越境と闖入


アーカイヴの倫理をめぐって。

読売新聞にアビ・ヴァールブルク『ルターの時代の言葉と図像における異教的=古代的予言』(ありな書房)の書評、喜ばしい。
しかし、そこに次のようにある。
「だが、[ウォーバーグ研究所の]創始者のアビ・ヴァールブルクその人に関しては、今まで著作の翻訳もなく、カッシラー[原文ママ]やパノフスキー、ゴンブリッチなど、彼に影響を受けた後継者たちを通して間接的に知られるだけだった。」
これは端的に事実誤認である。
上記と同じ論文の翻訳はすでにちくま学芸文庫から2004年に『異教的ルネサンス』(進藤英樹訳)と題して刊行されている。この訳書については、ありな書房の本の「あとがき」でも触れられている。「彼に影響を受けた後継者たちを通して間接的に知られるだけだった」という紹介の仕方も、1980年代ならまだしも、現状ではそぐわないことは、この「あとがき」を読んでいればわかるはずのことだろう。
何も専門的な知識が必要なわけではない。
「あとがき」を読めばいいだけのことである。

世間一般並みの慶事それ自体については何ということもないが、男子が産まれたというだけのことで騒ぎ立てるマス・メディアの無節操さが腹立たしい。
しかし、所詮、「国民」の程度に応じた「政体」しか存続しないのだし、それに応じた「象徴」でしかありえないだろう。
「象徴」をめぐる個人的な選択の問題だけを語ることは床屋政談も同じである。
むしろ「象徴」の作用を歴史的にたどることにしか興味はない。
そして、この「象徴」のまわりにいた、あるいは「象徴」の隠れた眷属としてふるまった集団、「童形の戦士たち」の系譜を思う。

ギンズブルグのピエロ研究を読み返していて、「訳者あとがき」にあった「専門外の分野への闖入」をめぐる記述に目が留まる。
ギンズブルグのこの研究はそんな「闖入」だった。
それに対して、イタリアのある歴史家は「闖入」の手前で踏みとどまり、「自分の専門知識の確かな手応えがあるところまで行くこと」のみを自分に許した。
他方、カントロヴィッチは、「中世の法という、自分がその教育を受けていない学問の垣根」を突破してしまった「越境」について、専門の法学者に「闖入」の「罰金」を支払うことを甘受する、と書いた。

「闖入」を手放しでもてはやすことがモードになっている状況下では、むしろ、専門領域の頑なな閉塞性こそが堅固な足場(「確かな手応え」)に見えるかもしれない。
だが、この手応えなしにはそもそも研究そのものが進められえないのだとすれば、「自分の専門知識」の拡充に努めるしかないとも言える。
そして、本質に迫ろうとする研究には、おのずから「越境」と「闖入」が不可避でもあるに違いない。
それが厳しく裁かれなければならないことは当然としても。

阿部謹也氏の訃報に接し、かつて、自分にとっての学問の場は大学ではなく、公文書館だった、とどこかに書かれていたことを思い出す。
歴史、美術史、法学云々といった学問領域によるディシプリン(規律訓練)ではなく、アーカイヴのディシプリン、アーカイヴの倫理。
そんな倫理はジャンルの境界など知らない。だからそれは時には、越境と闖入を強いるのである。

Posted: 月 - 9 月 11, 2006 at 10:22 午前          


©