1930年頃のアラバマの幼年時代


トルーマン・カポーティの『誕生日の子どもたち』。

作家トルーマン・カポーティを題材にした映画『カポーティ』が今年の下半期には日本でも公開されるという。
そのことを知らずについ最近入手してあった、彼の『誕生日の子どもたち』を村上春樹訳で読む。
いわば、1930年頃のアラバマの幼年時代。
父母からなかば棄てられて、祖母と孫ほども歳の違う従姉妹、そしてその飼い犬と過ごした子ども時代の楽園。
とてつもなく繊細で、精確な文体によって定着された、オブジェのようなイメージ。
「クリスマスの思い出」という短篇は、老いた従姉妹から引き離された語り手に、彼女の死の知らせが届けられた日で終わる。
「その知らせは僕という人間のかけがえのない一部を切り落とし、それを糸の切れた凧のように空に放ってしまう。だからこそ僕はこの十二月のとくべつな日の朝に学校の校庭を歩き、空を見わたしているのだ。心臓のかたちに似たふたつの迷い凧が、足早に天国に向かう姿が見えるのではないかという気がして。」

訳者はここに集められた短篇に通底するテーマを、少年や少女の無垢さ(イノセンス)であるという。
純粋であるがゆえに残酷な。
そして、それを小説にする作家が味わい、われわれが深く悟ることになるのは、そんな無垢さはやがて決定的に喪われてしまうという事実なのだ。
気づいてみれば、それは迷い凧のように空の果てへと舞って去り、消えてしまっている。
そんな凧の姿を探すには、空はあまりに広すぎる。

伝記的な映画と言えば、1月下旬に公開される『マイ・アーキテクト ルイス・カーンを探して』がとても良いという評判を聞いている。
ペンシルヴェニア駅で急死した父ルイスの足跡をたどる息子ナサニエルのオイディプス的な物語。

Posted: 日 - 1 月 1, 2006 at 09:42 午後          


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