表象とアフォーダンス


25日に紀伊國屋ホールでシンポジウムがありました。

この場で告知すべきでしたが、佐々木正人さん、小林康夫さんと「表象とアフォーダンス」というシンポジウムをおこないました。

予定調和的な議論を期待していた聴衆には訳の分からない話だったかもしれません。
何しろ最後にはミミズのアートに、潤んだ目の馬の話題だったのだから。
いつものことながら反省もしますが、わたし自身にとっては、佐々木さんの発想のコアに触れられた気がして、袋小路の突破口を探り当てた思いです。

正直なところを書けば、佐々木さんにとっても問題はもはやギブソンのアフォーダンスではなく、「ダーウィン的方法」なのだと思う。
とりあえずはそれを「アフォーダンス論」と呼んでもいいけれど、ギブソンの思想にリードや佐々木さんが探り当てたものは、アフォーダンス論をアートや建築論に応用しようなどという議論とは次元が違っている。

アーティストとの共同作業を通した分析にはもちろん価値がある。
剣呑なのは、一方ではそのこと自体が目的化するような距離感のなさ、他方では、「観察」を離れた、「アフォーダンス論」なる理論それ自体の発展がありうるかのような錯覚である。

心理学にとっての「表象」と表象文化論の「表象」とはまったく異なるのだから、この言葉に引きずられて、議論が心理学における表象主義をめぐるものだなどという誤解は本来ありえない。
われわれにとってあまりに自明なこのことを、まず聴衆に対してわかりやすく確認すべきだったのかもしれない。

以上は、たまたまネットで目にした勘違いな感想文への応答。

これを遡る一週間前の表象文化論学会シンポジウムも、アンダーステイトメントめいた水面下での応酬があって、聴衆にはわかりにくかったかもしれない。
そのあたりを楽しめるのが教養というものかもしれないが(とはいえ技巧的なアンダーステイトメントにはいささかうんざりしている)、それを若い世代に要求するのは酷なのだろう。

自分が面白く思えない、啓蒙的なだけのシンポジウムや講演をおこなう気にはならないので、これからもきっとこのままでしょう。

Posted: 水 - 11 月 29, 2006 at 11:29 午後          


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