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    <title>Blog (Before- &amp; Afterimages)</title>
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    <title>つぶやき</title>
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    <published>2010-02-05T23:06:14Z</published>
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    <summary>一ヶ月以上もブログを書いていなかったことに気付く。理由は簡単で、この時期特有の諸...</summary>
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        <name>田中純</name>
        
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        <![CDATA[一ヶ月以上もブログを書いていなかったことに気付く。<br /><br />理由は簡単で、この時期特有の諸事万端のほか、今年は例年になく雑事ばかりだからだけれど、まず第一には、寸暇さえあれば書き下ろしの原稿に手を加えていたからだった。<br />何よりもそれを書くことのほうに充実感があるので、ただでさえ雑然たる時期に細切れの雑感を綴る気にはならなかったのだ。<br /><br />細切れの雑感とは、某政党の幹事長を検察が起訴しないのはおかしいだろうとか、同じ某政党がこの幹事長をめぐる疑惑の調査に対して示したヒステリックな反応への不快感とか、一国の首相なのに腹話術の人形みたいで言葉の軽い男に対する嫌悪感とか、政治がこれだけの異常事態なのに根本的に緊張感が欠けている現状の無気味さとか、暴行を起こした横綱とその師匠がやりたい放題の挙げ句に招いた末路の後味の悪さとか、Kindleはちっともほしいと思わなかったけれど、iPadでなら電子ブックも悪くはなさそうだとか、もっと身近なことでは、大学教員の官僚化ないしモーレツ・サラリーマン化でなければアクティヴィスト化とか儀礼ばかりの国際化とか無内容な会議の長さとか、あれとか、これとか･･････<br />──しかし、そんな月並みなことを「つぶやいて」何になるのか。<br /><br />ついでに書いておくと、「つぶやく」一方できちんと仕事をしている人が大半だろうと思うが、「140字書いている暇があったら、本分に即して、ちゃんと論文を書いたらどうなんだ（指導教員に挨拶くらいしろよ）」とつぶやき返したいつぶやきもある。<br /><br />「つぶやき」もそうなのだけれど、電子メールから何から、インターネットのテクノロジーはひたすら人生を細切れで雑然としたものにするためにだけあるような気がしている。もとより、リサーチの手段としては多大な恩恵を被ってはいるが、それは明確な探索目標があるからで、それなしの即時反射を繰り返していると、その反射そのものが自己目的化しかねない恐ろしさを感じる。<br />「雑誌」という形態を去年は反省してみた。その雑然さと構築性とのバランスを、メディアが取り戻すことはできるのだろうか。<br /><br />以上が、一月分のつぶやきのまとめ。<br />もっと本質的なことは原稿に書いている。３月からは印刷物の形で、少しずつ読んでいただく機会もあるだろう。<br />春浅いイタリアでの調査を終えたら、終着点も見えるだろうか。]]>
        
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    <title>『みすず』読書アンケート特集</title>
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    <published>2010-02-05T14:15:21Z</published>
    <updated>2010-02-05T14:17:45Z</updated>

    <summary>何人かの方に拙著『政治の美学』を挙げていただきました。ありがとうございました。わ...</summary>
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        <name>田中純</name>
        
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        <![CDATA[何人かの方に拙著『政治の美学』を挙げていただきました。ありがとうございました。<br /><br />わたしの回答は次の通りです。<br /><br />１の棚　食と殺生をめぐる人間社会の欺瞞を衝く服部文祥『狩猟サバイバル』（みすず書房、二〇〇九年）の、「猟師が自分の殺生を精算する機会があるとしたら、獲物を自分で解体するという作業においてだろう」という指摘に眼を開かされた。カルロ・ギンズブルグ『闇の歴史』（せりか書房、一九九二年）で論じられる、骨を集め、死んだ動物の皮で包むことを基礎とした、ユーラシアの再生儀礼を連想する。さらに、三中信宏『分類思考の世界』（講談社現代新書、二〇〇九年）とクロード・レヴィ＝ストロース『野生の思考』（みすず書房、一九七六年）を合わせ読み、分類思考の要である「種」という「業」を積極的に愛する思考のかたちについて考える。<br /><br />２の棚　前田英樹『独学の精神』（ちくま新書、二〇〇九年）も、「身ひとつで生きる自分が学ぶ」独学を論じて、最終的には「皆で大いに旨い米を食べよう」という食の問題にいたり着く。大学は所詮組織に過ぎない。事業仕分けをはじめとして、そのことを今年は痛感した。孤独な学問の夢を甦らせた書物として、互盛央『フェルディナン・ド・ソシュール』（作品社、二〇〇九年）という大作が出た。「一」なる国語ではなく、〈一〉なる言語のもとでの「民族不在のヨーロッパ」という「一般言語学」のヴィジョンに、日本語で書くことの可能性を読む。秋にはソシュールと同じスイス出身の作家ジルベール・クラヴェルについて、バーゼルでアーカイヴの資料を調査した。ヴァールブルク、クラヴェル、そしてクラヴェルが晩年に影響を受けたバッハオーフェンにいたるまで、すべて在野の学者だった──「野戦攻城」という世代感覚を語った橋川文三もまた、自分を独学者と規定している。<br /><br />３の棚　『白髪小僧』をきっかけにひとしきり夢野久作に嵌る。この文体と想像力はどこから来るのか。その根のひとつが謡曲にあることは確かだろう。渡邊守章『快楽と欲望』（新書館、二〇〇九年）と『越境する伝統』（ダイヤモンド社、二〇〇九年）という二冊の評論集から伝わってくるのも、身体を通過した日本語のリズムである。<br /> ]]>
        
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    <title>迎春</title>
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    <published>2010-01-01T00:02:48Z</published>
    <updated>2010-01-01T00:10:51Z</updated>

    <summary> 数年来の懸案だったアビ・ヴァールブルク『ムネモシュネ』解説本（共著、ありな書房...</summary>
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        <name>田中純</name>
        
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        <![CDATA[<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a href="http://before-and-afterimages.jp/news2009/2010%E7%B4%94.jpg"><img alt="2010純.jpg" src="http://before-and-afterimages.jp/news2009/assets_c/2010/01/2010%E7%B4%94-thumb-500x338-176.jpg" class="mt-image-center" style="margin: 0pt auto 20px; text-align: center; display: block;" width="500" height="338" /></a></span> 数年来の懸案だったアビ・ヴァールブルク『ムネモシュネ』解説本（共著、ありな書房）と書き下ろし（一部は雑誌に発表予定）の単著（みすず書房）の刊行が目標です。]]>
        
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    <title>２００９年の３冊</title>
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    <published>2009-12-29T13:02:01Z</published>
    <updated>2009-12-29T13:14:48Z</updated>

    <summary>読売新聞書評の最終回です。書誌情報は田中純「読書委員が選ぶ「２００９年の３冊」」...</summary>
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        <name>田中純</name>
        
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        <![CDATA[読売新聞書評の最終回です。<br />書誌情報は<br />田中純<a target="_blank" href="http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20091228bk03.htm">「読書委員が選ぶ「２００９年の３冊」」</a>、「読売新聞」2009年12月27日付朝刊。<br />短文なので下記に引用します。<br /><br /><blockquote><p>〈１〉前田英樹著『<strong>独学の精神</strong>』（ちくま新書、７００円）</p><p>〈２〉服部文祥著『<strong>狩猟サバイバル</strong>』（みすず書房、２４００円）</p><p>〈３〉互盛央著『<strong>フェルディナン・ド・ソシュール</strong>』（作品社、６０００円）</p><p>　哲学者・剣士による〈１〉と登山家・猟師による〈２〉に共通するのは、読後の爽（さわ）やかさだ。斬（き）るべき者を斬り、仕留めるべき物を仕留
める、その最後の決断にはためらいがない。剣士は巷（ちまた）の教育論の浅知恵を一刀両断し、猟師は食と殺生をめぐる人間社会の欺瞞（ぎまん）を撃つ。だ
が、いずれも殺伐とはせず、むしろ大らかで懐が深い。〈３〉は言語学者の孤独な夢を一世紀を経て甦（よみがえ）らせた渾身（こんしん）の大作。書物は同時
代のためにだけ書かれるものではない。</p></blockquote><p>『狩猟サバイバル』については、案の定と言うべき否定的反応があるようです。しかし、それこそこの本が出発している疑問の大元でしょう。わたしにはサバイバル登山を行なう度胸も器量もありませんが、著者の覚悟はしっかと受け止めました。</p>]]>
        
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    <title>種の魅惑、縮減模型の魂</title>
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    <published>2009-12-27T00:47:06Z</published>
    <updated>2009-12-27T01:14:31Z</updated>

    <summary>『現代思想』のレヴィ＝ストロース特集に寄稿しました。書誌情報は田中純「種の魅惑、...</summary>
    <author>
        <name>田中純</name>
        
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://before-and-afterimages.jp/news2009/">
        <![CDATA[『現代思想』のレヴィ＝ストロース特集に寄稿しました。<br />書誌情報は<br />田中純「種の魅惑、縮減模型の魂──『野生の思考』再読」、『現代思想』第38巻1号（2010年1月号）、青土社、2010年、154〜165頁。<br /><br />なお、文中で言及しているレヴィ＝ストロースが作った神話の形態変化を表わす三次元模型については、該当すると思われる物体の写真が同じ号の59頁に掲載されています（今福龍太さんの論文の図2）。<br />この号に収められた文化人類学者の皆さんの論考からはいろいろ刺激を受け、レヴィ＝ストロースの仕事を文化人類学はもとより、それとは異なるかたちでも継承する必要性を感じました。<br /> ]]>
        <![CDATA[滅びつつある、あるいは、滅びてしまった思考形態の論理を探るという営みは、それを担っていた人々への負債を返すのにも似たことかもしれない。人類学的なフィールドワークによるものではないけれど、ある時代の特殊な経験を甦らせようとする作業には、通じるものを感じる。この作業の次元を見ないサルトルの歴史哲学にレヴィ＝ストロースが苛烈な批判を加えたことは、だから、ある種の歴史家でありたいと思う自分には十分理解できる。<br /><br />野生の人々が読めないであろう言語でレヴィ＝ストロースが書物を書いたことの意味について考えさせられる。「グローバルな知的ネットワーク」云々といった次元での儀礼的なコミュニケーションとはまったくの別次元で、「第４世界」がこの場に見いだされるべきではないのか。書かれるべきは「神話」である、ということでもあるだろう。<br />]]>
    </content>
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    <title>シンポジウム</title>
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    <published>2009-12-19T13:27:10Z</published>
    <updated>2009-12-19T13:43:44Z</updated>

    <summary>事業仕分けの話とか、当日、いろいろ付け足しを考えていたのですが、時間切れでした。...</summary>
    <author>
        <name>田中純</name>
        
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        <![CDATA[事業仕分けの話とか、当日、いろいろ付け足しを考えていたのですが、時間切れでした。<br />戦うべきは反知性主義。だから、啓蒙も必要なので、短期的戦略としては「メディアの戦争」に参戦することも確かにありうる選択肢かもしれない。<br />けれど、そこで引き合いに出されるのが新哲学派だとすると、先日の蓮實＋浅田対談ではないが、「死ぬために書く」という、それこそ殺し文句のほうがはるかに切実に思える。<br /><br />「聞くこと」という臨床の知と「聞く耳持たぬ者にも聞かせる」という啓蒙の両者が必要なのだろう。<br />言葉の通じぬ者に向けて語ること、言葉もたぬ者の言葉を。<br />言葉なき者の語りを聞くこと。敗者に耳傾けること。<br />だから、同時代のためにのみ書くのではない。<br />死者とともに、あるいは、生まれざる者とともに書くこと。<br /><br /> ]]>
        
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    <title>独学に学ぶ</title>
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    <published>2009-12-18T12:30:28Z</published>
    <updated>2009-12-28T08:16:21Z</updated>

    <summary>昨年行なったレクチャーの記録が雑誌に掲載されました。書誌情報は田中純「独学に学ぶ...</summary>
    <author>
        <name>田中純</name>
        
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        <![CDATA[昨年行なったレクチャーの記録が雑誌に掲載されました。<br />書誌情報は<br />田中純「独学に学ぶ──早稲田大学建築史研究室白井晟一学習会・レクチャーシリーズ　第２回（2008年12月13日、虚白庵にて）」、<a target="_blank" href="http://www.jutakukenchiku.net/">『住宅建築』</a>No.417（2010年１月号）、建築資料研究社、49〜54頁。<br /><br />さる高名な哲学者のピンチヒッターでしたが、良い経験になりました。<br />「白井晟一を語る」と称してはいるものの、立原道造や堀口捨己、アドルフ・ロースを経由し、白井に「にじり寄る」といったところで、詳しく「語った」とは言えないかもしれません。ただ、白井晟一をどのように語るかという、その語り口そのものは自分なりにとらえ返すことができたような気がします。<br />このレクチャーの機会を与えていただいた中谷礼仁さんに改めて感謝します。<br /> ]]>
        
    </content>
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    <title>書評：服部文祥『狩猟サバイバル』</title>
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    <published>2009-12-18T12:22:51Z</published>
    <updated>2009-12-18T12:51:07Z</updated>

    <summary>書誌情報は田中純「書評：服部文祥『狩猟サバイバル』」、「読売新聞」2009年12...</summary>
    <author>
        <name>田中純</name>
        
    </author>
    
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        <![CDATA[書誌情報は<br />田中純<a target="_blank" href="http://www.yomiuri.co.jp/book/review/20091214bk15.htm">「書評：服部文祥『狩猟サバイバル』」</a>、「読売新聞」2009年12月13日付朝刊。 <br /><br /><a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4622075008/" target="_blank"><img src="http://ec3.images-amazon.com/images/I/51%2BdnWA634L._SL150_PC_PV3_.jpg" /></a> <br />ちなみに、この本で追求されている「サバイバル」は、装備を完璧にしてエベレストに登るといった登山とは真逆にある。自分の手で殺生を行なわなければ生き延びられないからこそ、それは「苛酷」なのだ。]]>
        
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    <title>サバイバル（承前）</title>
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    <published>2009-12-11T12:00:00Z</published>
    <updated>2009-12-11T06:58:00Z</updated>

    <summary>もっとも「敵」はいたるところにいる。『中央公論』の蓮實＋浅田対談をつい読んでしま...</summary>
    <author>
        <name>田中純</name>
        
    </author>
    
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://before-and-afterimages.jp/news2009/">
        <![CDATA[もっとも「敵」はいたるところにいる。<br /><br />『中央公論』の蓮實＋浅田対談をつい読んでしまう。<br />既視感あふれるものだが、文字通り、対談自体が現代を19世紀の反復と見なしているのだから、20年前と大差ないものになることは当然なのだ。<br />現在のメディア状況に対する姿勢はお二人とまったく同意見で、「即時的なレスポンスのやりとりがコミュニケーションだという誤った神話に惑わされてはいけない」という浅田さんに対して、「それを嘲笑すべく、ドゥルーズは「哲学はコミュニケーションではない」と書いたわけじゃないですか」と蓮實さんが応じているのはもっともというほかない。もういっぺん強調しておくと、ドゥルーズは<b>「哲学はコミュニケーションではない」</b>と書いたわけだ。<br />Twitterをただの雑談と見なせば別にどうということはない。雑談は楽しいし意味もある。しかし、もの書きがただでさえぐだぐだな思考をTwitterで垂れ流しても、それが自然にまとまるものでもないだろう。実際のところ、ぐだぐだの泥沼に沈んでゆくのが眼に見える･･････。<br />「Twitterであれ何であれ、所詮はメディア戦略じみたもの」と割り切った自意識の持ち主にしたところで、浅田さんの発言にあるように、「ディベートでこう言えば話題になるはずだという計算でずっとやってきた」フランスの新哲学派と同じく、そんなもので「勝ち組」になることに何の思想的意味があるのか。<br /><br />とはいえ、この対談がどこか引退した賢者たちの高みからの発言に見えてしまうことも否定はできない。大学の制度改革などをめぐる蓮實さんの発言には、かつての東大総長・国大協会長としての過去に由来する、ある種の弁解じみたお気持ちがうかがえないわけではないように思う。「高齢者が金融資産を独占している状況を変えるには退職金制度をやめるしかない」という提案（それ自体はリアリストらしい現実的な政策だけれど）には、「あなたがそれを言いますか」と、苦笑を通り越し、みんなで爆笑してしまったが。<br />総じてお二人は、ごく常識的な意味で、「愚鈍」となるにはあまりに「聡明」なのだろう。「愚鈍さ」の称揚はある種の「嫉妬」から来るものに思える。ただ、「投瓶通信として書く」「レスポンスを求めないために書く」（浅田さん）、「発信しないために書く」（蓮實さん）、ついには「死ぬために書く」（ブランショ）といった言葉は、しごくまっとうな倫理としてかすかな支えにはなった。<br /><br /> ]]>
        
    </content>
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    <title>サバイバル</title>
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    <published>2009-12-09T23:25:33Z</published>
    <updated>2009-12-09T23:50:29Z</updated>

    <summary>読売新聞の読書委員（書評執筆）としてほぼ最後の仕事に取り上げるのは、服部文祥『狩...</summary>
    <author>
        <name>田中純</name>
        
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        <category term="Memorandum" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
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        <![CDATA[読売新聞の読書委員（書評執筆）としてほぼ最後の仕事に取り上げるのは、服部文祥『狩猟サバイバル』（みすず書房）。内容は次の日曜に掲載される書評に譲るとして、たまにはここにも雑感を。<br /><br />２年間にわたって書いてきた書評の最後に何を取り上げようかと思っていたところ、ちょうどこの本にめぐりあった。締めくくりにはふさわしい一冊。<br />この本の出発点がそもそも「肉食系」なので、ベジタリアン的な「草食系」の発想は端からない。そこがいっそすがすがしい。<br /><br />生に執着している自覚はないが、ボウイや70年代ロックのテーマだった「サバイバル」は、身近な感覚ではあった。<br />何としても（ある象徴的な意味で）生き延びて、明日は戦うんだ、といった。<br />何のために？<br /><br />「野戦攻城」の「独学者」（橋川文三）──生き延びてしまった者の倫理に惹かれるのも同じことなのだろう。<br />何が敵かは、敵だったのかは、倒れるまではわからないにしても。<br /> ]]>
        
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    <title>書評：渡邊守章『快楽と欲望──舞台の幻想について』『越境する伝統』</title>
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    <published>2009-12-09T12:19:29Z</published>
    <updated>2009-12-09T12:24:35Z</updated>

    <summary> 書誌情報は田中純「渡邊守章『快楽と欲望──舞台の幻想について』『越境する伝統』...</summary>
    <author>
        <name>田中純</name>
        
    </author>
    
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        <![CDATA[ 書誌情報は<br />田中純<a target="_blank" href="http://www.yomiuri.co.jp/book/review/20091207bk07.htm">「渡邊守章『快楽と欲望──舞台の幻想について』『越境する伝統』」</a>、「読売新聞」2009年12月6日付朝刊。 <br /><br /><a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4403231160/" target="_blank"><img src="http://ec3.images-amazon.com/images/I/41s3LA2uHyL._SL150_PC_PV3_.jpg" /></a> <a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4478008353/" target="_blank"><img src="http://ec2.images-amazon.com/images/I/41r7rOOODyL._SL150_PC_PV3_.jpg" /></a> ]]>
        
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    <title>「星の子供たち」の帰還</title>
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    <published>2009-12-03T07:28:30Z</published>
    <updated>2009-12-03T07:31:08Z</updated>

    <summary>『UP』12月号に寄稿しました。連載「イメージの記憶」の第18回です。   書誌...</summary>
    <author>
        <name>田中純</name>
        
    </author>
    
        <category term="Essays" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
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        <![CDATA[<div><font face="HiraMinPro-W3">『UP』12月号に寄稿しました。連載「イメージの記憶」の第18回です。</font></div>
 <br /> <div><font face="HiraMinPro-W3">書誌情報は</font><br /><font face="HiraMinPro-W3">田中純「「星の子供たち」の帰還──占星術の政治的図像学」、『UP』446号（2009年12月号）、東京大学出版会、2009年、34〜40頁。</font></div> ]]>
        
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    <title>毎日出版文化賞贈呈式</title>
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    <published>2009-11-26T02:13:01Z</published>
    <updated>2009-11-26T02:56:20Z</updated>

    <summary>昨日（11月25日）、グランドプリンスホテル赤坂で第６３回毎日出版文化賞の贈呈式...</summary>
    <author>
        <name>田中純</name>
        
    </author>
    
        <category term="Memorandum" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
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        <![CDATA[昨日（11月25日）、グランドプリンスホテル赤坂で第６３回毎日出版文化賞の贈呈式がありました。<br /><br /><a target="_blank" href="http://video.mainichi.co.jp/viewvideo.jspx?Movie=48227968/48227968peevee285662.flv?inb=yt">「毎日動画」の映像</a><br /><br /><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a href="http://before-and-afterimages.jp/news2009/IMG_1855_2.jpg"><img alt="IMG_1855_2.jpg" src="http://before-and-afterimages.jp/news2009/assets_c/2009/11/IMG_1855_2-thumb-250x299-172.jpg" class="mt-image-none" style="" width="250" height="299" /></a></span><br /><br />スピーチはメモを極力見ずに行なったため、記憶が飛んだ個所もありました。<br />原稿全文（スピーチとは完全には一致しません）をここに載せておきます。<br /><br /><blockquote>　毎日出版文化賞という歴史のある賞をいただき、大変光栄に思います。今回の受賞作と同じ東大出版会から出た本で、最初にこの賞を受賞したのは1953年、丸山眞男さんの『日本政治思想史研究』です。そしてちょうど同じ年に、私がこの本で取り上げた建築家・堀口捨己さんも、ほかならぬ毎日新聞社から刊行した『桂離宮』で受賞していると知りました。こうした人々の名に自分が連なることの重みを感じております。<br />　東大出版会には企画委員会という制度があり、教員が委員を務めて、出版企画を一つ一つ会議で検討しています。私もたまたまその一員で、普段は専門外の書物、例えば理系の書籍のタイトルや構成にまで、いろいろ注文をつけています。当然ながら、私の本の企画もその会議に出され、久しぶりに論文審査を受けるような気持ちで緊張しました。何とか審査は無事に済んだのですが、そこで頂戴したご意見や「是非読みたい」という言葉が大変参考になり、また、励みにもなりました。大学出版会だからこそのこうした制度はとても貴重だと思います。企画委員の皆さんと編集部に深く感謝します。<br />　私の本は政治をめぐる想像力や美意識の分析です。とりわけファシズムやナチズムの政治的暴力が、その周辺の、あるいは後の時代の芸術家や学者たちによって美化される理由を探りました。先ほど［辻井喬さんの選評で］今日が憂国忌、三島由紀夫事件の日であることを思い出させられ、迂闊にもすっかり忘れておりましたが、非常に感慨深いものがありました。<br />　私がこうしたテーマを取り上げたのは、その危険な美に魅力があるからこそです。ですから、この本はその魅力と危険をはっきりと示すものにしたかった。カバーの能面の写真や口絵のデヴィッド・ボウイの写真など、「これぞ」という象徴的なイメージを大胆に使うことが許されたのは、実に幸運でした。<br />　こうした美意識やファシズム的な暴力がまったく過去のものだとは思いません。それが繰り返されることをこの本では論じたつもりです。同時にこの美意識が自己解体したところに生まれる、星屑のようなきらめきも描きたかった。デヴィッド・ボウイやパンク・ロックが文化革命だったわれわれの世代の、執念のようなものかもしれません。<br />　編集の担当は現在羽鳥書店社主の羽鳥和芳さんと矢吹有鼓さんでした。私が校正に最後まで執念深く手を入れ続け、図版や付録、索引にもひどくこだわったために、大変なご苦労を強いました。編集作業の最中には呪いの言葉がつぶやかれたという噂も聞こえてきます。この場をお借りして、もう一度、感謝の気持ちをお伝えします。<br />　人文学をとりまく状況はグローバル化のなかで大きく変化しています。事業仕分けの論理からすれば、ネット上の情報があればそれで十分ではないか、ということにもされかねません。しかし、研究の成果として日本語の書物を広く世に問うことの意義はいささかも薄れていないと思います。書物は同時代のためにだけ書かれるのではないからです。<br />　私の本に一冊の書物としての価値と出版文化への貢献を認めていただいたことを、重ねて感謝申し上げます。これを励みとして、時間の試練に耐えるような書物を残すべく、今後も努力いたします。<br />　どうもありがとうございました。<br /></blockquote><br />辻井さんをはじめとする審査員の方々にお会いできたことは幸いでした。特に1980年代の後半に北一輝へと導かれたきっかけである『北一輝伝説』の著者・松本健一さんにこの11月25日にお会いしたことを、紋章のように記憶に刻印したいと思います。<br /><br />上の動画には収められていないのですが、圧巻はやはり山崎豊子さんのスピーチでした。その内容以上に、語る姿に会場は圧倒されていました。<br /><br />祝賀パーティーでは拙著を刊行するうえでお世話になった方々、大学時代の恩師をはじめとする旧知の方々にお祝いしていただきました。喜びを分かち合えることを大変嬉しく思いました。同窓会も兼ねた二次会も暖かな雰囲気で和みました。<br /><br />]]>
        
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    <title>書評：『数式に憑かれたインドの数学者』</title>
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    <published>2009-11-26T02:03:54Z</published>
    <updated>2009-11-26T02:12:12Z</updated>

    <summary> 書誌情報は田中純「書評：デーヴィド・レーヴィット『数式に憑かれたインドの数学者...</summary>
    <author>
        <name>田中純</name>
        
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        <![CDATA[ 書誌情報は<br />田中純<a target="_blank" href="http://www.yomiuri.co.jp/book/review/20091124bk0f.htm">「書評：デーヴィド・レーヴィット『数式に憑かれたインドの数学者』」</a>、「読売新聞」2009年11月22日付朝刊。 <br /><br /><a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4822284034/" target="_blank"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51rhjxn4pzL._SL150_PC_PV3_.jpg" /></a> <a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4822284042/" target="_blank"><img src="http://ec3.images-amazon.com/images/I/51XZFpeQcuL._SL150_PC_PV3_.jpg" /></a> ]]>
        
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    <title>〈声〉なき幼児期への帰還</title>
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    <published>2009-11-21T13:11:16Z</published>
    <updated>2009-11-21T13:13:40Z</updated>

    <summary>アガンベンの翻訳書に寄せた文章です。書誌情報は田中純「〈声〉なき幼児期への帰還─...</summary>
    <author>
        <name>田中純</name>
        
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        <![CDATA[アガンベンの翻訳書に寄せた文章です。<br />書誌情報は<br />田中純「〈声〉なき幼児期への帰還──アガンベン『言葉と死』」、『ちくま』465号、筑摩書房、2009年、10-11頁。<br /> ]]>
        
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