ロシアからの通信1(松原弘典)


Date: Sat, 24 Aug 1996 20:01:13 +0400
To: tanajun@sh0.po.iijnet.or.jp
From: hiromatsu@glasnet.ru (Hironori MATSUBARA)

田中純様

どうもご無沙汰しています。松原です。
ようやく通信関係も安定してきたのでこのようにメールでコンタクトがとれるように なりました。
できればこれからしばらく、展覧会までの間に田中さんを通してAI展のワーキング・ グループの皆さんに、こうした形で連絡をとり続けたいと思います。このことはみな さんにとってみれば展覧会の言説をまとめる上で僕の部分の(おそらく)理解の助け になるでしょうし、僕自身にとってみれば自分の思考を整理することになると考えて います。双方にとってカタログ原稿執筆のためのたたき台になればいいのではないか と思います。

 先日三宅さんがモスクワに寄られて、借り出しを予定している図面を見て行きまし た。大体方針は変わらないのですが、いくつか建築大学のフォンドで面白い図面を見 つけたのでそれも新たに加えようと考えています。(4のアンドレーエフがそれ)結 局今のところロシアから借り出しを考えているのは以下の物件です。

1  ソヴィエト・パレスコンペ最優秀案(ボリス・イオファン、1933)    レーニン像が頂部に乗った透視図、大ホール部分断面図、クレムリン込みの立 面図、スケッチ
2  蜂起広場の高層アパート(ミハイル・パソーヒン、1953)    全体透視図
3  クレムリン大会宮殿(ミハイル・パソーヒン、1961)    クレムリン込みの立面図、(断面図)
4  北京蘇聯展覧館(ヴィクトル・アンドレーエフ、1953)    全体透視図、断面図、頂部の星部分などのスケッチ
5  ガモン・ガマンのドローイング(ガモン・ガマン)    オーロラのシリーズ、未来都市のシリーズ

1、2、3はシシューセフ建築博物館、4、5はモスクワ建築大学の附属美術館から 借ります。1はかなりヨーロッパには出ています。2も最近のスターリン時代の研究 の進展とともに少しずつ紹介されていますがまだまれです。3はイタリアで、5はド イツでその一部が一度紹介されたきりです。4はおそらくこの展覧会で始めて紹介さ れるものだと思います。
 数日後に中国に行って借り出し交渉をするので、その後にバランスをみながら按配 をとりますが、今回は以上のモスクワから借りるものについて、簡潔にその位置づけ をしたいと思います。
 まず展示作品全体をつなげるのが、すでに話に出ているような「究極の建築」とい う視点です。「遠大な理念を語ること」と「巨大な計画を実現できること」の双方が 一人の建築家のなかで可能になってしまったときに出現するのがすなわちそれですが 、このことは確かに戦前のソ連で1に見られるようにわかりやすい形で出現したわけ です。30年代というのはソ連に限らず、ドイツやイタリア、日本でも「国家を表象 する」ものとしての「究極の建築」があったということで、最近までさまざまな研究 や論考がそれらについて提出されてきたわけですが、僕は今回この展覧会で、30年 代のことばかりでなく、戦後のことについても言及したいと考えています。特に戦後 復興を急速な勢いで進めてきた二つの社会主義の大国、ソ連と中国は、50年代の後 半から60年代にかけて、国家の威信をかけた建設事業を多く残しているわけで、そ れらの双方について、また両者の関係について展示作品で明らかにできればと考えて います。
 特にソ連と中国の比較で有効なのは、「大会議場」というビルディング・タイプで す。このタイプは27年のジュネーヴの国際連盟の本部のコンペあたりが最初で、世 界中で「国家的な」建設として姿を表わし始めます。背景としては、技術的には大ス パンの架構が可能になって大きな集会スペースの建設が現実的になってきたことにあ わせて、20年代からの各国でのインターナショナルへの指向がこうしたビルディン グ・タイプを実施に向かわせたのだと思います。ただ戦前は「理念」がそのまま実現 した例は少なく、多くの思想が語られた「国際連盟」はコルブは負けて古典的なアカ デミーの案が実施され、1のソ・パレスにしてもまたしてもコルブは負け、モニュメ ンタルな案が一等を取った上に実施もされなかったわけです。この間、「国家」とか 「理念」といったのをまったく謳わないで黙々と「実現」を繰り返していたのがマン ハッタン(ロックフェラー・センター)だったという事実も一方ではあるわけですが。  「近代建築」の「理念」と建物としての「実現」が始めて一致した大会議場は恐ら くハリソンの国際連合ビルだと思います。ブラジリア、3のモスクワのクレムリン大 会宮殿、タシケントの都市計画、北京の人民大会堂、ニューヨークのリンカーン・セ ンターなど50ー60年代の「国家的」「会議場」建築は多かれ少なかれよく似てい ますが、これらはほとんどハリソン/コルブのこれから来ているのではないか、と僕 は考えています。
 というわけで展示物の1、3さらに中国から借りる人民大会堂はこうした流れで語 られることになると思います。できれば3つの大ホール部分の断面図を並べたいと考 えています。(3の断面図がどうも迫力のあるものがないので立面で差し替えようか 迷っているんですが)
 2は3を設計したパソーヒンという建築家への理解を深めるための展示物です。3 はフルシチョフの時代のものですが、彼はその前のスターリンの時代の末期に2のこ の計画でデビューしました。2ー3の距離というのは丹下さんがタイのコンペで勝っ て、広島の計画ではがらりと「近代化」したプロセスとよく似ています。(実際ふた りは1910年代の生まれで、経歴は似たものを感じます)この後戦後ソ連建築界を 代表する建築家となり多くの巨大建設事業を実際に「実現」した人で、「究極の建築 家」と数えることのできる人の一人です。日本のネオン会社に現在復元製作を依頼し ているのは、彼が60年代に計画した大通りに設置されたネオンの模型です。2、3 とこのネオン模型でパソーヒンの足跡を追うのもこの展覧会でできると思っています 。ちなみにこの建築家の息子は今も生きていて、近々インタヴューをとる予定ですが 、現在モスクワ市建設局の主任建築家で、父親の後を確実に追っているようです。
4はほとんど国際的には無名の人ですが、モスクワでは知られた建築家です。ウク ライナのハリコフ出身で、50、60年代に建築大学で教えるかたわら実務もこなし て、特に大使館など外国にソ連の建物を多く実現したアンドレーエフ(1905ー8 8)という建築家です。北京と上海に50年代の中ソ密月時代にソ連から送られた展 覧館という展示場があり、モスクワの高層建築と同じで頂部に星を掲げた尖塔を背負 った建物なんですが、これは彼が中国人の技術者を使って実現したものです。中国側 の資料だと「安得列耶夫」という名前で少し本に記述があるだけしか僕は知らなかっ たんですが、これで両者を具体的につなぐ建築家にアクセスすることができそうです 。実際まだ中国は資料の閲覧など困難が多いので、これからしばらくはモスクワの方 から関係資料が出てくるかも知れません。遺族の方とも連絡がとれたので、うまくい けば今度の中国行きで向こうの関係者の所在を聞き出せるかもしれません。  
5はまだなぞの多い人物です。1880年ラトヴィアのリガ生まれ、ペテルブルク で絵画の教育を受けたあと、ミュンヘンでエッチングの技術を見に付けたガモン・ガ マン(1880ー1965)という画家です。革命前にヨーロッパ、アフリカ、アジ アなどを遍歴したという資料もあります。20ー30年にはレニングラードと極北の 地(これがラーゲリのことかどうかは確認をとりたいんですが)で芸術家/銅版画家 として働いています。おそらくこのころの体験からかかれたのがオーロラのシリーズ で、小さな木炭のドローイングですがなかなか神秘的な感じのものを数点借りる予定 です。50ー60年にはモスクワに住んで、建築大学の版画の教室で教えながら、本 の装丁などにも関わっていたようです。このころにかかれたと思われる未来都市のイ メージを描いたドローイングも数点持ってきます。  先日三宅さんとこちらでペーパーアーキテクトの一人のアレクサンドル・ブロツキ ーと話す機会があったんですが、面白いことに彼もこの人の名前だけは知っていて、 というのも最近彼が自分の大きな銅版画を刷るのにモスクワであちこちプレス機を探 したところ、ようやく見つけたそれが、以前ガモンーガマンに使われていたものだっ たらしいのです。実に面白い巡り合わせです。ブロツキーを通じてこの方面も少し追 跡調査をしてみるつもりです。
 以上がモスクワからのものについてですが、中国からは天安門広場、特に人民大会 堂の資料を借りてくる予定です。中国に着くのが29日ころになりそうなので同じ日 のワーキングにまでにははっきりしたことは伝えられないと思いますが、いずれにせ よ人民大会堂を中心に考えているということを皆さんにお伝え下さい。文革の方はキ ュレーションに関してすこし僕の手に余るかもしれません。ただカタログでは僕の文 章のなかでそれについて言及もしたいし、構図としてはソ連のパソーヒンとガモン・ ガマンの対比がうまく行けば人民大会堂と文革建築のそれに重ね合せることができる のではないかとこちらでは目論んでおります。つまり国家ー個人、中心ー周縁の対比 ですね。
 以上のことから、僕の部分の展示物の構成については大ざっぱにこのようなことが 言えると思います。

縦の軸(時間)  30年代のイオファンから始まって60年代のパソーヒンまでの ソ連、中国の大会議場を通じて国家的建設と建築家の関係を提示。それに付随してパ ソーヒンという究極の建築家の経緯も示す。
横の軸1(場所) ソ連と中国の二つの社会主義国家の建築における関係を提示。そ の間にいたアンドレーエフという建築家の紹介
横の軸2(意味) 中心ー周縁の対比図式の提示。ソ連におけるパソーヒンとガモン ・ガマン、中国の人民大会堂と文革建築

最終的にはどれかに力点を置いてもっとわかりやすくまとめますが、いまのところこ うした可能性があるということで了解しておいて下さい。

 そういえばタイトルが決まったそうですが、その経緯など教えて頂けると助かりま す。こちらのほうでもどうまとめていけばいいか役立つと思うので。あと軽井沢はど うだったのですか?田中さんの奥さんが無農薬野菜を持って行って宮脇さんに喜ばれ たというのは聞きましたが。そのへんのことについてもお話しを頂けると助かります。

 展示会場の具体的なイメージは中国から戻ってからはっきりすると思います。ただ 僕の考えとしては伊東忠太とダメケンチクにはさまれている以上じたばたしても仕方 ないので、すごくシンプルな展示スペースを考えています。音の方を計画に入れるの を忘れないようにお願いします。
 建築家の肖像はイオファン、パソーヒン、アンドレーエフ、ガモン・ガマン、趙冬日、張鋳などがきます。本のコピーか写真でお渡しできると思います。テクストにつ いても現在折を見て収集しています。そちらではどのように進めているのか、韓さん 、秋山さんの状況もお知らせ下さい。

 田中さんのホームページでAY展の情報もながしていると聞きました。メールをやり とりしている日本の友人が偶然それをみつけて教えてくれました。サイトを教えて下 さい、ここでも(大分遅いですが)wwwも見れるのでアクセスしてみようと思います 。ちなみにホームページでこの手紙の内容など抜粋して流すことで展覧会の企画自体 を少しずつ公開していってもいいのではないでしょうか?

長くなりました。今回はこのくらいにしておきます。

Hironori MATSUBARA (松原 弘典)

以上

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