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    <title>Blog (Before- &amp; Afterimages)</title>
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    <title>卵母セイレーン</title>
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    <published>2010-03-05T12:18:22Z</published>
    <updated>2010-03-05T12:20:50Z</updated>

    <summary>『UP』３月号に寄稿しました。連載「イメージの記憶」の第19回です。   書誌情...</summary>
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        <name>田中純</name>
        
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        <![CDATA[<div><font face="HiraMinPro-W3">『UP』３月号に寄稿しました。連載「イメージの記憶」の第19回です。</font></div>
 <br /> <div><font face="HiraMinPro-W3">書誌情報は</font><br /><font face="HiraMinPro-W3">田中純「卵母セイレーン──誘惑する女たちの深層」、『UP』449号（2010年３月号）、東京大学出版会、2010年、40〜47頁。</font></div> ]]>
        
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    <title>いばら姫</title>
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    <published>2010-03-01T12:09:17Z</published>
    <updated>2010-03-01T14:13:49Z</updated>

    <summary>ベンヤミンの『ドイツ悲哀劇の根源』には、幻の序文が存在する。それはメルヘン「いば...</summary>
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        <name>田中純</name>
        
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        ベンヤミンの『ドイツ悲哀劇の根源』には、幻の序文が存在する。それはメルヘン「いばら姫」の再話だった──
        <![CDATA[<blockquote>以下に続くページのいばらの垣の背後に、ひとりの美しい子供が眠っている。<br />　どうか、目を眩ませる学問の知識に身をかためた幸運の王子だけは、この子に近づいてこないように。婚礼のキスの折りに、この子は噛みつくだろうから。<br />　むしろ本書の著者が、みずから料理長となって、この子供を起こすことは自分に任せてもらうことにした。学問の数々の広間につんざくように鳴り響くべき、あのびんたは、もうとっくの昔にくれてやって然るべきだったのだ。<br />　そのびんたの音で覚醒するだろう──かつてがらくたの散らかった物置で、禁じられているのを知りながら教授ガウンを自分用に織ろうとして、古ぼけた紡錘で指を傷つけ眠りこけてしまった、このあわれな真理も。</blockquote>「禁じられているのを知りながら教授ガウンを自分用に織ろうと」したのはベンヤミン自身だ。これは教授資格申請論文だったのだから。けれど、この論文は受理される見込みもなく、ベンヤミンはみずから撤回せざるをえなかった。<br />「がらくたの散らかった物置」とは、カプリ島で彼がこの論文に取り組んでいた陋屋をさす。その陋屋の跡地に建ったホテルに、たまたま７年前、自分が泊まっていたことを今知る。<br /><br />また同僚の訃報が届く。<br /><br />いつ死んでもいいように覚悟することなど不可能だけれど、残り短いと思い定めて生きることは、凡夫にもできるだろう。<br />例えば、会議に時間を犠牲にすることは避けたい。予定していた時間の30分遅れで始まり、だらだら続くような会議に付き合ってはいられない。<br />メールをはじめとする連絡手段があるのだから、あらかじめ課題を共有し合い、その場で即決してしまえばいいことだろう。「１時間以上の会議はしない」というルールがあっていい。<br /><br />先週から釈然としなかったことに自分なりに結着をつけるとすれば、要するに、あらかじめ定められた規則に従って、その枠内で見事に議論を整理し、それなりに冴えを見せる理屈を展開する「論文」というものに飽いてしまっているのかもしれない。小賢しさや凡庸さを感じてしまう。その基準が国際標準であろうが、何であろうが同じことである。そんな基準を信じ込んで、その規矩に合わせて「優秀さ」を判定するという姿勢に根本的な疑問を感じる。それは基準を認めないという意味ではなく、基準に依存している心性に不満を感じるということなのだろう。<br />「大志」という言葉が唐突に浮かぶ。何のために、という問い。<br />規矩を超えるのは、それを破壊できる者だけだ。そして破壊は、規矩の遵守や、小綺麗な技によってではなく、無謀な挑戦からしか生まれない。<br />言うまでもなく、これは人文学だけの問題ではない。<br />遅かれ早かれ、いばら姫は眠りから目覚めさせなければならない。<br />]]>
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    <title>楽しみな新刊</title>
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    <published>2010-02-27T11:11:54Z</published>
    <updated>2010-02-27T11:15:39Z</updated>

    <summary>平野嘉彦さんの新著が出る。平野嘉彦『死のミメーシス──ベンヤミンとゲオルゲ・クラ...</summary>
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        <name>田中純</name>
        
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        <![CDATA[平野嘉彦さんの新著が出る。<br />平野嘉彦『死のミメーシス──ベンヤミンとゲオルゲ・クライス』（岩波書店）<br />ベンヤミンはともかく、ゲオルゲ・クライスについて平野さんの論が読めるのは嬉しい。<br /><br /> ]]>
        
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    <title>『顔』</title>
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    <published>2010-02-27T07:57:35Z</published>
    <updated>2010-02-27T08:01:40Z</updated>

    <summary>監訳をした本が出ています。 アレクザンダー・スタージス『顔』（ナショナル・ギャラ...</summary>
    <author>
        <name>田中純</name>
        
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        <![CDATA[監訳をした本が出ています。<br /><br /> アレクザンダー・スタージス『顔』（ナショナル・ギャラリー・ポケット・ガイド）田中純監訳、小澤京子訳、ありな書房、2010年（ISBN978-4-7566-1009-6 C0073）→<a target="_blank" href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4756610099/">amazon</a><br /><br />いちおう監訳者ですが、実質的に小澤さんの仕事です。<br />]]>
        
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    <title>半世紀</title>
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    <published>2010-02-27T00:25:07Z</published>
    <updated>2010-02-27T00:38:48Z</updated>

    <summary>半世紀生きてしまった。 ...</summary>
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        <![CDATA[半世紀生きてしまった。<br /> ]]>
        <![CDATA[円熟とは無縁だろうけれど、飄々と枯淡の境地に遊ぶことは理想だ。<br />
徐々にLate Styleを探してゆきたい。<br />]]>
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    <title>魔界</title>
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    <published>2010-02-19T14:10:41Z</published>
    <updated>2010-02-19T14:18:00Z</updated>

    <summary>４月から魔界をたびたび訪れることになりそうだ。それとは別に、引き受けないほうが無...</summary>
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        <name>田中純</name>
        
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        <![CDATA[４月から魔界をたびたび訪れることになりそうだ。<br /><br />それとは別に、引き受けないほうが無難だろうと思ったことは、案の定、最後になって進まなくなる。<br />かといって投げ出すわけにもゆかないので、自分で背負い込むしかない。<br />３月７日までにすべて片が付くのか？<br /><br />だが、それ以前に月曜日までに終えなければならない案件あり。<br />英文200頁強のものをこの忙しい時期に送りつけておいて、20日あまりで処理しろと言うのも理不尽。<br />読むのが楽しい内容ならまだしも。<br />今月はまったく狙ったように、この種のことが集中している。<br /> ]]>
        
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    <title>イメージの自然史</title>
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    <published>2010-02-17T22:49:15Z</published>
    <updated>2010-02-18T00:49:24Z</updated>

    <summary>天使から貝殻まで。 ...</summary>
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        <![CDATA[天使から貝殻まで。<br /> ]]>
        <![CDATA[初校のゲラを読んでいる。<br />図版写真について、物故した人物でも肖像の権利が関わってくるとややこしいらしい。<br />この種の権利主張の大元の原
理は納得するけれど、著作権にせよ、学術書のなかで小さく掲げる程度の使用についてまで強い要求をされるとしたら、どうにも窮屈だ。コピペで書かれた奇想
天外な論文の数々に遭遇したあとだけに、オリジナルな表現を尊重することの価値は言うまでもないと思うのだが。<br />オリジナルなものの権利を認めなければならないという原則と、複製の変形や編集、集合的なアレンジにおいて生み出されるものを追求することとのジレンマ。それらはオリジナルの面影を残しながらも、すでに異なる何かに変貌したイメージだから。<br />書物における図版の「例示」の機能についても考えさせられる。<br />連辞と範列の両側面において。<br /><br />権利関係が消滅した時空、この文明が死滅した<b>あと</b>で書かれている書物を思い浮かべる。<br />そして気付けば、すでにいつも、書物のための言葉はそんなふうにして綴りたいと思っているのだった。<br /><br />目覚めれば白雪。ひとひら、ひとひら、落ちながら跳ねるように舞う。]]>
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    <title>アゴーンと劇場（Agon und Theater）</title>
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    <published>2010-02-16T23:11:41Z</published>
    <updated>2010-02-18T00:51:01Z</updated>

    <summary>ベンヤミンのMentorだったFlorens Christian Rangの著作...</summary>
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        <name>田中純</name>
        
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        <![CDATA[ベンヤミンのMentorだったFlorens Christian Rangの著作について、いくつか調査中のことあり。例えば、講談社文芸文庫版『ドイツ悲哀劇の根源』に邦訳が収められている「アゴーンと劇場」「劇場とアゴーン」に記載された古代悲劇論に関して、その着想源を知りたいのだが、ほとんど先行研究はない。あっても、ベンヤミンとの関係などが主で、参考にならない。何か見落としている？<br />このRangもそうだが、「消え失せる媒介者」と言うか、後世のパースペクティヴからでは見えなくなっている人物にばかり関心を覚える。<br /><br />知りたい情報が膨大な無駄な情報のなかから見つけ出せるようになったことを進歩と見るべきか。それとも、むしろ本当に必要な情報へのアクセスは難しくなったのだろうか。<br />まあ単純に、島宇宙的に分けられた濃密な情報交換の場があれば解決することかもしれない。だから根本的にはそうした情報の共有度の問題なのだろう。<br /> ]]>
        <![CDATA[はっきりとは書くことを控えるが、制度的な枠組み内でのそのような情報の共有や伝承の可能性にはなかば絶望しているところがあり、その印象は毎年大きくなる。それが逆に、書物という形式や「独学」という方法への関心につながる。<br /><br />制度の影響力は資本の関数であり、関数でしかない。やたらに世界中に金をばらまいて出店を作っているような覇権国家に対して、十分な資本投下を行なわずに勝負が勝てるわけもない。そして、そんな国家と競争することに意味を見いだしえないとすれば、では、どうするか。<br /><br />美術作品も映像も商品であるかぎりは市場の論理で動くし、その市場がもはや批評の言説を必要としなくなっているという事態はわかる。機能するのはキュレイ
ターやプロダクションの、市場を勘案した論理、でなければ誰でも発信できるという状況下で広まる、噂話めいた評判だけだ。<br /><br />確かにそうだろう。しかし、そんなものはいつだってそうだったし、この点については幻滅するまでもない。ありていな構造がありていに露呈しただけのこと。現在時のたまさかな価値を共有することでうなずきあって、そのうなずきあいが本質的な価値だと錯覚される。<br />しかし、それはただの現在に過ぎない。そんなものに打ち砕かれるような言葉や思想ならば、打ち砕かれてしまえば良いのだ。<br /><br />と、まあ、おのれの原則はあるにしても、制度は相変わらず縁故で動いていたり、声が大きければ大物と錯覚されるのが風潮ではある。けれど、腐ってはいけない。→自分のことではなく、若い世代に対して。<br />]]>
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    <title>iPadの続き</title>
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    <published>2010-02-15T10:45:44Z</published>
    <updated>2010-02-15T11:12:57Z</updated>

    <summary>なぜか iPad は気になる。「iPadはe-bookリーダーじゃない」という見...</summary>
    <author>
        <name>田中純</name>
        
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://before-and-afterimages.jp/news2009/">
        <![CDATA[なぜか iPad は気になる。「iPadはe-bookリーダーじゃない」という見方もあり、そして、Kindleとはターゲットが異なることもわかるが、Amazonがどんなe-bookを提供しようが、現在のKindleでそれを読もうとは思わない。<br /> iPad に惹かれるのは、要するにその物体としての魅力のせいなのだろう。その意味では玩具であって、たわいもない。<br />対してKindleには玩具としての面白みがまったく欠けている。<br />つまり、わたしにとって書物は相変わらず「暗い玩具」ということなのだろう。<br /><br />しかし、いわゆる電子出版そのものに期待がないかというと、そうでもない。<br />原稿を仕上げてから半年以上経たなければ編集が動き出さないとか、そもそも校正まで出たところで社長の一声によってシリーズものが打ち切りになるとか、出版社や編集者にはかなり恵まれている自分ですら、この業界の前近代性を感じることはある。贅沢を言っているのかもしれないが、もっと合理化して計画的にできる部分もあるだろうに。<br />とはいえ、校正もろくにされないまま世に送り出されるような粗製濫造よりははるかにましか。<br /><br />今月は無謀にも予定してしまったイベントのほか、予想もしないノルマまで降りかかってきて悪戦苦闘。腰痛も疼き出し、これで乗り切れるのか、いささか不安。<br />世間では検察批判が一部で喧しいらしいが、権力者の擁護に躍起になっているように見えて異様だ。<br />せっかく政権を奪取したのなら、選挙に勝つためのノウハウしか取り柄がない古いタイプの政治家やその操り人形など早々に切り捨てて、新しい政党に生まれ変わればいいものを。数あわせのために弱小政党と連立を組んで政策の方針をねじ曲げるなど、あきれ果てた話である。<br /><br />改革、とは、身近に聞く話でもある。かつて勤めていた組織で、機構改革を手がけた「カミソリ」と呼ばれる人物の改革案が、守旧勢力に潰されたことを思い出す。<br /><br />]]>
        
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    <title>つぶやき</title>
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    <published>2010-02-05T23:06:14Z</published>
    <updated>2010-02-05T23:58:05Z</updated>

    <summary>一ヶ月以上もブログを書いていなかったことに気付く。理由は簡単で、この時期特有の諸...</summary>
    <author>
        <name>田中純</name>
        
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        <category term="Memorandum" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://before-and-afterimages.jp/news2009/">
        <![CDATA[一ヶ月以上もブログを書いていなかったことに気付く。<br /><br />理由は簡単で、この時期特有の諸事万端のほか、今年は例年になく雑事ばかりだからだけれど、まず第一には、寸暇さえあれば書き下ろしの原稿に手を加えていたからだった。<br />何よりもそれを書くことのほうに充実感があるので、ただでさえ雑然たる時期に細切れの雑感を綴る気にはならなかったのだ。<br /><br />細切れの雑感とは、某政党の幹事長を検察が起訴しないのはおかしいだろうとか、同じ某政党がこの幹事長をめぐる疑惑の調査に対して示したヒステリックな反応への不快感とか、一国の首相なのに腹話術の人形みたいで言葉の軽い男に対する嫌悪感とか、政治がこれだけの異常事態なのに根本的に緊張感が欠けている現状の無気味さとか、暴行を起こした横綱とその師匠がやりたい放題の挙げ句に招いた末路の後味の悪さとか、Kindleはちっともほしいと思わなかったけれど、iPadでなら電子ブックも悪くはなさそうだとか、もっと身近なことでは、大学教員の官僚化ないしモーレツ・サラリーマン化でなければアクティヴィスト化とか儀礼ばかりの国際化とか無内容な会議の長さとか、あれとか、これとか･･････<br />──しかし、そんな月並みなことを「つぶやいて」何になるのか。<br /><br />ついでに書いておくと、「つぶやく」一方できちんと仕事をしている人が大半だろうと思うが、「140字書いている暇があったら、本分に即して、ちゃんと論文を書いたらどうなんだ（指導教員に挨拶くらいしろよ）」とつぶやき返したいつぶやきもある。<br /><br />「つぶやき」もそうなのだけれど、電子メールから何から、インターネットのテクノロジーはひたすら人生を細切れで雑然としたものにするためにだけあるような気がしている。もとより、リサーチの手段としては多大な恩恵を被ってはいるが、それは明確な探索目標があるからで、それなしの即時反射を繰り返していると、その反射そのものが自己目的化しかねない恐ろしさを感じる。<br />「雑誌」という形態を去年は反省してみた。その雑然さと構築性とのバランスを、メディアが取り戻すことはできるのだろうか。<br /><br />以上が、一月分のつぶやきのまとめ。<br />もっと本質的なことは原稿に書いている。３月からは印刷物の形で、少しずつ読んでいただく機会もあるだろう。<br />春浅いイタリアでの調査を終えたら、終着点も見えるだろうか。]]>
        
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    <title>『みすず』読書アンケート特集</title>
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    <published>2010-02-05T14:15:21Z</published>
    <updated>2010-02-05T14:17:45Z</updated>

    <summary>何人かの方に拙著『政治の美学』を挙げていただきました。ありがとうございました。わ...</summary>
    <author>
        <name>田中純</name>
        
    </author>
    
        <category term="Essays" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://before-and-afterimages.jp/news2009/">
        <![CDATA[何人かの方に拙著『政治の美学』を挙げていただきました。ありがとうございました。<br /><br />わたしの回答は次の通りです。<br /><br />１の棚　食と殺生をめぐる人間社会の欺瞞を衝く服部文祥『狩猟サバイバル』（みすず書房、二〇〇九年）の、「猟師が自分の殺生を精算する機会があるとしたら、獲物を自分で解体するという作業においてだろう」という指摘に眼を開かされた。カルロ・ギンズブルグ『闇の歴史』（せりか書房、一九九二年）で論じられる、骨を集め、死んだ動物の皮で包むことを基礎とした、ユーラシアの再生儀礼を連想する。さらに、三中信宏『分類思考の世界』（講談社現代新書、二〇〇九年）とクロード・レヴィ＝ストロース『野生の思考』（みすず書房、一九七六年）を合わせ読み、分類思考の要である「種」という「業」を積極的に愛する思考のかたちについて考える。<br /><br />２の棚　前田英樹『独学の精神』（ちくま新書、二〇〇九年）も、「身ひとつで生きる自分が学ぶ」独学を論じて、最終的には「皆で大いに旨い米を食べよう」という食の問題にいたり着く。大学は所詮組織に過ぎない。事業仕分けをはじめとして、そのことを今年は痛感した。孤独な学問の夢を甦らせた書物として、互盛央『フェルディナン・ド・ソシュール』（作品社、二〇〇九年）という大作が出た。「一」なる国語ではなく、〈一〉なる言語のもとでの「民族不在のヨーロッパ」という「一般言語学」のヴィジョンに、日本語で書くことの可能性を読む。秋にはソシュールと同じスイス出身の作家ジルベール・クラヴェルについて、バーゼルでアーカイヴの資料を調査した。ヴァールブルク、クラヴェル、そしてクラヴェルが晩年に影響を受けたバッハオーフェンにいたるまで、すべて在野の学者だった──「野戦攻城」という世代感覚を語った橋川文三もまた、自分を独学者と規定している。<br /><br />３の棚　『白髪小僧』をきっかけにひとしきり夢野久作に嵌る。この文体と想像力はどこから来るのか。その根のひとつが謡曲にあることは確かだろう。渡邊守章『快楽と欲望』（新書館、二〇〇九年）と『越境する伝統』（ダイヤモンド社、二〇〇九年）という二冊の評論集から伝わってくるのも、身体を通過した日本語のリズムである。<br /> ]]>
        
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    <title>迎春</title>
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    <published>2010-01-01T00:02:48Z</published>
    <updated>2010-01-01T00:10:51Z</updated>

    <summary> 数年来の懸案だったアビ・ヴァールブルク『ムネモシュネ』解説本（共著、ありな書房...</summary>
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        <name>田中純</name>
        
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        <![CDATA[<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a href="http://before-and-afterimages.jp/news2009/2010%E7%B4%94.jpg"><img alt="2010純.jpg" src="http://before-and-afterimages.jp/news2009/assets_c/2010/01/2010%E7%B4%94-thumb-500x338-176.jpg" class="mt-image-center" style="margin: 0pt auto 20px; text-align: center; display: block;" width="500" height="338" /></a></span> 数年来の懸案だったアビ・ヴァールブルク『ムネモシュネ』解説本（共著、ありな書房）と書き下ろし（一部は雑誌に発表予定）の単著（みすず書房）の刊行が目標です。]]>
        
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    <title>２００９年の３冊</title>
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    <published>2009-12-29T13:02:01Z</published>
    <updated>2009-12-29T13:14:48Z</updated>

    <summary>読売新聞書評の最終回です。書誌情報は田中純「読書委員が選ぶ「２００９年の３冊」」...</summary>
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        <name>田中純</name>
        
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        <![CDATA[読売新聞書評の最終回です。<br />書誌情報は<br />田中純<a target="_blank" href="http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20091228bk03.htm">「読書委員が選ぶ「２００９年の３冊」」</a>、「読売新聞」2009年12月27日付朝刊。<br />短文なので下記に引用します。<br /><br /><blockquote><p>〈１〉前田英樹著『<strong>独学の精神</strong>』（ちくま新書、７００円）</p><p>〈２〉服部文祥著『<strong>狩猟サバイバル</strong>』（みすず書房、２４００円）</p><p>〈３〉互盛央著『<strong>フェルディナン・ド・ソシュール</strong>』（作品社、６０００円）</p><p>　哲学者・剣士による〈１〉と登山家・猟師による〈２〉に共通するのは、読後の爽（さわ）やかさだ。斬（き）るべき者を斬り、仕留めるべき物を仕留
める、その最後の決断にはためらいがない。剣士は巷（ちまた）の教育論の浅知恵を一刀両断し、猟師は食と殺生をめぐる人間社会の欺瞞（ぎまん）を撃つ。だ
が、いずれも殺伐とはせず、むしろ大らかで懐が深い。〈３〉は言語学者の孤独な夢を一世紀を経て甦（よみがえ）らせた渾身（こんしん）の大作。書物は同時
代のためにだけ書かれるものではない。</p></blockquote><p>『狩猟サバイバル』については、案の定と言うべき否定的反応があるようです。しかし、それこそこの本が出発している疑問の大元でしょう。わたしにはサバイバル登山を行なう度胸も器量もありませんが、著者の覚悟はしっかと受け止めました。</p>]]>
        
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    <title>種の魅惑、縮減模型の魂</title>
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    <published>2009-12-27T00:47:06Z</published>
    <updated>2009-12-27T01:14:31Z</updated>

    <summary>『現代思想』のレヴィ＝ストロース特集に寄稿しました。書誌情報は田中純「種の魅惑、...</summary>
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        <name>田中純</name>
        
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        <category term="Essays" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://before-and-afterimages.jp/news2009/">
        <![CDATA[『現代思想』のレヴィ＝ストロース特集に寄稿しました。<br />書誌情報は<br />田中純「種の魅惑、縮減模型の魂──『野生の思考』再読」、『現代思想』第38巻1号（2010年1月号）、青土社、2010年、154〜165頁。<br /><br />なお、文中で言及しているレヴィ＝ストロースが作った神話の形態変化を表わす三次元模型については、該当すると思われる物体の写真が同じ号の59頁に掲載されています（今福龍太さんの論文の図2）。<br />この号に収められた文化人類学者の皆さんの論考からはいろいろ刺激を受け、レヴィ＝ストロースの仕事を文化人類学はもとより、それとは異なるかたちでも継承する必要性を感じました。<br /> ]]>
        <![CDATA[滅びつつある、あるいは、滅びてしまった思考形態の論理を探るという営みは、それを担っていた人々への負債を返すのにも似たことかもしれない。人類学的なフィールドワークによるものではないけれど、ある時代の特殊な経験を甦らせようとする作業には、通じるものを感じる。この作業の次元を見ないサルトルの歴史哲学にレヴィ＝ストロースが苛烈な批判を加えたことは、だから、ある種の歴史家でありたいと思う自分には十分理解できる。<br /><br />野生の人々が読めないであろう言語でレヴィ＝ストロースが書物を書いたことの意味について考えさせられる。「グローバルな知的ネットワーク」云々といった次元での儀礼的なコミュニケーションとはまったくの別次元で、「第４世界」がこの場に見いだされるべきではないのか。書かれるべきは「神話」である、ということでもあるだろう。<br />]]>
    </content>
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    <title>シンポジウム</title>
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    <published>2009-12-19T13:27:10Z</published>
    <updated>2009-12-19T13:43:44Z</updated>

    <summary>事業仕分けの話とか、当日、いろいろ付け足しを考えていたのですが、時間切れでした。...</summary>
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        <name>田中純</name>
        
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://before-and-afterimages.jp/news2009/">
        <![CDATA[事業仕分けの話とか、当日、いろいろ付け足しを考えていたのですが、時間切れでした。<br />戦うべきは反知性主義。だから、啓蒙も必要なので、短期的戦略としては「メディアの戦争」に参戦することも確かにありうる選択肢かもしれない。<br />けれど、そこで引き合いに出されるのが新哲学派だとすると、先日の蓮實＋浅田対談ではないが、「死ぬために書く」という、それこそ殺し文句のほうがはるかに切実に思える。<br /><br />「聞くこと」という臨床の知と「聞く耳持たぬ者にも聞かせる」という啓蒙の両者が必要なのだろう。<br />言葉の通じぬ者に向けて語ること、言葉もたぬ者の言葉を。<br />言葉なき者の語りを聞くこと。敗者に耳傾けること。<br />だから、同時代のためにのみ書くのではない。<br />死者とともに、あるいは、生まれざる者とともに書くこと。<br /><br /> ]]>
        
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