながら、「きっとユートピアのような」という希望にも似たものを託された場所へといたるこの幕切れこそは、極めつけの「ユートピアへのシークエンス」であるように思われる。この「亡霊の空間」を「建てた」建築家としての山中貞雄の名を鈴木氏の著書の余白に書き添えて、「歴史の弾道=射線」をめぐる断片的な──ガレキのような──考察を終えることにしたい。

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田中 純
東京大学大学院総合文化研究科・教授
TANAKA Jun, Ph.D.
Professor
The University of Tokyo

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